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カブトムシの牝

作者: 比我 鏡太朗


 カブトムシが居た。牝のカブトムシだ。コンビニの前。苦労して地面から離すとやはり何とも美しいフォルムである。黒い塊に、キュートな目が着いている。丸みを帯びたお尻。胴体と頭部の括れ。比率も美しい。足の長さも細さも何とも適切である。丸みと黒々とした艶のある装甲が宝石のような重さと存在感を称えている。


 夏の風物詩。子供の頃は、小太りでどんくさそうな雄の片割れでしか無かったこの牝も実は、美しいのだと気付かされる。愛らしいのだ。鳴かないのが良い。飛べばブンブン煩いが。子供の頃は、雄が飛び立つ姿を見ようと執拗に傾けた木に昇らせて部屋で明かりを落としてその勇姿を目に焼き付けた。やはり、重量があるのか、羽を拡げる仕草も勇壮だ。ただ、飛ぶんじゃない。飛ぶと言う覚悟が、その仕草にあり、其れが格好良いんだ。儀礼的なんだ。武士道なんだ。

 まず、黒い羽を開く。その前に天辺まで行って角度を作る。もう此の角度が格好良い。何故なら、登りきった先にあるのは、空だから。

 決して、後ろへ後退しないんだ。カブトムシはバックをしないんだ。舞われ右をして、戻るかもしれない。でも、後ろ足では歩かない。其れは、間合いを図るときだけだ。戦いの時だけだ。交尾の時だけだ。補食の時だけだ。バックじゃない。間合いなんだ。逃げるときは、踵を返す。其れは、しっかりと敵に背を向けて取るんだ。

 決して、後ろ足のまま下がって隠れるようなことはしない。そういう造りなんだ。


 そうやって、天辺まで登ると黒い羽をパカッと開く。その時の角度は決まっていて、中途半端に開いたりしないんだ。颯爽と重厚に迷いなく開くんだ。其れが難儀なことは、音のする事で分かる。その羽の重さが。正確には、それは羽ではなく、外皮なんだ。扉なんだ。黒い両扉が開かれて其処にドレスが仕舞われている。その繊細なドレスは、レースのようで透けている。その透けたレースが折り畳まれているのを拡げるんだ。其れが空飛ぶマントなんだ。空飛ぶマントの半透明な絹と黒い外套に託された巨体の中には、本当の生命が流れている。その黒いダイヤの閃く姿の中に本当の生命のあられもない背中が垣間見える一瞬間の儚さに鈍い音は、生命の灯火を燃やして飛び立つ。カーテンにへばり着くため、束の間の自由を噛み締めるため、今より低い地面に降りるため、ただ、本能のままに飛ぶために。


 牝の方が良く飛ぶ。其れは、性格では無いかもしれない。其処に人間を投影するのは、エゴかもしれない。

 しかしながら、コンビニの前でカブトムシを捕まえた私は、やはり童心を擽る物があったからだろう。掴んでみると、中々地面を離してくれない、ガッチリとその鍵づめで地面を掴んでいる。昆虫学者でもない私は、やはり自己本位的に欲求本位で述べると此れはこの生命が持つ生存戦略なのであろう。昆虫にしては、流石王様なだけあって、大きな身体を持っていて、敏捷性に欠ける。その為の甲羅のような昆虫的外郭に覆われた身体であり、この強靭な鍵づめと其れを支える胴体だ。


 


 ひっくり返った牝はバタバタと手足で空を掻いている。掴む物の無い手足は、何も掴めずヒラヒラと踊るだけだ。演技なのだろう。

其れが牝の仕草なのだろう。さも無防備な仕草をして私を誘っているのだろう。仰向けにされ、起き上がれずにいるカブトムシは延々そうしているのだろうか。赤子のように起き上がれず、為す術を知らずに生き絶えるまでそうするのだろうか。其れは、人間がもたらした死なのだろうか。答えは、イエスでありノーだ。何故なら、あのカブトムシが起き上がれる事を私は知っている。正確には起き上がる運命に在ることを。そして、あのカブトムシが起き上がれない事も私は知っている。

