1ー2 異世界転生の間
麻耶は、自分がどういう状態なのか分からなかった。
体に現実感がないばかりか、床よりだいぶ高い位置に浮いているようだ。
下の床に、仮想的なホログラムのようなものが見える。
そのあたりから、プリンタで印刷するときのような機械音が響き始めた。
音と共に、ホログラムが現実的な質感を持ったものに少しずつ変化していく。
機械音がしなくなったときには、ホログラムが人の姿に変わっていた。
女性が少し体を丸めた姿勢で、横向きになって床の上に寝ている。
Tシャツに短パン姿で、サンダルを履いているようだ。
突然にどこからか、白い粒子の群れのような光が飛んできた。
その光が麻耶を貫いた。
いや、吸収したのだろうか。何か力が宿ったような気もする。
戸惑っていると、高度が下がり始めた。
床で眠っている女性に引き寄せられているようだ。
その女性は、麻耶自身だった。
自分の体の上に落ちたと思った瞬間、何も分からなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気だるくて熱い。
麻耶はそう思って目を開けた。
どこまでも白い景色が広がっている。
床も白い。その上に横向きの姿勢で眠っていたようだ。
体に現実感がある。白い床の硬さも体に伝わってくる。
それなのに、頭の側面の感触は柔らかくて心地いい。
「気が付いた?」
フードを被った女性が、麻耶の顔を上から覗き込んでいた。
その女性に膝枕されている。
慌てて起き上がろうとしたが、猛烈な気分の悪さに襲われた。
「無理をしては駄目よ。もう少し横になっていたほうがいいわ」
優しく頭を押さえられ、女性の横座りの腿の上に戻された。
麻耶の横顔がスカートに接触している状態だ。
そこから伸びた足には膝近くまでのブーツを履いている。
「回復魔法を掛けるわね」
頭に添えられていた女性の手が薄い緑色に光り、麻耶はビクリとした。
「心配しないで。楽になるはずよ。じっとしていて」
その言葉通り、段々と気分の悪さが薄れていった。
女性の手から光が消えて、麻耶の頭から離された。
上体を起こしたが、今度は止められなかった。
女性の上半身はマントで覆われている。
それとつながっているフードが下ろされた。
絶世の美女だった。
長くなめらかな金髪のストレートヘア。
切れ長の青い瞳。
西洋系の顔立ちで年齢はやや分かりにくいが、二十代後半くらいか。
豪奢なイヤリングが印象的だった。
銀色の大きな輪の中に複雑な模様があしらわれ、中心には小ぶりの赤い宝石がはめ込まれている。
そのイヤリングを付けた長い両耳が、ピンと尖っていることに驚いた。
まるでアニメやゲームに登場するエルフのようだ。
「まだ体が熱いんじゃない? 喉も乾いていると思うけど」
その通りだったのでうなずいた。
「お水、飲んだ方がいいわね」
女性が右手の人差し指を立てた。
その指が水色に光り、指先の少し上に水が出現した。
ゴルフボールほどの大きさの水球が、なんと宙に浮いている。
麻耶がうろたえていると、女性が唇を水球に近づけた。
水球は女性の口に吸い込まれて消えたようだった。
「うん。美味しい」
女性が右手の人差し指と中指で、軽く唇を拭った。
妖艶な仕草だと思った。
再び、空中に水球が作り出された。
水色に光る指の動きに連動して、水球が麻耶の目の前に移動してきた。
「毒なんて入ってないわよ。ただのお水。飲んで」
麻耶は戸惑いながらも、その水球に口を付けた。
吸い込むと、程よく冷えた不純物のない水の味が広がった。
「もう少しどうぞ」
今度はテニスボールほどの水球が出現した。
ためらわずに飲むと、渇いた体に水が染み込んでいった。
「おかげ様で楽になりました。ありがとうございます」
「どうたしまして」
女性が床から腰を上げたので、麻耶も立ち上がった。
立って向かい合うと、日本人女性の中で平均的な体格の麻耶より背が高いことがわかる。
「あの、魔法、なんですよね?」
「呑み込みが早いのね。水球を出したのは水魔法。少し前の緑色の光は、回復魔法よ」
「凄い。あっ、もしかして疲れていたりしませんか? 魔力みたいなものを消耗して」
「確かに魔法は魔力を消耗するから疲れるし、無尽蔵には使えないけど、あれぐらいなら全然平気よ。水の量はちょっとだし、回復させた症状も――」
