38 : Day -25 : Komazawa-daigaku
「たいへんなことをしてくれたですね、チューヤ部長」
柿の木坂高校の校門のまえで、待ち受けていたブブ子が言った。
彼女は腕組みをし、むずかしい表情で、チューヤたちのアホづらを睥睨する。
「は? いったいなんのこと?」
まったく理解できない、という表情で反問するが、じつはチューヤにも一定の違和感はすでにあった。
駒沢大学駅を出てからこっち、まだらに結ばれた境界の空気は、たとえるなら──そう、東京23区から出ようとしたときに包まれる、あのいやな「もや」に近い。
それはチューヤたちを呑み込もうとして、しかし途中であきらめ、霧散するような気配だったので、あえて追及するまでもなかったが。
「ここから出たらたいへんなことになる、と忠告したですよ」
「出られるもんなら出ろと言ったわ!」
「それは出るなというフリに決まってるです。それでもお笑い芸人ですか」
「ちがいますけど!?」
暗黒に包まれた夕闇の時間軸、強い街灯が照らし出すさき、柿の木坂高校はいよいよ力強く脈動するように浮かび上がって見える。
文化祭準備という名目で、泊まり込む生徒が多いらしいと聞いた。
ブブ子はちらりと腕時計に目を落としながら、
「ともかく、出てしまったものはしょうがないです。残りは18時間足らずというところでしょう。──柿の木坂高校にかけられた呪いを、解くですよ」
「あのさ、いったい……」
「よほどの脳タリンでもなければ、この高校が永劫回帰の呪詛にかけられていることは、とっくに察していることと思うです」
まったくというほどではないが、さほど察してもいなかったチューヤは、ここはひとつ知ったかぶりをしておこうと決めた。
「もちろん、そうだろうね。これは閉じられた空間に特有の現象だと、とっくに気づいていたよ」
「ふん、いい夢みてるですよ。なかなかしゃれたこと考える魔王どももいたものです。アイデアは認めるですが、こちとらに上納金を納めねえってのは気に食わんですよ」
校門から、校舎に向かって歩きだす三人。
校庭を照らすメタルハライドランプは煌々と、あらゆるスポーツも可能な照度で、活気づく生徒たちの動きに影を引いている。
──彼らは、この学校から出られないのか?
いや……。
「かなり広域を取り込んでいるよね。駅ふたつからの道のりを歩いてみてわかったけど、柿の木坂高校を中心に、たぶん駒沢公園より広い範囲を」
「公園どころじゃねーですよ。これから深夜にかけて、魔王どものトライアングルは強力に住人どもを捕食するです。問題は、それが永遠であることですよ」
一瞬、わからなくなった。ブブ子がなにを言いたいのか。
広域、永遠、そして永劫回帰。
──いよいよ、認めなければならない。
「タイムループか」
ブブ子は、なにをいまさら、という表情でチューヤを顧みた。
「木曜の正午から金曜にかけて、文化祭準備期間として割り当てられた一日を、こいつらは永遠にくりかえすです。この呪いの三角を築いた魔王どもは、無限に食いつづけるつもりですよ。なんて養殖場だ!」
「永劫に、くりかえす。それでか」
信じられない話だけど。もう何度目かわからない。これはわるい夢だから。
石野やナナが、口ごもり、言いよどんでいた事象の真相は、どうやらこのあたりにあるらしい。
「その間、境界の支配者たちは獲物たちの魂をすすり、むさぼり、食い散らすです。登場人物は無限に再生産され、ただ捕食の娯楽だけがつづく永遠の24時間、まさに魔王たちの理想郷と呼んでさしつかえなかろうもん」
「……じゃあ、俺たちもその輪に」
まだ実感のないチューヤとサアヤは、顔を見合わせ、きょとんとしている。
一方のブブ子は、かなり苛立った表情だ。
「単に組み込まれたなんて、余裕かましてる場合じゃないですよ。きちんと組み込まれていれば、死んでももどれるです。木曜の午後に、いつもの場所、いつもの状態で。けれどチューヤ部長は、ぼくの忠告を無視してこのエリアから出てしまったです」
「出ろと言ったろ!」
「もう取り返しはつかないです。タイムループの内側に取り込まれていながら、死んだら終わり、という現世ルールも適用されることを、お忘れなかろうもん」
ぞくり、とチューヤの背中に寒気が走った。
ブブ子はいま、かなり恐ろしいことを言ったのではなかろうか?
