90 : Day -22 : Den-en-chōfu
毎度おなじみになりつつあることが気持ちわるい、地下の座敷牢。
チューヤたちは美の女神プシュケを連れ、約束の地に立ち至る。
わかりやすくゆるむ、「泥棒」の表情。
彼はプシュケの影が見えた瞬間から鼻の下を伸ばし、異常な興奮状態にあるらしいことが見て取れた。
自縛霊をここまで興奮させられる女というのも、それはそれですごい存在だ。
「契約だ。渡してもらおうか、万斛の宥恕」
もちろんチューヤは、代償もなくエサを与えたりしない。
相手は悪魔だ。完全な契約によって縛り、履行をうながさなければならない。
しかし二代目・安藤マルオは、支払う代金より受け取る報酬にしか興味がないかのように、
「あとにしてくんねえかな。小一時間でいいんだ。……あんたらの欲しい〝赦し〟ってのは、そんなに軽いもんなのかい? 20年だぜ。無罪を勝ち取って、A4のコピー用紙に印刷した『勝訴』を手に、裁判所の前庭をダッシュしてみたところで、失われた20年はとりもどせねえんだ」
二代目の目は終始、いやらしくプシュケのうえを這っている。
彼女自身は慣れたもののようで、飄々と受け流しているが、それがまた欲情をそそる、といったところか。
いまや二代目は肉体もない「幽体」なのだが、こと境界にかぎっては、ある程度の接触が可能になる。
「……そんな約束、したおぼえはないが」
チューヤは眉根を寄せ、悪魔相関プログラムの条項を確認する。
──連れてきて会わせる。そこまでは約束した。
だから現状、すでに契約は果たされている、という考え方もできる。
もちろん多少の融通、要求、条件交渉はあってしかるべきと受け入れてはいるが、簡単に乗っかるわけにはもちろんいかない。
「だったらオレも、連れてきただけで赦してやると言ったおぼえはねえな。なあ、いいだろう? ちょっとくらい、ふたりにしてくれや?」
チューヤは、プシュケとケートを一瞥してから、二代目に視線をもどし、
「いいだろう。ただし、あんたに契約を履行する能力があるかは、確認させてもらう。ご褒美をあげたあとで、じつは代金をもってませんでした、じゃ済まないからな」
二代目はしばらく考えたあと、中空に指を持ち上げて魔術回路を開いた。
「なるほど、わかった。……ほらよ」
悪魔からわたされる、虹色の契約書。
チューヤの悪魔相関プログラムがただちに条文を解釈し、整合性を確認する。
……一見、整ってはいる。
だがもちろん、それで納得はしない。彼は霊界電話を開き、データ化された契約書をコピーして転送した。
一方、二代目は、もう自分の役割は果たしたとばかり、目のまえのプシュケにしか注意をむけていない。
早くこっちへ、座敷牢へ入れろ、と門を全開にして待ち受けている。この自縛霊が最大の魔力を発揮できる空間、それがこの座敷牢だからだろう。
が、チューヤはすぐにその視線のあいだに割ってはいると、ケータイの画面を相手にむけて言った。
「……リジェクト。どういうことかな、二代目さん?」
一瞬、わけがわからない表情の二代目。
割り引いた手形が不渡りだと相手が気づくのは半月後、という時代に生きてきた彼にとって、たったいま振り出した手形の有効性の証明が瞬時に行なわれるというのは、一種のジェネレーションギャップだった。
チューヤが霊界電話でデータを送れる先は、ケートとサアヤしかいないわけだが、サアヤのまわりにはいま、法律知識の豊富なヒナノとそのスタッフたちがいるのだった。
「そ、そりゃあ、なんかの手違いだ。待て、ちょっと……ああ、そうだ、こっちだったな。おい、だけどそっちも、ちゃんとしてくれや」
言い訳がましく言いながら、別のインクで別の書式を著す二代目。
同様の手順で、契約の実効性を確認。
