自分自身の育て方
二頭立ての四輪箱馬車には、トリア、ナサニエル、ウィンスレット、デニスが乗り、ジョージとモリスは第五の馬に騎乗して護衛をする。
通用門の詰め所の騎士に手を振って見送られたトリアたちは、三の隔壁にある第三門に向かう。
「トリア、そなた先ほど通用門の騎士から何を受け取っていたのだ?」
馬車の後ろでゴソゴソしていたトリアと騎士が気になって、ウィンスレットが確認する。
「長靴ですよ。風車小屋の辺りがどうなっているのかわかりませんでしたから、靴を変えたほうがいいかも知れないと思ったのです。馬車から降りられるのでしょう?」
「?」
「汚れた靴で、お店に入れませんよ、閣下」
「なるほど」
「それに、手入れの必要な上等な短靴で、舗装されてないかも知れない場所を歩かれては、衣装管理の者が泣きます。汚れたから捨てればいいなど、人の労をないがしろにするような傲りは、滅びを招きますよ」
「すみません。私が、動くべきことでしたよね」
トリアの言葉に、デニスが自分がやるべき仕事に気づき、しょんぼり謝る。
「デニス、そなたのせいではない。本来、前もって行き先を告げ、用意のための日取りを取り、周りに準備させる余裕を与えるのが主なのだ」
慌てて、ウィンスレットがフォローに入るも、デニスは真面目な顔で首を横に振る。
「我が君、サミュエル様から先を読んで、主が支障なく動けるよう用意するのが近習の仕事だと教わりました。私はまだまだ足りぬのです。トリア嬢はなぜ気づかれたのです?」
デニスは、自身の足りぬ部分を埋めようと、トリアに話を聞く。そんなデニスを大人二人は微笑ましげに見る。
本来なら、近習が会話の中心になるなど、礼儀に反するのだが、仕事で話すことのある上司と部下であっても、休日に話すことのないウィンスレットとナサニエルでは、馬車の中で気まずい沈黙が降りる可能性のほうが高く、子どもたちが会話するのなら丁度いいと、聞き役に徹することにしたのだ。
「私ですか?人から色々な話を聞いて、情報や知識を蓄えているからです。今回はそうですね、祖父と母から、格式のあるお店に伺うから、身なりは整えねばならないという話を聞いていましたし、いつも食材を卸しに来る商家のご主人や三の郭を警邏する第五騎士の皆様から、隔壁の外は、中程には舗装されている場所が少ないという話を聞いていたから、想像したに過ぎません」
「想像だけですか?」
「ええ。確実な情報ではありません。本来でしたら、主から前もって予定を聞き、行く場所を調べ、情報を確実に集めて精査し、状況対応するのが筋でしょう。けれど、いつでも、余裕のある対応ができるとは限りません。今日はそうなりましたよね?」
「ええ」
「その場合は、普段から、どれだけ多くの情報や知識を入れておくかが、重要になります。そして、集めたものを価値ある情報として、応用できるだけの知恵が要求されるのですよ。当然、想像だけですから、対策をいくつも用意し、その中の一つが当たれば良い方程度の、精度の悪い準備になりますけどね。実際、これから行く風車小屋の周りが舗装されていれば、長靴は無駄ですし」
「なるほど」
「いや、無駄にはならんぞ。あそこは舗装されておらぬから、短靴では向かぬ。昔の事ゆえ、すっかり忘れていた。すぐに思い出せればよかった。済まなかったな、デニス殿」
「恐れ入ります。イーデン財務官、情報ありがとうございます。今後の用意に役立てますから」
ナサニエルが、大昔に仕事で行ったことを思い出し、デニスに情報を伝えるのが遅くなったことを詫びるが、デニスは、あえて感謝を伝えるに留める。
「デニス様は、相手の立て方をよくご存知だから、それを忘れずに。そうすれば、いつでも相手から情報を引き出しやすくなります」
「はい!諸先輩方から謙虚であれと教わりました!」
「できる近習というのは、謙虚さを忘れず、経験を多く積んで、その無駄な対策を減らした結果であったり、想像力の精度を上げた結果に過ぎませんよ。ですから、デニス様の足りないというのは、現時点での正しい自己評価なのです」
「いろんな方からお話を聞いて、想像するのですね」
「正確に言うと、聞いた上で、想定問答を自分の中でするのですよ。そうすれば、自分が何をわかっていないか、わかります。そうすれば何をどの人に尋ねればいいのか、的確な質問も自ずと分かるようになるのです」
「例えば?」
「今日でしたら、そうですねぇ、なぜ、閣下は風車小屋に行こうとしているのか?これを起点にしてみます」
「はい!」
「デニス様は、閣下がどのような場面で風車小屋の話をしていたか、また他の人が風車話をしていたか思い出せますか?」
