日常
財務部に勤めるようになったアンドリューが、いつからかお弁当を二つ持ちするようになり、二年が経った。
トリアはそろそろ八つの誕生日が近づき、話し言葉もだいぶマシになり、家格(平民ではあるが貴族と繋がりのある家)相応になっていた。アリシアも、ようやく体調が戻り、みんなを安心させた。
お隣のジュードは、次兄のルーファスと同じく書記官を目指して、一の郭にある外宮の書記官部屋の見習いになっていた。
家族官舎の裏庭で飼っていた鶏たちも順調に増え、今では、そこそこ立派な鶏舎が建っている。鶏の世話は、家族官舎の大人たちが当番で行っている。
そして、卵は、家族官舎だけでなく、独身騎士寮の食堂に卸せるほど、採れるようになっている。
家族官舎で捌けない余分な鶏も、第五騎士の中で競りにかけられ、売れたものは家族官舎の共同貯金に回されて、食材や生活用品の共同購入にあてられている。鶏まる一羽はごちそうなので、祝い事に使われたりするのだ。食糧危機から学んだ知恵である。
トリアとジュードは毎朝、子どもができる仕事として卵を集め、家族官舎に住むそれぞれの家庭に卵を届ける。ジュードはその後、身支度を整え、ルーファスとアンドリューと一緒に登城する。
残った卵をトリアが、独身騎士寮の食堂に届けるまでが卵集めの仕事である。
最もその前に、トリアは母と一緒に、いつの間にか増えたお弁当を作るのも、朝の仕事の一つであった。
(父様、夕べはすごい苦い顔をして、明日はお弁当三つ、一つは騎士盛りでっておっしゃったけど、騎士盛りってどれぐらいなのかしら?マシューおじさんに聞いてみよう)
マシューは騎士寮の食堂の朝の仕込みがあるため、出勤時間がトリア達の卵集めの時間と重なる。迎えに来たジュードと一緒に、大きなあくびをしながら家から出てきたマシューに、いつものように挨拶する。
「「マシュー小父さん!おはようございます!」」
「ああ、おはよう。卵集めか?」
なにか言いたげな視線を、空のかごに向けるマシューに、トリアがどうしたのか聞く。
「嫌な、コッコの卵のおかげでここに住む皆が助かったのは、重々承知なんだがな。とあるお方のせいで、俺はこの五年ほど、ずーっとカスタードプディングを作るハメになってる。卵を見たくないって思う日が、来るとは思わなかったぜ」
「誰かに作り方を教えちゃて、代わりに作ってもらったら、駄目なんですか?」
「!そうだな!そうだよな!誰かに押し付けりゃいいんだよ!そうだった!あのお方のせいで、俺が作らなきゃなんて思い込んでた!ありがとうよ!トリア!今日も、卵、待ってるぞ!」
「はあ(おじさん、わたし、押し付けろとは言ってません、押し付けろとは)」
急に元気になって、職場に行こうとしたマシューを、慌てて引き止めるトリア。
「マシューおじさん待ってください!」
「おっ、おう?どうした?」
「あの、食事の量で騎士盛りってどれぐらいなんですか?」
「ああ。そうさな。普段、俺やアンディが食べてる量が、文官盛りっつて、大人の男の一人前だ。その、まあ倍が騎士盛りだな。トムがそれっくらい食べてんだろ?」
「「わぁ」」
「驚くのはまだ早いぜ?騎士見習い達、育ち盛りは、もっと食いやがるからな。けどなぁ、食糧危機の時は、腹いっぱい食わせてやれなくてなぁ。トリアが祝のコッコを食べないって大泣きして、飼い始めてくれて、どれだけほんとに助かったか」
「うん。卵が食べられて、コッコの肉が増えるようになって、僕もすごく感動したもん」
うっすいポリッジ(燕麦粥)だけから、徐々に卵や鶏肉のおかずがつく回数が増え、食生活がマシになっていくのを実体験したジュートの言葉は、すごく実感がこもっていた。
「そうね、ジュード。今じゃ、鶏舎まで建って、鶏糞が近郊の農家に売れるようになりましたものね」
なぜか官舎の裏庭に鶏舎が建てられ(どこから資金がでたのかはトリアは知らない)、第五の独身騎士寮の食堂に食材を卸しに来る商家と、最初は鶏糞を野菜などと物々交換していたが、最近は買い取ってもらっているのだ。
