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88 : Day -22 : Shin-itabashi


 チューヤたちは新板橋駅で電車を降り、ダッシュで板橋駅に近いマンションに駆けつけた。これらの駅間距離は300メートルほどだ。


「いやあ、ごめんごめん。こっちもいろいろあってさ」


「私は最短距離をとれって命令したよー」


 言い訳するサアヤに、屋上屋を重ねるチューヤ。

 待ち合わせていたケートは、しばらく黙ってこのアホな夫婦の言い訳を聞いてやることにする。


「とったでしょ、最短! だから新板橋駅で降りたじゃん! ほんとはちゃんとJR経由で板橋駅の西口改札から出たかったんだよ、目的地は目のまえだからね。だけど、このあたりには新板橋、下板橋、板橋って駅が集まっててさ、これがまた、すげーおもしろいんだよ」


「バカっつら! 板橋は地獄とか、いや足立こそ地獄とか、そういうことばっか言ってるとみんなに怒られるよ!」


「言ってねえよ! いや言ったか……その……だからさ、俺はちゃんと都営三田線の新板橋駅で降りたんだよ、なぜなら新板橋は板橋区だからね。だけど、そこから数百メートルの範囲にある東武東上線の下板橋駅は豊島区だし、JRの板橋駅は北区なんだよ。ね、おもしろいでしょ!」


 鉄オタ・トリビアシリーズは、チューヤにとって日々の潤いだ。

 じゅうぶんに「聞いた」と判断したケートは、パチンと指を鳴らして言った。


「しばけ、サアヤ」


「アイアイサー!」


 サアヤのジャンピング・ハリセンを受けて、ようやくハッと我に返るチューヤ。


「いや、すまん。で、どうなってる?」


「ああ、とりあえずプシ子のケータイを逆探知して、基地局データから三角測量した結果、この場所が判明した。最後の映像との照合も済んでいる。99.9%確定だ。ま、確認するまでもないがな……見てのとおりだ。境界に呑み込まれてる」


 チューヤが最後に見た映像でも、どうやらあのビルらしいな、と目測はついた。

 三人は並んで、新しい冒険の舞台を遠目に見つめる。


「けど、めずらしいね。ケートが積極的に協力してくれるなんてさ。当事者のお嬢さえ、なんかいそがしいとかで参加できないって言ってるのに」


「自分のおばあさんのことなのにね!」


 家族が大好きなサアヤにとっては、来世になっても理解しがたい感情かもしれない。

 だが──あんな祖母は、さっさと死んだほうがいい。

 口には出さずとも、誇り高いヒナノが心のどこかでそう思っている可能性はあった。

 するとケートは、意想外に共感した口調で、


「わからなくもない。お嬢にとっては二親等だが、ボクにとってプシ子は一親等ってあたりが、ちがいといえばちがいかな」


 ケートの口調がどこか歯切れがわるいのは、愛憎半ばする近親を助けにきている自身に対する言い訳、照れ隠しのようなところもあるかもしれない。

 もちろん身内は問答無用で助けるべき、という思想のサアヤにはとうてい理解できないし、母親のいないチューヤには推し量りがたいながらも、友人の家族を助けるのは完全な義務だと心得ている。


