マーロドロップ
来ていただいてありがとうございます。
アラゴ王国王家直轄地シンリーン。この地にはマーロの木の林がある。そして隣接する土地にはマーロの木や樹液をについて研究する施設かある。
私の目的地はそこ。そこなの!私の心の叫びは届かない。
「あの方はどうしてこちらにいらっしゃるの?」
「ほら、エバーグリーン家の……」
「でももう家を出されていらっしゃるのでしょう?」
ご令嬢方のひそひそ声が割としっかり聞こえてる。聞こえてますよ?シンリーンにある邸宅は流石に王家の物だけあって歴史がありそうな建物でとても大きくて立派だった。その中の広くて豪華な部屋に私はアーチボルト殿下のご友人方と一緒に通された。
ただでさえ、アーチボルト殿下とユースティン様と一緒の馬車に乗せていただいてここまでやって来たことでご令嬢様方に睨まれているのだ。とても、とても居づらい……。そんな空気を救ってくれたのは銀色の髪のとても美しい公爵令嬢アリシア様だったの。
「皆様、きっとアーチボルト殿下には何かお考えがおありなのですわ」
アリシア様がそう仰ると、今まで会話には参加してなかったご令息達の雰囲気まで柔らかいものに変わった。助かった……。アリシア様って良い方ね……。私ファンになっちゃいそう!
「やあ、みんなよく来てくれたね!」
着替えを済ませたアーチボルト殿下が部屋へ入ってこられたので皆様立ち上がった。あれ?ユースティン様はご一緒じゃないのね。
「いいよ、楽にしていて。待たせてごめん」
そう言うと、アーチボルト殿下は何故か私の方へやって来た。
「これからみんなで馬で遠乗りに行くんだよ?エルシェも来るでしょう?」
またご令嬢方の空気がピリついたわ。私も馬には乗れるけどちょっとこの空気の中で一緒に行くのは避けたいわ。私は慌てて言った。
「アーチボルト殿下ありがとうございます。ですが私はマーロの研究所で働かせていただくために参りましたので、そちらへ伺ってもよろしいでしょうか?」
ご令嬢方の空気が変わった。
「なんだ、働かせるために連れていらしたのね」
「ああ、もとはエバーグリーン家にいたのですものね……」
「アーチボルト殿下、流石ですわ」
「アリシア様の仰った通りでしたわね」
「熱心だね。いいよ、手配しよう。頑張ってね。……ただ、次は一緒に来てね?」
最後の方は小声でアーチボルト殿下は私に囁いた。
アラゴ王国のマーロの木の研究施設で私は久しぶりに樹液を煮詰めていた。マーロの樹液はそのままだとさらさらした液体だけど煮詰めると、とろっとした蜂蜜みたいになる。この状態で食べたり薬の材料に使われたりする。お義母様とアマンダが来てからはあまりやらせてもらえなかった。っていうか、あまり自室から出ないように言いつけられてたのよね……。
小さい頃はお母様と一緒にやっていた作業。懐かしいわ。お母様がやっていたように、ゆっくりと弱火で煮詰めていく。こうしていると、お母様のことを思い出すわ。かき混ぜながら色々なお話をしてくれたっけ……。優しくて綺麗なお母様……。樹液がとろりとしてくると、ふっとかき混ぜる手が軽くなる。
「あ」
柄の長いスプーンでそっと鍋底を掬う。ころりと小さな結晶が上がって来た。
「おおおおおおっ!!」
後ろで歓声が上がる。何だろう?
薄い金色の雫の形の結晶を取り出した。ああ、やっぱりお母様のようには良い結晶は作れなかったわ。お母様の結晶はとても深い色をしてたもの。
「綺麗だね」
「わっ!びっくりした!」
声に振り向くと、ユースティン様のお顔が間近にあったわ!
「ごめん。驚かせてしまって」
申し訳なさそうに仰るユースティン様。王子様なのに偉そうにしない。この方のこういうところ好きだな……。あ、人としてね?