物音がして、女性が口を止めた。
音の方向に視線を向けると、少し離れた場所に門が二つあった。
だが、どちらも門の扉が立っているだけで壁はない。
なんとも不思議な光景だった。
二つの扉は少し距離を置いて直線上に並んでいる。
大きさや形状も同じに見えるが、色が違う。
左側が赤、右側が青。
青い方の扉の片方が、少し開いている。
そこから人が入ってくると、扉が閉められ、また音がした。
さきほどの物音は開けたときの音だったらしい。
青い門から入ってきた人が、近くまでやってきた。
マントとつながったフードを被っているのは、さきほどまでの女性と同じだ。
だが長身の男性のようだ。
マントの下には西洋風の甲冑をまとっている。
小手はつけておらず、左手の薬指に小さな赤い宝石の入った指輪をしているのが見えた。
「遅くなってしまい、面目ない」
「私も少し前に来たばかりよ」
二人は知り合いらしい。
女性が男性に何やら耳うちをしてもいる。
少しすると、男性が麻耶の方を向いてフードを外した。
頭に被っている兜に目を引かれた。
ドラゴンの口に頭が入っているようなデザインの兜だ。
その中の顔にはメガネを掛けている。
顔立ちは若く、整っているようにも見えた。
「拙者はジェラルドと申す一介の竜人。お見知り置きを」
武人然とした自己紹介で、男性の名前がジェラルドだと分かったが――。
「竜人、ですか?」
「そう。この頭は兜ではなく、体の一部。それにこの通り」
男性、ジェラルドが後ろを向くと、尻の少し上の鎧の開いた部分から恐竜のような尾が伸びていた。
あまり驚かなかった。エルフらしき女性や魔法を見た後だ。
「そういえば名乗っていなかったわね。私はシャロン。よろしくね」
女性、シャロンが麻耶に向かって名乗った。
「上田麻耶と申します。よろしくお願いします。あの、シャロンさんは、エルフなんですよね?」
「まあ、エルフの端くれかしらね」
シャロンが一瞬視線を伏せて言った。
「貴公は人間、それに日本人とお見受けするが?」
「その通りです」
ジェラルドに問い掛けにうなずいてから、はっとした。
「あの、日本って、毒の瘴気で汚染されるような、大変なことになってしまっているのでは――」
シャロンとジェラルドが首を傾げた。
「朝日で照らされた景色が、白黒になってしまっているのを見たんです。しかも立っていられなくなってしまって。ただ事ではないと思いました。もしかして、日本どころか世界の終わりが訪れて――」
「心配いらないと思うわ。それって、あなたが立ち上がったり、激しく動いたりした後のことだったのではないかしら?」
「あ、はい」
確かに、ベランダで踵蹴りを繰り出した。
「なら、貧血でそう見えただけね」
「貧血?」
「激しく動くと貧血を起こしやすい。そして視界が狭くなったり色がおかしく見えたりするのは、貧血の典型的な症状」
ただの貧血を世界の終わりなどと言ってしまったことに赤面した。
だが二人はとくにからかうような様子はない。
むしろ麻耶を心配してくれているようだ。
「理解しておられるか? 日本が存在するのとは別の世界に、異世界転生したということを」
「やっぱり、そうですよね」
ある程度予想はしていた。
エルフや竜人がいて、魔法も見ている。
そしてここは、赤と青の門以外は全てが白い不思議な空間だ。
「あの赤い門は、あなたがいた日本のある世界に繋がっているの。転生者は赤い門から入ってきて、青い門から出て行くことになるわ」
「拙者が通って来たあの青い門が、貴公から見て異世界に該当する世界に繋がっている」
「では、ここは?」
「厳密に言うと、異世界の少し手前に該当する場所ね。『異世界転生の間』よ」
「異世界転生の間、ですか?」
「異世界転生の手続きをするための場所と言ってよいかと」
あたりを見回した。
門と反対方向の少し離れた場所に、色彩を持った物あることに気付いた。
茶色の木製らしき机や椅子などがいくつか置かれている。
「異世界転生者、上田麻耶。こちらへ」
その方向から声がした。
作り物のような、スピーカーから聞こえるような声だった。
「執行官殿が呼んでいる」
「あの、執行官とは?」
「正確には異世界転生執行官。異世界転生を取り仕切っている人よ」
「そして、我らの上司でもある。参ろう」
歩き出したシャロンとジェラルドに、麻耶も続いた。




