夏から秋へ
来ていただいてありがとうございます。
シンリーンでの最終日。朝早い時間に、まだ皆さんが出勤する前に私はもう一度樹液を煮詰めてみた。この研究所を出たら、しばらくできないかもしれないから。品種改良された木のものじゃなくて、これはいつもの樹液。朝の光を受けて樹液はキラキラ輝いている。誰も見てないのを確認してから、小鍋を火にかけた。
昨夜はちょっと楽しかったな。実はちょっとだけユースティン様とダンスをさせてもらったのよね。私は習っただけで踊った経験は無かったから、無理ですって断ったんだけど。少しだけだからって。きっと最初で最後の経験ね。幸せだった。私は樹液をかき混ぜながら思い出していた。
「え?」
柄の長いスプーンの先にこつんと当たる感触……。これは……。ユースティン様のことを考えながら煮詰めたら綺麗な結晶ができた。お母さまが作ってたような深い金色の綺麗な雫の形。
「綺麗」
朝日に透かして見ると、少し緑がかった光が見えた。
「ユースティン様の瞳の色」
私はこの結晶を小さな小瓶にいれてハンカチに包んでポケットにしまった。
「これはお守りにしよう……」
どうか良い未来がありますように……。
シンリーンのマーロの木の研究所には移動も含めて七日間いたの。雑用のお仕事が多かったけれど学ぶこともとても多かった。そして忙しかったけれどとても楽しかった。お給料もいただけたしね!それから夏のお休みの残り期間は叔母様のお店を手伝ったり、学園の課題を終わらせたり、秋の学習発表の準備をしたりして慌ただしく終わった。
学習発表の内容は従来のマーロの樹液と改良された木の樹液の味の違いについての研究にしたの。品種改良したマーロの樹液と、オリジナルの樹液のお料理やお菓子にした時の味の違いについて研究、実験してみた。シンリーンの研究所でそれぞれの樹液のサンプルをいただいたから。これでいろいろなお料理やお菓子をつくってみて、その結果をまとめてみたわ。
クローバー学園の秋の期間の前半は、生徒達の学習発表が主な行事だ。中には大掛かりな発表をチームで行う人たちもいて、ちょっとしたお祭りのようになっている。その期間の間は生徒達は好きな教室を回って発表を見学することもできるの。他の人の発表を見るのはとても楽しかったわ。
私の学習発表の成績は中の上くらいだった!!やったわ!上出来よね。樹液を練りこんだクッキーをサンプルとして先生にお渡ししたかいがあったわ。いえ、決して袖の下って訳じゃないのよ?ほら、説明するより食べてもらった方が早いじゃない?他の見学に来てくれた人にもちゃんと配ったわよ?
私は自分の学習発表が終わったのでホッとしているところなんだけれど、最近ちょっと困ってることがあるの。それは公爵令嬢のアリシア様のこと。よくお昼ご飯に誘われるのよね。誘われるっていうか、食堂へ行くと声をかけられて同じテーブルにつかされてしまうのだ。勿論そのテーブルには他のご令嬢方もいらしてとても緊張する。美味しいご飯の味も良く分からなくなってしまうのよね……。
「はぁ……」
「あら?どうかなさったのエルシェさん。お疲れかしら?」
「あ、いいえ、学習発表でちょっと慌ただしくて……すみません」
「まあ、アリシア様とご一緒できているのにいけませんわ、エルシェさん」
「皆様、エルシェさん夏の間お家のお手伝いもおありだったし、許して差し上げてね」
「「「まあ、アリシア様はお優しいですわ!」」」
「……ありがとうございます」
こんな感じの会話の流れが毎回続くの。勉強が大変だからできればお昼ご飯はゆっくり食べたいんだけど、これいつまで続くのかしら?私は無理矢理笑顔をつくった。でも今日はちょっと変わったことが起こったわ。それは……。
「まあ、お義姉様!どうしてアリシア様とご一緒なの?」
目を吊り上げて豪華な金髪が私のいるテーブルへやって来た。義妹のアマンダだ。相変わらず声が大きい……。
「ちょっと!アマンダ!こんなところで騒がないでよ」
私は立ち上がってアマンダをテーブルから離そうと腕を掴んだ。
「離して下さる?!」
アマンダは私の手を振り払った。
「わたくし、この夏の間に正式にアレックス様と婚約いたしましたの。ですからここにいるのは本来わたくしであるべきですわ!だってわたくしが正式な当主夫人ですもの!」
「まあ、それはおめでとうございます。でもわたくしがエルシェさんと一緒にいるのは、彼女がエバーグリーン家の方だからという訳ではないのですよ?」
アリシア様はゆったりとアマンダに笑いかけた。
「え?」
「わたくしがエルシェさんとお話してみたかったからですわ」
「でも……どうして……お義姉さまなんかに……」
