「あいつチョロすぎでしょ」って、聞こえてますわよ。きっちりお返しいたします
小さい頃、「この人と結婚するんだな」って思っていた。
私が物心ついた頃から、一緒にいた人だから。
でも、いつしか、別の婚約者ができていた。
それを疑問に思うこともなかった。
伯爵家の娘なら、それは当然のことだったから。
「エリン、君との婚約は破棄させてもらう!」
だから、婚約者のカイル様から突然そんなことを言われて、心臓が口から飛び出るほど驚いた。
「な……なぜでしょう?」
「理由? ふん、お前に用はなくなったというだけだ。明日には荷物をまとめて出て行くように!」
それだけ言って、行ってしまった。
十六歳の誕生日を迎え、結婚も間近ということで、つい先日花嫁修行のためにカイル様の家であるハイブルグ侯爵家に引っ越してきたところだった。
なにか粗相をしてしまったのだろうか?
悲しかったり、情けなかったり、頭の中にいろんな想いがぐるぐると回っていて、まとまらない。
せめて、理由だけでも知りたい。そう思いながら、せっかく出した荷物をまた箱にしまう。涙が自然と溢れてきた。
そんなとき、開けっぱなしの部屋の入り口から声がした。
「あれっ? エリンちゃん、何やってるの?」
カイル様の一つ違いの弟、ジョアン様だ。
「あ、ジョアン様。すみません、変なところをお見せしてしまいまして……実は……」
私は、先ほどカイル様に言われたことを告げ、ここにいられなくなったことを伝えた。
「なんだって!? 兄上、なんて酷いことを……。よし、僕がきちんと話してくる!」
「い、いえ、ジョアン様には無関係のことなのに、そんなことをしていただくのは申し訳ないです」
とはいえ、自分のことのように怒ってくれて、少し嬉しかった。
「大丈夫! ちょっと待っててね!」
そう言って、ジョアン様はすごい勢いで走り去っていった。
「あっ! ……行ってしまわれたわ」
カイル様に比べると、年の差以上に少し無邪気さの残るジョアン様なので、私のことで殴り合いでもされたらいけない。私は後を追うことにした。
「どのお部屋でしょう……あっ、セバスチャンさん、ジョアン様をお見かけしませんでしたか?」
一階に降りたのまでは見えたけれど、そこからどこに行かれたかわからなくなってしまった。
ちょうど見かけた執事のセバスチャンさんに聞いた。
「それでしたら……」
奥の方を見るセバスチャンさん。
私もそちらを見る。
廊下の奥、端の方にいるお二人。
「おまえ! 兄に口答えをするのか!」
「エリンちゃんがかわいそうだろ! あんないい子の何が悪いってんだよ!」
「僕はエリンよりはるかに良い女と一緒になる! それだけだ!」
「なんだと! 婚約者がいるのに何言ってんだこのバカ兄貴!」
今にも殴り合いになりそうな二人。
「お、おやめください!」
私は咄嗟に声をかける。
こちらを見る二人。
バツが悪そうな顔をしている。でも、一番そんな顔をしていたのは、きっと、私だろう。
「……カイル様、他に良い人がいらしたのですね。初めからそう言ってくださればよかったのに」
「エ、エリン……」
「ジョアン様、ありがとうございます。こんな私のために親身にしてくださって」
涙が溢れてくる。
「ああ、もうすぐ結婚するんだな、カイル様と一緒に暮らせるんだな、って。そんなことにいちいち嬉しがったり、恥ずかしがったりしていたのは私だけだったんだと」
「エリンちゃん……」
ジョアン様がハンカチを差し出してくださる。
でも、いま、私はその優しさを受け取れない。
その前にやることがあるから。
「カイル様」
「な、なんだ。泣いたって僕の考えは変わらないからな!」
パァン!!
