02 : Day -28 : Fujimigaoka
「どうも簡単には帰らせてもらえないみたいだねー」
うんざりしたようにつぶやくサアヤ。
あと1駅、つぎはなつかしの久我山だというのに、その手前、富士見ヶ丘で電車ごと巻き込まれる──境界化。
いやがらせとしか思えない。
ランダム捕食か、それともターゲットか。
売られた喧嘩だ。ともかく支配悪魔を倒すしかない。
こんな乱暴な侵食をする悪魔と、まともな話し合いができるとも思えない。
電車を巻き込んでくれたおかげで、ダンジョンを踏破するというワークは不要だ。
先頭に乗るのが大好きなチューヤにとって、敵は必ず後方にいる。
巻き込まれた哀れな人間たちを捕食する悪魔。
退治するチューヤ。
手慣れた戦闘、手慣れたボス戦。
一日に何度もやっていると、ルーティンワークになってくる。
──BGMが変わった。ボスだ。
白髪と長いあごひげをたくわえた、残忍な老人の姿。手には鋭い槍を持ち、青ざめた馬に乗っている。
典型的な悪魔の姿に、チューヤは「作業」を開始する。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
フルカス/堕天使/F/中世/ヨーロッパ/ゴエティア/富士見ヶ丘
『ゴエティア』系は、基本的にわかりやすい「敵」キャラが多い。
チューヤ自身の記憶をたどってみても、最初のボスらしいボス、堕天使サレオスが同系列にあたる。
20の軍団を率いる序列50番の地獄の騎士とか、哲学や修辞学、論理学、天文学、手相、火占術などを教えてくれるとか、オカルト好きの中2が喜びそうな設定が羅列されている。
「唯一なる神に敵対するつもりだな、きさま」
交錯した瞬間、フルカスのぼやくようなセリフがチューヤの耳に届く。
チューヤは眉根を寄せ、
「……俺が狙いか。にしちゃ、被害拡大してくれてんな。なんの恨みがある?」
「ニシオギのアクマツカイには、世話になってるやつと同じだけ、いや、それ以上に恨みのある悪魔が多いんだよ」
「なるほど自覚。にしても、唯一神がどうとか、ただの堕天使が、でっけえこと言うじゃねーの」
「バカめ。きさまにはわからんのだ。神は大きな流れを変えている。それに棹差す者は、だれであろうと許されんのだ」
「あんた、どの立場だよ」
鼻白んだように応じるチューヤ。
堕天使といえば当然、唯一の神には敵対するものと思われたが。
「わたしは、ただ請け負っただけだ」
なるほど、委託業者の立場らしい。
「それはわかりやすいね……」
神の傭兵──そういう言葉もある。
であれば、金で解決するという手段も考えられると気づいた。傭兵とはいえ金で転ぶのは職業倫理に欠けるが、そこは堕天使だ。
とはいえ大金持ちであろう神と、資金力で争えるとも思えない。チューヤの支払える額ならいいが……。
「とりあえず有り金全部いただこうか」
「追い剥ぎかあんたは。らしいっちゃらしいけど、あんまり交渉の余地はなさそうだね」
となれば、やるしかない。
そもそもボス戦を交渉で乗り切ろうという考え自体が、RPGの風上にも置けない発想なのだ。
形ばかりの交渉から、開戦へといたる。
現代社会にもあまた類例があり、あとは強いほうが勝ち、弱いほうに言うことを聞かせるだけの話。
歴史という型どおりのシンプルなストーリーだ。
数合の手合わせののち、かろうじて上回ったチューヤの攻撃が、フルカスの喉首を貫く。
致命傷だ。
悪魔の存在が薄れていく。
「きさまの立場はどこだ、マルドゥク。……あちら側を見たことがないのか? 東京は、陣取り合戦の舞台なのだ」
この局面、死に際に捨て台詞を残す敵は、重要なことを言っているか?
