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レヴィアン・クレイの困惑

作者: 佐木 まこと

ちょっと長くなってしまいました。

 レヴィアン・クレイは困っていた。それはもう盛大に困っていた。

 頬に手を当て首を傾げながら、何度もため息を吐き思わず「困ったわ」と、こぼしてしまうほど困り果てていた。

 原因となっているのは一人の青年。年頃は十代後半だろう。その青年はレヴィアンの死角から突然現れ、直立不動で目の前に立ちはだかると直角に腰を曲げ、右手を差し出したかと思えば、


 「結婚を前提にお付き合いをしてください!!」


 といきなりの告白を披露した。ちなみにここはレヴィアンの家が経営する花屋の店先である。花も買わず大声で告白する青年にレヴィアンは、困惑すると同時に苛立ちを覚えていた。

 なにせ人通りの多い時間帯だ。噂好きのおば様達の格好の餌であることに間違いない。


 この国では女性の結婚は男女共に20代と言われている。そんなレヴィアン・クレイは、行き遅れを心配され始めた始めた24歳。

 友人たちは既に結婚をし、子を産み母になった者もいる。早く結婚をするように進められていたが、レヴィアンは恋愛に興味が無かった。初恋も未経験だが、誰に何を言われようと気にしない。恋愛は自由と言うならば、恋愛しない自由もあって良いはずだと考えていた。

 容姿は悪くない。むしろ目を惹く整った容姿をしていた。付き合いの申し込みや、求婚をされたことも一度や二度ではないが、恋に目覚めることはなかった。

 そんなレヴィアンが結婚をするとしたら、父親が大切にしている店を守るためだろう。婿養子であること、これだけは譲れない条件だ。


 「困ったわねぇ」


 再度ため息を吐くと、依然として綺麗に腰を曲げたまま右手を差し出す青年を見やる。

 このままでは営業に差し障る。早々にお帰りいただこう。そう思い、「ごめんなさい」と断った。

 レヴィアンの返事に青年は弾かれたように顔を上げると、気不味い顔をして頬を掻いた。


 「やっぱり、そうですよね。……でも俺、諦めませんから!また来ます!」


 ――また来るのか……。

 

 レヴィアンは憂鬱になり、また深いため息を吐いた。


 翌朝、店を開けた瞬間からレヴィアンは困っていた。なぜならば、昨日の青年が花束を持って立っていたからである。

 もちろんレヴィアンは両親の影響もあって花は大好きだ。しかし、こここそが花屋だ。なぜ花屋の娘が花束を貰わなければならないのか。レヴィアン苦悩した。


 「あなた、昨日の今日で来るなんて凄い精神の持ち主ね」


 レヴィアンは決して誉めていないが、青年は「ありがとうございます」と真正面から受け止めた。確かに凄い精神の持ち主である。レヴィアンは頭が痛くなるばかりだ。


 「それで、その花束はなにかしら?ウチが花屋だって知らない訳じゃないわよね?」


 これだけ花が置いてあって服屋だと思っていたと答えたら、側に置いてある水を顔面にかけてやろう、レヴィアンはそう決めた。

 だが青年はレヴィアンの苛立ちが分からないのか、抱えていた花束を差し出した。


 「あなたが手入れをした花には劣りますが、我が家で育てた花を包みました。……受け取っていただけますか?」


 ここが花屋だと知っていたらしい。しかし、レヴィアンが驚いたのは青年の言葉だった。

 今まで交際を申し込んで来た者は、いかにレヴィアンが美しく、そしていかに自分がレヴィアンに相応しいかを切々と説くだけ。高価な贈り物や、綺麗な物でレヴィアンの心を射止めようと必死だった。

 だかこの青年は高価とは言えない、しかも自宅で栽培している花を、レヴィアンに受け取って欲しいと言っている。

 初めての経験にレヴィアンは困惑すると同時に、いつもとは違う気持ちが生まれたことに戸惑っていた。


 ――そんなこと言われたら、受け取らないわけにはいかないじゃない。花に罪は無いのだし、このままじゃ花が可愛そうだし?


 自分自身に言い訳を作ったレヴィアンは、そっと手を差し出すと青年の腕から花束を受け取った。


 「……ありがとう。で、でも!あなたの気持ちに応えることは出来ないわよ!?」


 2回目とはいえ、ほぼ初対面の青年にほんの少しだが気を許してしまったことに気恥ずかしさを覚えたレヴィアンは、キツい言い方をしてしまった。直ぐさま罪悪感が顔を覗かせる。


 「はい、分かっています。俺があなたに受け取って欲しかっただけなんです」


 青年はレヴィアンの言葉に傷付いた様子はない。むしろ受け取って貰ったことに安堵しているようだった。

 素直な青年に対して自分はなんてひねくれているのだろう。落ち込むレヴィアンに青年は「じゃ、また来ます」と頭を下げて帰ろうとしたが、その青年の腕をレヴィアンは咄嗟に掴んだ。