人生で初めて、男の人を力一杯ひっぱたいた。
「長い間、良い女でもない私と歩んでくださって、どうもありがとうございました!! お幸せに!! ジョアン様、ハンカチお借りします!」
一息に言って、ジョアン様の手からひったくるようにハンカチを取り、私はそのままお屋敷を飛び出した。
*
勢いで飛び出したものの、実家までは馬車に乗らないと帰れない。持ち合わせもない。我ながら、怒りに任せすぎた。
「ハァ。冷静に考えれば、最低限ハイブルグ侯爵にはお暇のご挨拶をせねば、失礼が過ぎますわね……。一度、戻らなきゃ」
私は、重い足取りでお屋敷に戻り、侯爵閣下の執務室をノックした。
お返事を待って中に入るなり、侯爵閣下が深々と頭を下げてきた。
「話はすべて聞かせてもらった。本当に申し訳ない、エリン。私の子育てが誤りであった……。もうカイルと仲直りをするというのは難しいのだろうな」
「私も至らなかったのでしょうからお顔をあげてください。ただ、申し訳ありませんがカイル様との仲直りだけは、死んでもいたしません」
「ああ……ではジョアンはどうだ、あいつは少なからず君に懐いておっただろう。私は君とも、君のご両親とも引き続き仲良くしていきたい。君は一人娘だ。ジョアンなら次男だし、君の家に婿にやることもできる」
「えっ……ジョアン様、ですか」
ジョアン様と一緒になる。考えたこともなかった。
「急に言われましても……今すぐには回答しかねます」
「そうだね、すまない。私としたことが先走った……おお、そうだ、今度お父上にお詫びに伺わせてくれ。今回の件、まさに我が侯爵家の落ち度であるから、こちらから正式に謝罪に出向くのは当然だ。そのときに改めてジョアンも連れて行こう」
控えめに微笑む侯爵閣下。
「良かったら共にお茶でも飲んでやってくれ。そこから始めさせてほしい。それで君が嫌であればそれを尊重しよう」
侯爵閣下は、とても親身になってお話してくださっているように思える。
ジョアン様……先ほども私のために怒ってくださっていた。
手に持つハンカチを思わず握りしめる。
カイル様が義兄になるというのは、許し難いですけれど……冷静に考えれば、伯爵家が侯爵家との繋がりを保てるというのは、とても大きな意味を持っている。
「荷物は後で送ろう」
侯爵閣下がそうおっしゃるので、最低限のものだけを持ち、玄関を出る。
馬車も用意してくださった。
乗り込もうとすると、駆け寄ってくる人影。
「エリンちゃん! 親父から一度戻ってきたって聞いてさ。ああ、よかった。帰る前にまた会えた」
癖っ毛の茶髪をぴょんぴょん跳ねさせながら、駆けてくる。
私と同い年のはずだけれど、もっと年下の少年のような、屈託のない笑顔を浮かべている。
「ジョアン様……」
侯爵閣下にあんなことを言われたので、ちょっと意識してしまう。
「バカ兄貴が本当にごめんな。これ、よかったら道中で食べてよ」
ジョアン様はその話は聞いていないのか、いつも通りだ。
「あら、ありがとうございます。こんなに」
見ると、袋に焼き菓子がたくさん入っている。
ジョアン様らしい、優しさだった。
「またね!」
「ハンカチ、洗ってお返ししますね」
「いいよ、あげる! 気をつけてね!」
馬車が、ゆっくりと走り出した。
しばらくして角を曲がる。
窓から、遠くでまだ手を振っているジョアン様が見えた。
とても辛い日だったけれど、ジョアン様のおかげで少しだけ救われた気がした。
*
「お帰りなさいませ、お嬢様」
夜更けに、実家に着いた。久しぶりのオーワード伯爵家。
私のフルネームはエリン・オーワードだ。
執事のエドワードが出迎えてくれる。
「出迎えありがとう、エディ」
エディは十年以上前から私に仕えてくれている。
従者といわれていたけれど、実質は付き人兼、護衛兼、教育係兼、お兄ちゃん?