「えっと、昨夜、陛下とのお食事の時に、出ていたはず。リーゾを粉にするのに必要だとか、使われていない風車小屋があるとか」
「ここで重要なのが、どなたと話していたかも含まれるのです」
「会話の相手も情報ですか?」
「ええ。陛下とお話されたということでしたら、政策に関係していたり、王族に関係するお話である可能性もあります。そうなると風車小屋の重要度が、上がりますよね?」
「あ!えっと、リーゾが食べられるようになれば、小麦にのみ依存することがなくなると、おっしゃられていました。……そうか、食糧危機に対応できる穀物が、増えるんですね!とても重要なお話です」
「ええ。次に、自分は、風車小屋のことをどれだけ知っているのか、というところに立ち返ります」
「えっと、我が国では風車で小麦を粉にしています。……すみません、それだけです」
「では、情報を整理しましょう。閣下は、リーゾを粉にするために、風車小屋を必要としていらっしゃる。食べられるものが、増えるから」
「はい」
「そして、使われていない風車小屋を見つけられた。そのお話を陛下にされた。風車小屋は、小麦を挽くためのものである」
「えっと、風車小屋を見に行くのは、まずその風車が使えるかどうか、ご自身の目で確認するためでしょうか?」
デニスの言葉に、ウィンスレットが頷いて肯定する。デニスはそれに、パーッと表情を輝かせる。
「デニス様、では、もっと突っ込んで考えてみましょう。【使える】というのがどういうことか確認するためには、条件出しをする必要が出てきましたね?」
「そうですね!小麦を挽くためのものなので、リーゾを粉にできるかどうかわかりません。朝、ダグラスさんとデュボアさんに、リーゾを見せていただいたのですが、小麦より小さくて硬いのだそうです。粉にするのに力がいるから、今日は非番の近衛騎士に、お仕事を頼んだのだそうです、パーシー様が。風車があれば、楽になりますね!」
「ええ、そのとおりです(これか?これが、お茶菓子がなくなる理由なのか?)」
((茶菓子で労力を釣り上げたのだな))
想定問答が楽しくなってきたデニスと違って、三人は、時間厳守の理由が、近衛騎士の食い気次第であることを知り、遠い目になる。
「後、風車小屋は使っていないものだから、修理の必要や掃除の必要も出ますよね?」
考え込んでデニスが言う。
「ええ。その程度は、実際に物を見なければわからない。見ておかねばならない、重要なことですね。他にも情報を今から、追加できますよ」
「どうやって?」
「今、居る人に尋ねるのです。例えば、イーデン財務官吏とか、アームストロング副騎士団長に」
話に出されて、慌てて姿勢を正したナサニエル。
「お話を伺って良いのでしょうか?」
「お二人が会話や仕事をなさっているのなら、声をかける機会やかけ方は要求されますね。自分や相手の立場を上手く使う必要もあります。それによって、引き出せる情報量や精度も、変わってきてしまいますね」
「上手に聞ける自信がない場合は、どうしたらいいのでしょう?」
「自分より上手に話を聞き出せそうな人に、聞いてもらえばいいのです。そして、その人のやり方を学んだり、もっと上手な人を探し出したりするのです。これも積み重ねですね」
「どうやるのでしょう?」
「デニス様、貸し一つですよ。いつか、返していただきますからね」
「あわわ」
「ふふふ。デニス、高い買い物になるかもしれんぞ?」
「わ、我が君?」
「閣下、子どもを脅さない。デニス様、頼む相手によっては、対価が必要ということが学べて、良かったではないですか」
「ふん。その対価によっては身を滅ぼすこともある。デニス、頼む相手は見極めよ」
「はい、我が君」
「では、デニス様。まず、私達の立場です」
「えっと、私は閣下の近習見習いですね。トリア嬢はイーデン財務官吏とアームストロング副騎士団長の親族です」
「デニス様なら、閣下のためという札と、見習いのため物事をよく知らないから教えを請いたいという札が使えます。もちろん逆に、見習いゆえに、聞かせられぬと言われることもございましょう。それも当然、判断材料となります」
デニスは、それにうなずく。
「私は、孫という立場から聞ける範囲の情報に制限を受けます。部外秘は話していただけません。ただ、孫だからこその気安さはあります。なので、今回の場合なら、デニス様は、私に質問をし、私から祖父に聞くという形が取れます」
「……トリア嬢は、今から行く風車小屋について、なにかご存知でしょうか?私は、初めて外に出るので、良く知らないのです」
