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空想少女


私はときたま空想に耽る。


何か違う。今日はいつにも増して冷えている。私の心は冷めている、なぜ、温もりが足りないんだろう。物思いが別の世界へ誘う。その理由を問いかける。誰に?もう目の前にいるはずだ。ここは空想の世界なのだから。

「私の手がこんなにも冷たいからかしら?」


「そんなことはありません。もっと自分に自信を持ってください」

気付けば銀髪の王子様が目の前で腰を低くしていた。片手を後ろにやり、私の方を向いて顔を下にさげている。もう一つの手は前に掲げてある。そうして、敬意をその身で表す。私はその人の顔を無性に知りたくなった。


「王子様、私にその顔を見せてくれませんか?あなたがどんな人か知りたいのです。」


優しく努めて、労わるように言葉を紡ぐ。私はとても冷たくて、そして人に心を許さない。でも、自分だけの世界の中でなら、素直になってもいい。そう思っていた。彼は真実の人ではない。それでも、私は恋焦がれ、言葉を放ち、心の声を惜しまない。それが空想であり、私の全てであり、今の拠り所であったのだ。


こうなってしまったのは、いつからだろう。心を閉ざす、といえば簡単なことのように思うかもしれない。でも、それはひどい勘違いであると、私は断言できる。


なぜなら、それは本来誰も望まないことであり、当然、その行動自体が良い結果をもたらすようには思えないからだ。自分の幸福を自分から失くすのは、とても辛く悲しい。閉鎖的な社会のなかで、私たちは手を取り合っているように見えて、その手はさほど安くはない。人は人を秤にかけて、査定し、値踏みする。そう言ってしまえば、酷く悪いように思えるけれど、この世のなかに悪が増えれば増えるほど、その必要性は増すばかり。私たちは信じられないのではなく、信じたいのに信じさせてくれないのだ。


私にも、信じたいと思う人がいたはずなのに...


悠介、それは私の初めて好きになった人の名前。

彼はとても優しかった。出会ったころのことを思い出す。


私が高校一年生だった頃、新入生として、某高校の門を叩き、楽しい毎日が続くんだと思っていた。当時の私は少しだけ変わっていたところがあったかもしれない。中学生の時には平気でも、高校の中では、普通という印象にはならなかったようだ。

「なんか、あの子変わってるよね。愛想もよくないし」

しばらくが経ち、おおよそスクールカーストが完成されたころには私は腫れ物扱いされていた。理由は大したことはないのかもしれない。けれど、無自覚な子供にそんな理屈は通用しない。それを身に染みて理解するまでに、私は何度、目を赤くしたのだろう。


そんな時に、彼は私のもとに現れた。


「あいつらの言ってること、気にしなくてもいいよ、デタラメしか言ってないって感じ」

彼は、決して整った顔をしている訳ではなかったが、妙に性格が顔に現れているような印象を受けた。そこから読み取れるのは、少なくとも、だけれど、きっと攻撃されてる人を放っておけない。そんなお節介な部分を想起させるようなひとだった。ニコッと笑うと白い歯がいじらしい。


私は心を開く気になれなかった。誰もが敵に見えて、人を信用するだけの余裕さえ、他人に握られていた。

「でも、私は大した人間じゃないから...あんまり関わらない方がいいよ。迷惑かけるから」

彼は、不思議そうに目をまんまるにさせる。

「えっ、全然そんな風に見えないんだけど、でも、大したことないかどうかは俺の目で見て決めればいいじゃん。他の人の言ってることなんて、大体当てにならないからさ」


その時はちょうど昼休みで、たまたま後輩の面倒をみるために一年生の階に寄っていたようで、彼は二年生の先輩だった。なぜか周りが不穏そうなオーラを出していて気になったらしく、それで渦中の人物、つまり私に声をかけたのだそうだ。


