表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/31

8話



ひとしきり泣きじゃくると、ゆめは龍の腕の中ですぅすぅと寝息をたて始めた。

まるで幼い子供のように真っ赤な頬を濡らし、頬を胸に擦り付けるゆめは、頼りなくて心細げだった。


龍はため息をひとつ吐き、怒りで震えそうになる手で髪をかきあげた。

たまらなかった。



”ちくしょう…なにがあったんだ?”



不愉快な想像だけが先走っていく。



いったい何があったのかわからないが、これほどまでに怯えているゆめを放っておくことなどできるわけがない。

何とかして、彼女の心の闇を取り払ってやりたい。

心の底から笑えるようにしてやりたい。


願うことはたくさんあるのに、すぐにもかなえることができない現実に、苛立ちと憤りを感じた。




とにかく、すべきことをしなければ。


このままゆめをここにおいておくことに依存はない。

けれど、彼女は若い女の子だ。

目が覚めたときに男と二人きりだと、いくら助けを求めた人間であったとしても不安になるに違いない。


そう考えた龍は携帯に手を伸ばし、電話をかけた。







「それにしても、びっくりよね」



龍の胸でぐっすりと眠るゆめの顔を覗き込みながら、いろははにまにま笑いながら言った。

体は小さいくせに、こいつは昔から何があっても動じない。

龍は好奇心いっぱいでいたずらっぽく光る彼女の目を見て、苦笑を浮かべた。

こういうところも、小さいころから変わらない。



いろはは、まるで双子の兄妹のように育った龍の母方のいとこだ。


龍を出産したと同時に短い一生を終えてしまった母に代わり、いろはの母親が龍の面倒を見てくれていた。

叔母は写真で見る龍の母親そっくりで、しかも父親が愛妻の死を受け入れられず、その原因となった龍と向き合うことができなかったため、龍にとっては叔母が大切な肉親であり、いろはの家庭が自分の家族だと感じていた。



それでも、龍が19の時父親が再婚し、10歳年上の母親と10歳年下の妹が出来たことで、

ごく一般的な4人家族の長男として生活することになった。

しかし父親とは変わらず接触らしいこともなく、義理の母親とはぎくしゃくした関係しか築けなかった。

ままごと家族にもなれなかったことに対しては、申し訳ないと思いつつもしかたないと諦めていた。

結局この家族の中では自分は異端なのだ、と。


だから大学在学中アルバイトをして金をため、趣味で作ったアクセサリーが予想以上に売れ結構な

収入が稼げるようになってから、家を出てここで暮らし始めた。

それ以来、父親から時々安否を確認するだけの短い電話がかかってくるだけで、唯一義理の妹だけが

屈託なく龍のところに頻繁に遊びに来てくれている状態だ。


とても家族とは言えない、龍はそう考えている。




けれどいろはとは、家を出てからもずっと家族のように付き合っている。


いろはの家は大きな呉服屋だったが、結婚と同時に兄があとを継いだ。

それをきっかけに、いろはは念願の和雑貨の店をやりたいと、数年前龍と共に二人の祖父が所有しているこの2階建てのビルに引っ越してきたのだ。

一階の店舗部分を二つに区切り、二階の二部屋のアパートをそれぞれで使うことにした。

去年いろはは結婚し、今では隣の部屋は物置のようになっていたが、それでも小さいころから気が合う

二人の絆は、とても強いものだった。




だからこそ龍にとってこの状況を任せられるのは、いろはをおいてなかった。



龍はこれまでの事情をいろはに話した。

見る見る眉間にしわを寄せるいろはは、鼻を鳴らして「なにそれ?」と吐き捨てた。

それから龍の胸で眠るゆめの髪を撫で、「かわいそうに…」と呟いた。



「龍、どっちにしても、彼女の親には連絡したほうがいいと思うよ?

