1ー8 少女の涙
「替えの服を持ってきて欲しいとはお願いしたが、サンドラ殿にそこまでは頼んではいない。執行官殿の替え玉になるなどという重罪に問われかねないことを、年端もいかないサンドラ殿にやらせる訳にはいかない」
ジェラルドが首を横に振った。
シャロンも同意見らしく、サンドラに微笑んだ。
「ジェラルド君の言う通りよ。いい子だから分かって。ね?」
「子ども扱いしないで!」
サンドラが叫んだ。
その目に、涙を浮かべている。
「私だって、二人が重罪になるなんて、嫌よ」
サンドラは顔を背けて肩を震わせ始めた。
シャロンがその背中をそっと押して、左の席に座らせた。
「あ、あの。私のせいで、何かとんでもないことになっている気が」
麻耶はジェラルドに訊ねた。
「気になさるな。貴公のせいではない」
「でも、どう考えても、私が異世界転生執行官に重傷を負わせてしまったことと関係ありますよね? サンドラさんが替え玉をやるって、一体?」
ジェラルドが気まずそうに黙っていると、シャロンが近づいてきた。
「こちらのことだから。もう異世界に行きましょう」
ちらりとサンドラを見た。顔を両手で覆っている。
「行けないです」
麻耶は、首を横に振った。
「せめて事情を教えてください」
シャロンとジェラルドは少し迷った様子だったが、やがて諦めたような表情になった。
「こうなったら仕方がない。お話致す」
「そうね。説明は、頭脳派のジェラルド君にお任せしていい?」
「浅学非才の身なれど、僭越ながら」
ジェラルドがメガネのブリッジを指で押さえた。
「ところどころ端折るが、大筋を捉えていただきたい」
「はい」
「異世界転生の仕事が滞ると、異世界転生執行官を任命しているより上位の存在から、執行官殿に状況説明を求める連絡が行くと思われる」
上位の存在というのが気になったが、大筋で捉えろと言われたばかりだ。
「だが執行官殿は今、異世界転生の仕事をこなすことも、連絡に応じることも不可能な状況」
「無理、ですよね。私のせいで」
「執行官の自業自得でしょう? いいから、続きを聞いて」
シャロンが苦笑した。
「連絡が途絶えたままだと、おそらく、上位の存在は執行官殿の安否確認を行う」
「上位の存在の誰かが、この異世界転生の間や執行官の自宅まで様子を見に行く、ということでしょうか?」
日本の会社の場合、社員が出社しないで連絡がつかない状況であれば、家を訪れて安否確認するのが普通だろう。
「そうなると思う。だがそれよりも先に、執行官殿が残してある書き置きのようなものに対してチェックが行われる可能性が、極めて高い」
「書き置きのようなもの?」
「もし自分との連絡が途絶えた場合、拙者とシャロン殿に危害を加えられたからに間違いない、と書かれた代物」
「ええっ」
麻耶は驚きの声を上げた。
「そっ、そんな。危害を加えたのは、お二人ではなくて私なのに」
「書かれたのは、貴公が転生するよりずっと前。我らに疎まれているタチの悪い上司という自覚があり、いざというときの報復のために、上位の存在の目に留まるようにあらかじめ用意しておいたのだと思われる」
「そんな書き置きが本当に――。見たことはあるんですか?」
「ある。所在も分かっている」
「でしたら、処分してしまえば」
「それが可能なのは、執行官殿のみ」
書き置きといっても、ただの紙などではないようだ。
魔力の類で記されたものなのかもしれない。
「では私に、その上位の存在に対して証言させて下さい。異世界転生執行官から何をされそうになったのかも、重傷を負わせたのが私であることも、ちゃんと話します」
「上位の存在には、執行官殿しか連絡を送ることはできない」
「でも、その安否確認が行われたときに」
「そうやって異世界転生について全権委任している執行官殿の書き置きと、一転生者の証言。どちらが重みを持つと思われる?」
「それは」
言うまでもなく異世界転生執行官の書き置きだろう。
「安否確認が行われて書き置きが見つかってしまえば、容疑者として記載されている我らの弁明も当然通用しない。執行官殿が重傷を負っていることまで発覚してしまえば、拙者とシャロン殿が重罪に問われる可能性は極めて高い」
麻耶は居たたまれない気持に襲われた。
「本当に、本当にすみません。お二人は何も悪くないのに。私のせいなのに」
「あなたじゃなくて、執行官のせいでしょう?」
「あとは、そんな人物を異世界転生執行官に任命した上位の存在の責任」
二人とも麻耶のことを責める気はないらしい。
それが、かえって罪悪感を増幅させた。
「そんな顔をしないで。まだ私たちが罪に問われると決まったわけではないから」
「執行官殿の意識が回復すれば、書き置きを処分する方法を聞き出すことも可能かもしれない」
「ああ」
一縷の望みはあるようだ。
「ですが、異世界転生執行官が目を覚ましたら」
「色々と面倒なこともあるでしょうね」
「それでも、病み上がりであればこちらが有利。貴公に気絶させられたことを覚えていたとしても、上手く対処しておくからご心配なく」
楽観はできないまでも、二人には勝算があるらしい。
「とにかく、今は安否確認が入らないようにすることが先決なの」
「そのためには、異世界転生の仕事を滞りなく進める必要がある」
「ですが、肝心の異世界転生執行官が負傷中とあっては」