 自分の行動に驚き、「ち、違うのよ!これは、あれよ!」と顔を赤くして慌て、掴んだ手を放すと意味もなく左右にパタパタと振っている。


 「そうよ!名前よ、名前!私まだあなたの名前を聞いていないわ。交際を申し込む前に、まずは名乗るのが礼儀だと思うの!」


 既に断っているのだから名前など知る必要もないのだが、混乱しているレヴィアンはその事に気付かない。

 青年はハッとして謝罪した。名乗っていないことを失念していたらしい。


 「失礼しました。俺はアデウス・ストナーです」

 「アデウスね、覚えたわ」


 レヴィアンが名を口にすると、アデウスは嬉しそうに笑った。

 名前を呼んだだけでそんな顔するなんて、とレヴィアンは怯む。なんだかいけない事をしている気分になってきたのだ。

 

 ――年下の男性をたらし込む年上の女なんて、どこのロマンス小説よ……。

 

 ロマンス小説好きの友人には堪らないシチュエーションだなと、レヴィアンは思った。


 「俺に……」

 「え、なに?」

 「俺にもあなたの名前を呼ぶ許可を、いただけないでしょうか!」


 自分のことは伏せて友人に話したら喜ばれるだろうか、そんなことを考えていたレヴィアンに、アデウスが覚悟を決めたような表情で懇願した。

 ぽかんと呆け、我に返ったレヴィアンは思わず「ふっ」と吹き出す。


 「怖い顔して何を言うのかと思えば……ふふっ。初めてよ、そんなこと言う人。名前、呼んで良いわよ。その代わり、私もあなたのことは名前で呼ばせてもらうわ」

 「良いんですか!?ありがとうございます!!」


 アデウスはガッツポーズをし、「では、今日はこれで失礼します。……レヴィアン、さん」とはにかみながらレヴィアンの名を呼び、端から見ても浮き足立った様子で帰っていった。



 「レヴィ、配達に行ってくるよ。……レヴィ?」

 「は、はい!行ってらっしゃい、父さん。気を付けてね」

 

 父のクレイブが話しかけるまで、レヴィアンはボーッとアデウスの後ろ姿を見送っていた。いつもと違う様子の娘を見て、その原因となっているであろう大事そうに抱えた花束に気付く。


 「違うのよ!これは、あれよ!」


 またもや意味もなく手を左右にパタパタしている。レヴィアンは誤魔化そうと背中に隠すが、クレイブはそんな行動を微笑ましく思った。

 贈り物と思われる花束。それを相手に突き返すのではなく、どんな経緯があったのかは知らないが、受け取った娘。いつもならばそんなことがあった後は機嫌が悪くなっているのに、どことなく嬉しそうな雰囲気に包まれている。

 珍しいこともあるものだ。クレイブは未だに「違うのよ!父さん聞いてる!?」と慌てる娘を残して配達に出かけた。



 「レヴィ、聞いたわよ。あなた年下の男の子を手込めにしたんですって?」

 「ぶっ!?」


 久しぶりの休み。今日はつい3ヶ月前に産まれた子供の顔を見に、友人であるニーナの家に遊びに来ていた。子供が寝たのでお茶にしようと、紅茶好きのニーナが淹れてくれたアールグレイを飲んでいると、噂に尾ひれが何重にも付いた話をされ、思わず向かいに座る友人の顔に紅茶を吹き出した。


 「汚いわねぇ。まったく、24にもなって落ち着きが無いんだから」

 「余計なお世話よ!それよりなによ、手込めって。人聞きの悪い!誰が言ってるの!?」

 「そりゃ、あっちこっちのおば様方に決まってるじゃない。で、本当のところはどうなの?」


 ――やっぱりか。しかもご丁寧に尾ひれまで付けてくれちゃって。

 

 危惧していたことが現実になったようだ。いちいち訂正して回ったとしても、噂好きのおば様方にはそれすら話の種にしかならない。レヴィアンは噂を放っておくことにした。

 しかし、さすがに友人の誤解は解きたい。だがそれはアデウスのことを説明しなくてはならない。ロマンス小説好きのニーナには良いお茶請けになりそうだ。

 ちらりとニーナを見れば町のおば様方と同じ目をしていて、レヴィアンは諦めに似た何かを悟った。


 「……ほんの数日前なんだけど、店先でプ、プロポーズを、されたのっ」


 改めて自分で口にすると居たたまれないし、恥ずかしい。レヴィアンは両手で顔を覆って俯いたが、耳まで赤くなっているので隠せているようで隠せていなかった。


 「な~んだ、それだけ?もっと、こう!ロマンス小説みたいなトキメキ話はないの?」

 「あるわ!花束を貰ったのよ。しかも、自宅で育てたものだったの!」


 なんだそんなことか。とニーナは思わなかった。付き合いの長いニーナは、今までレヴィアンにアタックしては玉砕していった男たちが、どんな人間だったか全て知っている。その中に買ったのもではなく、育てたものを、しかも花屋のレヴィアンに花束を贈った者など居なかった。

 

 ――クールそうに見られがちだけど、レヴィってば実は乙女なのよね。

 

