51 : Day -24 : Shakujii-Kōen
「遅いですよ、あなた方」
15時45分。
両手いっぱいの食材をもって登校する、向学心に満ち溢れた高校生二名を待ち受けていたのは、高級車とヒナノと弁護士だった。
「あれー? ヒナノン、こんなところでどうしたの? きょうは鍋の時間でしょ?」
「時間までには着くって、チャット入れといたけど」
時間ギリギリまで「宿題」に追われていたチューヤは、昼寝しすぎて寝ぼけるサアヤを久我山で拾い、そのまま石神井公園へ向かった。
その目的地である校門前で待っていたのはヒナノ、というのはことさら不自然というわけでもないが。
「あなたから説明しなさい、榎戸」
ヒナノは短く言って、車内に身をもどした。
3デブトリオに入れてあげてもさしつかえない体格の榎戸は、この陽気に汗をかきかき、チューヤたちを座席に招き入れる。
「いや恐縮です、どうもどうも。おぼえておいでですかな、弁護士の榎戸です」
チューヤにとっては、殺人容疑で警視庁に逮捕されて以来、ところどころで世話になっている弁護士だ。もちろん忘れるわけにはいかない重要人物である。
おそらくは『エノク書』由来、ガーディアンは最終盤の最強大天使──メタトロンだ。
「寝ぼけたチューヤが意味わかってないみたいだから、説明してあげてくれるかな?」
「寝ぼけて何度も反対方向に歩き出したの、サアヤさんですよね!?」
やれやれ、という顔のサアヤに、一応突っ込んでおくチューヤ。
クルマは笹目通りから環八に合流し、しばらく進んでから早稲田通りへ。
榎戸は恐縮しつつ、
「目的地はすぐそこなので、みなさんにまとめて説明したほうが早いと思うのですが、さしあたり申し上げておくと……いも……弟が行方不明になりましてな」
このひとたちは、よく行方不明になる親族をもっているな。
チューヤは短く嘆息しながら、さきをうながした。
「で、そのイモ弟さんは、家出という線はないのかな? 仮に誘拐だとしても、ミカエルさんがついてるんじゃないの?」
「ミツヤスくんだね! 激・歌ウマのツルピカ少年、元気かなー」
チューヤたちの誤解を察して、榎戸はさらに汗をかいた。
「いえ、行方不明はヒナノお嬢さまとは関係なく、不肖わたし榎戸の弟でして」
「へー? 榎戸さんて、弟さんいたんだねー」
「そりゃいるでしょ、兄弟くらい。……で、それと、鍋部との関係がいまいちつかめないんですが?」
「杉並区の一角には、どうやらLGBTの世界があるらしいのですよ」
やや不快げに、ヒナノは短く言った。
居心地のわるそうな榎戸と、鍋部の実態について思いを致すチューヤ。
「ケートとマフユ案件ってことかな?」
「無関係ではないでしょうが、今回は純粋に榎戸案件──ですね?」
ヒナノの問いに、榎戸は額の汗を拭いてうなずいた。
「そう申し上げてよいでしょう。恥ずかしながら……いや、そろそろ着くようですな。はい、杉並区高円寺、こちら目的地でございます」
静かに停車する高級車。
運転手が変な仮面をかぶっていることには、もはやだれも突っ込まないレベルに達している歴戦のプレイヤーたちは、いま新たな戦場へと降り立った。
二階の窓の看板には、「高円寺マティ」。
よくある商店街の立て付け、2~3階建ての店舗兼住居が並んでいる、ブロック舗装のストリートの一角に、その店はあった。
一応アーケードの体裁で、昼間はクルマでははいれない。
曜日や時間帯によってはシャッター街の気配もあるが、夕方だけにそれなりに混雑している。
一階は食堂らしい。しゃれた横文字の店名で、チューヤにはよく意味がわからなかった。
目的地は二階、食堂の横にある小さな階段から上がったさきだ。
「いらっしゃーい」
がらん、と戸を開けたときに鳴る重いベルに合わせて、酒焼けした男らしい声が響く。
目線を持ち上げるまでもない。
そこには濃厚な化粧をした、典型的ゲイバーのマダム。
「どうも、榎戸です」
「あーら、お兄さん。弥生なら奥よ」
奥といっても、それほどの広さはない。
入り口からみれば、突き当りを右へ曲がったさきのカウンター席。
その奥まった一角のスツールの座布団に、彼(?)は置かれていた。
「あのー、いろいろ突っ込みたいことは満載なんですが、まずはその……」
「紹介しよう。弟の……」
「妹よ。なにしにきたの、シンエモン」
置物だと思われた丸いものがしゃべったので、チューヤたちは度肝を抜かれた。
それはしゃべったあと、顔を傾けて口の近くにあるストローをくわえ、なんらかの液体を吸った。──どうやら生物らしい。
「ご挨拶だな、ノリヤ。行方不明になったおまえを探すのを、手伝いにきてやったというのに」
