復学
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アラゴ王国の王都、石造りの道の先にあるレンガ造りの大きな建物。クローバー学園。
私は結局復学することにした。退学届けは受理されていなかったから、少しの間父の喪に服してお休みしてた形になった。学園に帰ってみると、寮の部屋はそのままになってて私は自然に学園生活に戻ることができたわ。
私が学園へ戻る決心をしたのは、アーチボルト殿下が熱心に勧めてくれたから、という訳じゃなくて叔母様の言葉からだった。
「頑張って勉強してきたのだから、せっかくなら卒業した方がいいわ。将来の為にも」
確かに、この学園を卒業していればいい職に就けるかもしれない。そうすれば叔母様の負担にもならなくて済むし、今まで母に代わって私を気にかけてくれてた叔母様を楽させてあげられるかもしれないもの。私は叔母様が大好きだから、何とか頑張って学園を卒業しようと決めたのだった。今は学園の二年生の夏。これからもっと成績を上げて、何かしらの研究をして成果を上げる……、うーん、ちょっと厳しいかもしれないけど何とかしなきゃね!ダメでもより良い就職を!!
ぼすんっとベッドに寝転ぶ。アーチボルト殿下は私を「マーロのお姫様」って呼んだ。でも、マーロのお姫様はもう妖精の世界へとっくに帰ってしまってる。何か勘違いをしてるんだろうね。マーロの樹液はアラゴ王国の主要産業の一つだから、ずっと私を気にかけてくれてたんだわ。おかしいと思った……。
私は手を伸ばして机の上の書類を手に取った。そして殿下は私にマーロの木精達を従わせる力があると思ってるのね。そんなことはない、だって私は普通の人間だわ。確かにみんなの姿は見えるし、声も聞こえるけどそれだけだもの。まあ、そのうちそれが分かって私に興味を無くすでしょうね。
「え?課題がこんなに出てるの?」
手に取った書類を見るとはなしに見ていたら、とんでもない記述があったわ!こうしちゃいられない。急いで図書棟へ行って本を借りてこなくちゃ!誰だか分からないけれど、教えてくれた方に感謝だわ!私はベッドから飛び起きた。
「まあお義姉様!こんな所で何をしてらっしゃるの?」
幾冊かの本を手にした私に話しかけたのは、
「アマンダ?!」
義妹のアマンダだったのだ。
「あなたこそここで何をしてるの?その制服は……」
「私はこちらの学園へ編入したのですわ。当主夫人として相応しい教養を身につけるために」
勝ち誇った顔で私を見てくるアマンダ。彼女の隣には学園の事務員さんがいる。学園を案内してたのねきっと。
「そう、頑張ってね」
私はそう言うと、部屋へ戻ろうとした。今はアマンダにかまっている訳にはいかないのよ。この課題、レポートの提出を求めているのは二年生の担当教師の中でも一番厳しい人なの。
「ちょっと待ちなさいよ!どうしてお義姉様がまだここにいるの?」
アマンダに腕を掴まれた。鬼の形相ってこんなのかしら?怖い顔。
「奨学金をお借りして、勉強を続けられることになったのよ。叔母様の助言でね。もういいでしょ?私急ぐのよ!」
「成績も振るわないくせに、しがみついちゃってみっともないわね!いい?私達はもう他人よ!今度会っても話しかけないでね?」
いえ、今まさに話しかけてるのはあなたでしょ?まあ、いいわ。
「ええ、それでいいわ。じゃあね」
それだけ答えると私は寮の自室へ急いだ。本当に今それどころじゃないのよ……!
