2ー5 自由都市
夕暮れの丘に、麻耶とシャロンの影が長く伸びている。
右手に街が見えているが、今は海に向かって草原の丘を下っていた。
海岸が近づいてきた。
海面との落差は数メートル程度のようだ。
夕日に照らされた海には何艘もの船が浮かんでいる。
小型の漁船が多いように見える。
海岸の少し手前の、草の薄くなっている小道まで行って右に曲がった。
正面の城壁の左端が海にせり出している。
円形の塔のような形状だ。
その少し右側に小さな入口があって、そこに向かっているようだ。
塔の上に一人、入口の前には二人の男が立っている。
全員が中世ヨーロッパの兵士をラフにしたような格好をしており、武器になりそうな長い棒を持っている。
「あの人たち、兵士でしょうか?」
「ちょっと違うわね。ソラナダ商人の連盟ギルドが構成している自警団よ」
「え? ソラナダって、どういう街なんですか?」
「特定の国には所属していない自由都市よ」
「へえ」
「もっとも、自治権を保つために、隣接している国には毎年多額の資金を提供してはいるのだけど。その資金を出しているのが商人の連盟ギルドの実力者たちで、街の主導権を握ってもいるわ。ソラナダ独自の法律を制定したり、自警団を組織していたりとね」
「この世界の都市は、もっと封建的だと思っていました。それこそ、王様や貴族が支配しているような」
「ほとんどはそうよ。私が知る限り、自由都市はソラナダぐらいのものね。それも大昔からではなくて、67年前からよ」
「67年前――。そういえば、空中ディスプレイで見た年は、67年だったような」
「そう。あれはソラナダ歴よ。ソラナダが自由都市として独立したときから始まって、今年は67年」
「そうだったんですね」
話しているうちに、城壁の入口が近づいてきた。
入口の戸はあまり大きくはなく、裏口という感じだ。
「お仕事、お疲れ様」
シャロンが門番の二人に呼びかけた。
「やあ。シャロンさん」
「その連れの人は?」
「遠い街に住んでいる友達よ。外に迎えに行ってきたの」
「見かけない人だと思ったらよその街の人か。長旅ご苦労様」
「ど、どうも」
「でもシャロンさん、ここからは出なかったはずだけどな」
「他の門から出たからよ」
シャロンが軽く肩を竦めた。
本当は他の門ではなく、狭間の闇を通ったということなのだろう。
「まあいいや。通ってもらおうぜ」
「ああ。よいしょっと。どうぞ」
門番たちが開けてくれた戸に入った。
城壁に通したトンネルを抜けたところで振り返った。
「ありがとう」
「ありがとうございました」
礼を言うと、門番が手を振って戸を閉めた。
「今日は顔なじみがこの裏口の当番だったわ。さっき言った通り、私はこの街では人間で通っているの」
「はい」
二人とも、シャロンの耳が尖っていないことに特に反応は示さなかった。
「そういえば、よそ者の私へのチェックが緩かった気が。シャロンさんの知り合いだからですか?」
「それもあるけど、自由都市だから人の出入りには割と寛容なの」
「なるほど」
「ここを通れない荷馬車なんかの場合、もっと大きな入口に行って商売の許可などのチェックを受けるように言われるでしょうけどね。あとは、人間以外の種族の場合もかしら」
シャロンが城壁に背を向けて歩き出したので、麻耶も続いた。
波止場のような場所だった。
小型の船が何艘も停泊している。
仕事帰りの漁師と思しき男たちの姿が多い。
子供たちが駆けまわってもいる。
漁村だろうか。右手には民家が並んでいる。
三角の屋根の一階建ての家が多いようだ。
建物も人々の服装も、中世ヨーロッパのようだと感じた。
「この世界の文明のレベルは、あなたの世界の中世ヨーロッパに近いらしいわ」