「用事が終わったら帰ってくれませんか?私も、もうこれ以上波風立てたくないんです」

彼は首を振った。

「用事はもう終わってるんだよね。バスケの後輩に連絡事項教えるだけだったからさ。上級生に無理言われちゃって仕方なくね。でも、そんな泣きそうな顔してたら、引き下がるのも、ね」

気付けば私の頬は赤くなっていた。周りにとやかく言われるのは少し慣れてきていたけれど、今は状況が特殊で、私にからかう以外で声をかける人が初めてだったから。それ以外の理由もあったかもしれないけど、とにかく泣きたいのか恥ずかしいのか自分でもわからないでいた。


「昼、よかったら一緒に食べない?今日、用事あったから一緒に食べる人いなくてさ」

私はどう返せばいいかわからなかった。でも、なんだかここで断った後の周りの視線も痛いだろうし、仕方なくYESの合図を出す。


とまぁ、それが悠介との出会いだった。でも、今はそんなことどうでもよくて...


目の前の王子様は私の方に顔を向けてくれた。それは優しさに満ちた理想的な瞳をしていた。誰もが憧れる王子様。それは私にとっての、誰かにとっての完璧な存在であり、空想はそれを現実に変えてくれる力がある。


「さぁ、僕といきましょう。馬は近くで待機しています。野を駆け、小高い丘の上で腰掛け、ともに食事をしましょう。その時にあなたがいるだけで、私はとても幸せな気持ちになれます」


その言葉は、私の映像をフラッシュバックさせた。悠介との記憶。

初めて一緒に弁当を食べた日のことを思い出す。

私は口を開く気にはなれなかった。勿論、ご飯はゆっくりと口に運ぶけれど。

悠介は案外静かだった。私の言葉を待っているようにも見えた。でも、最初に声を出したのは悠介の方だった。


「でも、君は悪くないと思うよ。というかさ、たぶん、君はその状況をどうにかできると思うんだよ」

私は重たい口を開く。

「そんなこと...」

「なんでかって思うんでしょ?だってさ、君はちゃんと自分で言いたいことを言えてるから。きっと、何かとうるさい同級生のことも気遣ってるように見えるんだよね...それで受け入れてるように思うんだ」

私は何も言えなくて、でも、それを否定したくてNOの合図をした。

「どっちにしろ、君は優しい人なんじゃないかなって思うんだ。だからまた一緒に話がしたい。あんまり上手く話できないタイプなんだけど、それはお互い様?みたいだし、ね!」

うん、とは言えなくて。私はそっと弁当の蓋を閉じた。でも、心はなんだか揺れている気がして、去り際に小さな手を少しだけ動かした。伝わるかはわからないけれど。

彼は白い歯を見せて、手を振り返す。私より少し大きな手が左右に振れる。私はそれを確認してからその場を後にした。


食事を終えて、私たちは湖の近くで腰掛けていた。それまでも、王子様はとてもエスコートが上手で、その気遣いが私を幸せな気持ちにさせてくれる。私は王子の馬を撫でる。茶毛の馬はとても奥ゆかしく、でも私には少し陰りを感じさせる部分が垣間見えた。時折、ふと下を向くのが私によく似ていた。だから、驚かせないように繊細に触れる。

王子は私のそんな様子を見て馬のことを話した。


「実はね。この馬は、とても臆病なんです。それなのに、あなたに触れられていても気持ちよさそうにしている。こんなことは滅多にないんですよ」


私もいつも臆病で、何かに怯えていたのだ。それでもあの日から臆病の氷は少しずつ溶けていく。


「また来たの?」

私は少し不躾に、言い放つ。

「迷惑だったかな?そうだったら謝るけど」

「別に」

興味が無さそうなフリはもう既に板についている。それが得意なのが私なのだ。誰にも私のことなんて理解できない。しようとも思わないんだ。

黙って、私は悠介の後をついていく。私たちが前食べた場所と同じ、校舎の外に設置してあるベンチに腰掛ける。みんなは基本クラス内で食べるようで、ベンチはいつでも孤独だった。たまに身体を休めるために利用される時もあるけれど、短い時間しか使われない。だから、私たちはいつでもここに座ることができた。

