重巡洋艦 妙高
【妙高】
・艦として
・艦種:重巡洋艦
・艦級:妙高型重巡洋艦一番艦
・前級:青葉型
・次級:高雄型
・建造:横須賀海軍工廠
・進水日:1927年4月16日
・所属:第五艦隊
・全長:204m
・最大幅:20.4m
・基準排水量:13,000噸
・対艦兵装:五十口径三年式二十糎連装砲×5 七式五二糎4連装水上発射管×6
・対空兵装:四十口径八九式十二糎七連装高角砲×8 九六式二十五粍連装機銃×12 同単装機銃×10 九三式十三粍連装機銃×10
・対潜兵装:六式墳進爆雷砲×2
・搭載機:約2機(偵察用)
艦名は通例通り山の名で、新潟県の妙高山にちなむ。妹の那智の方が早く完成した為、同クラスは那智型と呼ばれることもある。
ワシントン海軍軍縮条約では主力艦の総トン数が制限されたものの、補助艦については補助艦の条件(基準排水量1万トン未満、備砲8インチ未満)さえ満たしていれば、どのようなものを幾らでも建造してよかった。そこで帝国海軍は、補助艦に準主力艦たりうる戦闘能力を与えることを考え、本級が設計されたのである。もっとも、最終的には条約の制限を1割ほど超過しているが。建造当初は重巡洋艦という言葉はなかったので、一等巡洋艦として建造された。
最終的に本艦は20.3cm砲10門という巡洋艦としては世界最高の戦闘能力を有することになり、従来型の巡洋艦を圧倒、条約型巡洋艦と呼ばれる一連の軍艦の第一弾となった。そして本艦を皮切りに今度は補助艦の建艦競争の始まった為に、1930年、補助艦の総トン数も制限するロンドン海軍軍縮条約が結ばれることとなった。またこのロンドン条約によって重巡洋艦(主砲口径6.1インチ以上の艦)という艦種が定義されたので、これ以降は重巡洋艦を名乗ることとなった。
進水式には昭和天皇が行幸されるという名誉を賜る。1937年8月には上海上陸を支援する。
大東亜戦争緒戦ではフィリピン、インドネシアの攻略に参加。1942年1月4日、ダバオのマララグ湾に停泊していたところに米軍の空襲を受け小破。帝国海軍の軍艦としては最初に損害を受けた。2月のスラバヤ沖海戦には間に合わなかったが、足柄などと共に同海戦で損傷し撤退する途中の連合国小部隊と遭遇し、これを全滅させた。5月の珊瑚海海戦では機動部隊旗艦を務めて、翔鶴・瑞鶴などを指揮した。10月にはヘンダーソン飛行場攻撃に参加した。
1943年11月、ブーゲンビル島沖海戦に参加する。同島への逆上陸を計画した作戦であったが、失敗に終わった。また作戦の途中に駆逐艦初風と衝突している。1944年10月のフィリピン沖海戦では被雷して速力が低下し、シンガポールで応急修理を受けた後に内地に回航されて本格的な修理を受ける。
1945年6月のニューギニア沖海戦から復帰し、以降は瑞鶴の随伴艦を務めることとなり、戦後に船魄化された。
戦後の改装としては墳進爆雷砲(英国のヘッジホッグを参考したもの)を増設され、最低限の対潜戦闘能力を有している。これは帝国海軍が全体的に駆逐艦不足(正確には船魄化された駆逐艦不足)だからである。
・船魄として
・技術系統:日本式第二世代
・身長:155cm
・体重:62kg
・血液型:O型
・髪:茶
・目:茶
・好きなもの:妹達・かき氷
・苦手なもの:偉い人・紅茶
人懐っこく、同輩と後輩相手ならばすぐに交友関係を築く社交的な性格。だが相手からは戦友というよりも保護すべき対象と見られている。本人も自覚はあり、妙高型の長女なのに威厳がないことを気に病んでいる。妹達にも大して尊敬されてはいないが、妹達を想う気持ちは人一倍である。彼女達と離れるのは寂しいが、一方で妹達が激戦地に送られないのならそれでもいいと思っている。