それから二日程かけて課題を全てこなした私は、学園の裏庭のマーロの木の下のベンチでぼーっとしてた。この裏庭にはほとんど生徒が来ないので、私はしょっちゅうここに来て安らぎのひと時を過ごしているの。
「もう、ダメかと思ったわ……。間に合って良かった」
『エルシェ、ガンバッタ』
『エラカッタ』
「うん、ありがとう!」
さすがアラゴ王国の王都の学園なだけあって、裏庭にはマーロの木が何本か植えてある。何故か妖精界へ帰らなかった、何人かの木精達は学園までついて来てこのマーロの木にいつもいるようになった。裏庭は私のいる寮にも続いているから、いつでも木精さん達と会うことができるの。お友達が少ない私にとっては心強い存在だわ。
「でも、あなた達は帰らなくてもいいの?みんな妖精の世界へ帰ってしまったのに」
私は目の前の光達に話しかけた。
『エルシェ、スキ』
『ズットイッショ』
『ココニイル』
「みんな、ありがとう!私も大好きよ!」
囁くように伝えてくれた言葉に私はとても感激したわ。本当は木精さん達はずっと妖精の世界へ世界へ帰りたがっていた。婚約を破棄されて家を出されたあの時にみんなとお別れになってしまうのだと思った。でも、私のそばに残ってくれる子達がいて本当に嬉しいの。
突然、バサバサッと紙が落ちる音がした。驚いて音がする方を見ると、ユースティン殿下が落としたと思われる書類を見て呆然としていた。
「ああ、大変っ」
私は急いで駆け寄って、書類を拾い集めたわ。風で飛ばされては大変だから。
「あ、この字……」
私はあることに気が付いた。
「はい、たぶんこれで全部です」
私はユースティン殿下に拾い集めた書類を渡した。
「あ、ありがとう。拾わせてしまってごめん……」
殿下は恐縮したような、照れたような表情をしてる。
「いいえ。こちらこそありがとうございました、殿下!」
「え?」
ユースティン殿下は戸惑ったような表情をした。ユースティン殿下をアーチボルト殿下と比べて無表情でとっつきにくいっていう人達もいるけれど、そんなことはないと思うの。よく見るととっても表情豊かな方なのよね。
「休んでる間の課題を調べて書き出して下さったのはユースティン殿下ですよね?ありがとうございます。とても助かりました」
私は深く頭を下げた。拾い集めた書類にはとても綺麗な文字が並んでた。その文字は寮の机の上にあった課題を知らせる紙にあったものと同じ筆跡だったのだ。ユースティン殿下は私とはクラスが違うのにわざわざ手間をかけて下さったのね。この方はこんな風にとても優しい方なのだ。私はユースティン殿下が結構好きだわ。あ、人としてね。殿下には祖国に婚約者がいらっしゃるってお話だもの。
「ユースティンと……」
「え?」
「……殿下は止めてもらいたい」
「え、でも……」
王子様を敬称略なんてできないわ!
「……お願いする」
わわっ!頭なんて下げないで!
「ユ、ユースティン様!頭を上げてください」
「ありがとう」
そう言ってにっこりと笑われたユースティン様はとても綺麗だった。あら?黒い髪かと思ってたけれど、風に揺れて陽に透けた髪は薄い緑色に見えた。春の若葉みたいね。
私はユースティン様の婚約者という方の事が少し羨ましくなった。こんなに優しくて素敵な方が側にいて下さったらとても幸せだろうから。私は自分の婚約者だったアレックスの事を思い出していた。彼も最初はとても優しくて、にこやかな男の子だったのにな……。
以前はエバーグリーン家の親戚の子ども達と一緒に何回か遊ぶ機会があったんだけれど、回数が重なるにつれて私は仲間外れにされることが多くなっていった。アマンダが加わるようになってからかしらね。そしてアレックスにも無視をされるようになったの。当時は訳が分からなかったし、学校が忙しくなるにつれてみんなで遊ぶ機会も無くなっていった。だからそんなに気にはしてなかったんだけれど、どうやら私は呼ばれなくなっただけみたいだった。一度だけみんなが街中のカフェで集まっているのを偶然見かけたことがあった。みんなの中心にはアマンダとアレックスがいて、とても楽しそうだった。
「どうしてこんなことをするの?」ってそのカフェに入っていけたら良かったんだけど、ショックが大きすぎて何も出来ずに家に帰ってしまった。それからはそのことを考えないようにして過ごしていたわ。だって家でも家族にはほぼ相手にされてないし、何か私が駄目だったんじゃないかって思ってしまったのよね。それからは私は木精さん達と時折会う叔母様しか話をすることが無くなっていった。使用人の人達との会話も減って更に孤立していったわね……。
お義母様の策略とはいえ、王都の学園で寮生活が出来るようになって本当に嬉しかったわ。だって、お友達と呼べるような人は少ないけれど、誰も私を無視しなかったのよ。普通に話してくれるし、挨拶も笑顔でしてくれるし、質問にも普通に答えてもらえる。もしかして、私は何も悪くなかったのかもしれないって思えるようになったのよ。
「どうしたの?大丈夫?」
考え込んでいたら、ユースティン殿下じゃなかったユースティン様が心配してくれた。ああ、こういうのも実は嬉しかったりするのよね。と、そうじゃなかったわ!
「いえ、なんでもありません!ちょっと課題を急いでこなしたので、頭がぼーっとしちゃって。ご心配をおかけしました。本当にありがとうございました!」
これ以上ユースティン様のお時間を取る訳にはいかないわよね。私は頭を下げると寮の部屋へ戻るべく踵を返した。私はユースティン様の事も内緒でお友達の一人に数えることにしたわ。もちろん実際にはとても口には出せないけれど……。
思ってるだけならいいわよね?
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