いないし、探してない
来ていただいてありがとうございます。
「不思議な林……」
私は朝早くにマーロの林の中を歩いていた。夏の朝、まだ気温が上がる前で薄着では少し肌寒いけれど、私にはそれが心地よかった。
アラゴ王国の王家直轄領シンリーンの研究施設ではマーロの木の品種改良も行ってる。隣接する土地ではよりたくさんの樹液が採れるように改良されたマーロの木が植えられてる。本来は樹液の採取は毎年冬の初めが最盛期になるけれど、ここではほぼ一年中樹液の採取が行われている。
樹液の採取をする時は木の幹を少しだけ切って、ストローのような管を差し込む。そしてその管の先を容器に入れておけば樹液が流れ落ちて溜まっていく。
「不思議な感じ……寒くないのに甘い香りがするなんて……。品種改良ってすごいのね……あ」
木精さん達がいる!こちらを興味深そうに見てる。ここへ来た最初の日に(あの結晶ができた日に)、夕方ちょっとマーロの林を見学させてもらったの。ユースティン様やほかの人達も一緒だったからか、木精さん達の姿は見えなかった。気配はあったんだけどね。今朝は会えたわ。嬉しい!
お母様に教わった通りに、木精さんにはまず自分からご挨拶しなきゃ。驚かさないようにごく小さな声か、心の中で。
(こんにちは!初めまして!私はエルシェ・エバーグリーンです。よろしくね)
木精さん達が寄って来た。物珍しそうに私を見てる。
『ミエルダケジャナイ?』
『ハナセル?』
『メズラシイ?』
『ヨロシク?』
『ア』
「?」
あれ?何だかやっぱり私が知ってる木精さん達と、ちょっと何かが違うような気がする。具体的に何がって言いづらいんだけど……。
「おはよう」
私が考え込んでると、静かな声がかかった。
「え?ユースティン様?どうして?」
今、私は研究所の宿直室に泊めてもらってる。でも、ユースティン様はアーチボルト殿下とご友人の皆様と一緒に王家の別荘の邸宅に滞在されてる。なのに何でこんなところまで?ここからは少し距離があるのよ?
「ちょっと眠れなくて、散歩に来たんだ」
「そうなんですか……あ、おはようございます。ユースティン様」
驚きすぎてご挨拶を忘れるところだったわ!礼儀知らずって思われちゃう。
「うん。おはよう、エルシェ」
ユースティン様はにっこりと笑われた。
「不思議な木、不思議な林だ……」
ユースティン様がマーロの木を見上げてる。ユースティン様も同じ様に思うんだ。何だか親近感。
「あのね、エルシェ、伝えておきたいことがあるんだ」
ユースティン様が真剣な表情をしてる。
「何でしょう?」
「あまりマーロの結晶を人前で作らないほうがいいと思う」
「え?」
「君は監視されている」
「か、監視?」
そういえば、樹液を煮詰めてる時にやたら見られてる気がしてたけど……。
「どうして……」
「人間の、人の欲は果てが無い。樹液だけでも十分な恵みだと思うんだけれど、もっともっと欲しがる。欲しがってエルシェを縛り付けてしまうかもしれない。でもエルシェがそれを望むのなら……」
「っいいえ!」
私は急いで否定した。
そっか、マーロの樹液の結晶はとても高値で取引されるんだったわ。私はそんなに自由に作り出せる訳じゃないけれど、もしもそうなったら、私には自由が無くなってしまうかもしれない。学習発表は結晶の研究にしようかなって思ってたけど、ユースティン様もこんな風に仰るんだからやめておこう。
「気を付けます!ありがとうございます。私、全然気が付かなかったです……」
「エルシェは、そういうところがいいところだと思うよ」
あ、また柔らかく笑ってる……。ユースティン様のこういう顔ずっと見ていたいな……。
「そういうところ……?」
鈍いところ?
「うん、素直で、真っ直ぐなところ」
わ、ユースティン様って私の事をそんな風に思って下さってたんだ……!
「でも、本当に気を付けて」
ユースティン様が私の両手を握った。あ、あったかい……。嬉しい……いえいえ、そうじゃなくて!私はそっと手を離した。
「エルシェは私が嫌い?」
ユースティン様が悲し気な表情をしてる!ああ、これは胸がちょっと痛いわ。でも、でもね、これは、こういうのは駄目だと思うのよ。
「そ、そんなことはありません!でも、ユースティン様には国に婚約者がいらっしゃるのでしょう?」
嫌いなわけないじゃない!ユースティン様は癒しの存在よ?でも、婚約者の方に申し訳ないものね。
「……今、国にはいない……」
ユースティン様は俯いてしまわれた。
「え?いらっしゃらないんですか?」
何だか聞いていた話とは違うのね。
「では、この国でお相手を探してらっしゃるんですか?」
「…………探してもいない……」
さらにそっぽを向いてしまった。そして意を決したように私の方を向いた。
「私は……」
私を見つめて口を開いたユースティン様を遮る声があった。
「抜け駆けはずるいなぁ。ユースティン。エルシェを独り占めは駄目だよ?」
アーチボルト殿下までおいでになったわ!殿下も眠れなくて散歩なの?高貴な方々って朝に散歩するのが流行ってるのかしらね?
「アーチボルト殿下。おはようございます」
「やあ、エルシェ!何だか久しぶりだね?せっかく一緒にここへ来たのに。僕は放っておかれて寂しいな……」
「あはは、ご冗談を……」
アーチボルト殿下は冗談がお好きなのね。
「ねえ、エルシェ、今夜はささやかなパーティーを開くんだ。ダンスなんかも出来るよ。今度はちゃんと参加してよね」
え?パーティー?ちょっと嫌だなあ。エバーグリーン家でも親戚を集めたパーティーが何度があったけど、あまり良い思い出が無い。ほとんど他の人との会話が無かったし、壁の花だったし。アマンダの誕生日は盛大だったな……。私の時は無かったけど。
「いえ、私は仕事が……」
「研究所の皆も招待してあるよ。日頃の労をねぎらうためにね。それに明日はもうここでの滞在の最終日だよ?ずっと研究所に入り浸ってるじゃない」
「で、でも私は……」
ドレスなんか持ってきてないし、そもそもそんなのに参加したらご令嬢様方に何て言われるか……。
「ドレスも用意してあるから大丈夫だよ?」
「…………」
アーチボルト殿下はどうしてこんなに熱心なんだろう?あの結晶の事が報告されてるのかしら?困ったわ。
「私がエスコートしよう」
それまで黙っていたユースティン様が、ちらっとアーチボルト殿下を見て仰った。
「え?」
「えー?またユースティンが独り占めする気?」
アーチボルト殿下がおどけて言った。
「不参加よりはいいのでは?エルシェもそれでいい?」
ちょっと嬉しいかも……。でもできれば、行きたくない。
「で、でも……」
「あれ?ユースティンに恥をかかせるの?」
「そ、そんな!……わかりました。ユースティン様、ありがとうございます」
そんな風に言われたらとても断れない。まあ、元々断れなかったんだろうけれど。
とても気が重い。でもユースティン様のお側にいられるのなら心強いわ。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。