「なかろうもんじゃねえよ! ってことは?」
「あたりを見まわせば、ときどきエキセントリックに暴動を起こしている、変な生徒も見かけるかと思うです。彼らは気づいたですよ。この24時間が永劫回帰であると。どんなことをやっても、結局はもとの時間、もとの場所、もとの状態にもどると理解したとき、ひとはどういう行動をとると思うですか?」
たしかに、見まわせば「殺伐」とした雰囲気が、そこかしこに見られる。
一見、体育会系が文化祭準備の狂乱に悪乗りして、ふざけているだけのように見えなくもないが、それだけでは説明しきれない「狂気」の色も、たしかにじわりと滲み出している。
永劫回帰の世界で、ひとは、どう生きるか。
「……やりたいことを、やる」
「欲望解放の宴が、これから順次、強化されこそすれ緩むことはないですよ。登場人物たちからは、基本的に前回の記憶は消去されることになってるですが、昨夜みた夢、という程度にはおぼえているです。
なかには、はっきりと思い出すことのできる人間も出てくるですよ。そして、この世界は変だと気づくです。タイムループの謎に挑戦し、やがて……あきらめて堕ちるです。狂人の誕生ですよ」
「どんなことをしても、どうせ夢みたいなもので、もとにもどる。そういう前提で目覚めたヤバいやつらが、つぎつぎと」
ヒャッハー! と叫びながら、斧で殴りかかってきた生徒が、ブブ子の一撃で吹っ飛ばされた。腐っても魔王、半端な攻撃力ではない。
彼女を貧弱な他校の生徒と思っていた彼は、楽しそうに死んだ。つぎに目覚めたとき、もとの時間と場所から、こんどこそ確実に殺せるように、攻撃の方法を工夫しようと血道をあげる──のかもしれない。
「気をつけるですよ。まださほど、くりかえされてはいないようですが、そろそろ気づく人間も増えてきているです。──全員が、ビューティフル・デイドリーマーな世界へ、ようこそ」
ブブ子は言って、皮肉な笑みを浮かべた。
ある意味、魔王である彼女も「捕食者」の側であるはずだが、ここでは部外者か客人のような扱いなのだろうと推察される。
ここは、三つの大学駅に巣くう魔王たちが、力を合わせて構築した「永劫回帰のトライアングル」だ。
この区切られた時間、かぎられた領域で、できることを全部やる。
夢から目覚めなければ、完璧な回答を見出すまで、くりかえせばいいだけ。
ただしチューヤの場合、死んだら終わり。
……これは、まずい。
「ちょ、ま、それってひどくね? 全員チートしてんのに、俺だけドノーマルみたいなもんじゃん!」
「自業自得ですよ。だから出るなと言ったです」
「だから! ……ちょっと、ブ……部長!」
苦情を申し立てられることを拒否するように、ブブ子は目のまえの死体を引きずってどこかに消えた。ご飯の時間、なのかもしれない。
あたりの喧騒は、先刻までと変わらず、永遠の狂気の舞台を彩っている。
クリア条件すらよくわからず、チューヤたちは取り残された。
幸運だった、石野を見つけることができたのは。
チューヤに厄介な頼みごとをしてしまった手前、責任感というもので校門のほうを気にしていた彼女から、彼らを見つけてくれたというのが正解に近いが。
根本的に重大な問題である舞台装置について小一時間、問いただしたかったが、まずは引き受けた依頼について報告すべきと判断し、チューヤは言った。
「ごめん、依頼は果たせなかった。その代わり、大事なことを伝えたい」
田胡が、いかなる詐術をもって石野を籠絡し、彼女の母親をだまし、その一族郎党からマネーの蜜を啜りつづけているか。
これを説明するとき、チューヤにはやや迷いがあった。
彼はそれが真実であると判断したが、ずっと田胡の言葉を信じ、彼をいいひとだと思い、恩返しをしなければならないとまで考えていた彼女にとって、チューヤから「じつは悪人だったんだよ」と告げられたところで、即座に受け入れられるとはかぎらない。
ひとは耳に痛い話より、耳障りのいい話のほうを信じるようにできている。
事実、石野は「まさか」という表情で、終始、眉根を寄せて聞いていた。
チューヤの言葉を止めたり、反論したりはしなかったが、額面どおり受け取るという気配もなかった。
信じられない話を聞いた彼女は、自分のなかで、それをどう消化するか自己決定する必要があった。
時間が必要だろう、と思ったチューヤの耳に戦闘BGMが響きわたる。
「夢だ、これは、わるい、夢だァア!」