たいていの場合、無意味な負け惜しみが多いが、チューヤは倒した責任として、きちんと耳を傾けることにしている。
「見てきたよ。そんなゆっくり観光している暇はなかったけどな。どういうことだ?」
「旧世界派も、唯一神も、古典派も、しょせんは……ぐふっ」
RPGのように死ぬ悪魔。
これ以上、話は聞けない。となれば、訊ける相手のところに行くにかぎる。
溶ける境界。
電車はいつもどおりに走っている。
──反対方向に向かって。
「チューヤのせいで乗り過ごしたみたいだよ。ウワサどおり、吉祥寺までは行けないんだね」
23区から出ようとする路線に乗ると、いつの間にか反対方向の電車に乗っている。
かなり序盤に、運命の3鬼女からかけられた呪いだ。
「いつまで生きてるんだろうな、その設定……。わるいけどサアヤ、もうひとつ行くところができた」
「いいよもう、毒を食らわば皿までだよ。付き合ったげる」
彼らはそのまま明大前までもどり、乗り換えて下高井戸、さらに世田谷線で三茶を目指す。
「路面電車、乗りたいだけじゃないよね……」
「ぎく。そ、そんなわけないでしょ。ちゃんと、三茶までの最短距離だよ」
ウソは言っていない。
渋谷までもどってから田園都市線で引き返したほうが、所要時間も乗り換えの回数も減るが、距離的にはたしかに路面電車を使ったほうが近い。
ちなみにバスを使えばもっと近いが、鉄ヲタにそんなことを言ったら愕然として、「その発想はなかった」と言われるのがオチだ。
夜の三茶、見上げれば目的地の事務所には、当然のように煌々と照明。
ゲーム開発会社に、祝日も時刻も関係ない。
デスマーチが響きはじめたら、鳴り終わるまでは「会社が家」なのだ。
大型アップデート間近ともなれば、この時間まで営業中は当然だった。
きのうまで、チーフプロデューサー兼プログラマーの室井が抜けていた穴は、どう考えても埋めがたい。スケジュールは押しまくっているだろう。
というよりもチューヤは、室井がすでに職場復帰していることのほうにおどろいた。
この時間、どうやって病院に侵入しよう、などと考えるまでもなかった。
日本人は狂っているな、と思った。
──それは室井さんだけか。いや、うちのオヤジもだった。
そろそろ日付が変わるが、電車は午前1時まである。
その点、宵越しの業務にやさしいと言えるが、ふつうに考えれば正気の人間は帰宅しているか、そもそも会社にいない祝日の深夜、閑散とした事務所に最後まで居残っているのは精鋭が2~3名と、それを率いる──室井。
「正気じゃないですね、室井さん。おつかれさんです」
セキュリティガバガバ、というわけではなく、出入り口で見知った顔に出会い、入れてもらったのだった。
どういう皮肉のつもりか、室井は病院のガウンを着たまま、あちこち動きまわっていた。
人間の数は少ないが、画面は動いている。リモートというやつだろう。
祝日のおかげで、週明けにアップデート、というリミットまで1日延びた現実を最大限に利用しているようだ。
このご時世、そもそも全員リモートでも事足りるような業界だが、会社に出たがる人間というのはどこの世界にも一定数いる。
「なんだ、おまえらかよ。おまえも、おれを帰れなくさせようってハラか?」
室井は青ざめたひきつったような表情で、チューヤを顧みた。
背後ではサアヤが、空恐ろしいものを見る目で、狂人たちの職場を見まわしている。
「どうせ帰れるとは思ってないんでしょ。なんですか、そのかっこ」
「心が痛むだろ? この顔色と服装が、週明け、社長に報告するために必要なガジェットなんだよ」
なるほど、憐れみを買って締め切りを延長しよう、という算段のようだ。
状況はもっと深刻であることを、まじめに主張したほうがいいような気もするが。
「こんばんは。脳みその呪い、解けてよかったですね」
ぴょこんと頭を下げるサアヤのアホ毛が揺れる。
