48 : Day -24 : Gakugei-daigaku
通勤通学時間帯。
駒沢大学駅、都立大学駅、学芸大学駅から、柿の木坂方面にむかう多くの道路が「封鎖」されつつあった。
一晩連絡がとれない、道を進めない、境界化ってなんだ? いいから家族を助けてくれ。
そんな訴えが多数寄せられれば、警察も動かざるを得ないということだろう。
そもそも死体などの「ゲンブツ」が出なければ、基本動けない強行犯係や組対とちがって、公安や警備は予防的な対応が張れる。機動隊は文字どおり、機動的に動けなければならない。
いよいよ警視庁、いや警察庁も本気を出してきたようだった。
「きみたち、このさきには行けないよ……あれ?」
目のまえで、行けないはずの方向にむかって歩いていたチューヤたちの姿がかき消えたのを見て、制服警官は何度も目をこすった。
無限ループの外側では、平行する世界線で毎度このような対応がくりかえされ、多くの行方不明を出した柿の木坂「事案」として、淡々と時間は進む。
一方、ループの内側にはいってしまえば、魔王が存在するかぎり、正午の鐘とともに時間は回帰する。
この不条理なねじれを、もとにもどさなければならない。
チューヤは決意とともに、ゆがんだ道を進む。
「だけどチューヤも、悪魔使いらしくなってきたよね」
隣のサアヤから皮肉な物言い。
彼女が見つめるのは、チューヤが背負う大きめの巾着袋。
半時間まえまで、過酷な交渉はつづいていた。
ジンの手前、知り合いだからといってヌルい価格交渉などみせるわけにはいかない。
「校長がどちらの方角をむいて礼拝していたか、おぼえているか?」
イスハークに問われて、記憶を呼び覚ますチューヤ。
たしか東のほうに位置する校長室の窓は、東に向かって開けていた。その窓から拝んでいたのは、やや左むきだった……方角でいえば東北東だろうか。
視線でその意味を把握したイスハークはうなずき、
「なるほど、そうか。ところでメッカは、その方向にあると思うかね?」
脳内に地図を展開するチューヤ。
サウジアラビアがどこにあるのか、世界の地理にくわしくはなくても、だいたい中東という地域がどのへんかくらいは知っている。
イスラームの聖地・メッカは、東京から西北西67度、1万キロの彼方にある。
まちがっても東のほうにはない。
「あの邪悪な大魔王が祈ったのは、もちろんメッカでもカーバ神殿でもない」
「その方向には、なにが……」
くくく……とイスハークは含み嗤った。
彼のこの笑みは、非常に不快な響きを伴っていたが、彼らしいといえば彼らしい。
「もちろん、大魔王が崇拝するのは……女だよ。魔王ならずとも、わたしももっぱら崇拝しているがね」
「あんたが崇拝するのは風俗嬢だろ」
「ひどい言われようだが、言いえて妙だ。あの校長が、どうしてもこのじゅうたんをプレゼントしたいと思っている熟女が、その方角に住んでいる」
「……はあ?」
「恋する男は盲目といっていいのかな。これほどのじゅうたんを贈られれば、かの熟女も一晩や二晩は身を任せるかもしれないね」
「ちょっと! いかがわしい話はやめてもらっていいかな?」
憤然として地団太を踏むサアヤ。
「これは失礼。けがれを知らぬ女子校生には、にわかに同意しかねる雑音だったかね? しかしこれが現実なのだよ、高校生諸君。世界は現に、このような欲望によって回転しているのだ」
「ガリレオ級に画期的なこと言ってやった、みたいな顔やめてもらっていいかな。……まあ井部校長が、どういう動機でこのじゅうたんを入手したがっているかは、俺たちにはあんまり関係ないですよ。問題は仕事をするか、しないかだけだ」
鼻白んだように、イスハークは目のまえの高校生を眺めた。
知人だから、容赦してもらえるなどと甘くみていたつもりはない。
あえて偽悪的に表現したようなところもあるが、たしかにイスハークの事情も、公益に資するわけではまったくない。
が、イスハークが必ずしも「善」ではなかったとしても、相手が輪をかけて「悪」であれば、どちらにつくことが「正しい」かは、自明の理なのではないか。
そんな思惑は、邪神のかんぐりにすぎなかった。
イスハークは静かに、値段を釣り上げた。
死屍累々の校庭を踏み越え、チューヤは校長室へ向かった。
死体と物資を喰い散らかされた貧しい空間となって、あるべき世界線へ返されるまで、あと2時間。
太陽が昇った世界では、悪魔も活動しづらいのだろう、戦況はもっぱら残敵掃討モードに移行しており、凄惨な殺戮という雰囲気はない。
夜を徹して遊びつくした朝は毎度、こんな感じなのかもしれない。
校長室。目前にやや疲れた表情の井部校長。
彼は重厚な椅子をゆっくりとまわしながら、横顔で語った。
