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乙女の涙に心惹かれて②

 アラクシャーシには東西南北に各一つづつ貧民街(スラム)がある。


 オレの部屋があるのは、闘技場(コロッセウム)のある北側の貧民街(スラム)で、ここはうだつの上がらない貧乏剣闘士供が多く住み着いていた。


 荒くれどもはやることなす事大雑把な上に喧嘩っ早く、そして酒好き女好きときたもんで、他の貧民街(スラム)に比べて酒場と娼館の数が多いのも特徴の一つだ。


 とにかく安くて不味い酒と、とにかく安くてマズイ飯が売りのここ『癇癪(かんしゃく)亭』も、その数ある酒場の内の一つで、オレはその二階の部屋を間借りしている。


 連れ込み宿としても営業しているせいで、左右両隣の部屋からはひっきりなしに喘ぎ声やら水音などが響いてくるが、住めば都だし、オレはほとんど部屋には戻らないからあまり関係が無い。


 部屋に戻るには酒場の内側の階段を昇らないと辿り着けないため、オレは壊れかけた両開きのドアを開いて店内に入った。


「おおっ! ヴェノじゃねーか! 久しぶりだなぁ!」


 汚い円卓に脚を乗せ、椅子を目一杯傾けてジョッキを仰いでいた一人の男が、オレの姿を見るや否や大声を上げた。


「なんだアガ。地上(・・)に戻ってきてたのか」


 すぐに馴染みの顔だと分かったので、騒音雑多な店内を人を掻き分けながら、オレはアガの座る円卓へと向かった。


 血と泥で汚れた軽鎧(ライトアーマー)

 焼け焦げ、染み付き、破れてボロボロのフード付きマント。


 モリモリの筋肉とゴツゴツの顔面の上に乗っかっている赤茶の髪は見栄えなんて全然気にせずに、不揃いに切られてボサボサ。


 オレがこの街に移り住んでから五年、その間ずっと変わらないアガの姿がそこにある。


 馬鹿が人の形をして鎧を着て歩いてんだから驚きだよな。


 これで二等級の冒険者だってんだから、人は見た目で判断しちゃいけない。


「ああ! 戻って来れたぜ! やっぱシャバの空気は美味えなぁ! こんな貧民街(ゴミだめ)の空気でも、魔窟(ダンジョン)下層の空気に比べりゃ全然美味ぇ! ガハハハっ!」


 鞘まで使い込んで白から黒に色が変わりつつある長剣を円卓に立てかけ、上機嫌に酒を飲みながらアガはヘラヘラとオレに笑いかける。


「つい今朝上がって来たばかりよ。リーダーったら、換金所に向かう前に酒場に飛び込んじゃって」


 アルガの対面で静かにグラスを傾けているのも、これまた顔馴染み。


 森人(エルフ)特有の長い耳に、透き通るように白い肌。

 金糸のように細い髪を頭の横、右側でひとくくりにした彼女は、オレに向かってひらひらと手を振った。


「ノーラも、無事で何よりだ」


「ええありがと」


 森人(エルフ)にしては珍しく魔術師(ウィザード)を生業としているノーラは、アルガと並んでこの街の高名な冒険者の一人だ。


 ノーラの長命種族ゆえの膨大な知識と経験と、アガの化け物じみた力。

 それが組み合わさってできたパーティーの中核は、並みの冒険者じゃ束になっても敵わない。


「今回はかなり儲かったんだ! 奢ってやるからお前も飲めよ!」


 アガが鼻息荒くオレにジョッキを差し出した。

 ちらりとノーラを横目で見ると静かに頷くもんだから、どうやら儲かったってのは本当らしい。


 この筋肉馬鹿はたまに盛大に話を盛る傾向にあるから、話半分で聞いとかないとこっちが損をするからな。


「悪いなアガ。ほら明日は処女(おとめ)の日だろ? オレもいろいろと準備がさ」


 そっと両手で、差し出されたジョッキを押し戻す。

 ここ数年、酒は断ってんだって前に説明したはずなんだがな。


「あ゛〜ん゛!? お前まだ従騎士(スクワイア)になろうなんて馬鹿げた事夢見てんのか!?」


 ジョッキを円卓に叩きつけて、アガの顔が見る見る内に赤く染まる。

 相変わらず沸点の低い野郎だ。今の会話のどこにキレるとこがあったんだよ。


「やめなさいリーダー。ヴェノはこの街に来る前から従騎士(スクワイア)の夢だけを追って頑張ってるのよ? 貴方も知ってるでしょう?」


 おお、さすがノーラ。

 そうだよ言ってやってくれよ。


 コイツ普段は気の良い馬鹿なんだが、酒が入るとタチの悪い馬鹿になっちまうのが馬鹿なんだよ。


 本当馬鹿だよなぁ。


「そう言うがよノーラ! コイツは絶対に冒険者になるべきなんだ! オレが言うんだ間違いねぇよ! とにかく馬鹿強えし、勘も効く! 頭も良いし気遣いも出来る! コイツと二人で魔窟(ダンジョン)に入った時の話をしてやろうか!? たった二人、たった二人だぞ!? それで50層まで行けたんだぜ!?」


「何度も聞いたし、50層に落ちて助けを待ってたのはこの私だわ」


「そうなんだよ! 転移トラップにかかって消えちまった愛しのノーラを助ける為にだな! オレはヴェノに!」


 ん?


