迷いの森の住人と
魔力を持った少女?と騎士の話し。
騎士要素はまったくないただの出会い話しです。
迷いの森。
本来ならば立ち入り禁止区域になってもおかしくはない、一度足を踏み入れたら恐ろしい結末が待っていると言われる魔の森。
だが、ここの迷いの森は立ち入り禁止区域ではないし、森の住人に認められればここにしか生えないという貴重な薬草を持って帰れたりもする。
あくまでも認められれば、の話しだが。
立ち入り許可を国に申請する必要はないし、管理者扱いされている学園に提出する必要もない。
ある意味無法地帯。
縁がなければ一生足を踏み入れたくは無い場所なのだが、黒銀の甲冑に身を包んだ騎士が森の前に立ち、深々と溜息を吐き出した。
ここは国に認められた騎士ですら尻込みしてしまう、禍々しい力を放つ魔の森。
「……行く、しかないのか。ないんだろうな。寧ろ行け。迷わずに足を踏み入れろ」
自分自身に言い聞かせるように、騎士は何度も何度も同じ言葉を繰り返す。同僚の騎士ににこやかに、迷わず逝ってきていいよ。と語尾を弾ませ見送られた事を思い出すと気が滅入るが、それは帰ってからぶん殴ればいいだろう。
「弱気は禁物。俺には、目的がある。だから行くしかないんだ」
森の住人の気さえ向けば、本人が死んでも薬草だけは届けてくれたりもする。魔の森と名高い迷いの森なのに、人を癒す薬草の効能はこの森の物が一番高い。
例え医者から見離された者であろうとも、ここの薬草のおかげで九死に一生を得た者は少なからず存在している。
「よしっ、行くぞッッ」
気合は十分。
その勢いのままに右足を持ち上げ、境界線を一気に突き抜ける。
森と、外の境界線。
別に線が引かれているわけじゃない。それなのに、空気がまったく違うのだ。生えている植物もまったく違うものだが、入り口に生えている植物は外の物と違いは無い。
身体全部を森の中に入れ、辺りを見回しながらゴクリ、と喉を鳴らす。魔物退治なんて日常茶飯事な騎士なのに、ここにいるだけで何とも言い難い不安が押し寄せてくる。
それと同時に、自分が死ぬイメージだけがリアルに感じられるのだ。
「……くそ。これも迷いの森の警告か」
ドクンドクンと心臓が嫌な音をたてる。
額から溢れ出す汗は止まる事無く、重力に従い下へと落ちていく。
ポタン。
ポタン、と汗の流れる音と自身の呼吸の音だけが響く。
鳥の鳴き声さえしない。
こんなに、木々が生い茂っているというのに。
「………帰ったら、アイツをぶん殴る。絶対にぶん殴る。逝ってこいなんて爽やかに言いやがったあの野郎を絶対にぶん殴る」
そうだ。その為にも帰らなければ。
目的がすり替わったような気もするが、これも生きて帰る為の気合だと思えば間違いでもないだろう。
「アイツって誰ですかねぇ?」
「アイツって言えばアイツだよ。爽やかに人に仕事を押し付けるディーガロウに決まってるだろ」
「へぇ。ディーガロウさんという人をねぇ。どんな人なんです?」
「どんな人って……有能は有能なんだけどな。サドっつーか人の嫌がる事が好きっつーか笑顔で傷口に塩とカラシを練りこむっつーかなぁ」
「それは凄いですねぇ」
「あぁ。あん時は阿鼻叫喚っていうかっておい……お前誰だ!?」
ある意味騎士失格の失態なのだが、そんな事さえ全て吹っ飛んでしまう。当たり前のように会話に参加していた、小柄な少年に見えそうな少女。
街中で会えば警戒なんてしようのない一般市民。
だが、会った場所が悪かった。
魔の森と名高い迷いの森。街中を歩くような軽装で騎士の隣を歩く少女が、まともなわけがない。騎士は大きく後ろに下がり距離をあけると、腰に差してある剣の柄に手を掛ける。抜くのに瞬き程の時間も必要ない。
左手首のブレスレットを、右手首のブレスレットに擦り合わせるように触れる。詠唱を必要とせず、防御を発動出来る護符。高位の魔の物の一撃でも耐えられる代物。
「嫌だなぁ。善良な一般市民ですよー」
「…魔の森を歩く善良な一般市民がいるかっ」
「ここに居ますって。散歩コースなんですよねぇ。ここ」
「…………は?」
思わず間の抜けた声をあげてしまうが、それも仕方ないだろう。一度足を踏み入れたら無事に抜け出せるか分からない魔の森を、まさか散歩コースと言い切る人間が存在しているとは思わなかった。
「やはり魔の物…」
「じゃないですよー。騎士様は薬草探しですか?」
「……」
「もしよければ案内しますよ。大体把握してるんで」