「ふん、行方不明ね……」
どうやら、いろいろと説明してもらうことが多そうだった。
写真にうつる「彼」には見た目、奇妙なアンバランスさがあった。
すらりと長い手足はモデルを思わせるが、体幹は太めで、座っていると安定感がある。
ダンゴっ鼻で瞼は厚ぼったい。髪の毛は繊細なストレート、短く切りそろえた鋭い切っ先には、バブルの面影がある。
年齢不詳で30歳にも50歳にも見える。女性としては愛嬌があるし、男性としては度胸のある(?)雰囲気だ。
並んで写っている人々の体格と比して、190センチを超える長身。
あまり目立ちたくないらしく、いつも低めの椅子に座っている、という。
店のママが写真を見せながら説明してくれたところによると、その長身の「ノリヤ」氏と、目のまえの「弥生」氏は同一人物らしい。
彼には現在、その特徴を示す長い手足がついていない、というだけで。
「ええと、つまり、先天的なものではないと」
くの字に曲がったカウンター席に並んで、奥の弥生を困ったように見ながら言うチューヤ。
ヒナノも、話には聞いていたようだが、じっさい目にするのははじめてらしい。
「どうやら、ほんとうに大変なことになっているようですね」
「これはしたり。わたしがウソをついたことがありましたか、お嬢さま」
「ちょっとした誇張かと思いましたが、たしかに……みごとに行方不明ですね、手足が」
一同、あらためて「榎戸のイモ弟」を注視する。
彼の誕生時の姓名は榎戸紀也だが、性別に違和感をおぼえて数十年を生きた末、現在は弥生という通名を名乗っている。
もちろん彼女は、自分の性別を女だと認識し、愛する男をもっている。
──しばらく黙って弥生を眺めていたサアヤは、がまんしきれなくなったらしく、すたすたと近くに寄って問うた。
「見ていいですか?」
物おじしない子だな、と一同思ったが、サアヤがやるとまったく嫌みがない。
軽く肩をすくめた(一応、肩はある)弥生の同意により、垂れさがった袖をまくってみるサアヤ。
断面は──皮膚、関節、筋肉、神経、血管とも、脈動している!
「ひゃああ」
悲鳴をあげて腰を抜かすサアヤ。
放送の段階ではモザイクを入れざるを得ないほど、生々しい「断面」。
ふつう、この手の四肢断裂は再形成術がほどこされ、つるりとした皮膚のつづきのようになっているものだが、弥生の場合はさにあらず。
断面がきっちりそのまま、生きて動いている。
現実ではありえないが、境界のロジックならば……。
本来なら血液があふれ、激痛にのたうちまわっているところ、当人は平然としている。
現に脈動している血管のさきへ、おそらく空間を隔てて血液が流れ込み、もどってきているのだ。
「……どういうことなのですか、榎戸」
さすがのヒナノも、スプラッタには弱いらしい。
青ざめた表情で問い詰めると、榎戸は短く嘆息して首を振る。
「文字どおり、行方不明なのですよ。それは単に切り離された手足などではなく、現在も彼につながって、生きているのです。……探し出してやってはくれませんかね」
「そりゃ、そうしてあげないとね! うわー、かわいいサンダル。履きたいよね!」
さきほどの記憶を振り払うように、サアヤが足元の小物に注目する。
弥生の座るスツールの足元には、きれいなピンクのサンダルが並んで置かれていた。
手足のない教授の足元に、ぴたりと並べられた一対の履物。ひどくシュールだ。
榎戸はやや厳しい表情で、みずからの血縁者を見つめ、
「大学をクビになるまえに、とりもどしたいだろう、ノリヤ」
「あんたの世話になるつもりはないよ、シンエモン。あたしの桔梗屋が、さきに探しだしてくれるさ」
もちろん弥生は弥生で、自分の手足のために動いている(当人は動けないが)。
それでも結果が出せないから、兄の榎戸が頼られたというわけではないのだろうか。
「まったく、強情なやつだ。むかしからおまえは……」
「そういえば大学教授でしたね、榎戸……弥生さんは」
ヒナノは榎戸から弥生に視線を転じた。
写真によれば、対照的な兄弟だ。
横に膨れ上がった榎戸に対して、弥生は非常識なほどの高身長で、手足が長い。
その美しい手足が奪われた──。
そのとき、階下からざわめきが伝わってきて、チューヤたちはふりかえった。
聞いたことのある声が多数。
「おい、まだ食うなよマフユ」
「うっせえ、なんで下で食わねえんだよ」
「だからその蛇に持たせるなと言ったろ、リョージ。──よう、楽しい金曜パーティのはじまりだぜ」
リョージ、マフユ、ケートが、鍋のセットを両手に抱えて、階段を上がってきた。
