84 : Day -22 : Oyamadai
戦いは終わったが、まだすべて「終わった」わけではない。
この場ですべて解決することはできなかった、と認めての問題先送りが、田園調布の結論だ。
取り憑いていたシルキーを倒し、意識を失ったヒナノの祖母。
そこへ速やかに、妖精族によって支配されているらしいオクテート建設から特別車両が派遣され、ヒナノの祖母を収容して「療養所」のようなものへ入れてくれるという。
みずから殺意を認め、殺されても文句のないヒナノとしては、彼らの善意に「すべて任せる」というスタンスだ。
未明の名家に集まったスタッフたちは、淡々と仕事を進めていく。
「静かな救急車」というニュアンスで表現される老人の移送は、敷地の広い名門の家屋ではとくに極秘裏に進められることになっているらしい。
オオクニヌシやケルベロスを固定ガーディアンにしている一般ピープルにはわからないが、しばしばガーディアンをつけかえることによって開けるシナリオというものもある。
サアヤはいつものように、頭上にポメラニアンのガーディアンを載せて言った。
「とにかくまあ、リョーちんのガーディアン関係のスタッフさんにお任せして、この場はおさまったってことでいいのかな」
リョージたちのガーディアンは、基本的に分霊だ。
さきほどのように表に出てくることは、戦闘中でもあまりない。
ヒナノは自宅から運び出される祖母のストレッチャーを遠目に眺めつつ、
「執事などに問いただしたところ、どうやら夜半に裏から退去されたらしいですね。諸悪の根源……北大路夫妻は」
「呪いを残して、あとは様子見ってところか。ま、現状は未解決だが勘弁してくれ」
リョージの言葉に、首を振るヒナノ。
「いえ、あなたは最善を尽くしてくださいましたわ。感謝しています」
「いやあ、しょせんオレなんか戦うことしかできないからさ。悪魔と話せるチューヤなら、もっとなんとかしてくれそうな気がするぜ?」
どういう意図で毎度チューヤ推しなのか、という表情で苦虫をかみつぶすヒナノ。
そんな不器用なふたりのやり取りを、しばしかぶりつきの距離から観察していたサアヤのアホ毛が揺れる。
にょ、と彼女はわるい笑みを浮かべ、
「いやあ、お似合いの夫婦ですなあ、リョーちんヒナノン。妖精王に女王さま、という未来の夫婦像も見せつけられたことだし、もう付き合っちゃえばよかろうもん?」
一瞬で表情を変えるヒナノ。
シリアス展開に容赦なくラブコメぶっこんでくる、サアヤの女子力は圧巻だ。
「な、なにを……」
「あはは。お嬢がオレなんか相手にするわけないだろ。あんま困らせるなよ、サアヤ」
磊落に笑って歩き去るリョージ。
さしあたりオクテート建設のほうにもどる、という当初の予定どおりだ。
複雑な表情のヒナノと、訳知り顔のサアヤ。
「幼き日に交わした将来の約束を、完全に忘却しているトンチキ男子の典型ですぞな、ヒナノン」
「……あなた、よけいなことを言いすぎですよ」
女子ワールドも花盛り。
殺伐とした世界に、色恋が花を添える。もっともその色恋じたいが、だいぶドロッとした暗黒の土壌に咲くあだ花ではあるのだが。
夜明けまで、まだすこしある……。
「なるほど、いろいろあったんだね、お互い」
田園調布へ駆けつけてきたばかりのチューヤは言った。
その言動には、ひそかに自分の苦労も混ぜ込んでいるつもりだが、あまり評価されている気はしない。
「過去形で済ますわけにはいきません、まだね」
俺だってそうなんだけど、と言いかけてチューヤは視線を転じた。
──瘴気の漂う地下室の問題は、まだ解決したわけではない。どうやらこちらの問題のほうがやっかいそうだ。
サアヤから基本的な事情は聴いていたが、あらためてヒナノ当人から情報を聞き取る。
ここは南小路家の広い応接間のひとつ。
チューヤが東京共同溝を使って、北の果てから南の果てまでダッシュでもどるというので、すこしだけ起きて待っててやんよ、というサアヤの言葉が終わるか終わらないかのうちに来意が告げられた。
深夜勤務らしい仮面の運転手にごくろうさまですと頭を下げ、はじめてはいる応接室に案内されたところで、何個あるんだよ客間、と無言で突っ込む。
いま、クラシックなカウチに座るヒナノの太ももには、サアヤが頭を載せて爆睡中。
愛玩動物を愛でるように、そのアホ毛をくるくるしているヒナノの表情は、意外に幸せそうだ。
サアヤという小動物は、基本的に周囲に愛と幸せをふりまくようにできている。
だからこそ、みんなが彼女のために動くのだ。
「とりあえずサアヤ、家に帰してやってくれるかな」
「もちろんです。わたくしも勧めたのですが、あなたを待つと」
そのとき、むくりと身体を起こすサアヤ。
