第4話
三年E組学級委員長、遠野由佳。
家は金持ちらしい。年の離れた兄がいるようだ。品行方正、成績優秀という典型的な優等生だが、さばさばした性格はつきあいやすく、友達も多い。女子サッカー部を作り上げたのも彼女だ。つまり、初代女子サッカー部部長でもある。
そんなデータを思い出しながら、晃はため息をつく。
「……なんなんだよおまえ。さっきからため息ばっかで気持ち悪いぞ」
隣で、本気で気持ちの悪そうな顔をしている智一がぼやく。
「仕方ねえだろ、オレだっていろいろあるんだから」
「本気でどうしたんだかねえ。ま、どーせいいんちょのことかなんかだろうけどな」
「おう、その通りだ」
体育の時間だった。晃、智一、柳の三人はぎらぎらの太陽を避け、木陰に入り込んでいる。選択制の球技で、当然とも言うべきか、元サッカー部の三人はサッカーを選択していた。D組対F組の対戦を、E組の連中はぼんやりしながら見守っている。
「で? 委員長がどうかしたのか、晃」
「ヤナギぃ、聞いてくれるかぁ?」
「嫌だって言っても話すだろ、最終的には」
「まーな。つうかオレ、マジでショック死しそう」
晃はがっくりとうなだれて、思い出しながら口を開いた。
それは、今朝の出来事だった。
登校してきた晃が自分の教室に入ろうとしたときだ。
隣のクラスの少女二人がなにやら段ボールを運んでいた。中身が何かはわからないが、決して軽いものではないのだろう。箱の底が少女の手の形にゆがんでいた。
まだ朝早いせいか、あまり人通りはない。とはいえ、隣のクラス――F組の中には男の姿も見えている。おそらくは授業で使う教材か何かが入っているのだろう。そんなものは男に取りに行かせろ。心の中で毒づきながらも、今更手伝うこともないだろうと、そのまま無視して教室に入ろうとした。
そのときだった。痛い、という声と共に、どすんと何かが落ちる音がする。晃はあわてて振り向いた。案の定、先ほど運ばれていた段ボールが廊下に落ちていて、片方の、髪の長い少女が手を押さえてうずくまっている。
「うわ、カナちゃん大丈夫?」
「いたーい。なんなのよ、もー」
「血、出てるじゃん。手、洗わないと」
「でも先に運んじゃわないとまずくない?」
「いやそれより先に手当てだって!」
カナちゃん、と呼ばれた少女の手から血が出ている。遠目にもわかるほどなのだから、それなりに出血しているのだろう。
誰か呼ぼうよ。平気だから運んじゃおうよ。え、でもやっぱりそれまずいって。平気平気、あたしって頑丈だから……
典型的と言えば典型的なのだろう。そんな押し問答をする二人をしばらく見つめていた晃だったが、やおら歩き出し、二人の間に割って入る。そして、段ボールを持ち上げた。
「これ、教室の中に持って入ればいいわけ?」
心なしか、二人の少女がぼんやりとしているように見えた。声をかけずにいきなり割って入ったのはまずかったか、と思ったものの、もうやってしまったことだ、仕方がない。
カナちゃん、ではない方の少女が、こくこくとうなづいている。
「んじゃ、教卓の上に置いとくぜ」
「あ、ありがとう塚本くん」
「どーいたしまして。てか、オレの名前知ってるわけ?」
「知ってるよぉ。だって塚本くん有名人だもん。去年、インターハイで優勝してたじゃん、サッカー部」
「あー、そういやそうか。どっかで問題起こしたっけ、とかちょっとビビったわ」
勝手に隣のクラスに入り込み、荷物を置く。することを終えて、晃はじゃあなと立ち去ろうとした。だが、それは止められる。
「塚本くん、これ、お礼。もらって」
「別に気にすることねえんだけどな。ま、ありがたくもらっとくよ」
断る理由もないしと、カナちゃんとやらに差し出されたチョコレートを受け取って、晃はほほえむ。なんとなく、二人の少女にまじまじと見つめられたような気がした。やっぱり何も言わずに突然割って入ったのはよくなかったか。後悔するが、今更もう仕方がない。
忘れよう、と、思いながらF組の教室を出たときだった。
「相変わらずの色男ね」
「うわ、委員長」
突然の人影に思わず跳び上がる。晃も背が高い方だが、委員長――由佳もまた、背が高い。さすがに由佳の方が若干低いものの、視線はほぼ同じだった。
あきれたような、いや、軽蔑するような視線が、晃の顔に向けられている。
「何が色男なんだよ」
「どこもかしこも、かしら。あんたの一挙手一投足に無自覚の善意があふれ出てるわよ」
「なんだよそれ。それはむしろいいことだろ?」
「そう思うのは勝手だけどね。あんまり変なことをして期待を持たせないほうがいいんじゃないの?」
言いたいことだけ言ってしまうと、彼女はさっさと教室の中へ消えようとする。
