君は怪しい賢者くん
賢者ローグが新居へ引っ越しをするという。
俺は耳を疑った。俺たちの旅立ちまで一週間を切っている。この時期に新しい家へ移るというのはどういうことなのか。本気で魔王討伐をやる気があるのか、その覚悟が疑われるというものだ。
パーティの士気にも関わるため、俺は仕方なくローグの家に行く。
「賢者ローグ、何を荷造りしているんだ。出発までもう一週間もないのだぞ」
「あれえ、魔法使いハーディじゃん。いいところに。そっちの端っこ持ってよ。段ボールをまとめるのって難しいよね」
「よしきた。俺がここを抑えてるから、お前はそっちから縛り紐をグルッと回してって…違ーーうっ!」
俺は荷造り紐を放り出して叫んだ。
「アハハハ、さすが売れっ子魔法使いだね。ノリツッコミのキレが違うよ」
ローグが感心して俺に言った。
「ふざけるな。真面目に答えろ。何でお前は今になって引っ越しをしようとしている。帰還した後のことは考えないというのが俺たちの約束だったはずだ」
この間、勇者のハーツを眠らせてようやく彼女?から引き離したばかりだ。何でこのパーティは変な奴ばかりなのだ。
「実はね…引っ越しじゃないんだ。アパートを追い出されちゃって。アハハ」
何でアハハなのか全然判らない。
「何をしたのだ。魔法で大家さんに迷惑でもかけたのか。それとも勇者ハーツのように女を連れ込んで大家さんに迷惑をかけたのか。あるいは戦士バロンのように戦いの踊りを毎夜のようにドカドカ舞い踊って…」
「大家さんに迷惑をかけたというほどではないよ」
ローグがニコニコして俺の言葉を遮った。
「ハーディみたいな魔法は使えないし、ハーツのようにスケベでもない。それからバロンみたく野蛮でもないし。エヘヘヘ」
相変わらず何が嬉しいのか不明だ。脳内にお花畑でもあるのかもしれない。
呆れた俺の顔を嬉しそうに眺めてローグはニコニコと言う。
「でね、ハーディ。出発まで住むとこないんだ。ハーディの家に」
「絶対嫌だ」
「まだ言ってないじゃん」
こんな奴と一週間だけでも共同生活なんて御免被る。一日だってストレスがたまるに違いない。
でも、俺来週からこいつと長い旅に出るんだっけ。そういえばあの色ボケ勇者も一緒だった。ホント憂鬱になってきた。
そこへドアを開けてやってきた中年の男性がいる。
「大家です。…あ、賢者さんのお友達の方ですか」
友達ではない。
「友達ではありません。まったく」と俺が言う。
「そうそう、友達です。大親友!」と賢者ローグの声が被さる。
大家は俺とローグの顔を交互に見較べて困惑気味だ。
「アハハハハ、ひどいな。魔法使いハーディ、友達だろ」
いつお前と友達に。
俺は幸せそうな顔をしているローグを睨む。
様子を伺っていた大家は俺の方に体を向け、おずおずと切り出した。
「あの…お友達の賢者さんのことでお願いが」
しつこいな。友達じゃないっつうに。
「家賃が滞納しておりまして」
勇者パーティの一員が家賃滞納でアパートを追い出されるなど聞いたことがない。何なんだ、こいつ。
「再三お願いしたのですが、お支払いがありませんで…やむなく」
「おい、賢者ローグ」
「なんだい?親友の魔法使いハーディ」
違うって。
「親友ではないけれど確認したい。お前賢者だよな」
「えっ?…うんうん。そうそう。賢者、ケンジャ。アハハハ」
絶対違うな。少なくとも俺の知ってる賢者ではない。
「いつから家賃滞納してるんだ」
「えええ?いつからだっけ?」と賢者。
「最初から、一度も」と大家。
「最初、王国認定の賢者様ということでしたので、敷金も礼金もすべてゼロでお貸ししたのですが一度も入金がございませんで」
ございませんか。
「以来、3年間まったく一度も入金なしでございます」
でございますか。俺は呆れた。酷すぎる。
「それは酷すぎるな。ローグ」
「照れちゃうよ。エヘヘヘ」
…何だか背筋が寒い。本当にこいつと魔王の討伐に出かけるのか、俺は。
「賢者という言葉の意味がよくわからなくなる出来事だ」
「大丈夫だよ、ハーディ。僕も判らないし。アハハハハハ」
どういう経緯でこいつが賢者に認定されたのだ。
「あの…大親友の方、少しだけでも立て替えてお支払いいただけませんか」
大家が俺を上目遣いで見た。来るんじゃなかった。