「遅かったじゃないか。貴重なじゅうたんを持ち逃げしたのかと思ったぞ」
するとチューヤは、やや嘲弄するような口調で、
「現金じゃなくて、じゅうたんなんだな。取引成功は織り込み済みか?」
「当然だ。何度もやり直したからな」
校長は静かにチューヤを見つめる。
彼の背負っているリュックのサイズからいって、現物はまちがいなくそこにあるはずだ、と認識する。
「なるほど? まず、確認しておかなければならないことがある。……あんたは外部と通信できた。それはタイムループという概念と対立する。そもそも解除条項があった、ということか?」
「きさまに説明する必要はない」
取り付く島もなかった。
チューヤはジンにもらった裏書を提示しながら、
「これは用賀で取引相手のジンさんからもらった。解除コードになると言ったが、縫い返す先の設定は、用賀ではないな?」
「なにを言いたいのか、わからないな。取引は成功したんだろう? まずは品物をわたしてもらおう」
立ち上がろうとする校長を制して、チューヤは言を継ぐ。
「祐天寺……油面をまわってきた。どういう意味か、わかるよな?」
「むかしアブラをえらいお坊さんに、乞うて納めた哀れな男が、しびれるような香りいっぱいの、琥珀色した飲み物を教えてあげました♪」
BGM代わりに歌うサアヤ。
用賀から駒澤大学なら5分だが、二子玉川から自由が丘を経由して祐天寺をまわってきたとなると、それなりに時間がかかる。
油面。目黒区の旧地名であり、もともと菜種油の生産地だったことから名づけられた。
油を寺に納めて租税を免じられていたことから、油免、転じて油面になった。
最寄り駅は祐天寺だ。
「アラブ系にとって、油は重要だからな。それがどうした?」
「やがて心ウキウキ、とっても不思議このムード、たちまち男は後家の熟女に恋をした♪」
ルンバのリズムを歌うサアヤのBGMは、いよいよノッてきた。
チューヤは鋭い視線で、校長を凝視する。
「油面のマダムが、くそジジイにストーカーされて困ってるとさ」
「……知らんな。よしんば知っていたとして、なんの関係がある? おまえは仕事をすればいいのだ」
チューヤは嘆息し、首を振る。
「やられたよ。本来は用賀じゃなく、祐天寺に行くべきだったんだ。さすが大魔王さん、俺たちより見ている場所が一歩、遠かった。──ジンさんとも打ち合わせどおり、ってわけだな」
売買価格は多少、流動的だったかもしれないが、校長が落札することは決まっていた。
それを阻止するために動いたのがイスハークだったが、彼をもってしても見ている場所が近すぎた。
考えてみれば、それはそうだ。
彼らはファーストトライなのに、井部校長は何度もやり直した末の解答であり、言ってみればカンニングに近い。
「……いいからわたせ! それとも、力ずくで奪ってほしいか?」
いよいよ立ち上がり、怒声を張る校長。
まだ本性を現したというほどではないが、魔王らしい黒い影が全身を覆いつつある。
チューヤはやや腰を落とし、あくまでも話し合いの体だ。
「俺は悪魔使いだ。契約は守る。だが、そこに虚偽や欺瞞が混じっていれば、別だ」
「いいだろう。それが契約破棄に値する事由ならな。挙証してみろ」
契約解除には、相当の理由がなければならない。
言い換えれば、相応の理由(債務不履行、契約不適合責任など)があれば、「法定解除」という問答無用の救済が可能だ。
校長に余裕があるのは、そこまでの事由はない、という確信のためだろう。
かちかちに固められた「契約」は、チューヤを守ることもあるが、悪魔もそれによって守られるからこそ、両者ともにしたがわざるをえない。
たらり、とチューヤの額から脂汗。
ここからはヒリつく「交渉」になる。
「このじゅうたんの用途を縛りたい。入手経路に疑義がある。善意の第三者を経由して権利を主張するつもりなんだろうが、このじゅうたんの本来の持ち主は、祐天寺のマダムだよな?」
校長は、深いため息を漏らした。どんな大戦略を立てているかと思えば、これは「交渉」の名に値しない。
ろくに法律を知らない半可通が、なんとなくテレビで見た法律用語を使って、法的に勝ち目のないイチャモンをつけているに等しい。
校長はそう判断し、会話を打ち切ることにした。
「その話に意味も価値もないことは、おまえも理解しているだろう。夢から覚めて、現実に目を向けろ。──もとの時間にもどりたいのだろう? そのために、わたしを倒したいのか? りっぱな〝冒険者〟らしいな。とある価値観の箱庭で、シナリオライターの決めつけた正義に乗るか、反るか」
「反るなんて選択肢は、そもそもない。ゲームが進まないからな」
チューヤ自身、認めざるを得ない。
吹っ掛けた議論の無茶ぶりは知っている。