「そうみたいですね」
井戸端のような場所が見えた。
女性たちが桶やバケツを手に談笑している。
だが井戸から汲み上げるのではなく、蛇口から出ている水を入れ物に注いでいるようだ。
「水の衛生面は、ソラナダに限ればもう少し進んでいるのかしら。街中に水道管が通っていて、裕福な家や飲食店なら蛇口を捻れば水が出るわ。一般家庭にまではまだ普及していないけど、ああいう水汲み場が大抵は近くにあるし。下水もしっかりしていて、公衆トイレもあちこちにあるわ」
水やトイレに関しては、元の世界との違いであまり悩まなくて済みそうだ。
しばらく歩くと大通りに出た。
店舗、屋台などが道の両端に並んでいる。
商店街だろうか。人の数も多い。
「活気のある街ですね」
「私が見てきた街の中で、ソラナダの豊かさは随一ね。海や運河のおかげで交易が盛んで物資が豊富だし、生活水準も高いわ」
この世界の中で、相当に豊かな街らしい。
「そうだわ。ちょっと腕輪を外してみてくれる?」
「はあ」
麻耶は左手に嵌めていた腕輪を外して右手に持った。
「街の人たちの声、麻耶には日本語で聞こえているわよね?」
聞こえている声に耳を傾けてみた。
「安いよ、安いよ」
「他では買えない代物だぜ」
「もうちょっとまけて欲しいよ」
「良い買い物したわ」
人々の話し声が日本語で耳に入ってくる。
「日本語にしか聞こえないです。ですけど、この世界で使われている言葉って、本当は日本語ではないんですよね?」
「もちろん違うし、私には本来の言葉で聞こえているわ。麻耶も意識さえすれば、その言葉に聞こえるはずよ」
言葉に意識を集中してみた。
シャロンが話し掛けてきたが、それは全く知らない言葉に変わっていた。
街の人々の声も同じだ。
少し意識を緩めてみると、聞いたことのない言葉の声が小さくなり、そこに日本語の吹き替えを被せているような感覚で人々の会話が聞こえ始めた。
さらに意識しないようにすると、日本語だけに戻った。
「私にだけ日本語に聞こえるのは、転生者として翻訳の能力が付与されているから、ということですよね?」
その能力を先ほど受入転生者に付与した。
事前にシャロンやジェラルドから説明を受けてもいた。
「ええ。必須の能力だから付与されていると思ってはいたけど、大丈夫そうね。腕輪、もう着けていいわよ」
言われた通りにした。
「あの、どうして腕輪を外せと?」
「翻訳が麻耶に付与された能力によるものなのか、確かめておきたかったの」
シャロンがイヤリングを指さした。
「道具を身につけることでも、翻訳の能力を使えるようになるから」
納得した。翻訳能力を付与する前の転生者とも、道具を身につけていれば会話が可能ということでもある。
「道具と付与された能力のどちらを使った場合でも、会話や文字を読むぶんには問題ないようだわ。でも、文字を書くのだけは結構大変なのよ」
翻訳能力も完璧とはいかないようだ。
シャロンは漢字が苦手と言っていたが、道具の翻訳能力を使っても漢字を書くのは大変ということらしい。
いつの間にか日が落ちていた。
あたりの家からは明りが漏れ出している。
商店街から住宅街にやってきたらしい。
埠頭の近くの漁村より、高級住宅街のよう見えた。
垣根で覆われた家の前でシャロンが止まった。
「着いたわ。ここよ」
二階建ての屋敷だった。
日本なら、なかなかの高級住宅くらいの大きさだろうか。
垣根のとぎれた正面口から敷石の道を進む。
その先の数段の階段をのぼると、ドアの前で足を止めた。
「サンドラ? いるわよね?」
シャロンがノックしたドアが、少ししてから開かれた。
「ちょうどいいタイミングよ。鼻が利くわね」
出迎えてくれたサンドラが、少し横を向いて呟いた。




