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【完結】告白の返事、忘れました~頭を打って忘れてしまった大事なあの日の記憶について~  作者: 木原梨花


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第3話

 晃はいつになく真剣な顔をしている。じっと目の前を見つめ、画面にマークが現れると同時にボタンを押す。そんなに力一杯押さなくても平気なのに、という都の言葉は彼には届いていないらしい。半袖のTシャツをさらにまくり上げているから、腕の筋肉がびくんびくんと動くのがよくわかる。格闘ゲームだった。必殺技のコマンド入力画面に、彼は向かっている。

 対するは、結人だ。晃と同じくサッカーをやっていて、炎天下で何時間も試合をするせいだろうか、結人の髪は日に焼けて茶色くなっている。今年の八月に十歳になったばかりの結人だが、顔は晃のミニチュア版と言って問題ない。兄弟でここまでそっくりな顔になるのも珍しい、とは隼人の言だ。だがそれもあながち大げさな言い方ではない。いくら兄弟とはいえ、二人の顔は似すぎていた。

 その結人もまた、黒いコントローラを握りながら真剣な顔つきで画面に現れるマークと同じボタンを押していく。それでも、高校三年と小学五年とではどう考えても年上の方が器用だ。結人よりも早くボタンの入力を完了した晃が、必殺技を決める。結人が雄叫びをあげると同時に、画面は晃の操るキャラクターが勝利したことを告げる。

「これでオレの三十二戦三十二勝だな」

「むかつくんだよ、晃。もう一回勝負しろ!」

「何度やっても同じだろうが。いい加減あきらめやがれ、結人」

「……というか、大人げないよ、晃」

 膝に小さな翔吾を抱えて漫画を読んでいた都がぽつりとこぼす。だが、晃にはどうでもいいことだ。彼女の言葉を軽く無視して次のキャラクターを選びはしめる。

 都はそれ以上追求するのをあきらめたようだった。もういいや、面倒くさい。つぶやいて、再び漫画に集中していく。

 はあ、とため息をついた隼人は、都と晃を見比べて、どうしてこう我が家にはどうしようもないやつしかいないんだろうね、と口の中でぶつぶつ言いながら、晃の方に向き直った。

「ボクにはどうでもいいことなんだけどね、晃、受験生だろ。いい加減に勉強しなくていいわけ?」

「安心しろ、オレは優秀だから二年かければT大でも入れる」

「二年もかけないでくれる。来年はボクだって受験なんだから」

「んじゃ、一年でK大かW大あたり狙うか」

「身の程知らずだね」

「そんじゃ専門学校で」

「いきなり大学から離れるんだ」

「……おまえはいつも文句ばかりだな」

 そういう問題じゃないだろ、と言いながら隼人は読んでいた文庫本から顔をあげる。

 晃とは正反対、と言ってもいいかもしれない。線の細い隼人は、ともすれば女性に間違えられることもある。父親似の晃と母親似の隼人では、顔全体の作りが大きく違ってくるものらしい。黒い、長めの髪が隼人のほほをくすぐる。

「本当に、ボクはどっちでもいいんだ。ただ、晃が浪人なんかしたら父さんや母さんによけいな金銭的負担がかかるだろ。だから、今のうちにちゃっちゃと勉強しちゃえって言ってるんだよ。どうせ推薦はとれないんだし」

「何で知ってるんだよおまえ」

「オニイサマの性格上、まともな成績を取ってくるとは思えないからね」

 確かにその通りだけどな、と晃は言葉を濁す。

 すでにキャラクター選択を終えたらしい。結人がせかすように晃の袖を引っ張る。晃はあわててボタンを押した。適当に選んでしまったせいで、苦手なキャラになってしまい、チッと舌打ちをする。

 テレビ画面に映し出された二人のキャラクターが、晃と結人、それぞれの手によって動かされる。その操作の仕方は全く別物なのだが、二人とも体が一緒に動いてしまうという点ではそっくりだった。