「ともかく助けよう、この境界の悪魔は……」


 脳内の悪魔全書を呼び出して、しばし考え込むチューヤ。


名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅

プシュケ/女神/D/2世紀/帝政ローマ/黄金のろば/板橋


 プシュケは、アプレイウスのラテン小説「黄金のろば」の中の挿話として登場する人間の娘で、古代ギリシア語で心・魂・蝶を意味する。

 のちに神の酒ネクタールを飲んで、神となる。


「言わんでもいいぞ、チューヤ。女神プシュケとやらに取り憑かれているんだろ、うちのプシ子は」


「いや、わからんけど、たぶん。ま、いっても女神だからさ、邪悪ってことはないと思うけど……」


 見上げるかぎり、邪悪なオーラがほとばしっている。


「気にするな。あいつは邪悪だ。それは息子のボクが保証する」


「いや、えーと、駅近エキチカの好物件だよ、このマンションは、たしかに。だけど、だからって支配駅の悪魔が教会を結んでいるとは、必ずしもかぎらないから……」


「いいから行くよ、チューヤ。どうなってても、ともかく助けよう」


 サアヤに背中をたたかれ、あわてて歩き出すチューヤ。

 先行していたケートらを追い抜いて、さきに立つ。

 悪魔使いは、つねに最前線を維持しなければならない。




 タワーエステート板橋。

 擁壁の表札には、そう書かれていた。

 文字どおりのタワーマンションで、地階から数階分はイベントスペースにもなっている複合施設だ。

 出ることはむずかしいが、はいるのは比較的簡単、という典型的な捕食型境界。

 隔てる幕を乗り越えた瞬間、戦闘開始だ。


「ひゃー、けっこうハイレベルだね」


「トークしてる余裕あるのか、悪魔使い」


「うん、まあ……ちょっとレベル高くて、ナカマになってもらうのは厳しいけど」


 レベル50という大台は超えているものの、言い換えればまだ道半ばを過ぎただけの「半人前」だ。

 レベルは99まで設定されているし、上限解放という延長戦もあるらしい……。


「話し合いで解決するというチューヤのスタイル、私はきらいじゃないよ」


「どうでもいいが、時間がない。……プシ子は一度寝るとなかなか起きないが、ぴったり8時間で目を覚ますという特技をもっている」


 特技なのかどうかわからないが、6~8時間が一般的な睡眠時間とされている。たっぷり眠ることは、美容にもたいせつだ。

 朝まで遊んで夜明けに眠り、夕方目覚めてまた遊ぶ。

 それがプシ子という女の生活スタイルらしい。


「完全夜型人間だね……」


「あいつは、目覚めにプリンを食う習慣がある。おかげでボクは、プリンが大きらいだ」


「ちゃんと買ってきたよー。露西亜乳業のプーチンプリン!」


 露西亜乳業は、看板商品であるプーチンプリンをはじめ、高級チョコレートのゴルバチョコ、星形のジェリービーンズでおなじみスタービーングラード、カレー味のスナック菓子エエカリーナなどのブランドをもつ、なかなか攻めたお菓子メーカーだ。

 一時期たいへん困難な時期に立ち至っていたこともあるが、たとえ政権が倒れてもロシアが倒れることはない。


「キナくさいもん買ってきたな。まあプリンはプリンだ。それであいつも満足だろ」


 今朝、ケートが通話を切ってから、すでに7時間が経過している。

 8時間という睡眠時間を信頼する前提ではあるが、そろそろ目を覚ましてもいいころだ。


「いやあ、間に合うかどうかひやひやしたよね、チューヤ」


「俺が時刻表計算したんだよ、遅れるわけないでしょ」


 チューヤの誇りは、日本の誇り。

 そもそも地球的危機のこの期に及んで、時刻表どおりに運行してくれている鉄道などという存在じたい、日本以外ではありえない。


「で、キミたちはなにしてたんだ? チューヤにしては時間ピッタリだったが」


 まれによくある遅延を考慮して、だいたいすこし早めの電車に乗り、15分前集合を心がけている小市民チューヤ。

 彼をもってしても、ギリギリダッシュで駆けつけた理由とは。


「うん、まあ、すぐわかると思うけど」


「めっちゃ急いで午前中、自衛隊の仕事を片づけたんだよ。で、直行するかと思ったら寄り道するんだよ、うちのチューヤ」


「自衛隊? 寄り道? まあ、キミらにもいろいろあるということかな」


 とくに興味もなさそうに、マンション階段の戦闘を重ねて上階へ。

 午後四時の時報の直前、彼らは最上階の高級コンドミニアムへ到達した。

 このマンションは、多目的ホールなどが併設される複合施設であり、上層階はコンドミニアム化されて長期滞在用の貸別荘のように取り扱われている。

 おそらく短期帰国であるプシ子が滞在するにはわかりやすい場所だ、とケートは言った。


「呼ばれて飛び出てお邪魔します!」


 チューヤの悪魔がドアをぶっ壊すと同時に、戦闘BGM。

 すわボス戦かと思ったが、戦闘は開始されず、中断した局面に流れる不穏系BGM。


「ふわぁー」


 つづけて寝ぼけたような女の声が耳朶をゆする。

 彼女を守ろうとしていたらしい悪魔がふりかえり、膝をついてかしこまった。

 美の女神プシュケにこびへつらう男たちの図。

 ──なるほど、さもあろう。


「お目覚めのようだな、プシ子。……これでいいんだろ」


 サアヤから受け取ったコンビニ袋ごと、ベッドの女にむけてプーチンプリンを投げつけるケート。

 ぽん、とバウンドして枕元に落ちるそれをみて、女はにんまりとほほえんだ。


「おはよーキャサリン。元気そうね」


 プシュケの態度をみて、さきほどまでいた悪魔たちは早々に姿を消した。

 女神の午睡を揺り起こそうとする敵を排除する、という彼らの役目は終わったのだ。




「……さて、説明してもらおうか。おまえが帰国していることと、足立……じゃない、板橋が地獄になっていること」


 ケートの言葉に、一応突っ込んでおくサアヤ。


「足立区に怒られるよ」


 プシュケは肩からずり落ちたスリップの紐もそのまま、コンビニ袋からプリンを取り出した。

 その姿は、たとえ場末のどら焼きを頬張ったとしても、艶麗。

 神々が彼女を女神に推戴することをみずから望むのもかくや、と思われるほど優美。

 世界が彼女のモデル引退を嘆くのも当然であり、楽屋泥棒がたとえ殺されたとしても彼女に会いたいと望む程度には、それは完璧な美貌であった。


「もともとプシ子が日本にいること自体、違和感はあった。おまえの地元だろ、板橋は」


 もっとも、ケートにとっては、ただの義務を果たさない母親だ。

 彼が女に「完全無欠の」「美貌」ではなく、サアヤのような「愛らしい」「特徴」を求める理由の一端でもあるかもしれない。


 ケートがこの場所を探り当てたことには、電波を追跡する以前に、もちろん理由があった。

 辺見不二子という女は、たしかに東京のこの地に生まれ、育った。

 当時、猛烈な地上げによって買収された地元から、あぶく銭を得た親類知人はことごとく地方に引き移っているなか、ひとり不二子は変わりゆく実家の跡を眺め……などという郷愁はいっさいなく、海外に出てスーパーモデルという道を選んだ。