「ユースティン様、こちらにいらしてたんですね。遠乗りには行かれなかったんですか?」
私は手にスプーンを持ったまま尋ねた。
「うん。エ……いやこの研究所の視察が主な目的だったから……」
そう言うユースティン様の視線は私の手元の結晶から離れない。
「そうなんですか。……食べますか?」
「いいの?」
「ちょ、ちょっと待ってー!」
後ろで慌てたような声がするけれど、
「これはあまり質が良くないかもですけれど……」
ユースティン様がひょいっとつまんで口に入れた。
「ああああああああああああっ!」
後ろで聞こえる叫び声。
「?」
ユースティン様が今までにない程優しく笑った。私は思わず見惚れてしまった。
「エルシェみたいな味がする……」
「へ?」
私みたいな味?
「優しくて甘くて、ふわっとする」
「?????」
良く分からないけれど、美味しそうに食べてくださってるのでいいか。私はユースティン様につられて笑った。ユースティン様は何故か下を向いてしまった。どうなさったのかしら……?
「ミスエバーグリーン!!」
「あ、エルシェでいいですよ。所長さん」
この研究所の所長さんは灰色の髪を後ろでまとめた三十代前半くらいの男の人だ。お名前はマイエルさん。
「エ、エルシェさんっ!い、今のはっ!」
「マーロの飴の事ですか?」
「あ、飴ぇ!?い、いやっそれはっ…………!」
マイエル所長が説明してくれた。ごく稀にマーロの樹液を煮詰めている時に結晶ができることがある。それはマーロのゴールデンドロップ(金のしずく)って呼ばれるとても珍しいものらしい。
もちろん煮詰めた樹液は栄養があってとても貴重な物なんだけど、その結晶は更に貴重で効果の高い薬になったり、魔術の媒体になったりもする。この国には魔術を使う人はあまりいないけれど、他の国ではかなり需要があるらしくて、高値で取引されるんですって。アラゴ王国はそれをもっと確実に作る方法を研究してるらしいんだけど、中々上手くいってないみたい。
でもエバーグリーンの家では時々、鍋の中に結晶が出来てた。特にお母様がよく結晶を生み出してた。亡くなってからは結晶は出来なかったけれど。
「そんな高価な物だって知らなかったです」
私がそう言うと、その存在が知られるようになったのは最近のことだって言われたわ。どうしよう、私、普通にお母様からもらって食べてたんだけど……。これは言わないほうがいいかしら……。
「そういえば大鍋で煮詰める時は飴はできなかったわ……」
独り言のように呟くと所長さんはなにやら紙に書きつけ始めた。それから私は思いつく限りのことを伝えた。といっても小さいころの記憶だからあまり細かく覚えていなかったけれど。
「あ、あとは、そう!母は歌を歌いながらかき混ぜてました!」
所長さんはちょっと困ったような顔をした。
「歌か、うーんそうなんだ……。うんありがとう!早速実験してみるよ!おい、君達」
「はい、所長!準備は出来てます!」
「よし!!」
結果として、十数人いる樹液の研究員達のうち結晶が出来たのは二人。それもほぼ無色でかなり小さい粒状の物だった。それでも所長さんは
「やったぞ!これから実験を積み重ねていこう!本当に感謝するエルシェさん!」
と、とても喜んでくれた。
「お役に立てたなら良かったです」
「…………」
出来上がった小さな結晶を見つめていたユースティン様は何故か無表情…………というか、不機嫌そうに見えた。何故かしら?
私はその後も雑用のお手伝いなどをしながら、何度か樹液を煮詰める作業をやらせてもらえたのだけれど、結晶を作ることはできなかった。久しぶりに作ったから、ビギナーズラックみたいなものだったのかもしれないわ。
そして、私が働かせてもらってる間中ずっとユースティン様が同じ部屋で作業を見学してた。時々手伝って下さろうとするから、ちょっと困ってしまった。もちろん丁寧にお断りしたわ。もしかして、ユースティン様の国でもマーロの木を植えて樹液を採取なさろうとしてるのかしら?きっとそうね。だって、これから植樹されたマーロの林へも一緒にいらっしゃるみたいだし。将来的にはアベンチュリン王国がアラゴ王国の商売敵になってしまうかもしれないわね。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。