食糧危機が続いた時期、食堂に卵を届けに行ったトリアが、追加で農作物を買う代わりに鶏糞と交換できないかと商人に聞いたのである。金をもらっても、作物に限りがあり、売りたくても売れない商家に、なら肥料になる鶏糞で、農作物を増やしてもらって、その分をもらえないかと提案したのだ。その先は、マシューとアンドリューの交渉によって話がまとまっていった。
「ウィンスレット閣下が、第五は騎士なのに消費するだけじゃなく、稼ぐようになったと喜んでたってさ」
「「え」」
「鶏糞がいい肥料になるようでな、結構、いい値を付けてくれるんだとさ」
「「へー」」
「おっと!腹をすかせたのが待ってるから、行ってくるな!って、そうだ!トリア!」
「なんでしょう?」
「嫁さんが、今日、当直明けなんだ。朝飯頼めるか?」
「もちろんですよ。かわりに、オーブン借りていいですか?」
「おお、いいぞ!リサが帰ってきたら、頼みな!じゃあな!」
「「行ってらっしゃい!」」
「僕たちも、卵早く集めて、皆に配っちゃおう」
「そうだね」
二人は卵の配達まで済ませ、家に戻った。
「母様、今日はお弁当三つでしょ?一つは倍なんですって!マシューおじさんが言ってた」
「うふふ。トリアは見たことなかったわね」
「ああ!母様は、お祖父様や伯父様方が食べる量をご存知だから!」
第五副騎士団長の娘の母なら、騎士が食べる量は知ってたかと、うっかりしてたなと思う、トリア。
「ええ、そうよ。あなたのお祖母様はね、お兄様たちが騎士寮に入ったときに、肩の荷がやっと下りたとホッとされてたわ」
トリアの伯父たちは祖父の教育方針により、見習いの歳になったら騎士寮に放り込まれていたのだ。
「騎士の食べざかりが三人は、すごかったでしょうねぇ」
縦にも横にも、何なら声も大きな伯父たちは、妹であるアリシアと一人しかいない姪っ子のトリアを猫っ可愛がりしている。
「わたしなんて、見てるだけでお腹が一杯になってたわ」
「ふふふ」
「さあ、トリア。急いで朝食とお弁当を作ってしまいましょう」
アンドリューからリクエストのあった卵焼きのサンドイッチ、それにポテトサラダのサンドイッチ、鶏むね肉のチーズ挟みフライ、千切りした人参のマリネを四角い蓋付きのかごに詰めていく。
「できた!余っちゃいましたね。お母様、そうだ!お隣のリサさんが当直明けだから、朝食に持っていって構わないですか?」
「いいわよ」
「後、マシューさんにオーブンを借りたので、食材を少し分けてほしいんです」
「いいけど、ご迷惑にならないようにね?じゃあ、お父様を呼んで、朝食にしましょう」
食堂に降りてきたアンドリューと一緒に朝食を食べ始める。
寝起きがあまり良くないアンドリューは、ボヤーッとしたまま、濃く入れた紅茶を飲んで、なんとか目を覚まそうとしている。
「母様は、今日は何をするんですか?」
「メグさんと一緒に、本宮の急ぎの繕い物の仕事をする予定ですよ」
本宮の女官であったメグは、結婚後、本宮の内職を請け負っているのだ。体調が戻ったアリシアも、それを手伝っている。
「父様、今日のお帰りは?」
「んー、今日で予算会議が終わるから、早く帰れるはず」
「わかりました。母様と一緒に美味しいもの作って待ってますね」
「うん。頑張って早く帰ってくるからね」
朝食後、トリアは、朝の片付けをアリシアと一緒に終え、まだボヤーッとしているアンドリューに、いってきますと挨拶をして、食堂に卵を届けに家を出る。
トリアは卵の入ったかごを持って、卵を割らないように慎重に食堂に向かう。騎士寮の裏手にある食堂の厨房の勝手口に回る、トリア。
大きな声で訪いをすると、ドアが開いて料理人見習いがトリアを中に入れる。見習いはかごを受け取ると、トリアに待つように頼んで、卵を収納所に持っていった。
かごが返ってくるのを待つ間、トリアは厨房の隅から食堂の方をこっそり覗く。