お金を受け取り、それを支払い、商品を受け取った。
ある意味、ロンダリングに手を貸したチューヤの選択肢は、商品をわたさないこと。ただしその時点で、正義は彼にない。
「そうだ。しかしこの永劫回帰のゲームは進むぞ。きみの選択によってな。……わたしはただ、われわれの文化を取り返したいだけだ。偉大なイランの文化を」
「その文化を美熟女に貢ぐのが目的らしいけど!?」
「……不愉快な情報網をもっているようだな」
「否定しないんですね! さすがは悪魔、盗んだものを与えて富豪づらって、まさに」
「まさに歴史上の将軍、侵略者、政治家ども、そのままだろう? 人間よ、そろそろ目を覚ませ。悪魔とは、おまえらのことだ」
チューヤの心に、黒い墨汁のような毒が注がれた。
事実、彼には悖りがある。
息が苦しい。喉が枯れる。悪魔使いのすべきこと、人間としてすべきこと、自己責任の自家撞着が心をゆがめていく。
「くそ、ちがう、俺は、この契約を」
「わたしの血で、タイムループの解除に同意する。……そのじゅうたんを、わたしによこせばいい」
ぞわぞわと、いやな毛虫が背中を這いあがってくるような感覚。
なんだ、これは……。
どちらを選んでも、それなりの正義と、それなりの違和感が残る。
勧善懲悪の物語は、そもそも倒すべき絶対悪がいて、正義の味方が苦労しながらもそいつらをブッ倒してくれることで得られる、最高のカタルシスが心の健康にうれしい。
だが、どっちを選んでも中途半端──こんなRPG、まっぴらだ。
そして、これが現実でもある。
「泥棒に加担して、さしあたり安全な道を選ぶか、小さな針の穴に──ラクダを通すか」
前提条件が苦しすぎる。これは戦わない道も、アリなのではないか?
チューヤは高速で思量した。かつて無数の選択肢に臨み、それなりにその場のニュートラルを維持してきたつもりだが、今回がいちばんキツい。
数秒後、チューヤは結論した。彼にとって不満足な判断を、血を吐くように。
「……しかたない、約束だからな」
にやり、と笑う校長。
もちろん、そういう契約でこうなった。悪魔は契約を守る。悪魔使いも同様だ。
そのときチューヤの懐で、プルルッとケータイが鳴った。
いぶかしげな校長。このエリアでケータイだと……?
「恥ずかしい着信音やめなよ、チューヤ」
「うるさい。これは上越・北陸新幹線だから、ケートだね! ……はい、もしもし?」
軽く手刀を切って通話を開くチューヤ。
彼の霊界電話がつながる相手はケートとサアヤしかいないので、もちろん着信音で判断する必要はさらさらない。
社会人として目上の人物のまえでケータイに出るなど、非常識にもほどがあるわけだが、チューヤにとって重要なのはもちろん大魔王ではなく友人だ。
「おつかれ。うん、そう。え、マジで!? おまえさ、それ……おっけー牧場!」
さすがの校長も、だん、と激しく机をたたいて、無礼な高校生を非難する。
「いいかげんにしろ! さっさとじゅうたんをわたして、契約を終わらせるぞ。その履行をもって、境界を解く……」
「あー、それなんだがね。契約を解除したい。もちろん引き受けた代金は返還する。俺の友人の口座からね」
井部校長の表情が、目に見えて変わった。
こんなどんでん返し、まだ経験したことがない。
「……なにを言っている、きさま」
「債務不履行による強制契約解除条項を確認。売買代金の倍返しによる約定解除、執行を受忍する」
悪魔使いの描く魔術回路が、新たな契約を中空に描いた。
ぞわぞわっ、と校長のうえに悪魔の影が盛り上がる。
バカな、こんなガキに、4千万もの支払い能力が……。
「うちのバックには、大金持ちがいるからねえ」
無感動につぶやくサアヤ。
「支払いのほう頼むぜ、ケート」
パチンと指を鳴らすチューヤ。
「受け取る当人は存在しないんだろ。いいぜ、遺族にくれてやる」
霊界電話を通じて、ケートのサインが裏書きされる。
新たな契約の成立。
これで、チューヤが取引交渉して手に入れたじゅうたんは、その代金の倍額返却をもって委任契約を解除され、晴れて合法的に彼(を代理人とする支払者)のものとなった!
「さて、話は終わりだ。そろそろこの閉じた空間を解除しよう。あんたの血が必要だ。心配いらない。あんたに進んでやってもらう必要はないよ。こっちでできるからね」
急速に盛り上がる悪魔のプレッシャー。
状況がどう変化したか、相手もそれを理解している。
「……それが答えか。愚かな人間よ。では、やむをえない。偉大なる文明を築いた側ではなく、それらを滅ぼした側の汚名を背負って、永劫の罪とともに死ね」
鳴り響くボス戦BGM。
踏み出した選択肢に、取り返しはつかない。
あとは戦って、勝ち取るだけだ。