「早かったね、チューヤ。北の果てに行くとか言ってたじゃん」
寝ぼけ顔で皮肉を言われ、チューヤはすこしあわてる。
「よ、夜中だしさ、電車なかったから……」
「電車ないと早いんだ? なんで? 電車遅いの?」
「い、いや、早いよ、電車は。もちろん、経済的だし。夜中の移動が必要なときはさ、ほら俺、スフィンクス・キャットと仲良しじゃん。で、東京共同溝が使えて……」
なぜ言い訳しているんだろう、というチューヤの自問自答にかぶせるように、サアヤは寝ぼけたまままくしたてる。
「ああ、赤羽なんとかでフユっち助けるとき、使ったよねーたしか。そうなんだ、境界を使うと東京の端から端まで、けっこうすばやく移動できるんだねー。じゃあ境界経由したら、わざわざ電車とか乗る必要ないんだー。いいこと聞いたなー。あれー? だけどチューヤ、けっこう電車で移動してるよねー」
「……サアヤさん、性格わるいっスね」
寝ぼけたサアヤは、かほど酔っぱらいのように絡むことがある。
彼女は、だん、とクラシックなテーブルの端をたたいて、
「はああ? おかしなことやってんの、チューヤじゃん?」
「電車に乗るのは、けっしておかしなことではないんですが……その点、断固」
「ふーん。まあ今夜のところは、このくらいで許してやろうかな。眠いしねー」
そこまで言って、サアヤはその場で「くかー」と寝息をたてはじめた。
やや唖然とするヒナノと、嘆息するチューヤ。
「俺に皮肉を言うためだけに目を覚ますとは、サアヤ……おそろしい子」
「たしかに……。いえ、彼女には迷惑をかけました。すぐに自宅まで送らせます。──唐沢、安全確実に、お送りしなさい。こんな時間まで付き合わせてしまったこと、南小路の名において、ご家族の方には丁寧に謝罪するのですよ」
「ははっ。それでは失礼して……」
唐沢が丁重にサアヤの身体をお姫様抱っこして持ち去っていく。
ここ数日、彼女はほとんど寝ることができていない。いや、ちょいちょい寝こけてはいたのだが、そろそろこの愛玩動物をベッドできちんと寝かせてあげるべきだ、という良識はだれにもあるらしい。
「……さて、んじゃこっからはおとなの時間だな。あ、いや、変な意味ではなく」
「わかっています。あなたと相談するように、と東郷くんからも言われておりますのでね」
淡々と言うヒナノだが、それほどいやそうにも見えない。もちろん気が進んでいるようにも見えないが。
チューヤにそれなりの役割を期待していい、と彼女は少なくとも認めてはいる。
「そっか。リョージのガーディアンが大活躍だったんだよね。で、いまは?」
「ランキング戦とか、おっしゃっていましたね。勝ち進んでいるようですよ。彼も、とてもいそがしいようです。わが家の醜聞に巻き込み、恐縮ですわ」
眠気覚ましの紅茶をあおるヒナノ。
チューヤは一般ピープルらしく気を使いつつ、
「そこは鍋部、助け合わないと。まあ、みんなそれなりにいそがしいよね。ケートなんか、やることありすぎて気が狂いそうだから手伝えと、たいへんな剣幕だよ」
「……そうですか。では、あなたも」
いそがしいなら立ち去ってくれてけっこうですよ、という突き放した態度のヒナノに、もちろんチューヤのような性癖の男子は尻尾を振るようにできている。
ネコは、すこし冷たいくらいの人間に懐くのだ。
「いやいや、こっちから片づけよう。──まず、その地下の泥棒さん、見せてもらっていいかな。二代目・安藤マルオ、だよね?」
ヒナノは短く嘆息した。その話を聞くために待っていたようなところもあった。
彼女は立ち上がり、勝手知ったる自宅の廊下へと踏み出す。
「やや癇癖の強いところはありましたが、まさか愛する男を監禁など……。安藤氏に含むところがあったのも、うなずけます」
「あいつのことだから、どうせ脅してカネでもふんだくってやろうってつもりだったと思うよ。安心して、始末しといたから。問題はたぶん、全部の図を引いたであろうやつが、まだ健在なことだよね」
ふりかえったヒナノの視線は、予想していたよりもよほど弱々しく、チューヤはドキッとした。
自分の弱さを見せないのが貴族だが、ヒナノはチューヤの目を、それでもまっすぐに見返した。貴顕はけっして、みずから目を逸らしてはならないからだ。
彼らはすでに目的地にいる。
やおら、さきほどからヒナノの指示のもと影のように周囲を動いていた執事が、がこん、と重々しく錠前を開いた。
「……さあ、この下です。足元に気をつけて」
封鎖を指示してあった地下への道を、ヒナノは再び決意とともに引き返す。
つきしたがうチューヤは、よけいなことを言わず黙って歩いた。
話には聞いていたが……そこに座敷牢は、たしかにあった。
暗がりの奥、静かに正座している……男。