チューヤは目を細め、じっと契約相手の一挙一動を注視しながら、悪魔使いとしての契約行為を着実に推し進める。
……どうやら、今回の手形は認証可能。
契約者・乙の要求する行為、範囲についての妥当性を認めてよい。
契約者・甲も対応して、みずから契約条項にサインを入れる。
「……実行条件を確認する。時間は30分」
「一時間だ、頼む、一時間くれ!」
目のまえにヒラヒラとぶら下げられた契約書に手を伸ばしながら、最後の交渉テーブルにすがりつく二代目。
チューヤはしばらく考えてから、
「……45分。彼女を座敷牢に入れると同時に、契約が自動執行されるプロトコルでいいな?」
「ちっ……いいだろう。ほらよ、これはホンモノだ、まちがいねえぜ」
青が強い虹色のインクは、ただちに霊界電話で転送され、ヒナノの祖母に「適用」される。
しばし成り行きを待っていたチューヤは、うなずいて言った。
「……アクセプト。万斛の宥恕が受理された。おばあさんにかけられた呪いは、解除プロセスにはいる」
淡々と「契約書」の行程を読み進める。悪魔使いの面目躍如だ。
二代目は胸をなでおろしつつ、
「ほらな、みろ、うそじゃなかったろ。泥棒さんは正直なんだよ。だからな、あんたらも正直にならなきゃいけないぜ。契約は、きっちりと履行しような? さあ、サインするぜ。女をよこしな」
二代目とチューヤの指が、空中に「最終合意」のサインを描く。
同時に足を踏み出すプシュケ。これは自動執行の契約で、両者が合意に基づいて行動するかぎり確実に履行され、どちらかが裏切った瞬間に契約が解除される仕様になっている。
契約成立の瞬間、プシュケを引き込んだ座敷牢が、閉じた。
閉じられた空間のむこう側を、見ることはできない。
ケートはやや眉根を寄せ、
「あんなやつでも一応、母親だ。いや、べつに心配してるわけじゃないが……」
めずらしくもじもじする天才に、朗らかに笑いを返すチューヤ。
「心配していいんだよ、ケート。だいじょうぶ、安心して。契約どおりだ。……サアヤ、解呪プロトコル本体、転送するぞ」
悪魔使いが、たったいま手にしたフラグアイテム「万斛の宥恕」をデータ化して、ケータイにむける。
回線のむこうは、最強の電波強度で霊界電話の通じる相手、サアヤ。
「OK、こっちは準備万端。そっちはだいじょぶ?」
「ああ……たぶんな」
ちらりと、隣のケートに視線をむける。彼は軽く肩をすくめ、
「まあプシ子だからな、なにがあっても自業自得さ」
「……なんかあったら、俺が責任とるよ」
やや厳しい表情で、閉じた座敷牢に向き直る。
自分に母親がいたことはないので、それを「失う」悲しみは、よくわからない。
だが、そんなことをさせてはならないことは、だれよりも知っている……。
閉空間の空気は、決定的に悪化していた。
本性をむき出した二代目は、傍若無人にプシュケを抱き寄せ、上着をむしりとる。
歴戦のプシュケは、見せ下着姿を受け入れつつも、ぬるりと距離をとる。
一方、もはや欲望のカタマリと化した二代目は、服を残してカエルのようにピョンと飛び跳ね、相手に襲いかかる。
「もう逃がさないよ、ブ~シュケちゃあ~ん」
初撃はうまいこと躱したものの、ここは「相手の空間」だ。
ほどなく捕まり、ベッドに倒される。
淫蕩な笑みを浮かべる二代目と、ややこわばった笑みで相手を見つめるプシュケ。
「冗談よね? 二代目?」
「安心してよ、プシュケちゃん。天井のシミかぞえてるあいだに終わるからさ」
ぬっ、と持ち上げられた二代目の腕のなかで、くるくると回転する肉塊。
さすがのプシュケも、目を見開いてそれを見つめる。
それはかつて、マダムXが忌まわしいものとして踏みつぶそうとした──モノ。
宗教的に崇拝されることもある巨大な根は、チューヤやリョージの手を経て受け継がれ、いまここにある。
いったい、それでナニをするつもりなのか?