待てよ、と呼び止めた晃の方を、由佳はちらりと見て、言った。
「あんた、いずれ女で身を滅ぼすわよ」
嫌な予言に、晃はうまい言葉が返せなかった。
「――で、その言葉があんまりにもショックで、未だに落ち込んでるってわけか」
「だって、女で身を滅ぼすって。そこまで言うかぁ?」
晃は人差し指で「の」の字を書きながらうなだれる。どちらかと言えばノンデリを自覚してはいるが、それでも多少は世の中を気にして生きているのだ。だというのに、身を滅ぼすとまで言われるのは、どうにも納得がいかない。悶々としながら、しかし言い返す言葉も浮かばず、頭を抱えそうになる。
だが話を聞き終えた柳と智一は、顔を見合わせてため息をついた。
「そりゃー、アキラが悪いに決まってるだろ」
さも当然、とばかりに言う智一に、晃は恨めしそうな視線を向ける。
「オレのどこが悪いんだよ。健全で立派な青少年じゃねえかよ」
「そんなことを言っているのも悪いのかもしれないな」
智一に続いて柳もやはり、ごく当たり前のことのように言う。だが、何が悪いのかさっぱりわからない。晃は頭を抱えてうずくまった。
「オレのどこが悪いっていうんだよ。女の子が困ってたら助けるのは男として当然のことだろ」
「それがいけないんだって。おまえ、自分の魅力がわかってねえんだよ」
「オレの魅力ってなんだよ。昼寝か?」
「それが魅力なんだったらオレはおまえと友達やんのやめるぞ」
万年寝太郎なんか友達にはいらん。智一は言い切ってから、そうじゃないだろ、と力説をはじめる。
「おまえはなあ、元サッカー部のレギュラーだよな」
「今更確認することじゃねえだろ」
「成績は上の下くらいだよな」
「中の上くらいじゃねえの」
「顔はそれなりに整ってる」
「素材がいいからだろ、ウチの両親」
「ともかくだ。必要なものは全部そろってる。その上、女の子にだけは親切にしちまうその性格ときた。これで惚れない女はいないっての」
サッカー部、成績、顔……それらの要素をもう一度かみ砕き、飲み込んで。
晃はなるほど、とうなった。
「……物好きがだいぶいるわけだな」
「音霧せんせー! ボクにはもう手に負えません!」
「オレにふるなよ。晃のニブさは知ってるだろ。何言っても無駄だ。だから、委員長のことに関してだって、教えてやろうとしたって無駄なものは無駄なんだよ」
ひどい言われようだと思ったが、しかし、なんとなく言い返す隙が見つからず、晃は口を閉じた。
「で、結局オレは、委員長からひどいことを言われたあげくにおまえらからもひどいことを言われて傷ついた心を抱えて生きるわけだ」
「おまえはそんなにヤワじゃないだろ。ま、いろいろと苦しんで結論を出そうとすりゃあいいんじゃねえの、なあ、ヤナギ」
「こういうのは人に教えられたって意味がないものだからな。いくら晃だって、そのうちわかるだろ」
暖かいのだか暖かくないのだかわからない友人たちの言葉に、晃は何の解決にもならなかった、と肩を落とす。
テニスコートには、女の子が大量にいた。男も選択してはいるものの、やはり女の方が多い。今時こんなことを言えば怒られるのかもしれないが、やはりオトシゴロの男子生徒にとっては天国のような光景だった。その中に、由佳の姿も見える。
健康的な体をしている、と思った。太りすぎず、やせすぎず。若干筋肉が多いような気もするが、それはサッカーなどやってたのだから仕方がない。運動は全般的に得意らしい。テニスラケットを握る姿も様になっている。いや、彼女に何か苦手なものがあるなどと、聞いたことがない。運動でも勉強でも人間関係でも、そつなくこなしてしまう。
いくらなんでもできすぎなような気がした。だが、欠点が見つからないのだからそれは仕方がない。世の中には、そういう女性もいるのだ。
そのまま、E組の試合の番になるまで、三人はぼんやりとテニスコートを見つめていた。瞬間、由佳がこちらを見る。晃はそっと手を振ってみた。わずかに目を瞠ったように感じたが、すぐにキュッと眉が寄って目がつり上がり、そっぽを向く。代わりに由佳の隣にいた美保が手を振った。もちろん、晃にではなく柳に対してのものなのだが。
傷心の俺の隣で、イチャイチャを繰り広げやがって――そんなことを言いかけて、ふと何かが脳裏をよぎる。はっきりとはわからない。ただ、誰かの顔が浮かびかけて――霧散する。
それなら仕方がないか、と、晃はすぐに思考を手放して天を仰いだ。太陽が眩しい。ジリジリと照らされ、夏の気配がジリジリと迫っている。そんなことを感じながらゆっくりと息を吸えば、蒸した空気が晃の鼻をくすぐった。




