12 : Day -27 : Inaricho
社会の底辺。
日本では現在、ロキの北欧系が幅を利かせているが、言うまでもなくマフィアは世界中に存在する。
ヨーロッパの代表格は、イタリアン・マフィアだろう。
日本の「ヤクザ」ももちろん有名だが、その一勢力として台頭している中国系なくして、もはや日本のヤクザは語れない。
五弟。
三皇五帝が由来だが、「帝」ではなく「弟」の字を使っているところが特徴だ。
チャイニーズ系のマフィアで、日本最強の「黒社会」ともいわれている。黒社会は、中国語で犯罪組織を意味する。
これの取り締まりは、もちろん政府当局にとって待ったなしである。
警視庁の五階にある組対が中心となって、檄を飛ばしていた。
「五弟をどうにかしろ」
その最前線の現場で、いまは中谷が指揮を執っていた。
なにしろ彼は「組対」のエースだ。
もちろんエースひとりで仕事はできない。今回の大捕物にむけては数チームが編成されており、中谷は病み上がりということでバックアップにまわされていた。
ワゴン車の内部には情報端末がずらりと並び、情報担当官を含めて6名が詰めている。
ひと昔まえの張り込み用のセダンとは比較にならない装備。これが21世紀の警視庁である。
情報チームとともに、中谷たち現場指揮官は踏み込むタイミングをはかっている。
モニターには、ターゲットとなる中国人。
ボスは「武帝」と呼ばれる32歳の男、王玄徳。
「劉じゃなくて助かった、と嘯いてますね」
「アホらしい。……まあ、言いえて妙か」
モニターを眺めながら会話を交わす、警視庁の精鋭たち。
ヤクザといえば『水滸伝』が思い浮かぶが、事象としては現状、たしかに『三国志演義』が近い。
東京のヤクザは、おもに3系統。
ロキを中心とする関東(千住会)系、西から進出してきた関西(山川組)系、そして中韓国人を中心とする外人(水和連合)系だ。
座頭イッヒも客分として世話になっている水和連合会だが、とくに上野エリアでは、外人系は「相良組」の看板の下で動いていることが多い。
この相良組が、現在、警視庁によって追い詰められている。
裏風俗からマネロンまで、ありとあらゆる罪悪に手を染めているが、なかでも「ヤオトウ」と呼ばれる合成麻薬をばらまいていることが、警視庁の癇に障った。
別名「悪魔のエサ」。
極悪な中毒性はもちろんだが、一種の洗脳素材としても利用可能であった。
「直近だと事案の7割がヤオトウだろう、たしか」
「新宿から上野にお引っ越しも無事済んで、景気よくお祝いってところでしょうかね」
ワゴン車内の画面には、高級外車で料理店に乗りつける幹部たちの脂ぎった面々。
組織の稼ぎは、下手な日本のヤクザを凌駕する。
五弟は当初、歌舞伎町で勢力を伸ばしたが、取り締まりが厳しくなって拠点を変更、現在は錦糸町から上野界隈に分散している。
警視庁国際捜査課も、目下焦眉に置いていた。
「こんどこそ元麻布(中国大使館)に責任を取らせりゃいいんだ」
「赤坂(アメリカ大使館)みたいにはいかんさ、この国じゃな」
コロナ禍の責任を「チャイナ・ウイルス」という言葉に集約した大統領もいたが、そこまで言う日本人はいなかった。
だからナメられる、と思っているひともいるが、うまくやっていこうとする人々ももちろん多い。
──どうやら幹部の誕生パーティという名目で、台東区の中華料理店に集まっているらしい水和連合会上野支部。
協力者からこの情報を集めたのは、中谷だ。
「よく捕まえたな、いいネタだ」
最年長の警視が、中谷に向けて言った。
現場は、中谷をはじめとする警部クラスが取りまとめるのが常道だが、そこに警視が出張っている時点で、この案件がどれだけ重要視されているかがわかる。
もちろん「管理官」にわざわざ居座られるとやりづらい、というのが現場の本音ではあるのだが。
「まだわかりませんよ」
「公安のやり方ってやつも、役に立つ」
皮肉っぽい口調の管理官。
刑事畑で突き進んできた中谷だが、公安のやり方もよく知っている。
刑事は靴をすり減らす「地」取りが基本だが、公安は「人」のつながりを歩く。