少し考えたデニスが、質問をひねり出す。トリアはそれにニッコリ頷いて答える。
「私も、初めてなので、良く知らないのですよ。お祖父様は、なにかご存知ですか?」
「ふむ。なら儂がわかる範囲でよければ。まず、今から向かう場所は、現在は空位の、マジョラム公爵の所有地で王族の所有地にあたる。現在の管理は陛下になるが、陛下にお子が生まれれば、下賜される可能性もある場所だな」
「「なるほど」」
「風車小屋は公爵家の持ち物だが、風車番の一族が居るはずだから、稼働はしておらずとも保持はされているはずだ」
「え、お祖父様?人がいるのなら、先にそこに連絡を入れる必要があるのでは?」
「第五の騎士が、向かう旨を伝えたはず。ジョージに抜かりはない。閣下が来ることは、伝わっているだろう」
トリアの質問に、ナサニエルが少しも大丈夫でないことを言う。
「お祖父様、それは、相手にしてみたら、何故いらっしゃるのかわからなくて、不安のどん底に落とされるってことではありませんか?」
二人の話を、デニスは自分に置き換えて想像してみる。しばらく放置されていたのに、側仕えの控え部屋に、騎士から閣下が来るとだけ連絡があったら?と。
「ものすごく、心配になります、間違いなく。私は、閣下をおとめしなければいけなかったのでは?」
相手の立場がよくわかったデニスは、青ざめてナサニエルの方を見る。
「ホッホッホッ、デニス殿、大丈夫。問題があれば、儂が閣下を連れてきたりせぬよ。相手に後ろ暗いことがなければ、向こうに到着した閣下が、保守点検をきちんとしていることをお認めになって、問題ないで終わる話だからの」
そう言って、ナサニエルはデニスの頭を撫でる。
「お祖父様、それ抜き打ち検査ではありませんか」
「ゴホン。たまには必要なことであろう?財務は特にそうだ」
ウィンスレットがきまり悪げに身じろいで、答える。
「まあ、そうですけど」
「身が引き締まる思いです。いつでも見られていると、緊張感を持って、仕事にあたれということですね」
「デニスは素直でよろしい」
ウィンスレットはデニスを褒めているが、ナサニエルとトリアは顔を見合わせて、デニスにたまに息抜きさせないと、頑張りすぎて、今日みたいにまた倒れそうだと肩をすくめ合う。
「閣下、お褒めに預かり光栄です。あと、私は、風車番をよく観察しないといけないのですね、どういう態度をとっているのか」
「ああ、頼んだぞ」
「はい!イーデン財務官様、マジョラムの風車小屋に行ったことがあるのですよね?」
「一度だけな。見習いの頃に税吏の供をして訪れたことがある。その頃は、マジョラムの風車で王城用の小麦を挽いておった。公爵位にあった第三王子殿下がお亡くなりになり、管理者不在な上に、ツィール平原の焼失で挽くべき小麦が届かなくなり、稼働が止まったんじゃ」
「お祖父様、収穫が戻った今、稼働していないのは、なぜです?」
「実質的な管理者不在状態が続いておるのと、生産地に近い場所で、まとめて小麦を挽くようになったせいじゃな」
「……つまりなんですか、兄君達が管理されていた土地も、陛下の肩にずっしり、のしかかっていらしゃると?」
「そう言うことじゃ」
「思ってた以上に、ギリギリのところで国を回してるんですね」
「そうだ」
「人的余裕は、欠片もないの」
大人二人が、トリアの言葉に真顔でうなずく。
「あの?」
まだまだよくわからないデニスが、トリアの方を見る。
「端的に言いますと、今、陛下に管理できている小麦を処理している場所が、少ないということです」
「はい」
「その少ない箇所に問題がでたら、供給が一気に滞ります」
「あ、小麦粉が渡らなくなって、民が飢えるということですね」
「ええ。手足になる人はいるのに、それを動かす頭になる人が足りないため、分散させたくても出来ないというのが現状ですね」
「急ぎ、管理者を育てる必要があるのですね」
「マジョラムの場合、直轄地ですので、管理は王族が一番ですが、存在そのものが今ありません。次点で、王族の信頼の厚い臣下となりますが」
「残念ながら、代理をできるほどの余裕が諸侯にもないのが現実でな、王族である私が頑張ることにしたのだ」
真面目な顔でウィンスレットが続ける。
「それでリーゾですか(ええカッコシイですね。ごま団子が食べたいだけでしょうに)」
「「?」」
「リーゾが今、一の郭の備蓄庫にあるのだそうです。後、リーゾは、陛下が王子時代に統治されていた直轄地の穀物なので、管理しやすいものなのですよ」
首をかしげるデニスとナサニエルに、トリアが情報を流す。
「リーゾがあれば、小麦に問題が出来ても対処ができる?」