「外の空気はいいよね。冷たいのがいい」

私は少し首を傾げる。冷たいのがいいの?理解できない。答えはNOだ。

「理由はね。とても単純なんだけどね。冷たいってのが、温かいの反対なら。それがいいなぁって」

ますます訳がわからない。私はつい口を開いた。

「どういうこと?」

そっか、と彼は説明を付け足した。

「反対だったらさ、きっとそれも繋がってるはずだから。冷たいが温かいになったとき、それはとっても、絶対に、とても温かいんだよ」

それがなんだか私には面白く思えた。

「何それ?」

思わず、張り付いた仮面が崩れる。しばらく、家の外で笑ったことが無かったことを思い出した。

「そんな笑うことないんだけどなぁ」

当の本人は至って真剣だったらしい。それが意外で、でも、それがこの人らしさであると思い至った。乾いた空気が少し湿るように、冷たいが温かいに少し近づいた気がした。


その後、王子は私に城の中を案内した。白亜の城は高くそびえる。それに圧倒されながら、中へと誘われる。シックな白を基調とした世界が私の周りを満たす。楕円の、人より大きな窓から差し込む日差しに私は惹かれた。太陽は誰にでも平等だ。目をぱちぱちさせて、私が外の景色を眺めていると、王子が後ろから声をかけた。

「窓からの景色は私も好きなんです。内から外を眺めるのは、心をなんだか落ち着かせてくれます。なぜなのか、理由はわからないのですが、守られている安心感があるからなんでしょうかね」

私は振り向いて王子に向かって言った。

「きっとね。内と外は、心なんだよ。きっとね」

私は少し寂しそうに笑った。


悠介と私はそれから少しずつ距離を縮めていった。彼の優しさはとても心地よく、段々と私の心を溶かしていった。内にいる私を外に連れ出すように。その手はいつも私の窓の外から伸びていた。


私はいつも、その手を取ろうとはしなかった。

でも、一度だけ、手を取ろうと思う時があった。


その日は、同級生の子たちの機嫌がすこぶる悪く、私にもそれが飛び火するのは目に見えていた。だから、私は大人しくしているつもりだった。そのつもりだったのだが、彼らはそれを許さない。

「ていうかさ、あんた最近、調子に乗ってんじゃないの?」

クラスの中でも彼女は少し口がうるさかった。理由は明確だった。

「あんた、前来てた先輩としょっちゅうつるんで話ししてるんでしょう?それで何が変わったわけじゃないのにね」

声は次第に力を増す。鋭利な刃は周りの反応によってよりするどく磨がれていく。

「あんたはね。私より鈍臭くていいところないよねー、みんなもそう思うでしょ?ほら、何にも言えないもんねー、ちょっとはなんかいい返したら」

私は抗議の声を出せないでいた。私はただ傷つくのが怖かった。傷つくのが怖いから、誰かを傷つけるのを執拗に避けていたのだ。それが、弱さに繋がって、今まさに誰かに利用されている。それを頭で理解できていても、自分を変えることを自分自身が許せなくて、でも、でも...そのために傷つくくらいなら、いっそのこと...。壊れそうな心は誰かに助けを求めていた。

「おーい」

聞き慣れた声がする。その声はここ最近染みついたものだけど、どこか安心できて、心強い。何食わぬ顔をして入ってきた悠介は軽く目の前の同級生に会釈しながら、それぎり彼女たちをいないように振る舞う。それが意趣返し?ではないけれど、ちょっと心地いい。そして、悠介は私に手を差し伸べる。そして、こっちと遠く指をさす。私は少しばかり躊躇ってから手を伸ばす。彼の手と私の手は影のように重なった。不安はその時には消えていた。それがよくなかったのかもしれない。いつも何かに備えていた筈なのに。