微罪で逮捕したやつを逃がす、恩義を感じさせて取り込む、飲ませたり食わせたりもする、そうやって信頼関係を築けば、相手のほうから情報をもってくる。
もちろん刑事も似たようなことはする。
ほとんど自腹を切り、そうやって情報を太らせていくことで、犯罪を点から線、そして面としての「組織」が見えてくる。
黙っていてもネタが転がり込んでくるようになれば、刑事も一人前だ。
「刑事とか公安って時代じゃないですからね。あえて言えば、これは組対のやり方ですよ」
「ちがいない。……集まってきやがった」
中谷の視線は、中華料理屋にはいっていく見おぼえのある客の顔を、つぎつぎと認知する。
張り込みは数日、つづいている。
情報の信憑性の確保から、応援部隊も集まってきた。
総勢40名、なかなかの大所帯になった。
──しかし、けっして悟られてはならない。
だれもが息を殺し、空気はピンと張りつめている。
情報担当官は画面から目を離さずに、手元のタブレットから画面上、つぎつぎとチェックを入れている。
画像と名前が照合される。
チェックリストの名前に、中谷は口元をゆがめる。
「おうおう、噂のボディガードもいるじゃねえか。防刃服も役には立たねえか」
「白兵戦なりますか」
「さあねえ。高貴なマフィアなら、年貢の納め時ってやつを察してもくれようがな」
拳銃の残弾を確認し、中谷は薄く笑う。
歌舞伎町のゴロツキ外人さえ、五弟のことは怖くてしゃべれない、とふるえあがるほどの組織だ。
日本でこれだけの組織にまでのし上がったのは、彼らの武力もさることながら、情報統制がきわめて行き届いていたことにもよる。
このまま何事もなければ、突入の火ぶたが切られるだろう。
と、そのとき懐で揺れる携帯電話を取り出し、中谷は眉根を寄せた。
軽く手を挙げ、ワゴン車から出る。
最近、息子との交流が多すぎる──。
「あ、もしもし、ちょっと訊きたいことあんだけど」
チューヤの言葉に、電話のむこう、父親は露骨に舌打ちした。
それなら出なければいいわけだが、着信を拒否しないのは親子だからというより、息子から得られる情報を重くみている証拠だろう。
「そろそろ本番なんだよ、こっちは。さっさと言え、なにが訊きたい」
「そーいやガサ入れとか言ってたね。たぶん関係あると思うんだけど……わるいけど興和会の情報あったらくんないかな。たぶん裏風俗だと思う。……んなわけねえだろ。友達が、ってか友達の知り合いが、たぶんそいつらに拉致られたと思う。助けたいんだ。目星つく? いや、直に行くよ。……ああ、あのひと。いや、おぼえてる。了解、当たってみるよ」
通話を切るチューヤ。
先刻、裏通りで話を聞いたかぎり、ウサコとマナはふたりとも、ヤクザに捕まってしまっているらしい。
今回は容赦しねえってよ……マジか、まだガキじゃん……だから利用価値あんだけどな……まともなウリじゃ勘弁なんねえって……もしかしてドS系? あそこ沈められたら、あんなガキじゃ3日と生きてねーだろ……呼んである、ってか常駐だろ特殊清掃……。
そんな話を聞いてしまった以上、助けに行かないわけにもいかなかった。
もちろん地道に情報を集めてヤサを当たるのが順当なのだが、そんな時間はない。
というわけで、時間短縮の最終手段が、チューヤとしてもあまり使いたくなかった父親ルートだった。
サアヤは生ぬるい目で、一連の会話を眺め聞いていた。
意外に父親とのコンビネーションがうまくいっているようだ、などと親子の確執氷解を早合点して喜ぶわけにはいかない。
淡々とビジネスライクに……そう、これはあくまでビジネス。
チューヤが父親の仕事を手伝う代わり、父親はチューヤの仕事を手伝う。
まさにディール。それだけの話だ。
「お父さんと仲良くやってるみたいで、ほんとによかったね」
「棒読みやめろ」
お互いの家族のことは、お互いの家族同様によく知っている。
それがチューヤとサアヤのご家庭の事情だ。
踵を返すチューヤにつきそい、上野の裏通りを歩きながら、サアヤは中谷家の事情をあらためて思い起こした。
──中谷ケンゾー。
サアヤのアホ毛の奥にある最古の記憶によれば、捜査一課の鬼みたいな人間だった。
その後、やりすぎて海外に飛ばされ単身赴任中、当然のようにサアヤ宅に寄寓していたチューヤ。