「落ち着きなさい可愛いアガ。貴方が心配してくれた事も、乱期の魔窟(ダンジョン)に恐れて誰も救援を出せない時にヴェノだけが貴方に力を貸してくれた事も、助けに来た時の貴方のカッコいいところも全部覚えてるわ」


 あれ?


「そうなんだ! 可愛そうに、俺のノーラはダンジョンで一人助けを待ってたのに! 俺は! 俺はなんて情けねえ! ヴェノが名乗りを上げてくれなけりゃあ、愛するノーラを救いに行けなかった! ああ許してくれノーラ! 俺は駄目な奴だ!」


 おい。


「いいえ、私のアガ。貴方はそれでも私を助けに来てくれたじゃない。ボロボロになりながら、私の名前を呼んでくれたじゃない。私はそれだけで充分よ。愛してるわアガ」


「ああ! 俺も愛してるぞノーラ!」


「人をダシにしてイチャついてんじゃねーよ!!」


 さてはノーラ! お前も酔ってんな!?


「うふふ、ごめんなさいねヴェノ。この人があまりにも可愛いものだからつい」


 シラフかよ。

 そっちの方がタチが悪いぜ。


「それで、明日の『処女(おとめ)の顔合わせ』には参加するの?」


「ああ、オレが従騎士の認定を受けてもう二年だ。いつまでも無職じゃいられねぇからな。明日は何してでも乙女騎士(ヴァルゴライト)に顔と名前を売り込んで、雇い入れて貰わないと」


 ノーラに向けて、首から下げた銀製のネックレスを見せつける。

 魔銀製の丸いネックレスには、忠義の剣と乙女の涙をモチーフにしたエムブレムが精巧に深く掘られている。


 これは二年前にようやく取れた、従騎士(スクワイア)の認定証だ。


 乙女座院(ヴァルゴラ)によって認められ、乙女騎士(ヴァルゴライト)の側で共に戦う事を許された証。


 貴族の出でもないオレがこの認定証を取る為に、二年間の試験を死ぬ気で乗り越えて手に入れた自慢の宝だ。


「お〜いおいおい。やめとけよヴェノぉ〜。俺のパーティーに入って、ここの魔窟(ダンジョン)を制覇した最初の男になろうぜぇ〜。なぁ、きっと楽しいぞぉ」


「誘ってくれるのはありがたいんだが、コイツだけは諦めきれないんだ」


 急に泣き出したアガの肩に手を置く。

 怒り上戸から泣き上戸に変わったってこたぁ、コイツそろそろ酔潰れるな。


「あらあら、振られちゃったわねぇアガ」


「ちくしょう、俺は絶対ぇ諦めねえからなぁ!! うぇえええっ!!」


 ついに円卓に突っ伏して、子供みたいに泣きじゃくりはじめやがった。


 これをチャンスと、オレはノーラに目配せをする。

 ノーラは困ったように笑みを浮かべ、ヒラヒラと手を振った。


 悪いと手を縦に顔の前に上げて、オレは二階へと続く階段へと逃げた。


 ああなってからが長ぇんだ。アイツは。


「ん?」


 酒場のカウンターに、この場所にヤケに似つかわしくない華美な鎧を身につけて少女が見えた。


 どんよりした空気を醸し出しながら、チビチビとグラスで酒を摘んでいる。

 被った赤いフードのせいで顔は見えないが、かなり若そうだ。


 オレが気になったのは、その少女の隣に座る二人組だ。


「……カタギじゃねぇな」


 下卑た笑みを浮かべながら、チラチラチラチラと少女を見ている。


「おいおい、勘弁しろよ……」


 貧民街(スラム)に住んでる以上、人を見分ける目は自然と養われちまう。

 と言っても、分かるのは悪人とタチの悪い悪人と、極悪人。

 あの少女の隣に座っているのは、極悪人だ。


 このアラクシャーシ北側の貧民街(スラム)で幅を利かせている犯罪組織は三つ。


 盗賊団『ハルボラ』と、ならず者集団『干し蛇』。

 それと傭兵団『赤縄』。


 ハルボラの奴らはまぁ、昼間は寝てる奴だらけだからあんまり見ないし、オレが一昨年ボコボコにしたからこの酒場には近寄らない。


 干し蛇の奴らもまぁ、負けが込んで首が回らなくなった脱走剣闘士集団で実力も大した事なく、オレが去年ボコボコにしたからこの酒場に近寄らない。


 赤縄の奴らは––––––今現在、オレとバチバチに睨み合っている最中だから、この酒場に現れてもおかしくはないか。


 ていうか、首にこれ見よがしに巻かれた赤い捻り鉢巻をしている時点で分かってた。


 うーん、普段は自分達の溜まり場で飲み食いしている奴らがここに居るってこたぁ、まず間違いなく狙いはオレなわけで、大方中々戻ってこないオレをここで張りながら、罪の無い少女を食い物にしようって寸法だろう。


 ほっとけ……ないよなぁ。


 オレが巻き込んだみたいなもんじゃねーか。


「––––––ああ、先生。オレはアンタのせいで面倒な性分になっちまったよ」


 口煩く厳しかった恩師の姿を思い浮かべながら、オレはカウンターへと足を向けた。




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