王子はその後も、色々なところを案内してくれる。兵士の宿舎だったり、入りはしないけれど、貴族の人の自室だったり、城内の庭園にも連れていってくれた。そこには色々な花が、それぞれの色で咲き乱れる。その様はとても自由だった。自由ではあるけれど、とても緻密に計算されているようで、どの角度から見ても印象が統一されていた。思わず、私はそれに見惚れた。王子は短い髪を少しだけ整えて、言った。

「花に興味がおありですか?植物は何を想って咲いているのでしょうね。力強く根を張り、自分の居場所を守っている。その健気さが、人を打つように私は思います」

感慨深い面持ちの王子の心は綺麗だった。綺麗すぎるほどだった。だから、私を俯かせた。もう一人の綺麗だった人が脳裏に浮かぶ。


悠介と私は珍しく、外に出かけた。別に恋人同士ってわけではないけど、腐れ縁のようなものだと言い聞かせる。彼の方も、気にしてはいない様子だから、まぁそうなのだろう。

「せっかくの休日だしね」

という誘い文句でやってきたのは、ファミレスだった。ここで駄弁ろうとのことだ。我ながらとても怠惰だ。

「はぁ、勉強ってあんまり好きじゃないんだよなぁ」

そう言って、悠介は窓を見遣る。

「植物は勉強しなくていいもんなぁ」

私は厳しく抗議した。この人にだけはなぜか抗議が許されるのだ。

「勉強はしなくちゃ、将来のために」

そうなんだけどね、と少し怠そうに肯定するが不満もあるようで、

「でも将来なんてわからないでしょ?確かなものなんてこの世になくて、この前も店無くなっちゃったし」

「それはそれ、これはこれ。勉強は勉強でしょ」

私は少しも手を緩めない。なんだか話が弾まない、というかいつもこんななのかこいつ?と心の中で悪態をつく。特に話すこともなかったから、この前のことを聞いてみた。試しに確かめたくなったのだ。

「ねぇ、なんであの時助けてくれたの」

「あの時?」

鈍臭いなぁ、もう。

「あの時だってば!私が他の人に絡まれてたでしょ、その時のこと」

「あぁ、あれのことか」

ようやく合点がいったようだ。私は少しきゅっと脇を締めて言葉を待つ。その言葉は軽く、そしてとても健かだった。

「あれはさ、とにかく君が必死だったから、助けなきゃって思って」

必死だった?私が?

「心を守る時に、人は何も言えなくなる時があると思うんだよね。そのパターンに見えた、気がした?俺もよくあるんだけど、その言葉が、誰かを、もしかして自分を壊しちゃうんじゃないかって」

そしてこうも付け足した。人間って脆いよね、と。

「悠介もそんな時あるの?」

私はその言葉が不思議で堪らなかった。こんなにもふわふわしている、こいつが?ちゃんと確かめたいと思った。

「あるよ、結構ね。勘違いされがちなんだけど、居場所ってやつがないんだ。根無草みたいなもんかな。だから、フラフラして君にたどり着いたみたいな」

私はドキリとした。

「あ、勘違いしてほしくないんだけど、心地いいって意味ね。深い意味はないんだけど、俺もまぁ、ね」

ちょっと残念?だけれど...ということは、

「似たもの同士ってこと?」

「かもしれないね」

そう言って悠介は微笑んだ。それを見て、私は少し俯く。心は閉じたり開いたり、とても忙しい。

「ねぇ?」

机に向けてだらけていた身体を起こして、何?と呟く。私は勇気を少し振り絞る。そして言った。

「私たちってさぁ、もっと仲良くなれるのかな」

「うん? でも、この関係が続けばいいよね」

なんだか可笑しな話だ。悠介はとても適当なのに、気付けば私のそばに勝手に入ってきて、そして何食わぬ顔して出ていくのだ。根無草といっても、常習犯に違いない。人の心を無断侵入する悪い奴。でも、それは私にとって、少なくとも今は嫌じゃなくなっていた。近づいてみて初めてわかることもある。それが、どっちに転ぶかはわからないにしても。植物は動けないから、その場所で居場所を作るしかないけれど、人間は別。

