01 : Day -28 : Aoyama-itchome
ナミは、青山のマンションの片づけをしていた。
年内で解約し、西荻にもどるという。
「お金なくなっちゃったからねー。たはー」
まだ頭がボケていたころのように笑ったが、呪いの解かれた彼女の瞳には、早くも理性の輝きがもどっている。
「なんだ賃貸か。買ってあげたわけじゃないんだ?」
サアヤが片づけを手伝いながら言った。
チューヤも及ばずながら、大物の移動などを手伝っている。
「そのつもりだったんだけどね、イッキくんが、なんかこんなんなる気がしたとかって。いいひとだよー」
「ホストだけどね!」
ホストに偏見をもっているらしいサアヤは、まだイッキに心を許していない。
なにしろ、きょうもきょうとて、女をだまくらかしに六本木のホストクラブにご出勤なのだから。
いや仕事だから、という突っ込みはもちろんあるが、サアヤ的には、ナミが「お得意」でなくなったので、新しい金ヅルを引っかけるべく悪だくみ、という予断がぬぐえない。
「サアヤさん、ホストに悪意満ち満ちてますね……」
「愛はもっと純粋であるべきだからね! ……で、会社のほうはどうするの?」
サアヤはナミに視線を転じた。
彼女はひとつうなずいて、
「本社に近いから、しばらくはここから通うことにするよ。なんかガクトさん、たいへんなことになってるみたいだし。できれば光が丘のラボにもどりたいんだけど、本社がいろいろ困ったことになってるみたいだからね」
「こんなこと言うのもなんですが、あの社屋にはなるべく近づかないほうが……」
チューヤとしても、まだ自信をもって語れるほど、あの会社については多くを知らない。
ただ、いろんな謎を解くために重要なパーツが、いくつか集まっている場所であることはわかる。
──そもそもナミの研究も含めて、かなり序盤での光が丘の実験から、いろいろと紐解いていく必要があった。
まずはチューヤに与えられた「おマグり」。
そのエネルギー供給源となっていた地下の石棺には、アマテラスが封じられていた。
「みたいだねー。神話では自分から閉じこもってたけど、現実ではそこから出ようとしていたのを、わたしたちが封じ込めていたみたい。いやー、照子ちゃんが怒るのも無理ないよ。こんど会ったら謝らないとなー」
ナミは呑気に言っていたが、そんな単純な話でもないだろう。
ともかくチューヤは、その力のおかげで、序盤の悪魔使いとしての立場を非常に優位に進めることができた。
黄泉の岩戸に閉じ込められたアマテラスは、エキゾタイト的に陰圧にある黄泉というポテンシャルを利用して、周辺のエキゾタイトを無制限に吸い上げていた。
ナミたちは、ある意味必要に駆られて、アマテラスを岩戸のなかに閉じ込めようとしていたわけだが、その過程で発生したエネルギーの流れを、個人的に流用する「システム」がおマグりだ。
「校長が言ってたじゃん? エキゾタイトのルールは、悪魔との契約に似ているって。ナミさんのやってたこと、もっと早く理解して、手助けできることがあればすべきだったと反省してるよ」
そうしていたからといって、おマグりの効果が永続したとはかぎらないが。
──現在、チューヤのおマグりは、悪魔を使役するために必要なエキゾタイトの無限供給源ではなくなっている。おそらくアマテラスの石棺が、その機能を保持するシステムからリジェクトされたせいだろう。
現在のチューヤは、倒した敵から奪い取ったエキゾタイトをおマグりに記録し、必要に応じてそれを取り出す、という本来あるべき「まっとうなアクマツカイ」となっている。
おマグり自体は、エキゾタイト取引のために必要な「台帳」として、最後まで機能するだろう。
「いやー、シンちゃん、しばらく見ないあいだに、ずいぶんオトナになったねー。あ、もしかしてオトナの階段昇っちゃったのかな? ん? このー、若者よ!」