(……あれが、マシューさんの言ってたあの方かな?みんなと着てるものが違うし。なんか、すごく嬉しそうにプリン食べてるなぁ)
若い騎士たちから遠巻きにされ、周りに花を飛ばす勢いで、カスタードプディングを味わって食べるアーノルドを見て、トリアは人目を気にせずあんな顔されたら、マシューも作るのを止めるに止められないんだろうなと思った。
見習いから空になったかごを渡され、家に戻るトリア。
「「……はぁ」」
戻ったトリアは、玄関先でアリシアと隣のメグが、顔を見合わせてため息を付いているのに、遭遇する。
「母様、メグ小母さん、どうしたんですか?」
「「お弁当を持っていくのをね……」」
アンドリューとルーファス、ジュードがお弁当を持っていくのを忘れたらしい。
「まあ、外宮には文官の食堂があるから、大丈夫でしょ。あたし達でたべちゃうかい?」
「それが……、もう二つは人から頼まれているものなんですよ」
「おや、そうだったのかい」
「父様、今日は増えた分、絶対、忘れられないとかなんとか、夕べ、おっしゃってませんでしたか?」
トリアの問いに、事情を知るアリシアは溜息をついて、そうなのと答える。
母親の困った顔に、トリアが提案する。
「母様もメグおばさんも、本宮からの急ぎの繕い物があるんでしょう?お昼ごろに、わたしがもっていきましょうか?今からもっていっても、きっと、父様の仕事の手を止めちゃうでしょ?」
「トリアちゃんは通行証がないから、一の郭の通用門止まりだねぇ。そこでジュードを呼び出してもらうしかないねぇ」
思案げに首をひねるメグ。一の郭には王の住まう本宮と政務と軍部の中心が集まっていて、許可の下りた者しか入れないようになっているのだ。
第五騎士団は貴族街のある二の郭の一部に大部分が集約され、一の郭にある第五騎士団本部には騎士団長や参謀、事務方が詰めているだけなのだ。アンドリューは、財務部に移る前はこの第五騎士団本部の、勘定方だったのだ。
「皆さん、おはよう!」
「「「リサさん、お帰りなさい!」」」
「ただいまー。みんな揃ってどうしたんだい?」
マシューの妻で第一騎士団の騎士であるリサは、本来、一の郭にある王宮群の警備防衛が任務の第一騎士団の官舎に住むはずなのだが、夫と一緒に居たいために、二の郭にある、王都警邏及び防衛が任務の第五騎士団の家族官舎に住む許可を得ているのだ。
メグがリサに状況を話す。
「なら、わたしが外宮まで、トリアに付き添うよ。わたしが通行証代わりになる。わたしも昼頃に、第一の本部に顔を出さなきゃいけないんだ」
話を聞いたリサが、トリアの付添を快く申し出てくれる。
「ご迷惑じゃないかしら?」
「いやいや。いつも、当直明けの朝は、アリシアさん達にごちそうになってるんだもの。これぐらいじゃ、恩を返したうちに入らないさ」
アリシアの言葉に、リサは首を横に盛大に振る。
「ありがとうございます!リサさん、よろしく願いします。後、今日はオーブンもお借りしたいんですが」
トリアがリサに話を続ける。
「ああ、いいよ。火傷にだけは気をつけるんだよ」
「トリアは、オーブンで何を作るんだい?」
興味を持ったメグが聞く。
「お茶請けを」
「うちの分も頼んでいいかい?必要なものを言っておくれ」
「わかりました!小麦とバターと牛乳と砂糖です」
「よっしゃ、ちょっとまってな!すぐ、用意するよ!アリシアさん、それから一緒にうちに来ておくれ!」
「ええ」
「はい!」
「じゃあ、善は急げだ!」
メグの言葉に、それぞれの家に戻って、準備を始めたトリアたちだった。
メグとアリシアから材料を受け取り、リサの分の朝食を持ってトリアはマシューの家に行き、アリシアはお針箱を持ってトーマスの家に行く。
「リサさん!朝食どうされます?」
「先に少し寝るよ。起きたら、食べる。うちの食材も好きに使っていいから、うちの分のお茶請けもよろしく!」
「はーい」