ちょっと、アリシア様に口答えなんかしたら……。
「アリシア様の仰ってることを理解できないのかしら?」
「ご遠慮なさって下さらない?」
「ほんと、身分のあれな方って……」
「騒がしい方……」
ご令嬢様方の冷たい視線に悔しそうに顔を歪めるアマンダ。私はハラハラしながらその様子を見ていた。
「貴女はもう少しお勉強に力を入れた方が良いんでは無くて?」
「成績も下から数えた方が早いそうよね?」
「少しはお姉様を見習った方がいいですわね。教えていただいたら?」
ここでアマンダの顔が真っ赤に染まった。まずい!そう思った私は慌てて言った。
「義妹が失礼いたしました。今日はここで失礼いたします!」
急いでそう言うと私はアマンダの頭も下げさせて、アマンダの腕を掴んだ。お昼ご飯のトレーを持ってその場を辞した。
「ちょっと!お義姉様!離してよ!!」
食堂を出て、静かな廊下へ連れ出すとアマンダは抗議してきた。
「あれは何?貴族の方々に取り入っちゃって!そうやって味方につけて家に戻るつもりなの?」
「……はあ、そんなこと考えてないわ。どうしてこうなっているのか私が教えてもらいたいくらいなのよ」
私の平和なお昼ご飯タイムを返して欲しい……。
「嘘をつかないで!アーチボルト殿下といい、ユースティン殿下といい、アリシア様といい、どうかしてるわ!」
「もういい加減にしなさい!いくらエバーグリーン家がマーロの森を管理してるからって、貴族ですらないのよ?あまり失礼なことをしてしまったらどうなるか分からないわ」
「そんなことは分かってるわよ!全部お義姉様が悪いのよ!出来損ないのくせにでしゃばるから!」
うわ、アマンダが悪魔の様な形相で私を睨んでくる。また私のせいなの?
「一体何をしているの?」
凛とした声が響いた。アーチボルト殿下がいつの間にか近くに立っていた。
「アーチボルト殿下……!」
「エルシェは私達の友人だ。君は違う。エバーグリーン家の当主夫人というが、君はまだ何も為してはいない。そして今の君の様子は家族である義姉に対する態度ではないな」
「アーチボルト殿下はご存じ無いのです!エルシェお義姉様は本当にろくでもない人で……」
アマンダは食い下がろうとする。
「そのろくでもない人を友人としている僕もろくでもないのかな……?」
アーチボルト殿下の冷たい視線と声……。私は息を呑んだ。この方ってこんな表情もなさるんだわ……。
「ひっ……そんなことは……し、失礼致しましたっ」
アマンダはすっかり怖気づいたようで、走り去っていってしまった。
「アーチボルト殿下、義妹が申し訳ありません」
私は深く頭を下げた。
「君も大変な家族を持ったね。先代の当主はそこまで愚かだとは感じなかったけれど、どうやら勘違いだったようだ。今の当主は言うに及ばずだが……」
うわぁ、殿下の冷たい声が……。言われてしまったわね、お父様。家はこれからどうなっちゃうのかしら。アレックスの事は私が気にかける必要も、気にかける気持ちも無いけれど、働いている人達やマーロの森は大丈夫かしら……。私は暗い気持ちになった。
「そうだエルシェ、研究所ではありがとう。君が雑用や連絡係をしてくれて皆助かったって言ってたよ」
打って変わってアーチボルト殿下が明るい声で仰った。
「え?あ、ありがとうございますっ!お役に立てたのなら嬉しいです」
お給料をいただくからにはって思って頑張ったから殿下のお言葉はとても嬉しかった。
「学習発表の内容も興味深かったし。クローバー学園を卒業したら研究所への就職を推薦できるかもしれない」
「え?本当ですか!」
やった!もしかして就職先ゲット?!未来に光が!
「そういえばあれから、マーロドロップは作れた?」
私はドキッとした。何だか殿下の口調には探るような色が見えたから。さっきはいつもとは全然違う冷たい表情を見てしまったし、ちょっと怖い。私はポケットのお守りの小瓶の事を思いながら答えた。
「えっと、結晶ができたのは最初の一回だけでした。運が良かったのかもしれません」
「そっか、それはちょっと残念だね。じゃあ、僕も食堂に行ってくるよ」
そう言ってアーチボルト殿下は食堂へ入って行かれた。
「…………はぁぁぁぁ……緊張した」
嘘をつくのは苦手だけれどユースティン様のアドバイスもあるし、何となく結晶の作り方のコツがわかったような気がするなんて言わない方がいいわよね。ああ、アリシア様とご令嬢様方に、アマンダに、殿下と緊張続きで何だかぐったりしちゃった。裏庭のマーロの木に会いに行こう。癒しが必要だわ……。
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