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#1 理学部B棟402号室 堺研究室

4月、よく晴れた朝である。

正門へと続く道には桜がずらりと並び、満開を待ちわびるように花弁をかわいらしく染めている。


「テニスサークルです!経験者も初心者もぜひ気軽にどうぞー!」

「素潜りサークルどうですかー!」


正門を通るなり、大学構内はあちこちで勧誘を行う団体と、先輩たちの熱気に戸惑いながらも大学生ならではの一大イベントに心を躍らせる新入生たちの姿で埋め尽くされていた。


今日は新学期初日、そして新入生歓迎フェスと重なり、大学内全体が華やかなムードに包まれていた。


「……」


そんな中、活気に満ちた人の群れを忍者のようにするするとすり抜け、ある建物へと向かう影男がいた。


大学内のメインストリートをはずれ、建物と建物の間をすりぬけ、喧噪とは真逆の方向へと迷わず進んでいく。いつしか、新入生はもちろんサークル勧誘もない、同じ大学構内とは思えないような、しんと静まり返った古びた殺風景な建物の前で立ち止った。


入口の自動ドアの横には、‘‘理学部 B棟‘‘の文字が。


ふと腕時計で時間を確認する。シルバーの腕時計の針は8時56分を示している。


男の名は都築力。中肉中背、背は少し高めの170センチ後半、まっすぐな黒髪にフチなしメガネで落ち着いたファッションの服に身を包むいかにも真面目そうな見た目である。


「リキ!お前もついたか!」


振り返ると、そこには都築の見知った顔がいた。少しパーマを当てた黒髪に整った童顔、片耳にはフープのシルバーピアスをしていている。オーバーサイズのジーンズにこれまたゆったり目のグレーのスウェットを着た、いかにも大学生といった見た目をしている。

彼の名は西城奏、都築とは同級生であり、友人である。


「西城にしては珍しく時間通りだな。」

「今日が新歓だったの忘れてたから正門混んでてびっくりしたけど、なんとかね。4年なのに剣道部とテニサーに勧誘されちゃったよ」


あいさつ代わりの軽口を言いながら、二人は自動ドアを通って建物に入る。


「俺たちもついに4年か、今年は一年中卒論に追われるんだろうな。新入生がうらやましい…」


西城がうなだれて言う。

西城とは1年生からの仲だが、これまで西城はサークル、女、旅行などさんざん遊びまくってきた。宇津木がレポート提出やテストのたびに西城に泣きつかれたことか。進級も卒業もぎりぎりだったのだ。


「お前はさんざん3年間遊んでただろ。もしかしたらかわいい女の先輩いるかもよ?」

「たしかに…毎日研究室だとしても、そう考えるとラボライフも楽しみになってきたかもしれん!」


こいつはなんて単純なのか。自分で言ったものの、呆れて都築は頭を抱えた。

病院のようなツルツルのライトグリーンの廊下を進み、エレベーターに乗って4階のボタンを押す。


「にしても今日の顔合わせ、9時集合って早すぎだよな」


あくびをしながら西城が愚痴を言う。9時集合は社会でいったら遅い方だが、大学生には結構早めの時間かもしれない。


「さあな。教授も院生の先輩も研究で忙しいだろうから早く終わらせたいんじゃないか」


大学の研究室の多くは、研究室一つに対し教授、助教授、大学院生、学部4年生で構成される。研究室の運営はその研究室が行う研究に対し国、大学、共同研究機関、または企業から助成される研究費によって賄われる。つまり、研究室はそれぞれが一つの会社のようなものであり、学生はプロジェクトを進める社員のような側面がある。つまり、学業の一環とは言え、少しブラックな側面も存在するのが現状だ。学部や研究室によっては、夜の2時になっても研究棟の明かりがついているといううわさもある。


「どんな先輩がいるのかなあ」


そんな研究室の少し過酷な現状に見向きもせず、西城はすでにいるかもわからない黒髪ロングの真面目美人で面倒見の良い女の先輩の存在に気持ちが移っている。

ゴウン、と音をたててエレベーターが止まり、扉が開く。


「402…402…ここだ!」


ドアの上の表札を一つ一つ確認しながら廊下を進み、二人はあるへの前で立ち止まった。

表札には、‘‘402 堺研究室‘‘ の文字が。


「なんか緊張するな」


多くの学生にとって、自らの成績を左右する存在である教授の部屋を訪れる事はかなり緊張するものである。真面目な学生は授業についての質問をしに部屋を直接訪れる事もあるが、西城は不真面目な方の学生であった。


「そうか?」


一方、真面目な方の都築は特に緊張した様子もない。

ドアの前でおじけづく西城を尻目に宇津木は淡々とドアをノックする。

…が、返事はない。


「顔合わせに来た都築と西城です」


都築がもう一度ノックし、挨拶まで加えたが、やはり返事はない。二人で顔を見合わせる。集合は理学部402号室に9時。時計を見ると、確かに9時である。


教授室の隣には、実験器具がおいてある研究室と学生の居室である学生部屋が並んでいる。二人は、もしかしたらどちらかの部屋に教授がいるのかもしれない、そう思いふと研究室の方を見ると、何やら騒がしい。


「研究室の方にいるのかもな」


西城が言い、研究室のドアに向かう。すると、中から数人がまくし立てるように話す声が聞こえてきた。これはノックしてもいい空気なのか?と恐る恐る、西城が都築に目で訴える。


「たのむ」


今度はお前の番だと言わんばかりに都築も神妙な面持ちでうなずく。

ドアの向こう側に耳を近づけると、会話の内容はわからないが、何やら騒いでいるのはわかる。器具でも壊してしまった生徒が教授に怒られているのだろうか、そんな現場を初日で目撃してしまうとは、今後が思いやられる、と内心ため息をつきながら西城が意を決してノックしようとした。


その瞬間。


バンッ!

