閣下方のちょっとした災難
昼時に、いつもの密会場所にやってきたアンドリュー。ウィンスレットはまだ来ていなかったので、ホッとする。待つ間、アンドリューは、今日は商家が来ると楽しそうにしていた娘を思い出す。
(また、新しい料理かなー、今日の夕食は)
「すまぬ。待たせたか?」
「(うおぅっ!)いえ、閣下。あの、お昼を先に済ませますか?」
「ん、ああ、そうだな(このポヤッと見える男から、あのようにしっかりした娘が生まれるとは、何という摩訶不思議か。ん?いや違うな。ぽやっとして見えるだけで、芯もあれば胆力もあるし、目端も利く。やはりこの男の娘だけはあるのか?)」
失礼なことを考えながらウィンスレットは、アンドリューに返事をする。アンドリューはそそくさとお弁当をサミュエルに渡す。
「この金属の箱は?」
丸い金属の蓋付きの容器を見て、首を傾げるウィンスレット。
「これですか?なんでも第三騎士団が駐屯先で使っている弁当箱だそうですよ。こうして、蓋をきっちりロックできるので、中のものがこぼれにくいのだそうです。隣家の子が休暇で戻ってきた折に、トリアが見せてもらって、購入したものです」
アンドリューは、説明しながら蓋を開ける。
「ほう。第三の駐屯先といえば、サフォークであったな」
「はい。ここが取っ手になってまして、火にかけられるようになってるんだそうですよ」
「ふむ。戦場で温かいものが食えるのだな」
「そのようです」
「アーノルドが見たら、また騒ぎそうな。しばらくそれは見せないように」
黒い砂糖を食べて、非常用携帯食にと先程騒いでいた弟を思い出す、ウィンスレット。トリアのおかげで、アーノルドも一旦引いたが、次にどういう手で来るのか読めず、複雑な胸中のウィンスレットであった。
「はい。ですが、うちの官舎はまとめて買ってますので、うっかり他の誰かが見せてしまったら、おしまいかと。アーノルド閣下は、よく、第五にいらっしゃいますから」
「……」
なぜ即断即決なのだ、そなたらはと、ウィンスレットが目だけで物を言う。
「いえ、便利だと皆、思いましたから、その日の内にまとめて注文を。そのほうが安くなるのです。みんな、重宝しているようですよ」
ウィンスレットの言いたいことを読み取って、返事をするアンドリュー。サミュエルは、毒見を終えて弁当をウィンスレットに渡す。
「これは?」
「えっとですね、ピラフといいまして、リーゾと小エビ、野菜をコッコのスープで炊き上げたものと、ハムとポテトのサラダ、コッコの粒マスタード焼きですね」
アンドリューが読み上げたメモをサミュエルが受け取り、ウィンスレットに渡す。
「リーゾは確か、陛下が即位する前、ご自身の直轄地で収穫したものを、こちらに贈られていたはず。そのまま、誰も手を付けなかったような?」
少し前に行った穀物蔵の棚卸しを思い出して、ウィンスレットがつぶやく。
「今は亡き殿下方が、鳥の餌など送ってきたとおっしゃっていた記憶が、ございますよ」
主従が顔を見合わせ、じっと弁当の中身に視線を向ける。
アンドリューはと言えば、いそいそとピラフを一匙すくって、口に放り込んでいる。上司が手を付けるのを待たなくなった程度に、ウィンスレット慣れが起き始めている、アンドリュー。
「……美味しい!うちの娘は料理上手!でも、絶対、嫁にはやりません!」
親ばかを発揮しているアンドリューを横目に、ウィンスレットが覚悟を決めて一口ピラフを食べる。
「うまいな」
一言つぶやいて、後は無言で完食したウィンスレットだった。
「アンドリュー、報告を」
「はい。外宮の料理人、数名に予算着服の可能性が出てまいりました。まだ決め手に欠ける段階で、この後、調査部に回し、確定させる予定です」
「ふむ。今、その料理人の名は分かるか?」
アンドリューは、着服疑惑のある料理人のリストをサミュエルに渡す。サミュエルはさっとそれに目を通し、ウィンスレットに渡した。
「誠に申し上げにくいことなのですが」
サミュエルが、言いにくそうに自分が行った、外宮と内宮の、料理の質の調査結果を話し始める。
