表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/31

9話



「…あ、あれ?」


ゆめはぼんやりを目を開けたとき、いつもと違う風景に戸惑い、一気に覚醒した。



がばっと起き上がると、右足首に激痛が走る。

「いたっ!!」

じんわりと涙がにじむ。



かかっていたタオルケットをめくりあげると、いつも家でパジャマ代わりにしているスウェット姿のままだった。

しかも足首には、しっかりと湿布が当てられている。

ゆめはぱちぱちと瞬きを繰り返した。



そして、思い出した。




「そうだ…私…」




突然義父が戻ってきて、必死になって逃げて。

絶対に助けてくれると信じて…



「龍さんとこに来たんだった…」




恐怖の一夜を思い出し、思わず身震いする。

よくも無事に逃げ切れたと、自分の幸運が信じられない思いだった。

ゆめは忌まわしい思い出から逃れたくて、握り締めた両手を唇に当てた。




と、その時。

見知らぬ女性が衝立の向こうから顔を出した。



「あ、ゆめちゃん、目が覚めた??」



小柄で元気いっぱいの女性は、満面の笑顔を向けた後、大きな声で龍の名前を呼んだ。

あきれ返ったような龍の返事が聞こえる。



この状況にゆめがどぎまぎしていると、女性はベッドの横に跪き、ゆめの両手を取った。



「どう?大丈夫?大変だったわね…もう安心していいから、ね?」




見ず知らずの得体の知れない人間に対しての思ってもいない優しい言葉に、ゆめの心が震えた。

じんわりと熱い涙が染み出し、零れ落ちる。


と、その時。

女性がふんわりとゆめをその胸に抱きしめ、ゆっくりと髪を撫でた。



甘いにおいとその温もりに、ゆめは涙が止まらなくなった。

こんな風に抱きしめて慰めてもらったことなど、これまで一度もなかったことだった。


余りにもうれしくて、幸せで、ゆめは目を閉じて体の力を抜いた。




「…いろは、お前ってやつは…さっそくゆめを泣かせたのか?」



呆れた声で近づいてきた龍の声に驚いて、ゆめは顔を上げた。

エプロン姿の龍の手には、湯気が立ったマグカップが握られている。



「なによ、そんな言い方しなくても」

抱きしめる腕を解きぷっくりと脹れるいろはを無視して、龍はゆめの傍に座った。



「これ、スープ作ったんだけど、飲める?」


ほんのりと温かいマグカップを包み込み、ゆめはこくんと頷いた。

龍の笑顔に顔を赤らめ、それから一口含んだ。


「…おいし…」


にっこりと笑うゆめの様子を見て、龍もまた満足げに笑う。







ひと心地ついたゆめは、龍といろはを見て礼を言った。



「あの…お二人とも、本当にありがとうございました。私…見ず知らずの人にまで迷惑掛けて…」

「あ~、いいからいいから、気にしないで。

 あ、そうそう、こいつ、いろはって言うんだ。俺のいとこ。

 だから、気にしなくていいから」

「そうよ?遠慮なんかしないでね~」



二人と一緒にこうしていると本当に幸せで、うれしくて、足の痛みも忘れてしまいそうだった。

誰かが自分のために食事を用意してくれることなど、いったい何年ぶりのことだろう?