 恋愛するもしないも私の自由でしょ!と言っているレヴィアンだが、本当はニーナ以上に恋愛に夢を見ていた。

 いつかは両親の様に、いつまでも想い合う人と一緒になりたい。口にしたことは無かったが、レヴィアンはずっとそう思っていた。

 だから自分の想いを強引に、しかもレヴィアンの意思を無視してアタックしてくる男性たちに辟易し、いつの間にか男とはそう言う者なのだろうと諦めていた。

 最初はアデウスのことも同じ種類の男だろうと、蔑んだ目で見ていたが、贈り物の花束や、名前を呼ぶ許可を得ようとするなど、初めてのことに戸惑うこともあったが、話してみると自分の内の男性像が崩れていくのを感じた。

 アデウスは最初こそ強引だったが、押し付けはしないし、レヴィアンのことを本当に考えてくれている。それがレヴィアンにも届いていた。

 

 ――レヴィったら、今自分がどんな顔して話しているのか、分かっているのかしらね。


 「それで、付き合うの?」

 「なっ、付き合うわけないじゃない!だって、アデウスってば19歳なのよ。私と5歳も違うのよ!?」


 つい昨日確認したことだから間違いない、とレヴィアンは前のめりに答える。

 日を置かず会いに来るアデウスに歳のことを聞けたのは、プロポーズ騒動から一週間以上経ってのこと。若いだろうと思ってはいたが、本人から聞くとやはり来るものがあったらしい。


 「だから何よ。人間、女の方が長生きなのよ?年取ったら5歳差なんてあって無いようなもんじゃない。気にする必要ないわ」


 あっけらかんと告げるニーナに、レヴィアンは開いた口が塞がらない。

 

 ――ニーナは結婚して、子供も居るから簡単にそんなことが言えるのよ。実際、私の立場になったら今みたいに楽観的になんてなれないくせに。

 

 レヴィアンは不貞腐れ気味に、すっかり冷めた紅茶を飲んだ。


 「レヴィはその子とどうなりたいの?」

 「どうって……。もう断ってるし、今以上の関係は望んでないわ」

 「なら、もう一度きちんと伝えるべきね。『色恋が望みなら、他の女にしなさい』って。じゃないとその子が可哀想だわ。その内おば様方の噂は変わるでしょうね『年上の女に入れあげ、遊ばれた哀れな青年』って」


 レヴィアンはカッと頭に血が上り、テーブルを強く叩いて立ち上がった。


 「変な言い方しないで!アデウスは誠実なだけよ!」

 「興奮しないでよ。その子が誠実な人間だって知ってる人なら、そんな噂を信じたりしないだろうけど、何も知らない人から見ればそう見えるってことよ」

 「そんな……」


 ニーナの指摘にレヴィアンは愕然とした。さっき自分で『いちいち訂正して回ったとしても意味がない』そう考えたばかりじゃないか、と。

 「フギャァ!」と泣き声がした。声を張り上げたので、赤ん坊が起きてしまったようだ。

 ニーナがあやし始めると、徐々に泣き声は小さくなって、微かな寝息が聞こえてきた。


 「赤ちゃんって素直よね。レヴィもたまには、この子みたいに素直になっても良いんじゃない?」



 ――素直になんて、どうすればなれるのか分からないわよ……。


 帰り際、ニーナ「頑張りなさい」と言われたものの、レヴィアンは素直とは何か、と苦悩していた。幼い頃に母を亡くしてから、自分の気持ちを素直に出すことに戸惑いがあったからだ。

 寂しいと言ったら、クレイブは悲しむのではないか。遊んでほしいと願ったら、クレイブは困るのではないか……。

 いつの頃からか、レヴィアンはクレイブに『あれがしたい』『こうしてほしい』と言わなくなった。


 ――今更素直になったところで、何も変わらないわ。


 久しぶりの休みを満喫したはずの娘が、思い悩んでいる。クレイブはどうしたものかと困っていた。

 

 ――こんな時、母親がいれば相談もしやすいんだろうが……。

 

 クレイブは自分が不甲斐なかった。妻が亡くなって暫くは、ただただ毎日茫然としていた。現実が受け入れられなくて、目が覚めたら今までと変わらず、妻が店先に立っている。そんな都合の良いことばかり考えていた。

 自分のことがどうでも良くなり、何よりも大切にしなければならないはずのレヴィアンのことでさえ、目に入らない日々。

 ある日、椅子に座ってテーブルを意味もなく見つめていると、スッとスープ皿が差し出された。

 まさかっ、あり得ないことに期待で顔を上げると、椅子に膝を立てて一生懸命皿を並べるレヴィアンが居た。


 『お母さんみたいには出来ないけど、がんばるから!』


 クレイブと目が合うと、レヴィアンはぎこちなく微笑んだ。

 その日の夕食は忘れられない。スープとは名ばかりの薄味の塩水。乱雑に切り分けられたハムとパン。


 『美味しくないね……』


 『ごめんなさい』と謝るレヴィアンに、クレイブは何度も『ありがとう』『美味しいよ』と言い続ける。

 目を真っ赤にして、冷たい食事を口に運び続けるレヴィアンを見て、前を向いて生きることを決意できた。

 レヴィアンには何度も助けられた。本人にその自覚が無くとも、クレイブはレヴィアンのお陰でやってこられた。

 なのに、自分は娘の力になれないのか……。クレイブは再び不甲斐なさを一人嘆いた。


 「レヴィ、何で悩んでいるのか分からないが、私に出来ることがあれば遠慮なく言って欲しい。もし店のことも原因の一つなら、気にしなくて良いんだよ」


 昔と違って温かい食事を前に、レヴィアンは固まったまま。どんなに美味しく出来ても、母の味には勝てないと、記憶の中の手料理を思い出す。


 「食事中にごめんなさい。何でもないから気にしないで。それに、お店は私が好きでやっていることだから」


 ――父さんに心配をかけてまで、素直になる必要があるのかしら……。

 