私より五歳半ほど年上で、もともと良いところのお坊ちゃんだったらしく、礼儀作法は小さいころよくエディから教わった。詳しいことは話したがらないので聞いていないのだけれど。
私が家を出ることになるため、一年ほど前から家全体の執事になっていた。
「お父様は?」
「本日は外泊の予定でございます。明日には戻られるかと」
まだ、お父様に今日のことを言わなくて良い。
その事実にホッとしてしまった自分がいる。
「わかりました。他の荷物は追って戻ってきます」
「……かしこまりました。この度は大変でございましたね。お嬢様のお部屋はいつでもご準備できております。ごゆっくりお休みください」
一言で、すべてを察してくれた。
エディは私のことならなんでもわかってくれる。優秀な付き人だった。
「……ありがとう」
久しぶり、というほど久しぶりですらない。
こんな出戻り方、さぞ惨めに映ることでしょう。
たとえエディが本当にそう思ったとしても、顔に出すはずはない。
それがわかっていても、エディの目を見れなかった。
思わず顔を逸らしてしまう。
「失礼いたします」
泣くのを我慢していると、エディが後ろから軽く抱きしめてくれる。
これは邪なことではなく、小さい頃から、私が泣くたびにこうして安心させてくれたのだった。
「うっ……うう……ごめんね、ありがとう、エディ」
今日、涙をこぼすのは何度目だろうか。
エディの手、昔に比べて大きくなったな。
でも、変わらない優しい手。
悔しさや恥ずかしさの涙はまだ我慢できても、ほっとして出る涙は我慢できないのだということを、私はこのとき初めて知ったのだった。
*
数日後。
ハイブルグ侯爵と、ジョアン様がやってきた。
「やあ! エリンちゃん!」
ジョアン様は相変わらず朗らかで、屈託のない笑顔を浮かべている。
「遠路はるばる、ありがとうございます」
「いや、こちらが伺わせてもらったのだ。オーワード伯爵も、時間を取ってもらってすまない」
ハイブルグ侯爵が帽子をとって礼をする。
目下の伯爵である父に対し、最大限の敬意を払う形だ。
今回の件を重く受け止めているという証明でもある。
「さあ、どうぞ。まずはゆっくりなさってください」
それから、応接室でしばしの歓談をした。
本題に入ろうかというところで、ジョアン様が手を挙げた。
「どうした? ジョアン」
侯爵閣下が発言をうながす。
「ちょっとトイレをお借りしたくて」
「……ジョアン」
謝罪に来た側としてはばつが悪いのだろう、困った顔をする侯爵閣下。
「ははは、少し休憩にしましょう。難しい話はその後で」
お父様も場を和ませる。
ジョアン様と、そして結局侯爵閣下も、お手洗いに立たれた。
「あっ、ジョアン様へハンカチをお返ししなければ。一度自室へ戻りますね」
「ああ、わかった」
お父様にお断りし、廊下へ出る。
自室のある二階への階段を登ったところで、階下から話し声が聞こえた。
「ジョアン、わかっておるな」
「はは、当たり前でしょう。兄上にあんな芝居を打ってもらったんだから、上手く取り入らないと」
――なんの話?
お手洗いから出てきた侯爵閣下とジョアン様だ。
とても嫌な予感がして、私は思わず陰に隠れて聞き耳を立てる。
「ならば良い。カイルはカリエント公爵との縁を手に入れ、お前はオーワード伯爵家を手に入れる。良いな」
「俺はこんな田舎嫌だったんだけどねえ。エリンも真面目すぎるし。でも次男だからガマンガマン。あいつチョロすぎでしょ。ちょっと優しくしてやったら俺のことすぐ意識してやがんの」
それが、本音だったの。
ジョアン様は信じられそうだな、侯爵閣下は親身になってくれるいい人だな、そう思い始めていたのに。
また、裏切られた。
カイル様と同じ、あの一族に、また。
ショックで頭がくらくらする。
人のことをなんだと思っているのか。
許せない。
私は部屋でジョアン様のハンカチを手に取ると、それを燭台の火にかけた。
ささやかな、決別の誓いだった。
もう、涙も出ない。
怒り以外の感情が抜け落ちてしまった気すらする。
どうやり返してやりましょうか。
――そうだ。
廊下に出ると、エディがやってくる。
「お嬢様、僭越ながら、少しお耳に入れたいお話が」