居間のソファに寝っ転がるリサを置いて、勝手知ったるマシューの家の台所に行くトリア。メグが奮発してくれたため、結構な量の材料が手に入り、トリアはどうしようかと少し悩む。
(簡単に大量にできるのにしよう。ロッククッキーかな。プレーンなのと、ナサニエルお祖父様に頂いた、干しぶどうを入れたのにしよう)
トリアは作るものを決めると、オーブンの火を熾し、温め始める。そして、自分専用の踏み台を作業台の前に起き、手を洗ってから、生地を作り始める。
出来上がった二種類の生地を、スプーンですくって、薄く油を引いた天板に落としていく。
ロッククッキーは、成形の手間がないので生地の分量さえ間違わなければ、簡単に手早くできるのだ。トリアはせっせとオーブンに天板を入れ、焼いていく。その間に次の分の生地を作って、量産体制に入る。
「……ふぁあ、いい香りだね」
クッキーの焼ける香りに誘われて、リサが起き出してくる。
「おはようございます。お湯沸かしますね」
「ああ、いいよ、いいよ。お茶ぐらい淹れるから。また、えらく一杯作ったんだね」
あら熱をとるために、作業台に広げられた分と、すでに冷めて、かごに入っているロッククッキーを見て目を丸くするリサ。
「あはは、トム小父さんのところは、みんなよく食べるから多めです」
「ああ、そうだった!わたしは同僚に持っていきたいから、少し多めに分けてもらえる?」
「いいですよ。けど、第一の騎士様方のお口にあいますか?」
一の郭に勤めるとあって、実力もそうだが、訪れた貴族を抑えるために、どうしても家格の高い家の者が集まってる第一騎士団。
「合う合う。ああ見えて、野戦訓練もやってるし、食糧危機で何でも食わなきゃ力が出ないって身にしみてるから、良い家の出ではあるけど、悪食が多いんだ。トリアの作るものならごちそうだよ」
「はあ。じゃあ、袋に分けておきますね」
「ああ、頼む!」
リサが紅茶を淹れる間に、トリアはリサのブランチを用意する。
「どうぞ」
「お!美味しそう。アンドリューの好きな卵焼きサンドだね。お父さん、愛されてるねぇ!……ふぅ、美味しいねぇ」
ごきげんに食べるリサと話をしながら、最後の生地を焼き上げて、片付けに入るトリア。
二人でクッキーの味見をした後、トリアはメグにクッキーを届けてから、外宮に出かける準備のために家に戻り、リサも出かける準備をしに自室に戻った。
「トリアー!出かけるよー」
「はーい!今行きます!母様、メグ小母さん、いってきます!」
「気をつけてね!」
「リサさんお願いします。トリア、リサさんの言うことよく聞いてね!」
「はい!」
見送りにでてきたアリシアとメグに手を振って、二人は一の郭の通用門に向かった。
一の郭の隔壁にある第五騎士専用の通用門で、第五騎士団側の詰め所と第一騎士団側の詰め所で、トリアは訪問理由を書き、リサを保護者として、手荷物検査を受けて一の郭へと初めて足を踏み入れた。
「先に第一騎士団の本部詰め所に寄るね」
「はい」
トリアの歩調に合わせるため、いつもより時間をかけて第一騎士団本部詰め所に立ち寄るリサ。詰め所の一般職員用の通用口から中にはいり、同僚を呼んでもらうリサ。
「リサ!」
「リジー。これ、カスタードプディング。皆には内緒だよ」
「わかってるって」
リサからかごを受け取ったリジーは、ニヤニヤが止まらない。
「後、これを皆で分けて」
「なにこれ?今、食べていい?うわっ!いい香りー」
リサからさらに渡された紙の袋を開けて、中を確認するリジー。
「こら、開けるな。数があんまりないんだから、バレたら困るのはあんたたちでしょ」
「ハッ!?そうだった。彼奴等ときたら、いいとこのボンボンなのに鼻だけはきくんだから」
「いやいや、あなたも十分いいところのお嬢さんでしょうが」
「えへへ。じゃあ、また明日ねー」
「またね。さあ、外宮に行こうか」
「はい」
リサの用事を静かに待っていたトリアに声をかけ、リサは外宮へと足を向ける。