彼がどういう理由でここに閉じ込められたのか、知っている。
座敷牢という、ひどく胡乱で、沈鬱な設備。
近いうちにすべて取り払い、地下室ごとなくしてしまってもいいと思っている、とヒナノは言った。
──監禁。それをしていた人間は、もうここにはいない。
いまはもう鍵はかかっていないし、なんなら扉も開かれている。
だが霊体となった彼は、あいかわらず牢の奥に鎮座して動こうとはしない。
周囲は絶妙な濃度で境界化している。このエリアだけは常設の境界らしい。
チューヤは悪魔相関プログラムを立ち上げ、トークという選択肢を開いた。
「二代目・安藤マルオさんですね。俺は……」
「そうか、きみがわたしの息子を殺したのか」
ぎくり、とチューヤの背筋がふるえた。
まずい、話にならない、という展開を当然に予想した。
だが二代目は、とくに興奮するようすもなく、淡々と言を継いだ。
「アンドロマリウスか。あれほど強靭な邪神に取り憑かれてしまっては、なかなか人間らしい心を保つのはむずかしかろう。祖父の呪いを受けた、といってもいいかもしれない。わたしが逃げ出したものだ」
「……芸人さん、だったんですよね? えっと、安藤ルパンさん?」
チューヤもいろいろなところから情報を仕入れている。
彼の息子とは殺し合うくらいの関係だったし、泥棒となれば小伝馬町の管轄だ。
──二代目・安藤マルオは、昭和中期、安藤ルパン13マン、略してアンマン、という名で芸人をやっていた。
手先が器用で、マジシャンであり、人形師、腹話術師でもあった。
あるときヒナノの祖母、潤子と出会い、恋に落ちた。
尋常ならざる格差のロミオとジュリエットだったが、このジュリエットがたいへんな地雷だった……。
どう考えても被害者は令嬢のほうになりそうなところ、おどろくべき逆転劇をなさしめたあたり、さすがヒナノのお祖母さん、と感心するようなところがないこともない。
そんなことを言ったら、痛烈な皮肉として受け取られ、手厳しい反噬を加えられるだろうが。
「とんでもないものを盗むと、小伝馬町では評判だっただろうね?」
「あ、いや、その」
「そのとおりだよ。……こんばんは、お嬢さん」
言いながら彼は、ヒナノのほうに腕を差し出した。
誘われるように一歩を踏み出した目のまえに、にゅるん、と伸びてくる腕。
さきほど「首」で同じことをされていたので、ヒナノはかろうじて悲鳴をおさえこんだ。
「いまは、これが精いっぱい」
ポン、と弾けた指先に赤い指輪。
ハッとして自分の胸元を探ると、祖母の「形見」として長年かけていた指輪がない。
「おい」
苦情を申し立てようとするチューヤを制したのはヒナノ。
「いいのです。あの指輪は、もともと彼のものですから」
「いいや、これはもちろん南小路家のものだよ。本物の高級品だ。……こんなものを盗んでしまったおかげで、わたしは呪われたのだ。さあ、返そう。きみのカーバンクルを」
かーばーん、とカワイイ茶色のマスコットが登場する。
するとそのレベル3の妖魔カーバンクルは、ヒナノと二代目をしばし見比べてから、二代目のほうにもどって、ちょこんとその頭に乗ったではないか。
……彼は泥棒かもしれないが、それほど悪人ではないのかもしれない。
悪魔と仲良くなれるから悪人ではない、というチューヤの判断はおそろしくまちがっている可能性があるが、彼自身、そう考えてしまった事実をどうしようもなかった。
だがこれは、いい兆候だ。
冷静に話し合い、お互いの条件に折り合いをつけて、この家から退去してもらう、という選択肢はあっていい。
「お願いがあります。じつは」
この家と、ヒナノの祖母にまつわる「因縁」の解除。
なるべく丁寧に、手短に事情を説明し、理解を求める悪魔使い。
いつも悪魔使いという職業を最底辺に位置付けているヒナノをもってしても、この交渉力は使える、と認めざるを得ない。
もちろん結果が伴えば、の話だが。
しばらく黙って聞いていた二代目は、最後にひとつうなずいて言った。
「……そうか、要するに呪いを解いてほしいんだね、きみたちは」
「ええ、そうですね。もちろん敵の本丸はべつにいることもわかってますが、あなたによって呪われている部分については、お願いします」
すると二代目は、満面の笑みを浮かべた。
チューヤはそれだけですべての問題が解決した気になって、しあわせになった。
笑顔で接近してくる幽霊は友好的なのだから、こちらも笑顔で仲良くしないといけない。
その信念で生きてきた彼は、あらためて学習した。
「巨大な呪いが解かれれば、いろいろな方面で荷が軽くなろう。都合がいいことだらけだろうな。……だが断る」
彼も笑顔の意味をはき違えている、ガイキチの幽霊なんだ、と。
理解してチューヤは、深く嘆息した。