「ん?」
「私の調査結果とこのリストを照らし合わせる限り、閣下方担当の料理人は白でございますね。なんと申しますか、予算を着服するために、安い素材や少ない量で、より美味しく作る努力はしていたようですね。今回の横領の容疑者たちは」
「「……」」
それを聞いて、唖然とするウィンスレットとアンドリュー。
「各重役部屋の毒見に、食糧危機の回復具合を知りたいから、提供されている料理の味の変化を教えてくれないかと、頼んだのですよ」
「ふむ」
「(うまい手ですね)なるほど」
「こちら、その期間の料理の味をポイントで評価してもらったのですが、容疑のかかっていない者は、食糧危機以前はそれなりの質のもの、食糧危機中はやはり量や質が落ち、回復しつつある今は元の水準に戻っているます。一方容疑者たちの方は、危機中でも、量が減ることがあっても、変わらぬ味のものを出していたようです。おそらく、着服がバレては困るという意識からでしょうね」
数値化した書類を、ウィンスレットに手渡すサミュエル。
「努力の方向性が、おかしいと思うのです」
弁当配達がまだまだ続くという結果をもたらされたアンドリューは、静かに怒っていた。その怒り方はトリアとそっくりだった。
「そして衝撃の結果の、閣下方の料理人なのですが。前王陛下の崩御の際に、新しい料理人に変わっておりまして……」
「……変わっておったのか?」
「変わってたんですね」
「理由はおそらく、閣下方の安全性を高めるためかと。宰相閣下の指示でした。私も、パーシーもその際に陛下からと宰相閣下より毒見石を賜りましたため、我々は新しい料理人の料理の味を見ておりません。推測になりますが、料理人の腕に問題があったという結論に至りました」
ウィンスレットとアーノルドの担当料理人も、王と同じく、人柄優先、腕は二の次にされていた模様。ウィンスレットは、自分に返ってきたブーメランに無言になるしかなかった。
「大丈夫ですよ!料理人の数が減りますから、担当が変わるやも知れません」
アンドリューが希望的観測を言う。
「もっとひどくなる可能性もあるな?」
「「……」」
あっさり、ウィンスレットにひっくり返されるが。
「閣下、どうしましょう?」
途方に暮れてアンドリューが、ウィンスレットを見つめる。
「どうもこうも。料理人の腕を何とかするしかなかろうよ」
憮然として答えるウィンスレット。
「外宮の料理人は、陛下の管轄ですよね?」
アンドリューが、暗に他人の人事に口出しは、まずいのではと聞く。
「ああ」
「(閣下がおいしい食事を諦めるという解決方法は駄目と……)方策が欠片も思いつきません。いっそもう、外宮の料理人全員、横領してくれてたほうが、楽だったと思うのはいけないことでしょうか」
「そりゃ駄目だろうよ」
横領犯を検挙するより面倒な事態に、頭を抱える三人であった。
・ ・ ・ ・ ・
トリアとアーノルドは見合ったまま動かない。ちなみにまだ通用門の前である。
マシューが家に戻ろうと言った際に、いきなりアーノルドが何も言わずに、トリアを抱き上げようとしたのだ。アーノルドは、歩幅が小さいトリアを、自分で運ぶつもりだった。
トリアは、父と母が誘拐を心配し、祖父や第五の騎士まで巻き込んで、鬼ごっこという名で、誘拐犯からはひたすら逃げることを実践で学ばされていたため、条件反射でひょいとその腕を躱してしまう。
行きは一応、ウィンスレットの言葉もあったし、丁寧に声をかけられたため、サミュエルにおとなしく抱っこされたのだが。
「トリア?」
「閣下?」
お互いに何が起こったのかわからず、首を傾げて見つめ合う。
「そなたが小さいから、我が抱き上げて運ぶ、こい」
「なぜ、閣下が?」
「我が一番、体力があるし、適任だからだ」
料理人たちはこの後料理という大事な仕事もあって、腕を疲れさせてはいけない、護衛騎士は護衛の仕事、近習は近習の仕事、一番手が空いているのは自分という、効率重視で判断をしたアーノルド。端的に答えすぎたため、トリアには通じず、拒否される結果を招く。