 考え出すと止まらない。悪い方に思考が傾き、気持ちが落ち込む。レヴィアンはそれでも看板娘として、翌日には笑顔で店に立っていた。


 「父さん、ただいま……って、アデウス、あなた何をしているの?」

 「レヴィアンさん!お帰りなさい、配達ご苦労様でした」


 配達を終えて店に戻ったレヴィアンを迎えたのは、エプロンを着けたアデウスだった。

 

 「お帰りなさい、じゃいわよ。ここで何をしてるの?何でエプロンを着けてるのよ」

 「レヴィアンさんに会いに来たら、配達に行っているとクレイブさんが教えてくれまして、待たせてもらう間お店のお手伝いを買って出た次第です」

 「お帰り、レヴィ。せっかく待っていてくれたんだ、お店は私に任せて二人で出かけておいで」


 話し声を聞いてクレイブが奥から出てきた。レヴィアンがいない間に、アデウスと随分打ち解けたように見える。

 

 ――誰のことで悩んでいると思ってるのよ、エプロンなんか着けちゃって。能天気なんだから。


 「行きません!それに父さん一人じゃ大変……って、いきなりなに!?」


 配達の籠を片付けていると、アデウスが顔を覗き込んできた。思わぬ形でアデウスの顔を間近で見ることになり、驚いて仰け反る。


 「何かありました?なんだか元気が無いように見えたので……。そうだ!俺、見せたいものがあるんです。一緒に行きましょう!」

 「い、嫌よ。行かないわ」

 「せっかく誘ってくれているんだ。行ってきなさい。アデウス君、よろしく頼むよ」


 何時もならば人間関係に口を出さないクレイブが珍しく進めるので、レヴィアンも意地になって拒否したが、断れそうもない。


 「はい、お任せください。許可も頂きましたし、行きましょう」

 「行かないってば!あ、やだっ。引っ張らないでよ!」


 このままではアデウスの思惑通りになってしまう。レヴィアンは店の奥に避難しようとしたが遅かった。結局連れていかれてしまった。

 抵抗しながらも拒否しきれないレヴィアンを見送ると、クレイブはいつの間にか丁寧に畳まれて返されたエプロンを見て、レヴィアンの内の何かが変わるとことを願った。



 「……信じられない」

 「え、何か言いました?」

 「きゃっ!み、耳元で喋らないでよ!!」


 二人は今、アデウスの家が所有している馬に乗っていた。もちろん、これまでの人生で馬になど乗ったことのないレヴィアンが一人で乗れるはずもなく、アデウスが後ろから手綱を握っているので、必然的に体が密着してしまう。レヴィアンの心臓は色々なことにドキドキしっぱなしだ。


 「ねぇ、どこまで行くの?」

 「俺のお気に入りの場所です」


 楽しそうな声色が背中から響いてくる。耳元で喋ることは止めてくれたが、それでもレヴィアンの心臓は反応していた。

 馬を走らせ着いたところは、町が一望できる丘の上。アデウスは木に馬を繋ぐと、レヴィアンの手を取り歩き出す。


 「あそこは眺めが最高で、夕日を観に一人で良く来るんです。でも、今回レヴィアンさんと行きたい場所は、この森を抜けた先です」


 繋いだ手からアデウスの体温が伝わってきて、落ち着かない。そわそわした気持ちで隣を歩くレヴィアンは、アデウスの顔が見られなかった。

 森を抜けた先には空が広がり、辺り一面花が咲いていた。この空間を囲うように木々が生い茂っている。


 「うわぁ……凄い」


 初めて見る景色に、手を繋いでいることも忘れて見入っていた。


 「あの暗い森を抜けるようと思う人はあまり居ないようで、誰かに会ったことはありません。落ち込んだり、嫌なことがあると良く来るんです」


 そうか、だからここに連れて来たのか、とレヴィアンは気付いた。実際落ち込んでいたし、この景色を見て気持ちが軽くなったのも事実だ。

 「ちょっと待っていてください」アデウスは名残惜しそうに手を離すと、近くの木に登って何かが入った袋を取ってきた。中身は敷物だ。


 「……用意が良いのね」


 あまりにも予想外な物の出現にレヴィアンは思わず感心し、自慢気なアデウスに笑ってしまった。


 「袋も敷物も、水を弾く素材で出来ているんです。いちいち持ってくるのが億劫になったので、あの木に隠してるんですよ」


 「内緒ですよ?」アデウスが悪戯を隠す子供のように笑う。同じようにレヴィアンも笑った。

 背の低い草の場所に敷物を広げ、並んで座る。「はぁ~~」と息を吐きながらアデウスが後ろに倒れる。どこか遠くを見つめるように、空を見上げていた。


 「……俺、3人兄弟の末っ子なんですよ。上二人は出来が良くて、いつも回りから期待されていました。そしてその期待に応える力と才能が在った。でも、俺は平凡そのもので……。兄達と比べられることは無かったけれど、期待されてないんだと思い、自暴自棄になったりもしたんです」