 故郷を一顧だにしないその薄情な女が、いまさら板橋の実家跡に、どんな用事があるというのか。


「この下のさ、地面を掘ったら出てくるんじゃないかと思ったのよねー。あたしのタイムカプセル」


 はむはむとプーチンプリンを食べながら、寝ぼけたことを言う女。

 首を傾げ、説明を待つしかない高校生たち。


「まさかとは思うが、プシ子……」


「いや、いいんだけどね、タイムカプセルなんてどうでも」


「…………」


「それよりさーキャサリン、あたしの口座が凍結されてない?」


 知らんがな、と突っ込みたい気持ちよりさきに、萎えてきた気配のケート。

 プシ子につきあうと必要以上に疲れる、という彼の経験則は正しい。


「どうせ残高不足だろ。いくらなんでも金遣いが荒いって、オヤジ言ってたぞ」


「ケチくさ! あたしがなんのために、世界のヘッジファンド総帥とやらと結婚してやったと思ってんの」


「結婚はしてないだろ。お互い認知・契約して、ボクを産んだだけだ」


「あーね、そうだっけ」


 だから彼女はいまでも辺見不二子だし、ケートの父親は西原豪介である。

 異常な親子の会話がつづいている、とサアヤは思ったが、ふつうの会話をよく知らないチューヤは、それが異常かどうかの判断基準をもたなかった。

 ともかくケートのうちは最初から特殊なのだから、これが彼らにとってのふつうなのだろう、という認識はあっさりと共有できた。

 この適応力の高さが、彼の悪魔使いとしてのポテンシャルを支えてもいる。


「……このプッシーキャットが」


「あ? 汚い言葉使うんじゃないよ、クソガキ」


 ベッドから手を伸ばし、ケートの襟首をつかんで引き寄せるプシュケ。

 見つめ合う顔と顔は事実、おそろしく美しい。彼らはたしかに親子である、とチューヤたち一般ピープルは心から認めた。


「あいかわらず性格破綻してんな」


「おかげで破綻した才能もらったんだろ? インド人が言ってたよ。その()()()()()くれたの、だれだと思ってんの」


 天が与えた最高の「贈り物」、人類を導く光になりうる才能を、ギフテッドと呼ぶ。

 やおら息子を抱き寄せ、その柔らかい頭髪を巨大な胸で抱え込んで、ぐりぐりする母親。

 ある意味、とても美しい母子像のように見えないこともない。


「ママに会ったら礼を言えよ」


「ママはあたしだろ」


「黙れプッシー。マーヤママのおかげで、ボクは数学のすばらしさに気づいたんだ」


 ひとつの会話を長くつづけるのが苦手なのか、マーヤママの話題が苦手なのか、その両方か、ともかく不二子は流れをゆがめるように話題を変えた。


「どうでもいいけどさ、西原のやつと最近会った? なにしてんのかね、あいつ」


「知らんがな。おまえの旦那だろ」


「あんたの父親だろ」


 どこまで破綻しているんだろうこの家庭は、と思いつつチューヤたちは黙して見守ることしかできない。

 ケートは母の巨乳を押し剥がして距離を取り、襟首を整えながら、


「……アメリカで薄汚いカネ、稼いでんじゃねーのか」


「だったら支払いが滞るわけないだろ」


「どうせまた限度額とかの問題だろうよ。いいから旦那に訊け」


「プシュケは()()()()()るのさ、夫の姿を()()()()()()()、とね」


 神話によれば、夫を大蛇ではないかと疑う姉たちにそそのかされて、プシュケは明かりをつけ、寝床の相手を確認する。

 そのとき右足がキューピッドの矢に当たり……。


「おまえさ、テキトーに生きてるクソ人間のくせに、大事なところはヒトのせいにすんのな」


「テキトーに生きてるからヒトのせいにするんだろ。……って、失礼だぞクソガキ!」


 クソクソ言い合っている親子は仲がわるいように見えるが、これはこれで通じ合っている、と見えないこともない。

 ケートの両親は、結婚という形式を踏んでいない。その点、フランス的といってもいいかもしれない。


 西原は西原で、不二子は不二子で、自分の人生を歩んでいる。

 そこに不満も拘泥もない。

 もちろん両親とも、自分が「親である」ことを完全に認めているし、義務を果たす気がないわけではない。

 ただ、その形が息子にとって望ましいレベルに達しているか、という問題だ。


 要するに、親としてどうか、というシンプルな疑問に尽きる。

 ケートは胸ポケットから一枚の紙を取り出し、ゆっくりと母親の眼前に突きつけた……。



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