 私が、コンビニに昼食を買いに行った店先に其れを見付けた時、確かに地面を這っていた。其れを他でもない私が拾い揚げ、少しだけ人の通らなそうな端に避けた。何ら安全とは言えない数メートルも離れていない、同じコンビ二の店先に。店から出てくると仰向けに為っていた。辺りを見回しても、道路に面した其処は、民家に面した藪や木が在るにはあり、コンビニの前と道路にも草地があるが、所詮森には程遠い。其れが彼らにとって何を意味するかも私は知らない。そんな所まで来て、彼らはどうするつもりだったのだろう。帰るつもりだったのだろうか。


 あのカブトムシは、きっと起き上がるだろう。風が吹けば起き上がる。猫がじゃれつけば起き上がる。羽を痛めれば起き上がる。

 あのカブトムシは、きっと何処かで野垂れ死ぬのだろう。起き上がれずに、少しだけ移動する。コンビニの明かりの下で。猫に弄ばれる。少年に弄ばれる。無関心な誰かの不注意で命を落とす。森に帰る迄に力尽きる。


 

 黒い塊は、童心の象徴であり、裏切りの象徴であった。その美しさが裏切りであり、雄のように角が無く、勇ましく無く、死とは無縁では無いことが裏切りであり、その美しさに童心を持った今の年老いた私だから、死を身近に感じる私だから気付かされる事が裏切りだった。

 ただの連れ合いは、もうただの連れ合いではなく、一匹の生き物として私には映り、それでも雄を想起させる牝であった。


 私がカブトムシの黒さに引かれる少し前、鳥籠に入れた小鳥が歌うより前に、黒いワンピースに幾度か遭遇した。決まってコンビニの店内であったのは、私の生活が一辺倒の繰り返しだったからであろう。

 妙に惹き付けれた。蒸し暑い夏にしっくりとあい、梅雨の明けきらぬ天候の不安定な先の読めぬ急な雨空にも合いそうなそん光景だった。若い女性達は、その黒一色のワンピースから白い肌を出し、存在感を証明していた。決まって、晴れていた。その蒸し暑さを吹き飛ばすかのような黒だった。涼やかな黒だった。決して、曇りきった空や、雪吹きすさぶ冬や、秋空の紅葉を背にした黒ではない、夏の暑さの黒だった。綺麗であり、一風堂々とした、生命を称えた黒だった。

 そんな、女性達とを見送りながら、視線を交わしながら圧倒される私は、惹き付けれる私は何色だろうか。随分と汚い色をしていて、目も当てられないはずだろう。


 

 「どうだった?今日の映画は?」男は、段ボールで壁一面を覆った蒸した部屋に入るなり、独り言のようにそう言った。

 「面白かったよ。女優のアンス・ハーテルンが宝石のように美しくて砕けちゃうんじゃないかってハラハラした。お姫様のように上品な暮らしをしていた彼女が地下街に囚われて、ポールオと出会って堕ちていくのがとても甘美的で切なかったわ」

 「そう。」男は、そう一言答えた。

 「お願い、氷持ってきて、暑くて溶けちゃいそう」哀願するような顔で弾んだ声を出して女は、言った。

 部屋から出てきた男が女の部屋に戻ると両手に抱えたペットボトルを、部屋に並べていった。部屋の中央にいる女を囲むように離れた場所に抱えたペットボトルを並べていく。部屋の床は、ビニール袋が敷き詰めれており、二面に面した窓は、夏の暑さを遮り切れない厚いカーテンで覆われている。四角部屋の壁に沿うように置かれて幾くペットボトル達と男の業務的な動作と女が固唾を飲んで見守る空気だけが部屋に充満して、密度の濃い部屋は、暑さが充満して、ポタポタと垂れる滴の音だけが静かに部屋中を包む。丁度、部屋の入り口まで一周し終わって、最後の一本を取り替えようとしたした時に女が意を決したように声を出した。


 「一本、頂戴。手元に欲しいの」そう、女は泣きそうな顔で言った。

 男は、暫く女の方を見詰めながら何事かを考え、女に一本差し出した。

 其れを手を伸ばして受け取る女の腕には無数の火傷の後が有った。

男は、用意していたごみ袋に暑くなったペットボトルを入れて、部屋を出ると何重にも錠を掛けた。


 おしまい。

 



 

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