「おう、あんたも手伝ってくれたみたいだな。感謝するよ」
室井にとってはサアヤのほうが感謝すべき相手のようだと理解し、チューヤは短く嘆息した。
並んで廊下を歩き、休憩室にむかう。
無料のサーバからコーヒーを注ぎ、勧める室井。
そのときサアヤの電話が鳴った。
「……もしもし、お父さん。うん、え? いや、ちゃんと日本にいるから。けっこう近いよ。だいじょぶ、チューヤもいっしょ」
ビデオ通話に切り替える。
呼ばれてしかたなく歩み寄るチューヤ。
画面には、サアヤの両親。あまりにも顔なじみだが、それだけにチューヤとしては心から申し訳ないと思っている。
「あ、ども。すんません、お父さん。ほんとは30分まえに帰れてる予定だったんですけど……サアヤ連絡しなかったの?」
「ごめん、忘れてた。……いやー、なんかいろいろあってさ。最後にもうちょっとだけ、チューヤに付き合うことにしたんだよー」
そこまで言ったとき、背後からふらりと出現した死体のような顔の室井が、
「どーも、ご両親ですか。株式会社タイタンのチーフプロデューサー室井です。お嬢さんらには、いろいろ手伝ってもらってましてね。ちゃんと終電まえには帰しますんで。万万が一、まにあわなかったらタクシーほりこみます。バイト代もはずみます。ご迷惑おかけしてすいませんでした」
それだけ言って、画面からフェードアウトする。
その後、サアヤが何事か両親と短い会話をしている間、室井はコーヒーを飲みながら言った。
「感謝の言葉はいらねーよ」
チューヤは複雑な表情で、
「よけいに心配させるような服装と顔色だって自覚あります?」
室井はいまさら気づいて、電話を終えたサアヤに向き直る。
「……お嬢ちゃん、わるかったな、よけいなことして」
「ううん、うちの親はそういうの慣れてるから。バイト代出るって聞いて、早いねーって。喜んでたよ」
案に催促しているわけでもなかろうが、このへん女子はしっかりしている。
「それ、ガソリンスタンドと勘違いしてんじゃね?」
「慣れてんのかい……。まあいいや、ほらよバイト少女」
室井は無造作に取り出した財布から、なかの札束を数えもせず全額ごっそり抜いて手わたした。
自前で支払っている気配だが、感謝の表れということか。
「多すぎないっすか」
「いいんだよ。どうせ使い道ねーし。入院費用立て替えといたの、事務所からさっき返ってきたんだが、現金とかひさしぶりに触ったわ」
「20万円! 多すぎ!」
命の値段としては安すぎ、という見方もできる。
サアヤはしばらく考えていたが、半分をチューヤに渡して、残りをポケットに入れた。
くれるというものは、もらっておくにかぎる。そもそも彼らにはもらう資格があるのだ。
「で、なんか訊きたいことあんだろ。終電まで1時間だ。手早く済まそうや」
テーブルに腰かけて足を組み、うながす室井の言葉が終わるか終わらないうちに、照明が明滅して消えた。
ぎくり、と全身をふるわせる室井。
停電というのは、この手の会社にとっていちばんヤバいことは、言うまでもない。
もちろん、だからこそ厳重なバックアップシステムが稼働してもいるわけだが、最悪、ここ数時間の作業が吹っ飛んだか、もどすのに数時間かかる可能性もある。
冗談じゃねえぞ、とつぶやく室井の背後から伸びてきた黒い腕を、チューヤの炎の剣が切り払う。
──境界化。
最近、あちら側の動きが活発化しすぎている。
「あぁあぁあーっ!」
絶叫が響きわたり、ハッとしてふりかえるチューヤたち。
室井の職場が阿鼻叫喚であるのはいつものことだが、今回のそれは日常的な地獄絵図と質が異なる。
「まじかよ、うちの精鋭が」
休憩室を飛び出す室井、あとを追うチューヤとサアヤ。
会社はすでに境界化している。
仕事場のコンピュータは、すべての画面が異常な画面を表示していた。
すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ
チューヤの意識下では、悪魔相関プログラムに組み込まれた非常用のプロトコルが走っている。
彼は慣れているからいいが、そうでない人間に対して、適性のある悪魔を強制的に召喚するプロセスらしい、と理解した。
悪魔使いにとっては日常的、というほどでもないが理解できる範疇のプロセスだったが、それを内在化させてしかも強制的に執行するところがエグい。
こんなものを食らえば、当然……。
「ぎゃあぁあーっ!」
肉体を内部から引き裂かれ、絶叫しつつ悪魔実体化のエサとなるスタッフのひとり。
体内から湧き出てくるものに支配され、周囲の機器を破壊しながら、丸い輪っかのようなものを振りまわしている。
「梨子田、おまえか」
そこに出現していたのは、永遠に少年の姿をしているとされる英雄神。
彼がもともと梨子田というプログラマーだったとして、その肉体は食いつくされ、痕跡も残していないように見えた。
「だめだ、乗っ取られてる。倒すしかないですよ、室井さん」
アナライザを起動するチューヤ。
かなり手ごわいが、倒せない相手ではない。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
ナタタイシ/神仙/F/紀元前/殷/封神演義/中井
ナタタイシは、『西遊記』で孫悟空を相手に激しい戦いをくりひろげたことで知られる。
乾坤圏という武器を手にもち、混天陵という真紅の布を身にまとった姿で産まれてきた。この2つを装備した姿のまま龍王や魔王と戦い、退治していくとされる。
産まれてすぐ戦いはじめたともいわれる。父の裏切りによって一度は自害したが、釈迦の慈悲により復活を遂げ、天軍の長になったという。
「そういう設定好きだったよな、梨子田。おまえの大好きな『西遊記』の夢を見ながら逝けるなら、本望だろう……」
戦いは避けられない。
チューヤたちは、いつものように戦闘態勢を整え、攻撃する。
相手もかなりの強さだが、しだいに追い込まれていく。
怒り狂ったその表情に突如、浮き上がる若手プログラマー梨子田の表情。
チューヤがひるんだ一瞬に、その首元へ向けて投げつけられようとした乾坤圏を、叩き落とす魔力の槍。
ハッとしてふりかえったさき、室井が悲しげに同僚を見下ろし、強力な魔力を迸らせてその命を終わらせた。
チューヤの視界を流れるリザルト画面に、悲しい報告が並ぶ。
「やっちゃいましたね。室井さん……」
物陰から、のっそりと出てくる別のプログラマーの背中には、赤い鎧を身につけた悪魔の姿。
ハッとして臨戦態勢をとろうとするが、すぐに力を抜く。
こちらは暴走していない。
適度に身体にフィットした、まっとうなガーディアンの様相だ。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
サルタヒコ/国つ神/I/8世紀/日本/記紀/末広町
「てめえ、猿島。いたなら手伝えよ」
憮然として言う室井に、猿島は、
「レベル見たでしょ、序盤仕様のおれなんかじゃ太刀打ちできませんて。……いいやつだったな、梨子田」
梨子田の死体の横にうずくまり、手を合わせる。
ナンマンダブナンマンダブ、と言っている時点でサルタヒコらしいのか、らしくないのかよくわからない。
「いまごろ、いい夢みてんだろうよ」
一方、チューヤは室井の背中に現れる、ついきのうまでの仇敵を見上げ、
「……あれだけ恨み骨髄に徹してましたよね」
「オモイカネか? ああ、いまでもムシャクシャする。だが、使える力を使わん手はあるまい」
神話の存在はあくまで神話であり、あまり自己主張をしてこないようなら、使い倒してやるという選択肢もありだ。
境界化が解けていく。
この混沌としはじめた世界の謎を、合わせて解かなければならない。