 このまま寝かしておくにしても、大切な娘が帰らないなんて心配するに決まってるもの」

「でも、どうやって?」

「彼女、携帯持ってるんじゃないの?」


ごめんなさいと一言謝ってから、いろははゆめのかばんを開けた。

すぐに目的のものが見つかり、そっと引っ張り出した。


「ほんと、ごめんなさい!」ともう一度謝ってから、携帯の着信履歴から”母”の文字を見つけ、

電話をかけた。

すると、わずか3コールでぶつりと切られてしまった。

いろはは怪訝な顔をして携帯を見た。



「どうした?」

「…取り込み中かしら?切られちゃった」

「もしかしたら、彼女のこと、探してるとか?」

「だったら、携帯にすぐに出ると思わない?」

「…そりゃ、そうだ」



とにかく早く連絡をと思い、今度はゆめの母にメールを送信した。



『突然申し訳ありません。

 私はゆめさんの友達で、春日いろはと申します。

 私の家でゆめさんが体調を悪くされ、いまうちで休んでいます。

 まだ辛そうにしているので、今晩こちらに泊まってもらうつもりなのですが、

 大丈夫でしょうか。

 ご連絡いただけたら幸いです』




「ちゃんと気付いてくれるかしら?」

「もしかしたら、迎えに来るんじゃないか?」

「…それもそうよね。そしたら事情を詳しく話して、彼女を送っていけば…」



ゆめの携帯が着信を知らせた。

メールへの返信かもしれないと慌てて携帯を開けると、やはりゆめの母親からのメールだった。



『私は残業で家に帰れません。よろしくお願いします』 



娘を気遣う言葉もなにもない、あまりにも簡潔すぎる文章。

携帯を覗き込んだ二人は、思いっきり眉間にしわを寄せた。


「…なんか、ちょっと冷たくない?娘がどこで誰といるのかも確認しないなんて」

「あぁ…」

「百歩譲って私の常識を総動員した文章が絶対の信頼を得たとしても、普通、娘が具合悪いって

 言ったら、もっとなんかありそうじゃない!?

 かーさんなんて、とーさんたたき起こして車で迎えに来て、速攻病院に連れてってるよ?

 絶っ対!」

「…まぁ、いろいろあんだろ?」



そうは言ったものの、龍も釈然としなかった。

いつも上目遣いに人の表情を心配そうに覗き込むゆめの癖を思い出し、眉間にしわを寄せた。


そのしぐさは、まるでかつて父親に見せていたそれと同じだ。


愛されたい、これ以上嫌われたくない…。

両親の愛を請うような、哀しいまでにひたむきな瞳。


龍はそのことに思い当たり、あらためて胸が痛んだ。




思考の海に沈みかけたとき、いろはが「あっ!」と声を上げた。



「どうした?」

「ほら、ゆめちゃん!右の足首、真っ赤に腫れてる!!」

「ほんとだ…」



そっと手をやると、ゆめの体がびくっと震えた。

起こしたかと顔を覗き込んだが、再び深い眠りに落ちたようだ。

龍は安堵し、ほっと息を吐き出た。



「とにかくこのままじゃ龍もゆめちゃんも疲れちゃうし、

 ベッドに寝かせてから足首の処置をしよう」



いろはにベッドを整えてもらい、そこにゆめをそっと寝かせた。

救急箱やアイスバックを取りに行ったいろはの背中を見送ったあと、龍はゆめをじっと見つめた。


ほんのり赤みを帯びた頬には、目から何本も涙の筋が走っていた。

龍はその一つ一つを指で優しくなぞった。



いったい誰がこれほどまでにゆめを傷つけたのか。

何度も繰り返した疑問を再度投げかけた。


気を許せば爆発しそうな怒りを押さえ込み、かわりに慰めるようにゆめの頬にやさしく指を滑らせた。



うっすらと開かれた唇にたどり着くと、龍はことさらゆっくりとその唇を撫でた。

暖かな寝息が指先に触れる。


怖いぐらいに愛しい気持ちが、どっと胸から沸きあがった。




龍はゆっくりとゆめの頬に唇を寄せると、慈しむようにその目元に小さなキスを落とした。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