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【完結】告白の返事、忘れました~頭を打って忘れてしまった大事なあの日の記憶について~  作者: 木原梨花


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第6話

 風がふいてくる。音楽室外のベランダは、晃の特等席だった。本来は立ち入り禁止のベランダだから、人はまず来ない。それでいて、午後になると直射ではないが暖かな日差しが照って、ぽかぽかと気持ちがいい。頭の中がごちゃごちゃしているときには、晃はいつもここに来る。

 勉強などする気にもなれなかった。考えないように、考えないようにしているというのに、昨日の由佳の顔が忘れられないのだ。感情という感情が消え果てて、鋭い言葉ばかりを吐き捨ててきた彼女に、違和感を感じて仕方がない。

 少なくとも、晃の知っている遠野由佳は決して人を傷つけるようなことを言わない。もちろん、彼女への偏見も含まれているだろう。委員長がそんなことをするはずない、と。だが、いずれにせよ昨日の由佳は晃の知る『遠野由佳』からは遠く離れていた。

 わからない。目を閉じて、風を感じる。背後から楽器の音が聞こえていた。と、頭上の窓ががらりと開かれる。

「やっぱり、塚本くんだったのね」

 柔らかい髪が降ってきた。蜘蛛の糸のようなそれを追って顔を上げる。そこにいたのは、大滝美保だった。

「大滝、なんでわかったんだ?」

「向こうの窓からね、ちらっと人影が見えたの。塚本くんが音楽室近辺で昼寝をすることが多い、って柳くんに聞いてたから、もしかしたらと思って」

 美保が教室の後ろの方を指す。普通の教室の二倍はある音楽室は、前の窓と後ろの窓との距離が広い。晃がいたのは一番前の窓の下なのだが、後ろの窓の方から見たら確かにちらりと見えるかもしれない。

 なるほどね、とつぶやく。実に中途半端な顔をする晃に、美保は首をかしげた。

「ねえ、由佳ちゃんに何をしたの?」

「……オレが?」

 何をされたの、ならわかるが、何をしたの、というのは間違いだ。晃は好意で言ったことだったというのに、彼女はむげに断ったばかりか、非難めいたことまで言ってきたのだから。晃自身は同情されるならわかるが、批判されるいわれはない。

 そのことを――昨日の言い争いもかいつまんで――美保に告げる。そういうことだったのね、とつぶやいて、彼女は言った。

「それはどっちもどっちね」

「なんでだよ。オレはいきなり、何のことだかわかんねえのに文句言われてんだぞ」

「でもね、最初に忘れちゃったのは塚本くんでしょう?」

「それは――」

 確かに、それはその通りなのだ。いくら不可抗力とはいえ、晃が何か大切なことを忘れてしまったことに違いはない。記憶をなくしたことだって、元をただせば晃の不注意なのだ。自分がケガをしたのは、誰かに押されたせいでも、危ない人を助けたせいでもない。単純に足をすべらせただけなのだから。

 しかも、失った記憶に対してきちんと追求することもなく、向こうから帰ってきてくれるだろうとのんきに構えている。もしも大切なことを由佳と話していたのだとしたら、彼女がはがゆく思うのも当たり前だ。

「由佳ちゃんにも言ったんだけどね、謝るなら早いほうがいいと思うわ」

 窓枠にほおづえをついて、斜め下の晃を見つめている。この角度だと、彼女の髪がさらさらと滝のように流れて見える。なるほど、柳がこの髪に惚れるのもわかる。

 彼女の言うことはもっともだ。だが、そんなに単純な話でもないのだ。

「あのなあ大滝、確かにオレにも悪いところはあるし、委員長にだってあるだろうよ。けどな、オレと委員長の性格を考えてみろ。どっちが先に謝るかでもめるのは目に見えてるだろうが」

「胸を張って言えることのようには思えないのだけれど」

「ったりめえだ。胸を張って言えるようなことじゃねえ」

「その割には自信満々ね」

「それがオレだ。性格を根本から変えねえことには今のまんまだろうな」

 自信の方も、ひねくれた性格の方も。

 それこそ自信満々で言う晃を、美保はふうとため息をついて見つめていた。

「性格を変える……かあ」

 ぼんやりと空中を見つめ、美保はつぶやいた。

「心理療法だったらできるかしら」

「どうだろな。オレが思うに、ありゃ心理学を心から信じてるやつにしか効かねえもんじゃねえの」

「じゃあ、心から信じていれば効くかもしれないのよね」

「……だろうな。催眠術みたいなもんじゃねえの」

「ちょっと違うと思うけど、どっちにしても……」

 美保は宙に向かって、うっとりとした視線を投げかけた。

「心理的な働きが起こっている時の脳の働き、なんて調べたら、おもしろそうよね」

 どうせなら解剖して心理的効果と脳の動きを分解できたらいいのに。ああ、でも頭の解剖なんて亡くなった人にしかできないわ。生きたまま脳の解剖ができるようになればノーベル賞も取れるかしら――

 おっとりとした声で延々つぶやく彼女を、晃は半眼で見つめる。柳はいつもこれにつきあっているのだろうか。いや、彼ならばここに論理的な相づちを入れて議論になるのかもしれない。実際に見たことはないが、自分の予想に間違いはないだろうと思う。

 いずれにせよ、晃の心の中の葛藤はまったく解決していない。そう簡単に解決しないだろうとは思っていたのだが、お互いの性格を考えてしまうと長期戦は避けられないような気がする。気が重い。晃は天を仰いだ。

 よく晴れている。雲一つない。快晴だ。

 いまだ語り続けている美保の声と、遠くから聞こえてくる剣道部の悲鳴と。

 そんな日常から、自分がずいぶん遠ざかっているように思えた。

 それががらりと変わってしまうのは、翌日、事故から丸一週間というその日のことだった。

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