 レヴィアンは何も言えなかった。兄弟がいるなんて羨ましいとさえ思っていたのだ。母を亡くして以来、兄弟がいれば良かったと何度も考えては詮無いことだと首を振った。

 当たり前のことだが、兄弟がいても良いことばかりではない。そのことをレヴィアンは想像することしか出来なかった。


 「自暴自棄って、どうしてたの?」

 

 出会ってからのアデウスと自暴自棄という言葉が結び付かない。レヴィアンが知るアデウスはいつも明るく、真っ直ぐだ。


 「格好つけましたけど、所謂反抗期だったんです。家族の話も聞かず、学校に行く以外は部屋に籠って、家にも帰らない日もあったんです」


 恥ずかしそうに、後悔しているように話すアデウスの横顔は、普段より大人びて見えた。


 「将来のことを考え始めたころ、父に街を見てこいと言われました」


 馬を借りに行って知ったが、アデウスの家は領主であるストナー伯爵家だったのだ。それに気付いたレヴィアンは門の前で固まり、間抜けにも口を開けたまま呆けていた。

 良く見ればアデウスの身に付けている衣服は上等な物だし、言葉遣いや所作も洗練されている。

 そもそも、家名を名乗った時点で気付きそうなものだが、伯爵家の人間が花屋の娘に突然プロポーズをする、という奇行がレヴィアンの内で一致しなかったのだ。


 「父の治める街を、歩いて隅々まで見て回りました。そして……」


 アデウスはおもむろに起き上がると、黙って話を聞いていたレヴィアンの手を取って、真っ直ぐにその瞳を見つめた。

 真剣な眼差しに目を逸らせないでいると、アデウスは優しく微笑んだ。


 「そして、あなたに出会ったんです」


 瞬間、レヴィアンの心臓は大きく跳ねた。


 「レヴィアン・クレイ、あなたが好きです。花を慈しむ笑顔に目を奪われました。そして家族を大切にするあなたの心に惹かれました」


 もういい、やめて欲しい。レヴィアンの心臓は耳に響くほど大きく脈打ち、何かを叫び出したくなった。


 「困らせるつもりはありません、でも、俺はあなたが欲しい。レヴィアンさん、俺を好きになってください」

 

 何か言わなくては。だが、断るだけでは納得しないだろう。そもそも、私は何で断ることしか考えていないんだろう。レヴィアンの思考は渦を巻いてさ迷っていた。

 

 「……あなたは貴族だわ」


 やっと出た言葉は、今レヴィアンがアデウスを受け入れられない一番の理由。しかし、アデウスはそれがどうしたという風だ。


 「爵位を持つのは父です。継承するのは兄。俺には何もありません」

 「それでも、あなたは貴族だわ」

 「貴族の家に生まれた、というだけです。そんなこと気にしないで、俺自身を見てください。……他には?」


 アデウスにはレヴィアンが自分を受け入れてくれない理由が、一つではないことに気付いていた。

 貴族だから。伯爵の家に生まれたから。領主の息子だから。そんな意味のない色眼鏡で見てほしくない。アデウスはレヴィアンの手を包む手に力を込めた。お願いだから離れようとしないで、と。


 「私は年上だし……」

 「そうですね、歳については悔しい限りです。もっと早く生まれていたら、レヴィアンさんを支えることが出来たのにと、出会ってから何度も考えました。ですがどうしようも無いことなので、今は頼りないかもしれませんが、レヴィアンさんに安心して頼ってもらえるような大人になりたいと思っています」


 「約束します」アデウスは包み込んでいた手を開き、レヴィアンの指に唇を落とす。なんだか神聖な儀式をしているような気分になった。


 「あとは?気にかかることはありませんか?」


 レヴィアンはぐっと息を飲んだ。レヴィアンの最大の条件は婿養子。伯爵子息が花屋の婿養子になどなるだろうか。いや、同じ貴族の令嬢とならばあり得るだろうが、一花屋の娘でしかないレヴィアンの元に来るはずがない。

 どうせ引かれるのならば言いたくない。弱々しく「無いわ」と俯いて呟くと、優しくそっと頬に手が添えられる。

 おずおずと顔を上げれば、レヴィアンの弱さを受け止めたアデウスの瞳と目が合った。


 「大丈夫です。何でも言ってください。どんなことを言われても、俺のあなたを想う気持ちは変わりませんから」


 ――年下のくせに、生意気だわ。……でも、私より全然強いのね。


 レヴィアンは身を任せるように、添えられた手に頬を寄せて目を閉じた。

 温かい、人の体温を感じたのはいつ以来だろうか。そんなことを思いながら、レヴィアンは口を開く。


 「母さんが、いつも言っていたの『お客様の想いを届ける手伝いが出来るって、とても素敵なことよね』って。亡くなってからは父さんが母さんの想いを継いで、私も両親のようにお客様の想いを届ける手伝いが出来たら良いと思って、お店の手伝いを始めたの」