「……嘘だろ」
誰もが把握出来ない迷いの森。
自分は夢を見ているのか。それとも魔の物に化かされているのか。ここまで知能があるなら魔の者になるのだが、騎士は言われた内容を突っぱねる事が出来ずにその場で動きを止めた。
化かされているのか。
惑わされているのか。
それでも…。
「不死の病と言われる硬化病に効く薬草だ……あるか?」
「おんや。やけにあっさりと開き直りましたねぇ?」
くす、と少女が笑い声を漏らした。まるで観察されているような居心地の悪さに身を捩りたくなるが、それ以上に逸らしてはいけないという生死の境を幾度となく越えてきた騎士としての感がそれを阻む。
「当たり前だ。俺は覚悟をしてここに入った。目の前に手がかりがあるなら掴むだけだッ」
騎士の手は、既に剣の柄から離れただ握り締められているだけだった。それを確認しながら、少女はコクリ、と首を縦に振る。
「そういう潔さは好感が持てますよねぇ。じゃ、足元の白い花の薬草を摘んで帰りましょうかー」
「……は?」
騎士の足元にこれでもかというぐらい生えている白い花。
どちらかというと踏み潰されているかもしれない。
「…初めから生えてたか?」
騎士を囲むように生えている白い花。
まるで、たった今生えたかのように騎士を包み込む。
「生えてましたよー。見えてなかったんですねぇ」
「……」
「騎士様騎士様」
「…なんだ?」
「早く摘まないと、見えなくなっちゃいますよー」
「ッ!?」
少女が嘘を言っているようには思えず、かといって乱暴に抜く事は躊躇われ、一つずつ丁寧に抜いて麻の袋へと入れていく。
抜いた本数が十に達しようとした時、あれだけ咲き誇っていた白い花が視界から消えていく。
「…化かされているみたいだ」
「そういう森ですよねぇ。じゃ、帰りましょうか騎士様」
「……」
少女に手を引かれ、拒む事も出来ずにそのまま連れて行かれる。少女に会うまでも相当歩いたのだが、何故か手を繋がれて引っ張られて歩いていたら、あっさりと出口の光が見えてきた。
「お前に化かされているんじゃないか?」
「嫌だなぁ。森の特性ですよー」
「お前は何者だ…?」
繋がれた手は暖かくて、魔の物とも魔の者とも思えない。
「さぁ、出口ですよ騎士様」
言葉と同時に開かれた視界。
暖かな陽の光。
締め付けてくるような恐怖から開放され、漸く呼吸が出来たような気がした。が、太陽の光を感じた瞬間に離れた温もり。
「それは綺麗な水で煎じて下さいねぇ。でないと効能は半減しちゃいますから」
淡々と、さも当然のように薬草についての注意の言葉を口にする少女に、先ほど流されたばかりの質問をもう一度するのか。
それを迷っていると、少女が笑った。
「騎士様は素直ですねぇ。それ、大事にした方がいいですよー。ではでは、私は授業が始まってしまいますので」
「……は?」
「それでは騎士様さようなら。欲張って、森に入っちゃ駄目ですからねー」
「授業って…」
ここには、魔の森の管理者とされている学園がある。
魔の森と呼ばれる迷いの森の隣りに塀に囲まれた広大な土地があり、魔力を持った者だけが通う事が出来る特殊な学園。
「魔力持ちかっ!?」
魔力持ちは、希少だ。
魔具でそれなりに使えるが、自身の魔力で魔道を発動させらえる者はこの世界では極端に少ない。
「そうとも言いますよねぇ。そうそう騎士様。それ、早く大量の綺麗な水に浸けないと効能が落ちちゃいますよ?」
「……おい。お前ワザとじゃ…いや、大量の水っていうのはどれぐらいだ?」
「ふふ。それだと50リットルぐらい、ですかねぇ。浴槽に澄んだ水を張れば大丈夫ですよ。浸けた水は小瓶にでも入れて騎士団にでも差し入れれば喜ばれるかもしれませんね」
「わかった。礼は改めて。世話になったな」
真っ直ぐに勢いよく頭を下げた後、騎士が腰帯に付いている宝石と左手首のブレスレットを擦り合わせた。
バチリ、と青い光が舞ったかと思うと、足元に現れた転送陣によって騎士の姿が段々と消えていく。
騎士を見送り、少女は困ったように表情を微かに歪める。
「礼なんて要らないんですけどねぇ。なんたって…」
対応を失敗すれば死んでましたしねぇ。
単に、騎士が対応を間違えなかっただけの話し。
「さぁて、と。退屈な退屈な授業に行きましょうか」
ちょっとした暇つぶしにはなったかなと、その程度の事。少女はそれを最後に、騎士の事を思い出す事はなかった。
騎士が再び、礼を言いに少女を訪ねるまでの間――…だったが。