「晃、そのワザひきょうだろ」

「へえ、おまえも『ひきょう』なんて言葉を覚えられたんだな」

「当たり前だろッ」

「んじゃ『ひきょう』ってどういう意味か言ってみろよ」

「……ひきょうなんだよ!」

「へへ、わかんねーでやんの、ばーか」

 こんなんが長男でうちは本当に大丈夫かな。聞こえよがしにつぶやく隼人の言葉を、晃は聞いていない。真剣な表情で、片膝をたててテレビに向かっている。

 再び必殺技の入力画面が現れて、晃と結人と、二人そろって画面に現れるマークと同じボタンを押し始める。マル、バツ、サンカク、マル、サンカク――やはり、晃が勝った。

 三十三回目の勝利をあげた晃の背中に何かが当たる。都が足をのばして晃の背をつついているのだった。

「蹴るな、普通に呼べ」

「面白くないからやだ」

「面白さかよ……」

「そんなことより晃、頭は平気なの?」

「なんかその言い方、別の意味が含まれてそうで嫌だな」

 晃がうめく。だが、そんなことを気にしないのが塚本都という人間だ。もう諦めるしかない。ため息をつきつつ、口を開く。

「一週間分の記憶はすっかり消えちまったけど、まあ特に問題もねえかな。せっかく覚えた数学の公式をまるッきり忘れちまったのが最大の問題だな」

「もともと大して詰まってなかったんだから心配ないよ」

 口の端をゆるませて――しかし目は冷たいまま――隼人がつぶやく。晃はその言葉にこくこくとうなづいた。

「そうそう、その通り」

「……ふつうはそこで怒るものだよ、晃兄さん」

 皮肉を言ったつもりだった隼人が、毒気を抜かれたように肩を落とす。だがそれでも、当の晃はひょうひょうとしたままだった。

「んなこと言っても、事実なンも詰まってねえんだからしゃーねーだろ。本当のことを言われて怒るのは男らしくねえ」

「そういう開き直りこそ男らしくないんだと思うな、あたし」

「オレもそう思う。晃にぃはもうちょっと自分のおかれてる立場ってものを考えた方がいいと思うよ」

 妹や弟に口々に言われ、ここにはオレの味方はいないと、晃はふて寝モードに入る。日の当たる窓辺に寝転がる。もちろん、弟たちにはわざと背中を向けるようにして。

 十五階建てのマンションの十階に位置するのが塚本家だ。海に面した街だけあって、広くとられている窓からは見事なまでの東京湾が望める。もっとも、決して美しい海ではないのだが。

「別に、記憶の一つや二つ、なくなったところでどうってことねえだろ」

「晃はそう言うけどね、もしかしたら忘れられちゃ困るような約束をしてるかもしれないじゃない。それを忘れてたらだいぶまずいわ」

「あと、ふつうの人だったら記憶がないなんてこと、平静には受け止められないと思うよ」

 ふつうならね、と隼人は『ふつう』の部分をもう一度強調する。

 確かに、彼の言うとおりなのだろう。あったはずのことが、実際に起こっていたことが、自分の中からだけ忽然と消えているのだ。自分の一部がころりと抜け落ちてしまったようなものだ。それのどこが怖くないというのだろう。

 晃だって、一度は考えた。抜け落ちてしまった部分に、自分の大事な一部が隠されてはいなかっただろうか。必死になって、欠けた『自分』を探そうとしてみる。

 だが、実際の晃は何もあわててはいない。あわてるくらいなら、向こうの方から帰ってきてくれるのを待つまでだ。そう思っている。傲慢といえば傲慢なのだろうが、おかげで晃は実にのびのびと生活できているのだ。

 いや――晃は一つだけ、記憶がなくなってから起こった不可解な現象を思い出した。

「そういやあ、遠野のやつが急に冷たくなったんだよな。目ぇあわそうとしねえし」

「遠野って、晃のクラスの委員長?」

 隼人が話題に食いついてきた。

「あ、そういやお前、二年の学級委員長か」

「うん。だから全学年の委員長会議でたまに一緒になるけど……あの人が、晃に冷たくなったの? あの人が?」

「そうなんだよなあ。何が気に入らないのかしらねえけど、オレが記憶なくしたって言った瞬間に態度がかわりやがって」

 由佳の様子を思い出しながら晃はぐちぐちと文句を口にする。元々気が強い女ではあるが、それにしたって怪我をした同級生を心配すり態度ではなかった。もう少しくらい労ってくれてもよかったのに、と。兄を舐めている弟だって、同意してくれると思ったのだ。

 だが。

「……それって、もしかすると」

 そこまで言って、隼人は黙り込む。

 腕組みをして、なにやら考え込んでいるようだった。突然黙ってしまった彼に変わって口を開いたのは、都だ。ポン、と手を叩いて隼人のほうに身を乗り出す。

「あ~、もしかして、そういうこと?」

「都も気づいたか」

「当たり前じゃん。いや、私面識ないけどそれでもわかるもん。こんなの気づかないの晃くらいのものだよ」

「は? 何の話してんだよ、お前ら」

 本来は慰めてもらうつもりでいたのだ。それなのに、いつの間にか自分を置いて、弟と妹が盛り上がっている。話に一つもついて行けない。ちょっと待て、説明しろ、と。晃が口を開くより先に、結人がそっと手を挙げる。 

「もしかしてさー、オレの考えてることも当たってるのかな」

「うん、当たってる当たってる。絶対当たってるよ。小学五年生にもわかるなんて、どうしようもないね」

 妙にすっきりした表情で、隼人、都、結人の三人がうなずく。

 晃と――そして、翔吾だけがその場に取り残されていた。

「やっぱり晃、ヤバいでしょ。これは最悪。犯罪者」

「あきら、ハンザイシャ?」

 都のひざによじ登りながら、無邪気な翔吾がたずねる。都はにやりと笑って、翔吾を抱き上げた。

「そう。わるーい男なんだよ~」

「わるいおとこ!」

 キャッキャと翔吾が手を叩く。それを真似して結人と都も手を叩く。完全に、晃をおちょくって。クソ、と呟き兄弟に背を向け横たわる。

「あーあ、晃ってば、またふて寝始めちゃったよ、隼人」

「いつものことだし、放っておいたらいいんじゃないかな」

「隼人にぃ、この背中に乗っかってもいいと思う?」

「しょーものるー」

「いいんじゃないかな。というか、むしろやりな」

 不吉なやりとりに嫌な予感を感じ、晃はあわてて起きあがろうとする。だが、時すでに遅し、だった。晃の背中――正確には、腰――に、二つの負荷がかかる。決して重くはないが、当然軽くもない。

「腰……いてぇ」

「人の話はちゃんと聞くべきだと思うわ、晃」

「そうだね。でないと痛い目に遭うよ」

「オレ、何でこんなに立場弱いんだ、この家の中で」

 弟たちだけで勝手に納得している中、晃だけはどうも意味がわからず、大の字になった。どうせこの家の中では、晃はヒエラルキーが一番低いのだ。拗ねて、もう寝てしまおうと、目を閉じる。

 その様子を半眼で見つつ、隼人は呟く。

「……あいつの言ってたことは真実だった、ってわけか」

 だがその言葉は、晃本人には届いていなかった。

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