「マシューさんが引く、荷車に乗りますから、閣下の手を煩わせません。ご配慮、感謝いたします」
流石に二度も三度も偉い人に運ばれるなどという、特別待遇はまずいと判断したトリアは、マシューの方に向かおうとして、引き留めようとしたアーノルドの手をまた、するりと躱す。
「むっ?待て、トリア。この後、料理をするマシューに、負担をかけるな!」
「マシューさんは、そこまで非力ではございませんし、私、そんなに重くございませんよ!」
まだ小さく、体重も軽いトリアが、マシューの負担になったことなど一度もない。なのにかなり重いかのようにアーノルドに言われ、珍しくカチンと来たトリア。
「グダグダ言わず、そなたのような小さな子は、目上の言うことに従い、我に運ばれればよいのだ」
「謹んで、お断り申し上げます(なぜ、後でややこしくなりそうなことを、されねばならないのです)」
通用門の詰め所からの視線を感じ取ったトリアは、きっちり断る。
「むぅ。ならば力ずくで行くのみ!」
何故か意地になるアーノルド。簡単に抱き上げられる思っていたのに、サラリと躱されたことで甚く、武人魂に火をつけられたようである。
「なんでですか!」
抱き上げようとしたアーノルドの腕をかいくぐる、トリア。
それから、しばし攻防があってからのお見合いである。通用門の詰め所にいた第五騎士達はといえば、誘拐の実践訓練が、成果になって現れた瞬間に感動していた。
((((トリアちゃん、閣下から逃げ切って!))))
マシューたち料理人とパーシーは、あっけにとられて声もかけられない。護衛騎士のテッドだけが、感心したように声を上げる。
「あの、アーノルド様の動きを躱すとは!小さいのにすごいですね!いや、逆に小さいからこそ、手加減せざるを得ないアーノルド様には、捕まえにくいのか?」
勝手に、解釈する始末。
見合いが続くかと思われた時、パッとトリアが身を翻して官舎方向に走り出す。それを慌ててアーノルドが追いかける。
我に返ったマシュー達も追いかけ始めるが、マシューは荷車を引いているため、スピードが出ないし、そもそも他の料理人二人も走ることには特化していないため、結局、あとを追いかけられたのは護衛騎士のテッドだけである。デュボアなど、すでにパーシーに支えられている。
「「「「はぁああ」」」」
「……俺らはゆっくり行こう。どうせ官舎に行くだけだ。あれについていく義理も義務もないったら、ない!」
マシューの言葉に、パーシー達も頷く。官舎の手前で、マシューたちはアーノルド達に追いつく。
「テッド!回り込め!」
「はい!」
「「「「なぜ、二人がかりの捕物に?」」」」
変化した状況がさらにわからず、首を傾げるマシュー達。
テッドが、走るトリアの前になんとか回り込むも、息が上がって膝に手をついてしまう。
「ち、ちょっと待って……」
「待ちません!よっ!」
トリアはそのままテッドに突っ込み、馬跳びの要領でテッドを飛び越していく。
「えっ!?えっ!?ト、トリア嬢!?」
「な!?テッド!休むな!追え!」
「ちょっ、も、無理ー」
「テッド、そなた後で特訓だ!」
「そんなー」
その場でへばるテッドを追い越し、アーノルドがトリアを追いかけるも、マシューの家に先にたどり着くトリア。
「着いた!」
「トリア嬢の勝ちです!」
トリアの発言に、思わずパーシーが、トリアの勝利判定をしてしまう。負けたアーノルドはがっくりと、その場に膝から崩れ落ちる。
パーシーはそんな主を置き去りにし、トリアのもとに行き、その腕を掴んで高々と支え上げる。
「勝者、ヴィクトリア!」
騎士たちの試合で行われる勝利者宣言を、パーシーが行う。
「勝ちました!」
よくわからないまま、料理人三人とたまたま居合わせた第五の騎士数人が、トリアの勇姿に盛大に拍手する。
「ちょっと!パーシーさん!冗談が過ぎます!」
テッドの抗議に、いい笑顔で言い切るパーシー。
「ものすごく、スカッとしましたので、つい」
パーシーの言葉に、つい頷きそうになった第五の若い騎士たち。
(((パーシー様、アーノルド閣下に色々思うところがありすぎたんじゃ?)))