自由に動いていいんだ。この足が、手が誰かと誰かを引き合わせて、繋いでくれる。

それは決して悪いことではないと信じていた。信じようとしていたんだ。あの時までは。


気付けば、帰りも途中までは一緒に帰るようになっていた。たぶん、悠介は私に気を遣っている。自分のせいで、また誰かにとやかく言われるのを防ぎたい気持ちもあったのだろう。私は今はそんなに苦労していないと言えば嘘になるが、誰かさんのおかげで緩和されていたのは確かだった。

でも、なんだか悠介は今日、余裕がないように見えた。私は気になって尋ねる。

「どうしたの?今日いつもの悠介じゃないみたい」

「そうかもしれない。でも、いつも通りなんだよ、いつも通りなんだ」

それは自分に言い聞かせるような呪文だった。

「もう、どうでもいいんだ」

寂しそうな言葉が余計胸に響いた。

だから、私は詰め寄る。

「なんかあったら、私にちゃんと言って!お願いだから」

だって、私はこんなにもあなたのおかげで救われているのに。私だけ何もできないなんて不公平だよ。

「本当に大丈夫?」

いつまでだって出てこなかった自分。いつまでも隠していたかった自分。その手を取ってくれたのはあなたでしょ?心の中の自分が顔を出す。でも、悠介は頑なに首を振る。

「いや、大丈夫なんだ。これが平常運転なわけで、いつものことだからさ」

彼はそんなことないって顔してるのに...私にも助けさせてよ。あなたが辛い時、私にもそれを分けてよ。

本当は私は正直だった。でも、正直すぎると他人を傷つけるから、自分が傷つくことに繋がるから、一生黙っていたかったんだ。

本当は...本当は...もっと心を通わしたかった。

誰かと気持ちを分ち合っていたかった。優しさを確かめたかった。


だから、私は必死だった。


でも、悠介は何かを拒んでいた。拒むことが正しいと信じているように。

「ごめん。俺さ、本当は、異常者なんだよね。きっと、どこか壊れているんだよ」


「なんでそう思うの」


「昨日、病院に行ったんだ。精神科ね、だったら結果出てさ」


「うん」


「病名言えないけど、やっぱり俺は変みたい。自分でも分かってたんだ。どれだけ自分が世間とずれているかなんて。」


私は何を言えばいいのかわからなくなって黙っていた。精神科って何?変って何?よくわかんない。そんなの、私にとってはどうでもいい。


「俺は社会不適合者なんだよ。つまり人間失格だね。人生の落第者さ、誰にも理解されないんだって思ったら、全部どうでもいいような気がして」


社会不適合って何?人間失格って何?

人生の落第者って何?

誰にも理解されないって何?


「私は...あなたのこと知りたいって思ってる。確かに人の気持ちなんて、わからないことだらけかもしれないけど、悠介は言ったじゃん。私に優しい言葉をくれたじゃん。私にもその苦しい気持ちを分けてよ」


声は掠れていた。ひどく、とてもひどく気持ちが塞ぐ。こんな姿見たくない。いつもの悠介に戻ってよ。心の叫びが私の中でこだまする。それでも声は届かない。


悠介は壊れた目をして、寂しそうだった。


「もう一人になりたいんだ。誰かと一緒にいる資格がないような気がして。このままじゃ誰かを傷つけてしまうような気がして、それがどうしても嫌で堪らない。それが嫌で怖くて堪らない。だから......」


俯く声が地面に落ちる。言わないで...その続きを言わないで...私に聞かせないで...お願いだから...