 花が好きで、誰かのことを想いながら花を買いに来るお客の笑顔が好きで、そんな母親のことが大好きだったレヴィアン。アデウスは「素敵なご両親ですね」と話を聞きながら言った。


 「だから……。だから、私はあの店を守りたい。結婚しても、あの家から離れたくないのっ!」


 言ってしまったと、レヴィアン後悔に駆り立てながら、更に瞼をキツく閉じた。

 重いと思われただろうか。やっぱり、プロポーズは無かったことにして欲しいと言われるのだろうか。悪いことしか考えられなくなっていた。


 「じゃあ、俺も一緒に守らせてくださいませんか?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。断られた、のではなさそうだ。恐る恐る目を開けると、慈愛に満ちた笑顔がレヴィアンを見ていた。


 「い、嫌じゃ、ないの?」

 「嫌なわけないじゃないですか。レヴィアンさんの宝物を一緒に守っていけたら、俺も幸せです。俺の家のことは心配しないでください」

 「……本当に?だって私、婿養子じゃないと結婚は出来ないって言ってるのよ?」


 もしかしたら話の意図を読めていないのでは?不安になったレヴィアンは率直に聞いた。ここまで言っても分からなかったら、アデウスはよほど間が抜けていると言うことだ。


 「ははっ。大丈夫です。分かっていますよ。実は最初に断られた日に、母に相談したんです。諦めたくない、何か贈り物をしたいと言ったら、泣いて喜んでました」

 「え、お母様泣いたの?と言うか、もうご家族に言ったの?」

 「はい。両親も兄達も応援してくれました。父には『自分の人生、後悔のない選択をしなさい』とも言われましたね」

 「そう、なの……。素敵なご両親ね」


 ――なんだか悩んでいたのが馬鹿らしくなってきたわ。


 アデウスの意外な返答に、レヴィアンは体の力が抜けた。悶々と悩んでいたあの日々はなんだったのだろうかと。

 ふとアデウスを見ると、顔が緩んでいた。もうゆるゆるで、思わずレヴィアンがイラっとしてしまうほどだ。


 「なに笑ってるのよ」

 「だって、俺のプロポーズを前向きに考えてくださっているんでしょう?」

 「…………なっ!ち、ちがっ!」

 「えっ、違うんですか?」


 元々は断るつもりでいたレヴィアンだが、いつの間にか“何故断るのか”が分からなくなり、ついにはアデウスとの未来まで考えていた。

 心の変化を指摘されたようで、思わず否定しようとしたがアデウスの笑顔を見ていたら何がストンッ、と心に落ちてきた。


 ――そっか、私ってばいつの間にかアデウスのことを好きになっていたのね。


 自分の心を理解したが、なにせこれが初恋のレヴィアンは、どうすれば良いのか全く分からなかった。

 取り敢えず、肯定しなくては。焦りが焦りを呼んで、パニックになった。


 「わ、私はっ、あなたのこと好きなんかじゃないわ!」


 言ってからハッとしたレヴィアンは、青ざめた。


 ――……やってしまったわ。アデウスってば固まってる。無理もないわよね。ああ!なんで私っていつもこうなのかしら!


 「えっとね、違うのよ!違うっていうのはどういう事かって言うと」


 レヴィアンは慌てすぎて、空いている方の手でずっとアデウスの手の甲を叩いていた。ちょっと赤くなっている。

 落ち着いたイメージを持っていたが、意外な一面を目の当たりにし、思わず吹き出す。当然レヴィアンは怒った。自分はこんなに大変な状況なのに、なんで笑っているのだ、と。

 

 「なに笑っているのよ!」

 「いえ、可愛いなと思って」

 「かわっ!?」


 

 今まで男性から綺麗だと言われたことは何度かあったが、カワイイと言われたことの無かったレヴィアンは、顔を真っ赤にそめた。


 「真っ赤だ。可愛いなぁ」


 もう、アデウスの笑顔は蕩けてしまいそうだ。愛しくてたまらないという気持ちが溢れでている。


 「ちょっと、お互いに落ち着きましょう」


 アデウスと知り合ってから経験の無い感情のオンパレードで、一度気持ちの整理が必要になったレヴィアンは、きちんと考えたいから、今日のところは帰りたいと申し出た。

 快く受け入れたアデウスに自宅まで送ってもらったレヴィアンは、クレイブにお願いをして休みをもらい、ニーナに相談にのってもらうことにした。

 もう、自分一人では整理しきれなくなったらしい。


 「で、私のところに来たと。……惚気られてもねぇ」

 「惚気じゃないわ。相談よ」


 どこかそわそわ落ち着かないレヴィアンを家に招き入れ、相談があると話を聞いてみれば、本人は否定したがニーナからすれば立派な惚気話だった。

 ニーナの娘はご機嫌で抱かれている。母の顔で娘を見るニーナに、「どうすれば良いと思う?」と訊くと、好きにすれば良いと返ってきた。


 「もっと真剣に答えてよ!」

 「仕方ないわね。じゃあ、アドバイスしてあげるから決して否定しないこと。分かった?」


 藁をも掴む気持ちのレヴィアンは素直に頷いた。こうした前置きをしたのは経験上、認めたくない事に対して直ぐに否定する天の邪鬼なレヴィアンの性格を鑑みての事だった。さすがは付き合いの長い友人。レヴィアンをよく知っている。