「そう言うことだな」
「我が君、やっと実感を持って重要だとわかりました」
「うむ。理解してくれる側近が居るのは頼もしい」
「閣下、がんばります!」
「お祖父様、仕事が増えたようですよ」
「そうじゃな」
トリアに言われて、遠い目になるナサニエル。今日は孫の買い物と、閣下のただの暇つぶしに付き合うつもりだったのに、重要な案件が待ち構えていたのだ。詐欺もいいところである。
「?」
「デニス様、わかりやすく言うとですね、ウィンスレット閣下と陛下がマジョラムの管理人で、その代理をお祖父様がするか、探すかするということです。税吏や財務のベテランですから」
「そういうことだ。イーデン家の者は、何をやるべきかすぐ理解してくれるから、重宝するのだ。デニス、財務関係はイーデン家のものに頼れ、良いな」
「はい!」
「くっ、孫娘と買い物を楽しむはずだったのに。閣下!貸しですぞ!」
「わかっておる。出来たリーゾの粉をトリアに融通するゆえ、そなたも茶菓子を作ってもらえ」
「「違う!そうじゃない!」」
「ぬ」
「なぜ、私が、閣下の借りを払わねばならないのです?閣下の融通は、自分も茶菓子が欲しいからでしょうに!」
「返してもらったうちに入りませんぞ!閣下の利のほうが大きいではありませんか!納得ゆきませぬ」
「ちっ、バレたか」
「「バレたかじゃありませんよ!」」
「トリア」
「お祖父様」
「「ここぞという時に返してもらうぞ」いましょうね!」
「ちょっ!?そなた達?」
「「遠慮しません!」」
「「イーデン家の家訓は、貸したものはしっかり返してもらうですからな!」ね!」
「なるほど、パーシー様が、トリア嬢のやり方を見習えとは、こういうところなのですね」
「デニスっ!?そこは見習うでない!そなたは、素直なままでよいのだ!」
「大丈夫です!素直に学びますから!」
「違う!違うぞー!」
そこで馬車が止まり、先に着いて、辺りの安全を確認し終えたジョージがドアをノックし、開ける。
「閣下、着きましたぞ。何を大騒ぎしておいでか?」
「ジョージ、聞いてくれ!そなたの孫と盟友がひどい!」
ウィンスレットは最早取り繕いもせず、昔からお忍びについてきていたジョージに訴えてみる。
「何を謂わっしゃる。ひどいのはどなたか!閣下が先に、孫と祖父の仲を邪魔したのではありませぬか」
「うぐっ」
「閣下は、効率を重視しすぎて、情を忘れがちじゃと、ご自身でもおっしゃっておられますでしょうが。わしも未だに、妻との街歩きを邪魔されたことは、忘れておりませんからな!」
(閣下ったら、ジョージお祖父様たちのデートの邪魔もしてたんですね。それは恨み骨髄です)
トリアは、まあと口を手で抑えて、ウィンスレットを見る。
「ウッ、反省する」
ウィンスレットの訴えは却下され、自分の所業をあげつらわれることになったうえに、反省させられた。なんだかんだ、トリアの家系はどちらも、権力に負けないだけのふてぶてしいさが、持ち味のようであった。
「誠に深く反省なさってくだされ。さて、閣下。長靴をお持ちしておりますから、履き替えてくだされ。石畳ではありませぬからな。トリア、そなたは一度、わしが抱えて番小屋に連れてゆくから、そこで長靴に履き替えなさい。淑女が夫以外の男に、足を見せることなどあってはならん(というか、可愛い孫はわしが死守する!)。デニス殿、閣下とご自身のことは任せましたぞ」
そう言って、デニスに二人の分の長靴を手渡すジョージ。
「はい、アームストロング卿、承りました」
「モリス、閣下の警護抜かりなくな。ネイサン(ナサニエルの愛称)、そなたの分の長靴じゃ。トリア、おいで」
もう一足の長靴をナサニエルに渡し、トリアを抱えて、風車近くにある番小屋に連れて行き、中に孫娘を入れ、長靴を手渡す。
「履き替えたら、靴はそこに置いて、出ておいで」
「はい、お祖父様」
トリアの返事を聞いて、ジョージは戸を閉める。
「ジョージ、管理人を呼んでくるぞ」
「ああ、ネイサン頼む」
ナサニエルは、昔の記憶をたどって、風車番の住む家に向かう。
風車番の一家は、ドギマギしながらウィンスレットたちを出迎え、風車を案内した。風車の中はきちんと掃除され、保守点検されており、いつでも粉が挽けることを風車番が、ウィンスレットに伝える。
ウィンスレットは、風車番の一家に、今まで守ってきてくれたことの感謝を伝え、今後の事を話した。
風車番の一家は、安堵の声を漏らし、これから来る新しい仕事への意欲を見せる。ウィンスレットは、一家に、準備が整うまで風車の保守を頼み、トリアの買い物に戻った。