親と引き離されて苦労が多い人生だった、というわけではない。
むしろ親がいる生活のほうがすさんでいた、という点について中谷家の面々が否定することはないだろう。
帰国後、捜査一課に居場所はなかったが、地方に飛ばされることはなく、そのまま組対にまわされた。
一般の警察官を含め、刑事たちは五年を満期として、所属する組織から別の組織へ転属する決まりになっている。
ただし、余人をもって代えがたい、その道のプロ中のプロは例外だ。
中谷は、早い段階で本庁勤務となり、都内の警察署と行き来しつつ警部まで昇進した。
大卒で、巡査、巡査長、巡査部長、警部補、警部とトントン拍子に昇進したわけだが、その後、足踏みがつづいている。
輝かしい実績と同時に、捜査における不手際が問題視されていた。
結果、本来は警視以上の実績をもつのだが、いまだ警部どまりとなっている。
階級はどうでもいい、現場に残せ。
それが中谷の主張だったから、とくに問題もなく、当人にはこれ以上、昇進試験を受けるつもりもなかった。
警部か警部補あたりが、現場ではいちばん動きやすい、というのが彼の見解だ。
ちなみに警察機構には定員があり、空きがなければ昇任試験は実施されない。
ノンキャリの出世は警視止まり、と言われるが、警視正、警視長まで出世した例はある。
しかし中谷は、出世よりも現場を選んだ。
ひさしぶりに自分の父と並んで飲んでいる姿を見たとき、中谷がぐちぐちとこぼしていた言葉を、サアヤは思い出した。
コロシ以外の犯罪者なんて、どうでもいいんだよ……。
強行犯、なかでもコロシの捜査にしか本気になれない男。
いまでも一課の第5強行犯捜査とは、圧倒的なコネクションがある。
ケイゾクは、長期に及んだ事件を他の係から引き継ぎ、継続捜査を実施する係だ。
人殺しを死んでも許さず、地獄の果てまで追い詰める主義の中谷にとって、ケイゾクは故郷のようなものだった。
──組対は組対で、もちろん重要だ。
拳銃やドラッグ、企業犯罪は、しばしば殺人を伴う。
殺人を伴うかぎり、中谷は狂気のように捜査を重ねたが、それ以外にはあまり関心がなかった。
優秀さは折り紙つきだが、扱いづらい現場の人間。
うまく使えば赫々たる成果を残せるだろうが、そうでなければ惨憺たる部署となるだろう。
本庁としても、中谷をうまく使うことは永遠の課題といえた。
「で、なにアホ面さらしてんだ、サアヤ」
チューヤの言葉に、右ストレートで報いるサアヤ。
「おまーんちの惨状について、皆様方にお披露目していたんだよ! ……で、どこ行くの?」
「ジャの道はヘビというからな。お伺いに参じないと」
ほっぺたにサアヤを貼りつけたまま、上野の街路を東へ向かうチューヤ。
「交番のおまわりさんに、お話を聞きに行くんだね」
「ヘビと言ったろ」
チューヤとしては、ヘビのマフユと行動したほうが手っ取り早いのだが、こうなってしまった以上、あまり深く考えないようにした。
すたすたと歩くチューヤの足は、どうも怪しげな光の方向にむいている。
斜め後方、妖怪アホ毛アンテナがぴくぴくと揺れている、とチューヤは察した。
たしかに……このさきには死の臭いがある!
「だって、行方不明の女の子の捜索なら、おまわりさん以外に考えられないじゃん」
「けっこう近かったんだな、興和会。……ん? どうした、来ないのか」
「お歌の会に行くわけじゃないよね」
「小唄の会じゃねーよ。興和会は広域暴力団の二次組織で」
だん、と足踏みするサアヤ。
そういうところにはかかわっちゃいけません、という常識人のブレーキが、彼女を薄氷から遠ざけようとする。
「やっぱり! そういうところは行っちゃいけませんって、先生が言ってたでしょ!」
「先生に言いつけたければどうぞ! まったく、融通のきかん子だよ」
チューヤはひらひらと手を振りながら、諦めたようにさっさと歩きだす。
サアヤは、あらためてその背中にタックルをかましながら、
「泡風呂に沈められたら責任とれよ、チューキチ!」
「いいって、ひとりで行くから」
「屍を拾ってくれるひとが必要でしょ!」
「そ、そうね……」
そして踏み出すは、蛇の道。