金属バットを握りしめた野球部員らしい男が、狂気に魅入られて襲いかかってくる。
その周囲には悪魔の影もある。狂気を食らう悪魔。
──捕食の時間らしい。
「目ェ覚ましてやんよ、おらァ!」
悪魔使いの動きに合わせ、戦闘フィールドが展開する。
まだ浅い時間だからか、それほど強くはない。
いずれにしろ、悪魔が力をつけてくるメインの時間帯は、夜だ。
「おれは気づいたんだ、思い出したんだ、知ってるんだ、おれは殺された、もう殺されたくない、だから殺されるまえに殺すんだ、けどおまえらだれだよ、知らないぞ、こっちには来たことないからな、ああやっぱり、おまえらもおれを殺すんだな、いいぜやってやんよ、どうせ目ェ覚ませばおんなじだからな!」
わけのわからない言葉を吐き散らしながら、発狂して暴れまわる狂人。
客観的に見ればそういう図だが、彼は気が狂うような事実に、ただ気づいただけだ。
そこに憐れみをおぼえつつも、降りかかる火の粉は払わなければならない。
ひとしきり戦闘をこなし、いつもの戦後処理をくりかえす。
サアヤから回復を受けるチューヤの横を、超速の影が疾った。
──ホルス。
かの鳥は中空に舞いながら、直接、心に話しかけてくる。
「ひさしいな、悪魔使い」
「……ホルスか。ダメだろ、ご主人さまと離れてたら」
石野に被害が及ばないように、もちろんチューヤは気をつけて戦った。
「なに。校内が危険になるのは、もっと夜が更けてからだ。──ふむ、どうやら説明の必要はないようだな。おぬしらの理解は、おおむね正鵠を射ている」
見透かしたように、ホルスは語った。
チューヤは疑わしげな視線でホルスをねめまわし、
「説明がめんどくさいから、タイミング待ってただけだよね?」
「あまり物事を多く知りすぎると、寿命を失うぞ」
嘲弄するような語調ではなかったが、ムッとしないわけにもいかなかった。
知らなすぎても、たいていひどい目に遭う。
もちろんホルスが、わけもなく石野から離れていたわけはないだろう。この古いエジプトの神は、神なりに、すべからく「解法」を探しているにちがいない。
なんとなく予測はついているが、あえて問うた。
「突っ込みは来世にとっとくよ。ゲーム脳にとっては、さしあたりすべきことが重要なんでね。俺の想像がまちがっていることを望むばかりだが」
「そうか、残念だったな。おぬしの想像どおりだ。──より正しく知るがいい、ホルスの目をもって」
強制的に、魂のモードが切り替わった。
古代エジプトでもっとも重要なシンボルといっていい、ホルスの目。
プロビデンスの目の元ネタとされ、すべてを見とおす全能の神の目は、すべからく真実を浮かび上がらせる。
空間がすべて魔術回路に書き直され、脳細胞のナノマシンがオートコンパイルを開始する。高空を舞うホルスの目と、チューヤの視界が重なる。
三つの駅座標によって描かれるトライアングルが、デジタライズされた超細密地形図に、無数の計算式を伴って浮かび上がる。
三匹の魔王が、協力して築いた──タイムループの呪詛。
複雑すぎて、理解が追いつかない。謎ばかりが積み重なる。解けるのか、こんなものが。
つぎの瞬間、ハッとして目を見開く。
あたりはさっきまでの柿の木坂高校、中庭に近い廊下の片隅。
チューヤはしばしあたりを見まわし、安全を確認してから、ホルスに向き直る。
「必要な情報を簡潔に頼む。一般的高校生の理解力は、パンク5秒前だ」
「さきは長いというのに、頼りない話だが、よかろう。──魔王を倒せ。ダゴンは古い神だ。近年はラブクラフトなどにも使われて人気を博しているな」
ひたひたと押し寄せ、ついには主人公を発狂死させるタイプの恐怖、それがダゴンだ。
海に関係する悪魔で、その起源は古く、メソポタミアのアッシリアでも崇拝されていた魚の神である。
「いいね、シンプルで。魔王を倒す、か。レベル56くらい、いまの俺たちなら……簡単じゃねーけど、不可能ってわけでもない」
「たち? だれのことか」
「おい、まさか手伝わないってんじゃないよな」
眉根を寄せるチューヤ。
三匹の魔王が築いた呪詛のくわしいロジックは不明だが、どうすれば解けるかは、なんとなく理解できた。
ふと思い出して、チューヤは背後を顧みた。
石野がいる。彼女の肩に、静かに舞い降りるホルス。彼女の「考える時間」は、ようやく終わったらしい。
「……田胡先生、いえ、田胡。お母さんにひどいことして、ゆるさない」
顔を見合わせるチューヤたち。
どうやら選択肢は絞られたようだ。