「奇遇ね、私もよ」
私の部屋に戻り、先ほどの話をする。
「私も同じ話を耳にしました。エリン様に無作法を働いた者の身内でしたので、念のために見張っておりました」
いつも表情を変えないエディが、明らかに怒りを顔に浮かべている。
ありがとう、私のために怒ってくれて。いつも、いつだってあなたは私の味方でいてくれる。
「協力してちょうだい、エディ。私、もう耐えられないわ」
「もちろんです、エリン様」
「私に一つ案があるの」
考えたプランを話す。
「それでしたら、このようにいたしましょう」
エディは、本当に、優秀な付き人なのだ。
*
「それでは、ジョアン様、しばらく我が家でごゆるりとお過ごしください」
エディに相談した案に沿って、私はジョアン様との一足飛びの婚約は一旦お断りし、代わりにジョアン様に我が家にしばらく滞在していただくこととした。
この家でやっていけそうか、そして私とやっていけそうかを確認する、いわば「花婿修行」のような時間とするという名目だった。
その教育の責任者は、エディ。
当然、家の者全てに彼らの計画は伝えてある。
歓迎の準備は、万端だった。
そう、これこそが私の案。
「ジョアン様、そんな調子では日暮までに帰れませんぞ。侯爵家のご令息ともあろう方が馬の早駆けも満足にできぬのですか。オーワード伯爵領は広く、急峻な土地もあるのですから領地視察に馬車は不向き。これは特訓が必要ですな」
「帳簿もろくに読めずによく領主の地位を望まれましたな。計算は? できない? この程度のこともできずに領地経営をどのようにするおつもりだったのですかな」
「公的な手紙の書き方一つ教わっていないのですか。侯爵家の教育係はよほどのんびりされていらしたと見えますね。こんな手紙を王宮へ送ってごらんなさい。明日にはこのお家は取り潰されますわよ」
家中の者に無能と嘲られるジョアン様。
とはいえ、我が家の者たちはなにも無理難題を言っているわけではない。お客様扱いせずに、必要なことを必要だと言っているだけ。
カイル様とのお付き合いの中で、ハイブルグ侯爵家がジョアン様には大した教育を施していないことは知っていた。
だから、ジョアン様には勿体無い、わが伯爵家のレッスンの数々をご用意したまで。
隠れたり、逃げ出したりするかと思ったら、案外がんばって残っている。それほどこの家が欲しいのか。
それとも、そうする前にエディに捕まっているのだろうか。
「エリンちゃん! この執事に言ってやってよ! 厳しすぎだって!」
幾日か経ったある日、廊下でジョアン様とたまたますれ違った際、スカートを掴まれて懇願された。
「レディのスカートを掴むなどはしたない! ハイブルグ家は紳士としての教育をなさっていないのですか? いずれにせよ、私の未来の旦那様はそんな弱音を吐く方ではないはずです。もっと死ぬ気で頑張ってくださいませ」
「ヒィ……」
ジョアン様は情けない声をあげ、エディに首根っこを掴まれて次のレッスンへ連れて行かれた。
*
さらに数日が経過した。
「そろそろかしら」
二階のテラスでエディにお茶を淹れてもらっていると、私の言葉に合わせたかのように馬に乗った配達人がやってきた。
「エリン様、エドワード様へ、それぞれお手紙でございます」
エディが受け取って持ってくる。
このお手紙を待っていたのだ。
さらなる仕返しのために。
どちらも、差出人は同じ。メリーア・カリエント公爵令嬢。カイル様が私を捨てて婚約しようとしている相手だ。
あの日、ハイブルグ侯爵は、カイル様のお相手に関して「カリエント公爵との縁」と口走っていた。カリエント公爵にご令嬢はお一人、メリーア様だけだ。特定は容易かった。
普通なら、なかなか公爵家のご令嬢とお近づきになることは難しいのだけれど、なんと、我が家にはカリエント公爵令嬢と繋がりのある者がいた。
エディだ。
エディは、もともとある侯爵家の出自だそうだ。事情によりお家が没落してしまい、幼くして我が家へ身を寄せることとなったが、その亡き母君はカリエント公爵の妹君だという。
つまり、メリーア様は、エディの従兄妹にあたる。
私も知らなかった。
出自についてあまり多くを語らなかったのは公爵家に近づきたくなかったからだろうか?