と勢いよく研究室のドアが内側から開け放たれた。


「うおわわッ!!」


あまりの突然の出来事に素っ頓狂な声が出る西城。そして、目の前には白衣を着て白いマスクをした大男が立っていた。身長は190センチはあるだろうか。なにやらゼエゼエと息を荒立てて肩を上下させている。

同じく都築も、突然勢いよく開けられたドアの音と、目の前の大男にあっけをとられていたが、白衣の男がつける青いゴム手袋に何やら赤い液体がこびりついていることに気づいた。いや、手袋だけでなく、よく見れば白衣にも所々に赤い点がある。


「血…?」


口を開けて白衣の男の顔を見つめる西城と裏腹に、都築は冷静に場を観察する。

どうやらドアを開けた白衣の男本人も、いきなり扉の前にいた2人に驚いているらしい。ほんの数秒間、3人は硬直したままだった。

しばしの沈黙が続いたが、沈黙を破ったのは3人の誰でもなかった。


「チュッ」


西城の足元から、何かの鳴き声がした。見ると、何やら小さな影がまたの間を素早く駆けていく。


「ッ!!居た!!!」


白衣の男がいきなり叫んだ。

と思ったら、あろうことか次の瞬間には西城の又に頭からダイブを決めていた。


「えっ?えっ?」


戸惑う西城。無理もない。いきなり大男が股間めがけて、飛び込み台からプールに飛び込むようにダイブしてきたのだ。

バランスを崩し、大男の背中に顔面から飛び込む西城。大男はというと、暴れる小さな影を捕まえようと必死に腕を動かしている。もうめちゃくちゃだ。

影はまたするりと大男の腕を抜け、ポカンとする宇津木の足元へ駆けてくる。

それは真っ白で赤い目をしたネズミだった。手のひらほどのサイズのしずくのような形の体に、また手のひらほどの長さのピンク色のしっぽが生えている。ネズミにしては少し大きいな、と都築がふと思った矢先、大男が慌てて近づいてくる。


ほふく前進で。


「おい、そいつを捕まえろ!」


背中に西城を乗せたまま、すごい勢いでほふく前進をしながら大男が低く野太い声で叫ぶ。

その光景は逃げ出したくなるほど恐ろしいものだった。


「わっかりました??!」


ビビッてとりあえず返事をしてみたものの、ネズミなんて触ったこともないし、そもそも触っていいのか?かまれたりしない??と戸惑いながら、片膝をつきしゃがみ込む都築。

猛スピードで近づいてくる白い塊。


「どおっっせい!!!!」


その塊を、宇津木はさながらワンバンしたボールを受け取るキャッチャーのような姿勢で右手でネズミの足元を掬うように受け止めた。すかさず左手で挟むように抑え込む。手の中で怒るように鳴きながらもがく白い塊は、今にも手の隙間から飛び出てしまいそうである。

するとすかさず、大男は背中の上の西城をもろともせずに立ち上がって駆け寄る。そして、素早い手つきで宇津木の手のひらから頭を出しているネズミの首元をつかんだ。すると、暴れていたネズミが急におとなしくなった。


「…ナイスだ」


つぶやいた大男は、都築に礼を言うとドアの前でひっくり返って呆然としている西城をひょいと飛び越えて、部屋の中に戻っていく。

何だったんだ今のは、と多すぎる情報量を処理しようと硬直したままの二人。

おー!と数人の歓声が部屋の中から聞こえた。

しばらくすると今度は同じく白衣にゴム手袋の少し小柄な男が部屋の入り口から顔だけ出して、真下でひっくり返る西城とキャッチャーミットのように右手を構えたままの都築を交互に見る。


「すまなかったね。君ら新しい子たちでしょ?」


たはは、と照れくさそうに笑いながら彼は言った。


「は、はじめまして、宇津木です」


ハッ!と自分がキャッチャーのポーズのままであることを思い出して、すぐに立ち上がり、ビシッとお辞儀をして言う。


「西城です…」


やはり部屋の入り口にカエルみたいにひっくり返ったまま、未だ状況を把握できていない様子の西城が天井に向かって挨拶をした。


「みんな揃ってるから、顔合わせはじめよっか。入って入って」


小柄な男は、また部屋に戻る。

先ほどドアがいきなり開かれ、大男が西城の股間にダイブしてから今の瞬間までほんの1分ほどの出来事である。

都築は状況を理解できないまま、おずおずと西城に近寄る。


「大丈夫か?」

都築が西城の顔をのぞき込む。

股間にいきなり大男が飛び込んできた挙句、大男の背中でフライパンの上のウインナーみたいに転がされたのだから、あっけにとられるのも仕方ない。


「ここは女の子が飛び出てきてラッキー何とかって流れでは…?」


涙目で都築に問いかける西城。

いや、こいつにはこれくらいの洗礼があった方がいいのかもしれない、と都築は心配していた気持ちがスンと冷めていったのを感じた。


「…早く立てよ」


つぶやく都築。


「床もお前も冷たい!」


嘆くように小さく言うと、西城はハタハタと体をはたきながら気怠そうに立ち上がった。

部屋の奥を見ると、数人が並んでこちらを見ていた。先ほどの大男に、挨拶をしてくれた小柄な男、そして不機嫌そうに腕を組む、暗い青髪の人相の悪い女。


「こんにちは、ようこそ堺研究室へ!」






















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