「絶対嫌です…と言いたいところですが、勇者パーティの評判に関わりますから少しだけ立て替えます。残りは魔王討伐が終わってから…ということで」
「無事にお帰りになるんでしょうね」
「…もちろんそのつもりですが。命がけですから確かなことは」
「ではもう少し戴かないと」
「アハハハハ、大変だよねえ。命がけだもん…ぷっ」
そこに笑顔のローグが口を挟んで、何がおかしいのか吹きだした。
カッとした俺は思わず一発奴の頭をはたいた。
「殴るぞ」
「痛てててて、殴ってから言わないでよ。もう僕に厳しいんだから、ハーディは。アハハ」
もう数発殴りたいところだが、辛うじて俺は我慢した。
「こうしましょう」
「うん、そうしよう」
間髪入れずに賛成するローグをほうって置いて、俺は大家に相談を持ちかける。
「この立て替えのお金でこいつを生命保険に加入させます。受取人は…」
「なるほど。私ですね」
大家が得心して頷いた。
「王国の公式保険会社なら勇者パーティメンバーの加入を嫌とは言わないでしょうな」
「保険料の支払いは王宮宰相のギニョールに頼んでおきます」
俺は高慢ちきな宰相の無表情を思い浮かべた。
俺は賢者ローグを振り返る。
「だいたいお前、王国からは3年前けっこうな支度金をもらっていたはずだろう。何に使ったんだ」
「えっとね、勇者にガールズバーに連れてってもらって、戦士バロンに競馬と競輪とパチスロに連れてってもらって、それから…」
「もういい。それでも…お前、城に勤めに行けば給金がもらえる筈だぞ」
「エヘヘヘ、一回も行ってないや」
「…何でだ」
「えええ。働くの嫌いなんだよ。アハハハ。痛てっ」
「殴るぞ」
「殴ってから言わないでってば。ひどいなあ」
だいたいこいつは腕力もなければ、剣技もない。魔法も癒やしも使えない。そしてこのだらしなさである。いいとこがないじゃないか。…うん?あれ?…あれあれ?
「おい、賢者」
「なんだい、魔法」
やっぱ魔法って俺のことか。どいつもこいつも。
「お前、そもそも何で勇者パーティに入ってるんだ。いったいどういう役割を受け持ってるんだ」
「王様がね」
あのアホ王か。
「ついてってもいいかって聞いたら、いいよって。アハハハハ」
俺は愕然とした。あの勇者パーティ募集オーディション、俺は長年の修行で身につけた大魔法を死に物狂いで披露し、だがあまりにも無理をしたため、それから数日は動けなかったくらいだ。
それが「ついてっていい?」「いいよ」って何だ。
もう一発ぶん殴ってやろうかと思って拳を握りしめた瞬間、また玄関がノックされ数人の男が部屋になだれ込んできた。
「ローグさん、出発前にお支払いを!」
「困りますよ。賢者様、ツケが溜まってます」
「こら、この馬鹿賢者野郎!借金払え!」
馬鹿賢者野郎って…生まれて初めて聞く呼称だ。賢いのか馬鹿なのか。
これはパーティの名誉に関わる。ハーツの女性問題を凌ぐ…いや、同じくらい由々しき問題だ。
「おい、賢者ローグ…」
俺が怒りの眼を向けると、ローグがヘラヘラ笑いながら借金取りと大家の前に立った。
「仕方ないなあ。やるか」
ローグが唇の右端をピクピクと上げて、ウインクをする。
金返せと憤っていた男達が一斉に身体をこわばらせ、それから脱力した表情となった。
「ねえ、借金待ってくれる?」
「…?うん?はいはい。いいですよ」
どうなっている?借金取りたちも大家も幸せそうな顔で賢者ローグの言いなりだ。
「おい、どういうことだ。お前何をした?」
「うーん。真心をこめて頼むと、たいがい言うこと聞いてくれるんだ。ありがたいことだよねえ」
何だ、こいつ。この性格破綻者がどの口で真心と…そうか、アホ王もこれでやられたのか。恐ろしい能力だ。ある意味無敵じゃないか。
賢者が俺の方に向き直る。あっ…
「ねえ、討伐への出発までハーディのところに泊めてよ」
嫌だ、絶対、ずえっっっったい!嫌だ。
ローグが唇の右端をピクピク、ウィンク。
賢者のくせに、ほぼ魔王の笑みを浮かべてローグが言う。
「ねえ、ハーディ。夕ごはんはスキヤキが食べたいな」
嫌だって。やめろ。最悪だと思いながら、幸せな俺の口は勝手に動く。
「ああ、いいぞ。もちろんだ」
次は聖女の話…の予定です。お楽しみに。