ともかく、その伝手を辿り、ご本人と手紙をやり取りすることができたのだ。
メリーア様曰く、ハイブルグ侯爵側からは、私、エリンとの婚約は「遥か以前に」「円満に解消済み」と聞いていたとのこと。
そう伺えば、こちらからは事細かに真実をお伝えする他にない。
私が先日お送りしたその「真実」へのお返事が、今、届いたのだ。
「エディ、ジョアン様をお送りがてら、ハイブルグ侯爵家に伺いましょう。貴方も来てください」
「かしこまりました、準備いたします」
ジョアン様は、エディの顔を見るだけで泡を吹いてしまうようになったので、丁重に馬車に放り込み、侯爵家へと向かう。
到着すると、カイル様とセバスチャンさんがお出迎えくださった。
「エリン! どういうことだ、この手紙は!!」
出迎えではなかった。ただ、いち早く文句を言いたいだけだった。
カイル様の右手には、私がメリーア様から受け取ったのと同じデザインの手紙が握られている。カリエント公爵家のものだ。
おおかた、メリーア様か公爵閣下から婚約の話を白紙にするというお手紙が届いたのでしょう。
自業自得。
それ以外にかけられる言葉がありません。
公爵家に嘘……いえ、詐欺を働いたのです。
まあ、侯爵閣下を含め、無事では済まないでしょう。
「あら、カイル様。どうされましたか? 私はジョアン様をお送りに来たのですが」
馬車からジョアン様を引き摺り下ろす。
なんとか自分の足で歩いて屋敷に戻っていく。
「ジョアン様は我が伯爵家にはふさわしくありませんでしたわ。ご本人もさぞ痛感されたことでしょう。残念ながら不合格です」
「不合格……? 伯爵家ふぜいが、何をいう!」
「ここで言い合っていても仕方がありません。ハイブルグ侯爵へご報告しますわ」
「どうぞ、こちらへ。カイル様もどうかお願いいたします」
セバスチャンさんがその場を収め、私たちは奥に通していただく。
応接間にて険悪な雰囲気の中で無言で待つこと十数分、ハイブルグ侯爵とジョアン様も揃った。
「お、おおエリン。よくぞ参った。ジョアンを……その、躾けてくれていたそうだな。それで、いかがだったかな」
侯爵閣下は、まだ事態が飲み込めていないようだった。
メリーア様からのお手紙、カイル様はまだお見せしていないのかしら。
「全くお話になりませんでした。とても領主になれる器ではありません。伯爵家程度とお考えなのでしょうが、騙し取るおつもりならもう少しまともな役者を立てていただきませんと」
「な……」
私の突然の物言いに、言葉を失う侯爵閣下。
「カイル様、先ほどお持ちだったお手紙、まだ侯爵閣下はご覧になっていないのですか?」
「あ……当たり前だろう! このような内容、お前のイタズラか何かだろう!」
まったく。公爵家の紋の封蝋がちゃんとしてあったでしょうに。
「そうですか。実は、私の元にもお手紙をいただいておりますの。メリーア様から、直々に」
「は……本物、だと」
顔色の変わるカイル様。
「はい、兄弟喧嘩のフリまでお見せいただいてありがとうございました。姑息な手の内は全てメリーア様にご報告済みです」
「バカな! 伯爵家などが公爵家の一門と直接やり取りするなど……!」
後ろに立つエディが一歩前に出る。
「僭越ながら、私、オーワード家の執事、エドワードと申します。私とメリーア・カリエントは従兄妹の間柄、カリエント公爵は伯父に当たります。従兄妹と手紙を取り交わす事はそれほど不自然なことではございません」
絶句して口をパクパクさせるカイル様。
「ちょっと待ってくれ。カイル、お前の持つ手紙とはなんだ」
「カリエント公爵家からの縁談のお断りですわ、おそらく」
「何だと……!」
「侯爵閣下もジョアン様も全てご存じの上で企てを進めていたこと、全て把握しておりますわ。なにせ我が家でお二人の会話をこの耳で伺いましたもので。包み隠さずメリーア様へお伝えしましたわ」
私は扇で顔を隠しながら、目だけで笑顔を作り、吐き捨てる。
「エリンちゃん、盗み聞きしていたのか! 卑劣な……!」
ジョアン様のその言葉に、エディが鋭い目つきで睨みつける。
「卑劣? どちらが卑劣でしょうか。あなたはご自分が何をしようとしていたのか、まだわからないのですか!」
いつの話か思い至ったのか、侯爵閣下のお顔が青くなる。
「おい、カリエント公爵の血縁とはいえ、執事の分際で口が過ぎるぞ!」
カイル様が吠える。
よく大声を出す人だ。
「失礼いたしました、こちらを」
そう言って、エディも一通の手紙を取り出す。
エディ宛にもお手紙が来ていたっけ。従兄妹同士のプライベートなお手紙だと思っていたので、他人に見せるとは驚き。
「な……これは……」
それを読んだ侯爵閣下の青いお顔が、より青々とする。
「はい、私は正式にカリエント公爵家の養子となることが決まりました。カリエント家の三男、メリーアの兄、エドワード・カリエントの言葉としてお受け取りください」
「えっ!?」
今度は私がびっくりする番だった。
エディが、公爵家の人に!?