そのあとからは、お店のエプロンをつけた体育会系の巨体のおっさんもつづいている。
「やっほー、下郎ちゃん。わるいわね、助かるわ」
マティのママが、その巨漢に言った。
チューヤも見覚えのある人物だったが、すぐに理由を理解した。
「いやいや、おれっちにとっても知り合いっスから。……まあ楽しんでくれや、ランカーくん。食材足りなくなったら、いつでも言ってくれよ」
と、大量の荷物を食材を運びながら言う。
黒い山高帽と燕尾服というキャラづけで、邪教、無道とともに悪役トリオを組むプロレスラー、下郎。
名前のとおりヒールであるが、とてもいいひとで、どうやら料理店のコックでもあるようだった。
「サンキューっす、下郎さん。……よーし、鍋はじめようぜ」
どうやらリョージはいままで、階下の食堂を借りて下ごしらえをしていたらしい。
なぜかマフユとケートも、それに付き合っていたようだ。
そうして準備を整え、いま二階のゲイバー・マティの簡易キッチンへ。
もちろん飲み屋なので、食堂のような専用の調理道具はないが、鍋を温める程度の設備はある。
自分の知らないところで、いろいろと関係が結ばれ、話も進んでいるらしいなと察するチューヤ。
聞かなければならないこと、知らなければならないことが多そうだ。
「下の料理屋、あれ、なんて名前でしたっけ?」
「フドートク、でしょ」
「不道徳……英語でしたよね、たしか」
Who do to cook
だれが料理をするのですか、という意味らしい。
読み方はフドートク。たいへん「おもしろい店」だぞ、とリョージが太鼓判を押した。どういう意味かは、まだよくわからない。
下の店では、ときどきフードゥー教の儀式、というイベントが催されるという。
「杉並にも、けっこうおもしろい店があるんだね」
「新宿にはかなわないけどね」
新宿のヤバさは世界にとどろいているので、それはしかたない。
つぎつぎと並ぶ闇鍋ならぬ不道徳鍋は、だいぶ怪しげな香りを醸し出している。
「ちょっと、なんですかその枯れたハッパみたいなものは!」
「ぎく、ハッパ……いや、ちがうって、これは香草だから」
「ぎくって聞こえたよ、ぎくって!」
どうやら、これまでにない危険な鍋になりそうだった。
もちろんリョージが責任をもって差配している以上、死ぬようなことはあるまいが。
「ダークネス・シチューですか……」
ヒナノにとって闇鍋はトラウマだ。
「いやいやいや、ちゃんと食えるから。ねえ、下郎さん」
大きな男がふたりいるだけで、狭いキッチンはいっぱいだ。
「リョージくんは中華が得意みたいだから、今回はイタリアンにしてみたよ。ミネストローネ風トマト鍋だ」
「トマト鍋いいね!」
ノリのいいサアヤは早くもノリノリだ。
鍋部の面々は、はじめてくるゲイバーを、早くもホームグラウンドに変えていた。
「どーでもいーけどよ、あたしゃ腹減ってんだ。こんなん一人前だろ」
「それは言いすぎだが、ここにいるみんなにおすそ分けとなると、少ないかもな」
「というわけで、鍋追加だ」
大量の食材を捌くため、店に常備する深底の大鍋が追加されて調理は進む。
和気あいあい、鍋は準備それ自体がエンターテインメントである。
往復してきた下郎は、さらに大量の食材を追加してくれた。
それから「店がいそがしいから」と言って、階下にもどって行った。
その一瞬、見せた視線にチューヤのナノマシンが反応する。
そして最初に感じた違和感は、既視感にすぎないと答えが出た。
下郎は、チューヤも大ファンであるプロレスラーのひとりだ。それでリョージとの関係も納得できる。
プロレスラーでヒールをやっているひとほど、ふつうの生活では心優しい。
そんなイメージも先行していた。現に彼は、リング以外ではボランティア活動や寄付をするなど、とても善人らしい──。
そういう先入観も感情もないナノマシンが、なにかを告げている。
いま、その正体を見極めることは、残念ながらできなかった。
フドートクの雇われコック・下郎は、とうに姿を消している。
「で、リョージは、なんでここにいるのよ」
「ああ、じつはこの近所に総合格闘技の道場あってさ、格闘家の卵たちが集まってるわけ。で、オレは会員じゃないんだけど、そこでランキング戦に入れてもらったりしててさ」
下郎の言う「ランカー」という言葉の意味が把握された。
「リョージもいろいろやってんね! そっか。そういう道場があるんじゃ、食べ物も大事だよな」
その手の食べ物屋が、いかにして不道徳なゲイバーと近しくなっていったかは、このさいさしたる問題ではない。
ともかく金曜の鍋は、場所を変えて予定どおり、開催の運びとなったのだった。




