1ー6 命の危機
麻耶は、安心してばかりもいられないことに気付いた。
「あの、異世界転生執行って、凄い立場の方なんですよね?」
「異世界転生に関して、相当の裁量権を持っているのは確か」
「そういう人に手を上げてしまった私って、どうなるんでしょう?」
「うーん。もしかすると厄介なことになるかもしれないわね」
麻耶の体に、再び緊張が走った。
「我々にとっても、よろしくない事態かと」
「そうね」
ジェラルドとシャロンが顔を曇らせた。
何か意味ありげな様子に見えた。
「頭への衝撃で、記憶が飛んでくれていると助かるのだが」
「とりあえず様子を見てみるわ」
シャロンが異世界転生執行の頭の近くにしゃがみこんだ。
「まずいわね」
「えっ」
シャロンの緊迫した声で視線を下に戻して、ゾクリとした。
異世界転生執行の側頭部、司祭風の帽子の下側に、小さな血だまりができている。
そして、いまだに倒れたままピクリとも動かない。
これは、まさか――。
「本当に必殺してしまった……。異世界転生の裁量権を持つ立場にある、異世界転生執行官を」
麻耶は、恐怖に慄きながら呟いていた。
ジェラルドが片膝立ちになって異世界転生執行の首に触れた。
「まだ脈はある。シャロン殿」
ジェラルドが少し横にずれた。
「回復魔法を掛けてみるわ」
シャロンが異世界転生執行官の頭の上に両手をかざした。
手の周囲が、薄い緑色の光を放ち始めた。
「駄目。現状維持が精いっぱいで、回復までもっていけない。相当に傷が深いみたい。一度帽子を取って、傷の状態を見て――」
「いや。やめた方がいい。下手をすると傷が余計に広がってしまう」
ジェラルドはそう言うと、まとっているマントの一部を引きちぎった。
マントの切れ端を包帯のようにして、シャロンが回復魔法を掛け続けている異世界転生執行官の頭を、帽子ごとぐるぐる巻きにした。
「これで多少出血は治まると思うが」
「それでも私に治すのは無理そうだわ。現状維持が限度ね」
「では、なるべく効果が長く持続するように回復魔法を掛けて頂けるか?」
「やってみるわ」
薄い緑色の光が、一瞬大きくなってから収束した。
異世界転生執行官の頭が、緑色の光の膜で覆われたようになっている。
シャロンの手はもう光っていない。その手で額の汗を拭っている。
「これでしばらくは大丈夫のはずよ。でも、もっと強力な回復魔法を掛けない限り、いずれ――」
ジェラルドがうなずき、異世界転生執行官の両腕や床に広がったローブを体に寄せた。
「お疲れのところ申し訳ないが、さらに防御魔法を掛けて頂きたい」
「抵抗する相手には使えない魔法だけど、気絶していれば掛けられるとは思うわ。でもなんのために?」
「治療の術者の元へと運ぶために。本当は動かさない方がいいが、防御魔法で固定して揺れの衝撃を抑えれば何とか」
「なるほど。異世界転生の間においそれと人を連れては来られないし、それに往復より片道の方が助かる可能性も高いでしょうしね」
シャロンが再び両手を異世界転生執行官に向けた。
「少々お待ちを。腕輪を外し忘れていた」
「確かに外しておいたほうがいいわね」
なぜかジェラルドが異世界転生の左手の腕輪を外し、さきほどまで自分が座っていた席の机に置いた。
シャロンの両手が青く光り始めている。
その青い光が、異世界転生執行官の全身を薄く包んだ。
「回復魔法と、同じくらいの時間、効果が続くように、掛けたわ」
シャロンが両手を床について、肩で息をしながら途切れ途切れに言った。
「痛み入る」
戻ってきたジェラルドが、異世界転生執行官を軽々と抱きかかえた。
異世界転生執行官の体は一直線だ。首も反らず、頭が真っすぐの状態に維持されている。防御魔法の効果らしい。
「私もジェラルド君と一緒に行った方がいいかしら?」
「ここで休みながら待機を。それに転生者殿に付いていてあげて欲しい」
「分かったわ。でも、このままだと落ち着けないわよね」
シャロンが白い床の血の跡に視線を向けた。
「正直きついけれど」
シャロンが立ち上がり、右手の人差し指を床の血の跡に向けた。
その指が水色に光り、テニスボールほどの大きさの水球が出現した。
水球は、血で汚れている床に飛んで行くと、平らに広がり渦を巻いて回転を始めた。
少ししてからシャロン指を動かした。
水が床から離れてまとまり、水球へと戻った。
床の濡れはわずかで、血の跡も無くなっている。
逆に少し赤く濁った水球がシャロンの指先に移動してきた。
「ふう。この水は、門の外に捨てるわ」
「では、そこまで一緒に」
シャロンとジェラルドが門の方向に歩き始めた。
二人が青い門の外へと出たが、シャロンだけはすぐ中に戻ってきた。
シャロンが門を閉めてこちらに歩いてくる。指先の水球は無くなっていた。
「ちょっと休ませて頂戴」
シャロンがぐったりとした様子で左側の席に座った。
「お疲れ様です。私のせいで、すみません」
「いいのよ。私、もともと魔力の量が多くないの。それに、異世界転生執行官のことも治せなかった。使える魔法のレパートリーも知れたものだし、魔法使いとしては、いいところ二流止まりだわ」
「そんな」
「あなたもそっちの席に座っているといいわよ」
言われた通り、先ほどまでジェラルドが座っていた右側の席に着いた。
机に置かれたままの銀色の腕輪のことが少しだけ気になったが、すぐにうつむいた。
そして、膝の上で両手をきつく結んだ。
手に汗が滲んでいる。
異世界転生執行官は助かるだろうか。
気が気ではなかった。




