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2ー4 陸のセイレーン


「そういえばシャロンさん、何回か水魔法を使っていますよね? 魔力は回復したんですか?」


 麻耶は、気になっていたことを訊ねてみた。


「ある程度はね。小さな水球を作り出すくらいなら平気よ。でも今日は、魔力の消耗が激しい魔法を使うのは控えたいところね」


 シャロンの魔力は完全回復した訳ではないらしい。


「それにしても暑いわね」


「そうですね。もう夕方なのに」


 現世に来る前は適温だった気がするが、今はかなり暑い。


「この世界の、このあたりの地域の季節は――」


「真夏よ」


 元の世界の日本も真夏で、季節は一致しているらしい。


 麻耶は司祭風ローブの首元を掴んで、反対の手で首元をあおいだ。

 この格好は、どうにも暑苦しい。


「それ、脱いだら? 暑いというだけではなくて、異世界転生執行官の格好のままだと、少しまずいかもしれないの。これから行くソラナダの街で暮らしている転生者は多いから」


 この服装で転生者に出くわしてしまうと、色々と面倒そうだ。


「あ、はい。ただ、Tシャツと短パン姿だと少し恥ずかしいかもしれないです」


「それなら私のマントを羽織るといいわ。ローブほど暑くないはずよ」


 シャロンはそう言うと、手提げカゴを置いてマントを外した。


「どうしたの?」


 抜群のスタイルに見とれていると、シャロンが少し首を傾げた。


「あ、いえ。お借りします」


 それから、ローブを脱いでシャロンのマントを羽織った。

 靴もサンダルに履き替えた。

 ローブと靴は手提げカゴに入れて、今度は麻耶が持った。


「さあ。ソラナダの街へ向かいましょう」


 シャロンと横に並んで草原のなだらかな斜面を下り始めた。

 歩きやすいが、ところどころに木がそびえていたり岩が突き出ていたりもしている。


 ちらりと隣のシャロンを見た。


 緑が基調のノースリーブの服を着ている。

 下側のスカート部分も緑色ベースだ。

 膝までのブーツと合わせると、いかにもエルフといった印象の服装をしている。


「あの」


「何かしら?」


「私の世界だと、エルフは物語上の架空の存在なのですが」


「そうらしいわね」


「私が知っているエルフの特徴は、人間と比べた場合、耳が尖っていて、寿命がずっと長くて、ただ体力的には少し劣っているので、魔法や弓矢で身を守っているという――」


 シャロンが相槌を打つようにうなずいている。


「それに、全体数があまり多くなくて、森の奥の隠れ里などでひっそりと暮らしているという感じだったのですが」


「この世界のエルフの特徴に、そのまま当てはまるわ」


「ですけど、これから行く街には、人間だけではなくてエルフの方々も住んでいるんですよね?」


「いいえ。あの街で暮らしているのは、ほとんどが人間。少なくとも、エルフはいないはずよ」


「えっ、でも――」


「昼寝して起きたら、珍しいもん見つけたぜ。エルフじゃねえか」


 エルフのシャロン自身が暮らしていると言いかけたのを、男の声に遮られた。


 あたりを見渡すと、少し離れた木の傍らに男が立っていた。

 今までは気が付かなかった。木の死角側にいたのかもしれない。


 こちらに近づいてくる。

 大柄な男で、30歳くらいか。

 頭にはバンダナを巻き、シャツの袖を肩まで捲っていた。

 肩や腕の筋肉はかなり発達して盛り上がっている。


「やれやれね」


 シャロンがうんざりというような口調で呟いた。


「エルフの姉ちゃん、ソラナダの街に行く途中か?」


 男のしゃべり方、そして雰囲気も、どことなく卑しい。


「そんなところよ。じゃあね」


「連れねえこと言うなよ」


 男がシャロンの側に並んで歩き始めた。

 シャロンが麻耶の背中に触れて、男と離れた方向に進むよう促してきた。


 だが行く手を遮るように、男が前に回り込んだ。


「俺はソラナダで働いている水夫なんだ。一緒に行こうぜ。街を案内してやるからよ」


「邪魔よ。どきなさい」


 男の顔色が変わった。


「いい女だと思って優しくしてやれば、エルフごときが付け上がりやがって」


「危ないわ。ちょっと離れていて」


 麻耶は戸惑いながらも、シャロンに言われた通り少し離れた。


 シャロンと男が対峙している。


「あっちの冴えねえ女は人間だよな? どういう組み合わせだ?」


「あなたの知ったことではないわ。今の失礼な言葉をあの子に謝って、さっさと消えなさい」


 男は頬を引きつらせて、太い右腕を持ち上げた。


「舐めんな!」


 男の右拳がシャロンの頭部に直撃した。


 麻耶は息を呑んだ。

 整った技ではなく力技だったが、あの体格の男に殴られては、ただでは済まない。


 だが、おかしなことに気付いた。


 シャロンは殴られて一歩後ろに下がったが、上半身はまるでぶれなかった。

 しかもその上半身が、青い光に包まれている。

 あれは確か、防御魔法の光だ。


(いて)え!」


 殴った男の方が右拳を左手で押さえて、苦痛に顔を歪ませた。


「女の顔に本気で拳を打ち込んでくるなんて、なかなかの下衆(げす)ねえ。それとも寝ぼけているのかしら? 顔を洗って、目を覚ましたら?」


 シャロンが右手を男に向けた。

 手の平全体が水色に光り、水球が出現した。

 点のようだった水球がどんどん大きくなり、直径1メートルほどになった。