 「本当は相談するまでもなく、答えはレヴィの内にあるはずよ。それが出来ないのは、怖いから。レヴィは今、背中を押してくれる誰かを探して、私のところに来たに過ぎないの」


 そんなこと無いと否定しようとして、レヴィアンはキツく唇を結んだ。否定しようものなら家から追い出されてしまう。ニーナならそれくらいすると、レヴィアンも学習済みだ。


 「もし上手く行かなかったときの事を考えて悩むより、自分の気持ちを大切にしなさい。……好きなんでしょ、彼のこと」


 とっさに首を振りそうになりながらも、小さく頷く。その様子を見て、ニーナは感慨深げに笑った。


 「初恋だからどうしたら良いのか分からなくて、いつも以上に天の邪鬼になっているんだろうけど、真っ直ぐに想いを伝えてくれているのなら、レヴィもきちんと応えないとね」

 「分かってるわ。……でも、恥ずかしいんだもの!アデウスの笑顔を見てると、胸がキュっとなるのよ!?心臓もバクバク凄いし。どうしたら良いのか分からなくなって、素直になれなくなっちゃうの」


 乙女を地で行くレヴィアンには、自分の心の変化が速すぎて着いていけないようだ。ニーナの娘の玩具を弄りながら、ぶつぶつ言っている。


 「レヴィが気にしているのは身分と年齢でしょ?でも、その彼は気にしなくて良いって言ってくれてる。しかも、婿養子になることも受け入れてくれてる。そんな彼に対して、身分や歳を理由に断るのは失礼よ。……私は会ったことがないから彼のことは分からないけど、信じてあげても良いんじゃない?」


 持つべきものは友、と言ったところだろうか。いくぶん気持ちの整理がついたレヴィアンは、ニーナの家を後にすると店に戻った。

 スッキリした表情の娘を見て、クレイブもようやく安心できた。亡き妻に良く似た娘の沈んだ様子を見ているのは、居心地が悪かったようだ。



 「信じてあげても良いんじゃない?」ニーナはそう言ったが、レヴィアンにとってこれがなかなか難しかった。

 恋愛をしたことがないレヴィアンにとって、身近な異性は父親だけ。同姓の思考ならある程度読むことも出来るが、異性となると勝手が違う。しかし、図らずも自分の恋心を認めてしまった今、アデウスを避ける理由はない。


 「女は度胸よ!母さんも言ってたじゃない」


 言い聞かせるように小さくファイティングポーズを作ると、思い立ったが吉日とばかりに家を飛び出した。


 「レヴィ?急いでどうしたんだい?」

 

 店先で閉店の準備をするクレイブが、何事かと問うと「手伝わなくでごめんなさい!私、結婚してくる!」と言い残して走り去った。

 残されたクレイブは花を持ったままポカンとし、ハッと我に返ると手早く店仕舞いをした。 


 

 「き、来てしまったわ……」


 重厚な門構え。その奥に見えるのは本来なら、一市民であるレヴィアンには一生縁のない豪邸。

 アデウスと来たときには驚きのあまり何も考えられなかったが、こうして改めて見るとこの場に居ることが烏滸がましい気さえしてきて、思わず立ち竦む。

 緊張のあまりレヴィアンの体は震えていた。


 ーー勢いに任せて出てきたは良いけど、何て言えば良いの?息子さんを下さい?……いや、おかしいでしょ。間違ってはないけれど、何かが違うわ。じゃあ、たのもう!かしら……いやいや、喧嘩売りに来たんじゃないんだから。


 緊張のし過ぎでおかしなことを考え始めたレヴィアンは、門の前を行ったり来たりと何度も呟きながら往復している。端から見れば完璧な不審者だ。

 レヴィアンの心が折れかけた時、キイッと門が開き、柔らかな雰囲気を持った女性が顔を出した。

 目が合い、思わず固まる。するとその女性はふわりと微笑み、レヴィアンの手を取った。


 「あらあら、まあまあ!貴女、レヴィアンさんね!?」

 「あ、は、はい!レヴィアン・クレイと申します!」

 「やっぱり!うふふっ、旦那様が悔しがるわね。こんなところで立ち話もなんですから、お上がりになって」


 状況について行けないレヴィアンを連れ、女性は伯爵邸へと歩みを進める。まるで妖精に惑わされた迷い人の様だ。

 鼻唄混じりに客間に連れられてきたが、座り心地の良すぎる椅子はなんとも落ち着かない。出された紅茶の味も分からなかった。嫌な汗が止まらない。


 「そうだわ、まだ名乗っていなかったわね。私はフィリシア・ストナー。アデウスの母です。宜しくお願い致します、レヴィアンさん」

 「こっ、こちらこそっよろしくお願いいたします!」 


 薄々気づいていたが、やっぱりアデウスの母親だった。レヴィアンは思わず声が裏返る。

 おかしい、こんなはずではなかった。レヴィアンは頭を抱えたくなる衝動を抑え込み、ひきつった笑顔を作る。

 アデウスに気持ちを伝えるために来たはずなのに、なぜその母親とお茶を飲んでいるのか。レヴィアンの苦悩は深くなるばかりだ。

 味の分からない紅茶を喉に流し込む。フィリシアはその様子をにこにこと機嫌良さげに見ていた。


 「アデウスってば、何度言ってもレヴィアンさんを連れてきてくれないのよ。やっと一緒に来たと思ったら、馬を取りに来ただけで直ぐ出ていっちゃうし。独り占めは良くないと思うのだけれど、レヴィアンさんはどう思います?」