サアヤのフライングボディアタックが炸裂し、数メートルほど吹っ飛ばされるナミ。
チューヤはしばし、親戚どうしの醜い戦いから目を背け、落ち着くのを待って話をつづける。
「ちょっとまえから、おマグりの無限供給は止まってましたよね」
「だよねー。ごめんね、シンちゃん」
「いやいや、最初にゲタ履かせてもらったのは、だいぶ助かりましたよ」
サアヤは軽く首を傾げ、
「てことは、チューヤはいま、どうしてるの?」
ポケットから、長年愛用している赤いお守り袋を取り出す。
ここには「ナミの生爪」という恐ろしい呪いのアイテムが封入されているわけだが、そもそも「爪」というのは、それじたいがパワーワードだ。
いろいろなホラー映画で、重要な「恐怖」の象徴として描かれる「爪」によって、ひとは強い「気持ち」を表現する。
人間の精神のダイナミズム、そのオルタナティブを具象化して利用するのが、古来連綿「お守り」という古式ゆかしいアイテムである。
「このお守りはさ、モバイルバッテリーみたいなものなんだよ。で、おマグりはコンセントにつないだ状態みたいなもん。いくらでも悪魔に電力供給してくれてたから、惜しげもなく使えたわけ。
で、現在は充電が止まってるけど、そもそもエキゾタイトは悪魔を召喚していなければ減らないし、敵を倒せば充電される。だから、無理してレベル高い悪魔とか使い倒さないかぎり、なんとか切り盛りしていける目途は立った。本来の悪魔使いのスタイルにもどったってだけ」
使い方のコツをつかむまで、補助輪として活躍していたおマグりだったが、いまはもう一人立ちした悪魔使いとして、エキゾタイトをマネジメントしながら戦っている。
4体同時召喚は、それだけでだいぶ燃費のわるい戦い方を強いられるのだが、より強い悪魔を倒すことによって、充電量も比例して増える。
燃料やお金など、文字どおりの「マネジメント」が必要とされるのは、どんなゲームや現実も同じだ。
ひとはつねに学び、成長していかなければならない。
ある程度、部屋の片づけを終えて、チューヤたちはティータイムをとっている。
話し合いは、さらに状況を掘り下げて進められた。
いわく、イザナミとイザナギという、あまりにも重要なキーパーソンが身近にいる事実を、どう認識すべきか。
もちろん神話はあくまで神話であり、その概念に集まる現代進行形の生者たちのありようこそが重要なのだが、それでも神話の影響を強く受けるケースが、一定の割合以上に存在する。
スサノオの「叫び」を聞いて逃げ出したアマテラスの例からして、如実だ。
そもそも、神話からの影響をどの程度までが妥当と判断するか、などという基準は存在しない。
ちょっとした心理的影響、と呼ぶには大きすぎるファクトではあるが、当事者同士の因縁に重ね合わされてブーストされている部分も少なくない。
チューヤは異世界線への冒険から得られた多くの知見を、ナミと共有することにした。
「──それじゃ、ナミさんたちは、こちら側の人でいいんですね」
チューヤからの少ない説明で、ナミは必要以上のことを理解していた。
長くイザナミの記憶に侵食されていたせいか、むしろそれを当然の前提として受け止めているようなところすらある。
この世界を描くには、まず異世界線という横軸と同時に、神話という縦軸がより合わさっている状況を理解しなければならない。
それらを具象化するツールとして、人間たちが存在していると考えれば、いろいろとつじつまが合うことも多い。
「その言い方、なんか引っかかるけど、まあそうだねー。けど、そんな大きな世界が動いているとは、思わなかったなー」
異世界線と現世側。
その「侵略」の構図は10年以上もまえから計画されていて、いまや人類社会の何パーセントかは異世界線からやってきた人々とその関係者で占められ、社会の枢要を担う人物らの多くも異世界側の利益代表として動く。
──だとしたら、われわれに勝ち目はあるのか?