仕事ができるような容態ではないと聞いている。
それが麻耶のせいだと思うと、ますます申し訳なかった。
「確かにこれまでは執行官がメインで仕事を進めていたわ。私とジェラルド君がサポート役の三人体制で転生者に対応することが多かったの。でも、私たち二人で充分こなせる内容だったわよね?」
「仕事の進行自体は、執行官殿を欠いていても問題ない。されど、この異世界転生の間にいるのが拙者とシャロン殿だけで、執行官殿は不在という状況を、転生者に見られるのは避けたい」
「書き置きの内容を裏付けてしまうものね」
「安否確認が入ったとき、転生者に聞き取り調査が行われることは充分に有り得る。それに仕事ぶりの確認目的で、普段から様子見を頼んだ転生者を紛れ込ませている可能性も、無いとは言い切れない」
「だからこれまでと同じように、あの執行官が転生者に対応している状況を装っておきたいの」
「幸いなことに、執行官殿は帽子とマスクで顔を隠していたので、同じ服装をすれば成り済ますことが可能。それゆえにサンドラ殿に頼んで、替えの服を持ってきてもらった」
「というわけなの」
「事情は理解して頂けたか?」
「あ、はい」
「ジェラルド君、抜かりがないのよ。あなたを異世界に送り出すための荷物も頼んであったしね」
「さあ。異世界に案内する。準備を」
「あっ、あの。執行官の替え玉の役は、お二人のどちらが?」
このまま立ち去るのが忍びなくて、なんとなく聞いていた。
「どうしたものかしら?」
「当面は、拙者とシャロン殿で交互に執行官役をやればよいかと」
「一人が固定で続けるより、そのほうがいいかしらね」
「執行官殿がサポート役を交代で呼ぶように変えたことにして――」
「だから言ってるじゃない!」
サンドラが声を張り上げた。
席から立ち上がり、両手を机についている。
もう泣いても、手で顔を覆っていない。
「私が執行官の替え玉をやれば、これまでと同じ三人体制でしょう?」
睨んでいるサンドラに、シャロンとジェラルドが近づいた。
「替え玉をやっているとばれてしまったら、サンドラまで重罪に問われるかもしれないのよ?」
「そんなヘマしないわよ」
「これまで転生者への対応をしたことはないでしょうに」
シャロンが片手で頭を抱えた。
「誰が替え玉を務めようと、どこでボロが出るか分からない。その結果、上位の存在から取り調べが行われることなっても、替え玉などをやりさえしなければ、サンドラ殿は知らなかったで済む」
「嫌よ。とにかく、私はやるわ」
「本気なの?」
「当たり前じゃない」
シャロンとジェラルドがうなずきあってから、サンドラを見つめた。
「だったら、異世界転生させる仕事なんて放り出して、今すぐ逃げるわ」
「えっ?」
「サンドラ殿を巻き込むくらいなら、即座に安否確認が行われることになろうと、仕事を放棄して姿を消す」
「どうして? 三人のほうがバレにくいのは間違いないのに。上手くやれば一緒にいられるのに。シャロンとジェラルドがいなくなるなんて、嫌よ」
サンドラの目から涙が流れ落ちた。
胸を衝かれるのと同時に、麻耶の中に決意が生まれていた。
「あの、でしたら、私が」
三人の方に近づきながら、軽く右手を上げた。
「私が、異世界転生執行官の替え玉をやります」
「はあ? 素人は引っ込んでいなさいよ」
サンドラが涙を拭って言った。
「ですけど私は、異世界転生執行官に重傷を負わせてしまった身ですし、もし替え玉だとバレてしまって罪に問われても、ある意味では順当というか」
「あなたねぇ」
「いいかもしれないわね」
「ちょっと、シャロン」
「お願い致す」
「ジェラルドまで」
「少なくとも、サンドラよりはバレにくいはずだわ。小柄なサンドラだと、ローブを着ても執行官との体格差を隠せないものね」
「拙者たちが罪に問われる事態を避けたいと願ってくれているのなら、こちらの転生者殿に任せて欲しい」
サンドラはむっとした顔をして、シャロン、ジェラルド、そして最後に麻耶のことを睨んだ。
「あなた確か、麻耶という名前だったわよね?」
「はい」
「ちゃんとやれるの?」
「えっと、何とか」
サンドラは鼻を鳴らすと、腕輪を外して差し出してきた。
意味が分からないまま、それを受け取っていた。
「机の上の手提げカゴに執行官の服が入っているわ。でも腕輪と違って新品。あいつが着ていたものじゃないから安心しなさい」
「あ、はい」
「このリュックの荷物は、次の転生者に回して」
「分かりました」
「上手くやりなさいよね、麻耶」
サンドラはそう言うと、反対の机から包みを取って門へと歩き出した。
その後ろ姿を三人で見つめた。
「貴公のおかげで引き下がってくれた。心よりお礼を申し上げる」
「ありがとうね」
「いえいえ」
「呼び捨てや言葉遣いについては、勘弁してあげて欲しい」
「ちょっと生意気で意地っ張りだけど、いい子なの」
「分かります。お二人を庇いたがっていましたし。私を責めるようなことも、一度も言わなかったですし」
サンドラが青い門の手前で、こちらに振り返った。
「シャロン、ジェラルド。家でごちそうを作って待っているから、仕事が終わったらちゃんと来なさいよね。麻耶もよ」
サンドラはそう叫ぶと、青い門から出て行った。
「それに寂しがり屋なの」
「みたいですね」
麻耶はクスリと笑った。
サンドラは、いわゆるツンデレらしい。