「だから.....ごめん」


私はその言葉を聞いて、くしゃりとした身体は崩れてしまった。もう居場所を失って、力を失った植物のように。私の心がずっとずっと底に沈んでいった。そして、なんで?と問いかけた。声は出ない。でも、それしか考えられなくなっていた。

こんなにも、私に心を尽くしてくれて。こんなにも心の氷を溶かしてくれて。こんなにもあなたを好きにさせて。なんで?なんで?なんで!!

心はもうゆっくりと、開いていたのが嘘だったみたいに閉じていく。少しだけ開けているのは、彼の気が変わることを期待しているからかもしれない。それが悔しい。悔しいけど、でも、それ以上に悲しい。


彼は少しずつ、私のそばから離れていく。根無草はどこにもいられないんだと思った。居場所を探している筈なのに、結局居場所を見失う。だったらもう、私の中に入ってくるなよ。


私は心が冷たくて、人に心を許さなくて、そして嘘つきだ。


私はもう誰にも近づいちゃいけないのかな?

私の言葉は私の中だけで、虚しく響いていた。


王子は最後に自分の部屋に連れていってくれた。清潔感のある部屋は、理想的な王子に相応しかった。金の装飾が施されている赤いベッドに、その横には本棚があって。綺麗に並べられていて、そして...そして...何もかもが完璧で...私とは大違いだ。


王子は私の前に立つ。そして真剣な顔で私をしっかりと見つめる。確かな力強さで、芯のあるキリッとした眉が一層美しさを引き立たせる。でも、今の王子は理想的じゃない。真実じゃない。

なんで...なんで...


「もう、やめにしませんか?」


「なんのこと?」


私は俯くことをやめない。聞きたくない。もう全部閉じていたいの。本当なんて知らない。真実なんていらない。私には空想だけがあればいい。それだけで満足。それだけで救われる。閉じて、閉じて、開くことなんてない。だって、心はとっても脆いんだから。


いいや違う。そう王子は首を振った。


「あなたは、逃げているだけだ。自分の真実から目を逸らそうとしている。本当はわかっているのに、怖がっているだけなんだ」


いいや違う。それは違う。違うはず。違うはずなのに...



どうして、こんなに...

涙は溢れてくるの


「目を覚ましてください。本当に心を開きたい人は別にいるはずです。私じゃなく、きっとあなたの心の中に」


私は泣き崩れる。そしてずっとずっと胸に秘め続けたことを叫ぶ。


「じゃあ、どうしたらいいの?私はどうすればよかったの?私はあの人に心を開いたのに。頑張ったのに。いつまでも一緒にいたかったのに。彼はもういないの。もう会えないの」


だから...だから...どうしようもないんだ。

諦めるしかないんだ。

願っても、祈っても

もう届かないのなら

捨ててしまって、

なかったことに

するしか


「さぁ、ちゃんと目を開いて前を見て!」


私は俯く。でも、王子はそれを許さない


「さぁ、早く!真実を見て!」


私は仕方なく、前を見た。泣き腫らした目はかつてよりもずっと赤くはれていた。気づくと目の前にはあの人がいた。


「悠介?なんで、ここにいるの?」


悠介はゆっくりとゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ごめん。辛い思いをさせてごめん。酷いこと言ってごめん。僕の居場所はどこにあるのか、ずっと...ずっと...考えてたんだ」


私は頷く。強く強く。次の言葉を黙ったまま待つ。胸が騒ぐのを抑えながら、深く深く息をする。そして、準備をして覚悟を決めた。


「もう一度、一緒にいてもいいかな。こんなダメな根無草だけど」


私は聞きたかった言葉を大事に受け取った。私もずっと...ずっと...来る日も来る日も考えていた。

だから、空想に耽っていた。だから、考えることをやめられなかった。今日この日をどれだけ待ち望んでいたかわからないほどに。


私は心から

彼に気持ちがずっと伝わるように

YESの合図を送った。

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