「鉄壁の防御魔法に、それに水魔法だと?」


 男が怯えるような表情で、数歩後退した。


「あんたまさか、『陸のセイレーン』と噂されている、はぐれエルフ――」


 男がはっとして何かを言ったが、それも途中までだった。


 言い終わる前に、水球が移動して男の上半身を包み込んだ。


 男は水球の中でごぼごぼと空気を吐きながら、喉をかきむしるようにしている。

 溺れているときと同じで、呼吸ができない状態らしい。


 やがて男は、手足を動かして水球から出ようともがき始めた。

 だが、それは叶わなかった。

 男の動きに合わせて水球が移動し、空気に顔が触れるのを許さなかった。

 シャロンが手の平を動かし、水球の位置を操っているようだ。


 やがて男は、こと切れたように膝を折った。

 足が正座の形になっている。

 それと同時に、水球も少し下に移動した。

 男は水球の中で目を閉じており、全く動かなない。

 気絶しているようだ。


 シャロンが右手を振り払うと、水球が崩れて草原の地面に流れ出した。

 それとともに、男が横向きに倒れた。


 シャロンもよろめいたので、麻耶は慌てて駆け寄った。


「大丈夫ですか? さっき殴られたダメージが――」


「それは平気よ。防御魔法でガードしたから」


 やはり青い光は防御魔法だったらしい。


「フライパンでガードした上から殴られたようなもので、ダメージは無いわ。押されて後退はしたけどね。私の体の強さは、人間の女性と変わらないから」


 男はかなりの体格だった。女性の力では押し負けてしまうだろう。


「よろめいたのは、魔力を使い過ぎて疲れただけよ。ある程度回復した魔力が、ほとんど空だわ」


「お疲れ様でした。今日はもう、魔力の消耗が激しい魔法を使うのは控えたいとおっしゃっていたのに。あっ、防御魔法を上半身に絞っていたのは、魔力の節約のためですか?」


「それは足でバランスを取るためよ。私が防御魔法を掛けたところは、鉄でコーティングしたみたいに動かせなくなっちゃうの。かといって、地面に固定はされないしね」


 つまり殴られても転ばないように、足には防御魔法を掛けないで動かせる状態にしておいたということか。

 魔法使いとして二流止まりと言っていたが、魔法を使っての戦いにかなり慣れているようだ。


 少しだけ疑問に感じたこともある。

 エルフは、体力的にはやや人間に劣るという認識は間違っていないらしい。

 それなのにシャロンの体の強さは、人間の女性と変わらないのだという。

 無理をして鍛え上げたのだろうか。

 だがシャロンから、あまりアスリート的な雰囲気は感じない。


「それより、この男のことよ。こんな奴でも、このまま死なれたら寝覚めが悪いわね」


 シャロンはそう言うと、倒れている男に近づいてしゃがみこんだ。

 手から薄い緑色の光が放たれている。

 回復魔法を掛けてあげているらしい。


 男がせき込んで、水を吐き出し始めた。


「もう大丈夫ね。行きましょう」


 シャロンが立ち上がり、また草原を下り始めた。


 男は仰向けの大の字になって荒い呼吸を繰り返している。

 確かに大丈夫そうだ。


 麻耶はシャロンの横に並んだ。

 シャロンが額の汗を拭っている。少し息も荒い。

 魔力が底を突いた状態は、体力的にも大変らしい。


「人間とエルフの関係、大体分かった?」


 少し経ってからシャロンが口を開いた。

 呼吸が整っている。

 ある程度は楽になったようだ。


「ああいう男ばかりではないけど、マイノリティに対する扱いは、決していいものではないの。だから人間に見つからないように、隠れ里で暮らしているエルフがほとんどなのよ」


「あ、はい。でもシャロンさんは」


「ちょっと訳ありの身なの。だから、この世界の各地を色々と渡り歩いてきたわ」


 訳ありの身――。


「でも、今はあの街で暮らしているんですよね? 大丈夫なんですか?」


 シャロンが不意に、イヤリングに触れた。

 すると、尖っていた耳が人間と同じ形に変わった。


「あ、耳が」


「このイヤリング固有の機能で、耳の形を人間と同じように変えられるの。あの街では、私は人間で通っているわ」


「そうだったんですね」


「いつもは、狭間の闇から暮らしている家に直接戻ることがほとんどだから、耳の形をそのままにしてしまっていたのね。少し油断したわ」


 シャロンが苦笑した。


「旅をしていた頃も、フードを被ったりしてなるべく耳は隠していたの。でも四六時中ではなかったから、ああいう手合いには結構出くわしたわ。その度に水球に沈めてきたの」


「それで、はぐれエルフの『陸のセイレーン』と――」


「不名誉な仇名よね」


 セイレーンは、船に乗った人々を歌声で惑わせて海に沈める魔物だったはずだ。

 シャロンは陸地で何人もの敵を水球で窒息させてきたのだろう。

 それで陸のセイレーンという呼び名が広まった。


 それでも――。


 シャロンはよろめくほど疲れ切っていたにもかかわらず、あの男に回復魔法を掛けて助けた。


 麻耶やサンドラへの接し方からも分かっていたことだが、心優しい女性なのだろう。

 そして美しく、凛とした気品もある。


 エルフの隠れ里で暮らせない訳ありの身らしいが、やむを得ない事情があってのことだという気がする。


 無理に追及するつもりは無いが、いつかシャロンの身の上を聞いてみたいとも思った。

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