「アマテラスはあちら側からきた、ってナミさん意外にすんなり納得しましたね」
「やはー、なんかそう考えると、たしかにいろいろ説明はつくからねー。けど、大きな世界のことはともかく、身近な人間に人間じゃないヒト、っていうかイキモノがいるっていうのは、びっくりだねー」
「いや、そのイキモノはヒトですよ。送り込まれているのはあくまでも重さのない魂(情報)だし、こちら側で生まれていないってだけで、育ってはいますから」
首を振るチューヤ。
とくに幼児期にこちら側に送り込まれた亜人は、脳のシナプスはもちろん、情報の集合であるDNAレベルで書き換えられる。
境界では一種のタイプRとして発現するが、こちら側に暮らすかぎりは、ほとんど人間と見分けがつかない。
その差はネアンデルタール人とホモ・サピエンス程度である、という報告も悪魔相関プログラムの最新アップデートから知った。
つまり「交配は可能」なのだ。
「10年まえ、ってことは照子ちゃん、とっくに物心はついてるよね」
「こちら側で選んだ憑代の記憶と重なることは多いらしいですよ。それで逆に、あちら側の記憶のほうが影響を受けたりもするらしいです。まあケースバイケースみたいだけど。あんまり小さいころに送り込まれると、そういうこともすくないみたいですね」
「ベジタブル星からやってきた、戦闘民族の野菜人みたいなもんかな?」
サアヤの出した例がピンとくるかはともかく、当たらずとも遠からずだ。
侵略や侵食という穏当ならざる大戦略においては、ある種のエージェントを早い段階から送り込むというのは、方法論として正しい。
「けどさ、異世界線に送り込むって、だれがどういう判断とか方法でやるの?」
「偶然の要素が大きいみたいです。なにしろ、あちら側は困窮してますから。親が、もっとしあわせな世界に生まれ変われ、みたいな魔術回路で送り込むこともあるみたいですよ」
「なんか、いやーな記憶がよみがえってくるような気がするよ」
五体不満足な子どもを産んだために、川に流した、という説話が日本神話にはある。
今回の場合、世界の側が不満足な環境しか提供できないため、そこから子どもを逃がすために送り込んだ、というボートピープルな話になる。
「……いやなことを、思い出したね」
背後からの声に、ハッとしてふりかえる。
そこには、早めに帰宅したらしいイッキ。
「おかえりー。早かったね、どしたの?」
うれしそうに迎えるナミにとって、イッキは「新しい旦那」になりうるのだろうか。
チューヤとサアヤは顔を見合わせ、いまはともかく、この疑似夫婦を観察するにした。
──イッキはさすがにホストらしく、イケメンで高身長、衣服のセンスもすぐれ、すなわちチューヤは足元にも及ばない。
ひとしきり抱き合うナミとイッキ──あるいは、イザナミとイザナギ。
そういう「運命の糸」は、彼らのあいだにじゅうぶんすぎるほどまつろっているわけだが、そのまえに解決すべき何事かを、イッキは吐き出すことに決めた。
彼はチューヤたちを見まわし、最後にナミを見つめる。
しばらく考え込んでから、喉に力をこめ、うなるように言った。
「思い出すべきだ、ナミ。封印したままにはしておけない。おれたちが住んでいた……藤テリア通りの忌まわしい記憶を」
いよいよ解き明かされなければならないときが、きてしまった。
そんな表情で、彼は言った。
忌まわしい殺人事件の全容を、現在に引き継がれている呪詛を、解き明かして次世代に禍根を残さぬために。
ぴくり、とナミの肩が揺れた。
意識して蓋をしていた記憶を、彼女もいやいやながら見直すことに、腹を決めた。
藤テリア通りの虐殺──。
チューヤの記憶の片隅に、なぜか思い浮かんできた単語。
そうだ、もう10年もまえ、大騒ぎになったことがある。
江戸川区の片隅で起こった、通り魔による連続殺人事件。
10年まえ。
異世界線の侵食は、そんなところから、もうはじまっていた──。
「なんか、ハンパなく怖い話だったね」
ナミたちのマンションを見上げ、つぶやくサアヤ。
チューヤはうなずいて、
「そりゃ封印したくもなるな、そんな記憶。……まあ、とにかくその話はケイゾク審議だ。さしあたり家に帰ろう。俺たちはもう、きょう一日をがんばりすぎた」
「だねー。おうちに帰ろう~♪ 玄関をくぐるまでが冒険だよ!」
地下鉄に乗り、帰途につくふたり。
銀座線から井の頭線は、できればつなげてほしいところだが、規格がいろいろちがいすぎるので実現には至っていない。
渋谷で乗り換え、あとはサアヤひとりで帰らせることもできるが、チューヤはすなおに同行した。
彼女にはここ数十時間、だいぶがんばらせてしまった。
せめて最後まで送り届けよう、という決意だった、が──。