「お嬢様、ご報告がこの場となり申し訳ございません。メリーアと手紙のやり取りをするうちに、伯父である公爵閣下の耳に入り、そのような流れになりました」
エディが頭を下げる。
「エディ……」
「ハイブルグ侯爵。貴家一門によるエリンお嬢様への数々の無礼、そしてカリエント公爵家及びオーワード伯爵家に対する結婚詐欺にも等しい企て。許されることではありません。もはや王宮に貴殿の席はないとお思いください。……参りましょう、お嬢様」
そう言って、一礼する。
私も促されて席を立つ。
「ま、待ってくれ……!」
「エリンちゃん……」
カイル様とジョアン様が引き留めようと口を開くものの、具体的な言葉は続かなかった。
「どうぞ、お幸せに。各々お一人でね」
それだけ言い残し、私とエディは屋敷を後にした。
*
その後、ハイブルグ侯爵は王宮での役職を全て失った。みんなグルだったくせに、カイル様が首謀としてその責任を取らされて廃嫡となったそうで。
ジョアン様は自信を喪失して引きこもっているらしい。そもそも後継があのジョアン様ではね。あのお家は大変先行きの暗いことになりました。
「エディ、ありがとう。おかげで良い仕返しができましたわ」
「私は職務を全うしたまでにございます」
「あっ、いけない。エディ様、でしたわね。もっと早く公爵閣下とのご関係を教えてくだされば……我が家で何年も働いたりせずに済んだでしょうに」
公爵閣下は甥っ子の身を案じ、何度となく援助を申し出ていたそうだ。でもエディ自身が断り続けていたそう。
「おやめください。私はエリン様の従者にして、オーワード家の執事。お嬢様のお側にいることが我が喜びなのです……まだ、わかっていただけませんか?」
「ありがとう。エディがいてくれたら、私も嬉しいに決まってます。でも、なにせ公爵家ですもの。……執事は続けられませんわね」
公爵家の一門となれば、伯爵家の使用人の立場でいることはできないだろう。
「それは……はい。いくつか便宜も図っていただきましたし、今回の申し出を断ることは難しいでしょう」
「そう……ですよね。私のせいで……」
エディが家から離れなければならない。
改めて考えると、とても寂しくなる。
小さい頃から、いるのが当たり前の、お兄ちゃん。それがエディだったから。
カイル様に婚約破棄された時なんかよりも、ずっとずっと、心の奥に隙間ができてしまう気がする。
小さい頃の私は、エディとずっと一緒にいるのだろうと信じて疑わなかった。
この人と結婚する、って思い込んでいた。
そんな幼い頃の記憶がよみがえる。
「お気になさらないでください、私がやりたくてやったのです。ただ、私は我儘なので、それでもここを……あなたの側を離れたくありません。つきましては、私に一つ案がございます」
「案ですか」
「はい。実は、もう各所に話を通しておりまして、あとはエリン様次第」
エディが、私の前に跪く。
「えっ」
「カリエント公爵家の三男、エドワード・カリエントとして謹んで申し上げます。エリン・オーワード伯爵令嬢、私とどうか結婚してください。お受けいただけましたら、私がオーワード伯爵家の婿に入りましょう」
「ええっ!!」
差し出されるエディの手。
「公爵家にいても所詮は三男、あとを継ぐわけでもなく。カリエント公爵もオーワード伯爵も諸手を挙げて賛成してくださいました。何より、私があなたと共に歩みたい」
真剣そのものの目。少し頬が赤くなっているように見える。
「あなたがハイブルグ侯爵家へ向かわれた日、私がどんな思いでお見送りしたか、ご存知ないでしょう。どうかこれからは、ずっと一緒にいさせてください……エリン」
普段あまり表情を崩さないその顔が、優しい笑顔に包まれる。
エディは、優秀な……本当に本当に優秀で、私の大好きな、エディなのだ。
「喜んで、お受けいたします」
私は、小さい頃には何度も握ったことのある、その優しい手を取ったのだった。
お読みいただきありがとうございました。
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