パーシーの笑顔にガクブルする、パーシーの苦労をそれなりに知る料理人たちであった。
「我が君、飲み物ですよ。テッド殿も」
マシューの家の居間で、ぐったりしているアーノルドとテッドに、パーシーがマシューの用意したレモネードを運んできた。礼儀作法や上下関係は、二人が疲れ切っているため、無視されている。
「なぜだ?」
レモネードを飲みきったアーノルドがつぶやく。
「何がです?」
アーノルドの自問に、パーシーが聞き返す。
「なぜ、トリアは我とテッドから、逃げ切れた?」
アーノルドは自分が武人として、そこそこ器量があるという自負をしていた。それ故、事実が受け入れられず、悶々としている。
「足早すぎ、フェイントうますぎ、反射神経抜群、持続力もそこそこ。向こうは逃げに徹してますもん。こちらは怪我させないように、手加減して捕まえようとしてるんですから、負けますよー」
真顔で聞くアーノルドに、同じくレモネードを飲み終わって、少し息を吹き返したテッドが言う。
「まあ、たしかに身のこなしは、育ちの割に良かったですね。令嬢が全力疾走し、あまつさえ、あのように騎士を飛び越えていくなど、私、初めてみました」
パーシーが首を傾げながら言う。パーシー自身、トリアはそこそこいい家の子女らしく躾の行き届いたお嬢様の認識であったから、あそこまで走り回れるとは思っていなかった。
「わたしもですよ!どっちか言うと騎士の家の男の子……って、一応トリア嬢、騎士の家系の子でしたね。アームストロング卿のお孫さんでした!」
「貴族の血筋ですが、令嬢ではありませんでしたね、そう言えば」
あれっ?と首を傾げるテッドとパーシー。そこにマシューとダグラスが、アーノルド達の分の昼食を運んでくる。
「閣下!お昼をお持ちしましたよ」
「マシュー!トリアは何なんだ!」
「へ?」
「なぜ逃げ切れた!」
「ああ、そこですか。そりゃ、逃げ切りますよ。第五の騎士達相手に鬼ごっこして、二時間は逃げ切るんですから。ホンの五分程度、何の問題もないでしょうよ」
ちなみに、逃げ切られた騎士の方は後で地獄の特訓が待っている。決して、騎士たちも手を抜いているわけではないのだ。
「「……」」
「ブハッ、なんですかそれ?鍛え方がおかしいですよ!」
「アームストロング副騎士団長が、孫の誘拐防止に、逃げるコツを伝授したんですよ。鬼ごっこだと偽って。トーマスのとこの末っ子も、書記官見習いですが、おんなじぐらい上手に逃げますよ」
「「……」」
「マジもんかっ!?そりゃ、負けるわ!」
マシューにけろっと言われて、やけくそで叫ぶテッド。アーノルドとパーシーは、目が点のまま、最早、耳も口も仕事をしていない。
一方のトリアは、台所で頭を抱えていた。デュボアは、昼食を取りながら、それを見ているだけだが。
(なんてこと!アーノルド閣下に抱きかかえられるよりも、状況がひどくなったではありませんか。閣下と鬼ごっこ?しかも他の目がある場所で?何をしているのです、私……)
自室ならベッドの上で、のたうちまわていたであろう。
だが、トリアが思うほど、状況はひどくはなっていない。他の目と言ったところで第五の騎士たちである。
アーノルドのすることについては、安全に関わること以外、完全黙秘が自分たちの精神的安寧と、カスタードプティングのころから暗黙の了解になっている。
鬼ごっこにしても、トリアの勝利で、自分たちがトリアに教えたことが無駄になってないと実感できたし、アーノルドを負かしたトリアに、よくやった!と思いはすれど、非難する気は欠片もなかった。アーノルドの日頃の行いのせいである。
「テッド!」
「はい?」
「第五と共同訓練だ!」
「はぁ?」
「王族を守る近衛のそなたらが、子どもを追いかけた程度で早々にへたばるようでは、話にならん!我も自身を鍛えなおす!よいな!」
「えええええー(ちっともよくないですー)」
「負けられぬ!食うぞ、テッド!」
パーシーが確認した食事を猛然と食べ始めるアーノルド。それとは対象的にがっくりと項垂れたまま、食事をするテッドの姿があった。
パーシーはと言えば、アーノルドが真面目にやる気になったようで良かったとニコニコである。