こんな状況なのに示された思いやりに、ゆめは心から感謝した。



「そうそう、ゆめちゃん。

 昨日ご両親が心配なさっているだろうと思って、ゆめちゃんの携帯から勝手にメール

 しちゃったの。ごめんなさいね、緊急事態だったとはいえ」

「あ…そんな、そこまでお世話になってしまって…」



正直いろはの一言に、ゆめはひるんだ。

母はいったい彼らになんと言ったのだろう?と。

恩人である二人に不愉快な思いをさせたのではないかと、胸が痛んだ。



「で、お母様だけど、お忙しいみたいだけど…いつぐらいおうちに帰ってくるの?」

「あ、いえ、あの…母はずっと残業で、家に帰ってくることは滅多になくって…でも、私…」

「じゃ、お父様は?」


父親と聞かれ、ゆめは血の気が一気に引いた。

昨夜の出来事がまざまざとよみがえり、小刻みに体が震える。



「ゆめ、ちゃん?」

「ゆめ、大丈夫か?」



二人が心配そうに覗き込んでいる。

『いけない』

ゆめは焦った。

二人にはこんな醜聞をさらすわけにはいかない。

話せるわけがない。

こんなこと、人に知られたら、もう家族がいなくなってしまう。

本当に、帰るところがなくなってしまう。


もし私のことで母親が仕事をなくしてしまったら、社会的な制裁を受けてしまったら…ゆめはそう考えると、怖くて仕方がなくなる。

愛されていないことはわかっていても、これ以上母親に軽蔑され、さげすまれたくはなかった。

愛してくれなくても、邪険にされたくはなかった。

それに、ここまで思いやってくれる二人に軽蔑されたら、生きていける自信がない。



ゆめは無理に笑顔を作った。



「あ、ご、ごめんなさい。

 あのっ、ち…父は、父は……父も、仕事が忙しくて…多分帰ってこない、と…」


この返事に、いろはは驚いて声を上げた。


「じゃ、ゆめちゃんはいつも一人なの?」

「あ、はい。そうです」

「ご飯とか、家事とかは?」

「全部一人で…母は仕事で忙しいし、小さいころからずっとやってきたことだから…」



いろはの顔がくしゃりとゆがんだ。

それを見た龍がいろはの腕に触れ、首をゆっくりと振った。

「ごめんなさい」と一言残し、いろはが衝立の向こうに消えた。



「いろはさんは……」ゆめが驚いて龍に問うた。

けれど龍は何事もなかったかのようにゆめに携帯を渡し、「お母さんに連絡したほうがいい」と言った。


空のマグカップを龍に手渡し、ゆめは携帯を手に息を詰めた。

小さく深呼吸してから着信履歴を辿り、アドレスから母の番号を呼び出した。


まずはメールを送り、電話をしても良いかどうかたずねた。

すると珍しく、すぐに電話がかかってきた。



「…もしもし?」

『もうすぐ会議なの。手短に』

「ご、ごめんなさい、忙しいのに…私…」

『手短にって言ったでしょ?何?』

「あ、あのね、昨日怪我しちゃって、知り合いのところにお世話になってて…足首がかなり

 腫れてしまって、それで…」

『私、帰れないわ。そちらにいさせてもらえないの?』

「え!…それじゃ、迷惑が…」

『仕方ないでしょ…あんたじゃ話にならないわ、代わって!』


こうなっては母は龍に代わるまで納得しないだろう。

ゆめはため息を吐いてから龍に事情を説明した。



龍は嫌な顔ひとつ見せず、電話を受け取った。

それからすっと立ち上がり、ゆめに背を向けて小さな声で話し始めた。


何度かやり取りをしたあと、龍は電話を切った。

ゆめの方を振り向いた時、龍の眉間には深いしわが刻まれ、目はきっと中を見据えていた。

しかし、ゆめと目が合った途端、うそのように視線は和らいだ。



「お母さんが、君の体が良くなるまでここにいてもいいって、仰ってたよ」

「えっ!?」

「だから、しばらく家に帰らなくても、君はここで体を休めればいい。わかった?」

「でも…っ!でも、それじゃ龍さんに迷惑が…」

「そんなことは何も気にしなくてもいいから。俺は迷惑だなんてこれっぽっちも思ってない。

 だから、安心していてくれればいい」

「そんな…私、迷惑ばっかり掛けて、龍さん…」



ゆめはうろたえた。

こんな風にここに世話になってしまっては、それこそ恩をあだで返すようなものだ。

それでも、母が帰ってこないのであれば、こんな身動きのできない体であの卑劣な男に好きなように

されるだけだ。


どうすればいいのかわからなくて、パニックになった。

なぜ何でも自分でできるぐらい、大人じゃないんだろう?

ゆめは泣きたかった。



その時。


「それじゃ、夜は私の部屋を使えばいいんじゃない?」


いろはが明るい声で言った。




「…そうだ、それがいい」

龍も同意したが、ゆめにはどういうことか理解できていない。

戸惑ったように二人の顔を見ると、いろはが龍の隣が自分の店で、その二階、つまり龍の部屋の隣が

以前住んでいた部屋なのだと説明してくれた。



「私去年結婚して、近所のマンションに住んでるの。

 隣は誰も住んでないし、水回りが痛むのもイヤだから、誰かに住んでもらえたほうが

 ありがたいのよ。

 洗濯機とか冷蔵庫とかベッドとか、生活に必要なものはそのまま置いてあるから」

「とりあえず、痛みが取れないうちは俺が食うものを届けるし。

 隣だから、何かあったらすぐに駆けつけられる」



ゆめにとっては、ありがたい申し入れだった。

「…ほんとに、いいんですか?」と恐る恐るたずねると、二人は満面の笑顔で頷いてくれた。


ゆめは心を決めた。


「しばらく、ご厄介になります。よろしくおねがいします」


ぺこり、と頭を下げた。





この日は、とりあえず学校も休んで龍のベッドで眠ることにした。

時々顔を見せてくれる二人に、そして温かい言葉とおいしい食事に、心の傷も癒えていくようだった。



夢にまで見た、人のぬくもり、温かな関係。

自分の幸運が信じられず、何度も頬をつねってみたりした。



これはがんばってきた自分への、神様からのプレゼントだ。

ゆめはそう考えた。


儚い夢かもしれないけれど、それでも幸せだとゆめは思った。


もし、もしも願いがかなうなら。

この夢が永遠に続けばいい…そう願わずにはいられなかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