さすがに力をこめて反抗しようとしたプシュケの身体から、力が抜けていく。
ここは自縛霊のための空間であり、彼の思いどおりに相手をコントロールできる。30年間この空間に囚われていた二代目はただ、その事実を証明しているだけだ。
美の女神を、自分のものにするという「肉欲」は、古今東西の泥棒たちにとっても、執着する価値のあるテーゼであるようだ。
各時代を彩った美女たちのなかでも、トップクラスにランキングされる当事者、プシュケは速やかに状況を理解した。
「なるほど? ……これは、現行犯だねえ」
恐怖の表情を演じながら、ぽつりとつぶやくプシュケ。
一瞬、二代目は表情をゆがめるが、ここが「自分のテリトリー」であることは知っている。
「心配するなって、どんな女も、いやがってみせるのは最初だけ。そのうち食いついて、離れられなくなる、俺からな。だからこうして意識を保たせてやってるんだ、すぐに感謝するぜ、そう……20分後にはな」
ラスプーチンのような笑みを浮かべ、巨大な肉塊を肉体に装着する二代目。
彼には自信がある。実績もあった。プシュケは力を抜いて、ソファに横たわる。
「ちょっと興味がないこともないけど、わるいねえ、タイミングが」
「……なに?」
パリパリパリ……!
瞬間、空間にヒビがはいって──割れた。
「な、なんだ、これは。どういうことだ?」
さきほど閉じた流れと逆順をたどり、座敷牢が開かれていく。
跳ね起きた二代目は、あわてて空間を閉じようとするが、かなわない。
パキッ、と割れた空間のむこう側、チューヤたちが冷たい目で見降ろしている。
「お客さん、困りますねえ。うちのタレントに手ェ出してもらっちゃあ」
ポキポキと指を鳴らし、美人局よろしく現場へと踏み込んでくる悪魔使い。
ぶざまに足を開いて後退しながら、二代目はカエルのように鳴く。
「げえ、なんだ、どういうことだ、これは」
「契約書にあるでしょう。本番は禁止だって」
「なんだと、俺はまだやってねえ……」
一方の契約当事者からの苦言を待たず、悪魔使いが契約書の細則を開く。
──昨今の「法改正」により、強制わいせつや強姦は親告罪ではなくなった。
局部を露出した時点で、すでに触法行為にあたる。魔力で相手の自由を奪って服を脱がせた、もはや言い訳の余地のない「準強制わいせつ」である。
被害者が告訴するまでもなく、検察官──この場合、契約の片割れである悪魔使い──は、相手の行為を起訴──この場合は強制契約解除──できる。
45分間、美の女神プシュケと「お話」できる権利は、たしかに与えられた。
だが「強姦していい」なんて話は、どこにも書いていない。
「てめえ! 美人局か!」
「人聞きのわるいこと言うんじゃねえよ。心配しなきゃならんのは、地獄まで響くてめえの評判だろ? 小伝馬町の監獄は、こんな座敷牢よりよっぽどにぎやかだぜ」
むかしヤクザのおっさんに教えてもらったオドシを、チューヤはアレンジして使ってみる。
ぞくり、とふるえあがる二代目。
ケチなコソドロの強姦魔となれば、地獄の小伝馬町ではイジメられ、イビられる対象になりがちだ。
ことに彼は、ただのカーバンクルにすぎない……。
「ガバガバのカバンにしてもらいな。案外、新しい趣味に目覚めるかもしれないぜ」
ケートの言葉に、プシュケが悲嘆する母親役を演じる。
「ああ、なんてこと。あなたがなにを言っているのか、お母さんにはわかりませんよ?」
「カマトトぶってんじゃねえ、プシ子。さっさと出てきて板橋へ帰れ!」
「えー? ママ、なんかクスリ盛られてて、立ち上がれないのォ。助けてキャサリン」
茶番がはじまりそうなので、プシュケのことはケートに任せ、座敷牢に乗り込んだチューヤはカーバンクルの首根っこを押さえつけると、
「洗いざらい、ぶちまけてもらうぜ。真実をな」
「くそ、だけどなんでだ、せめて犯ってから逮捕だろ、まだ犯ってもねえんだぞ、なあおい」
「犯られてからじゃ遅いからな。時代は進んでるんだよ、おっさん」
手形の信用性はただちに検証できるようになったし、強制わいせつや強姦は非親告罪となった。
古い時代の概念で契約を交わすと、とんでもないことになる。
アップデートされた悪魔使いをまえに、前世紀の遺物は敗北を喫したのだ。
まあ30年も座敷牢に閉じ込められていたのだから、最新事情に精通しろというのも酷な話ではある。
そうして時代に負けた悪魔は、すべてを吐き出すしかない──。