 どう思うかと問われても、アデウスに誘われていたとしてレヴィアンが素直に行くはずがない。そんなに期待されていたのかと、今まで素直になれずアデウスを遠ざけようとしていた自分が情けなくなってきた。

 答えずらそうにするレヴィアンに優しく微笑みかける。まるで『貴女を責めているわけじゃない』と言っているようだった。


 「あの子、幼い頃から何かを欲しがったりしない子供だったの。兄二人が出来が良いって言われていたからかしらね、自分は期待されて無いんだって思っていたみたい」


 その話なら聞いたことがあると反応したレヴィアンは、自分でも気付かないうちに前のめりになっていた。

 思わぬ形でアデウスの過去が聴ける。多少後ろめたさもありながら、意識は息子を語るフィリシアに行っていた。


 「好きなように、自由に生きて欲しかっただけなんだけど、アデウスには伝わらなかったみたい。一時期口も利いてくれなかったわ」


 「可愛いと思わない?」そう訊かれ、レヴィアンは曖昧に笑った。

 どうやらフィリシアはレヴィアンが想像していた伯爵婦人とは違い、なかなか強かな女性のようだ。


 ーー貴族の奥様って慎ましやかな人か、傲慢な性格をしているかどちらかに分かれると思っていたけど、フィリシア様は親しみやすい方みたいね。


 何となくアデウスはフィリシアに似ていると思った。姿形はそれほど似ていないが、持っている雰囲気が一緒だと、レヴィアンは感じた。


 「あの……アデウス、様は本日はどちらにいらっしゃいますか?」


 本来の目的はアデウスに会うことだ。その母親とお茶を飲むことではない。決心が鈍らないうちに会いたかった。

 するとフィリシアは「忘れていたわ」と言い、部屋を出た。

 やっとアデウスに会える。そう思うと再び緊張が甦り、震えそうになる手を固く握った。しかし、レヴィアンの希望をよそにフィリシアが連れてきたのは、一人の男性だった。

 アデウスの未来を写したかの様な男性に思わず見とれていると、フィリシアがひょっこり顔を出す。


 「驚かせちゃったかしら。主人のエルド・ストナーよ」

 「ストナー伯爵!?」


 重い椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、腰を直角に曲げた。

 母親の次は父親。レヴィアンの心臓はいつまで持つのか……。当たり前だが、自分の街を統治する伯爵になど会ったことのないレヴィアンは、アデウスの父親と言うことよりも、"貴族"という雲の上の存在に慌てた。


 「レヴィアン・クレイと申します!伯爵様に許可も取らず、邸宅にお邪魔しまして申し訳ございません!」

 「気になさらず、ゆっくりしてください。妻から話は聞きました。こちらこそ強引な真似をして申し訳ない」

 「いえ、全然!奥様はとても良くしてくださいました!」


 熱いのに、体の真が冷えて仕方ない。会いたい人に会えない。いつも勝手に会いに来るくせに、こちらが会いたいときに会えないとは理不尽だ。レヴィアンは心の中で八つ当たりを始めた。

 座るように促され、再び落ち着かない椅子に腰を降ろし、向かいには伯爵夫妻が座った。


 「今日はアデウスに会いに来たそうですね」


 いきなり本題をぶつけられ、ヒュッっと喉が鳴る。握った手は汗でベタベタしていた。


 ――言うのよレヴィアン。何のために来たの?予定は狂ったけど、遅かれ早かれ御両親への挨拶はしなきゃいけなかったのよ。早まっただけじゃない。さあ、言うのよ、息子さんとの交際を認めて下さいって。

 

 レヴィアンは覚悟を決め、唾を飲み込んだ。伯爵夫妻は期待を宿した瞳でレヴィアンを見ている。


 「あ、あの、アデ、む、……息子さんを下さい!!」


 頭を下げたままレヴィアンは固まった。先程口から出た言葉を反芻する。

 本当は交際を認めて欲しいと言いたかったのだが、実際には結婚の挨拶だ。しかも、性別が違えば父親に殴られているかもしれない。 

 サッと血の気が引き、目の前が暗くなってきた。


 ――そう言えばニーナの旦那さん、結婚の許可を貰いに行ったら殴られたって言ってたわね。


 あまりのショックに現実逃避していると、向かいから笑い声が。

 そっと顔を上げるとアデウスの両親は寄り添いあっていた。


 「レヴィアンさんは素敵な方ね。こんなに想ってもらえているアデウスが羨ましいわ」

 「貴女のように権力を持たないか弱い女性が、伯爵家に一人で来るのはとても怖かったでしょう……。でも、本当に良いのですか?息子はまだ19歳。貴女からすればまだまだ子供。至らないことも出てくるでしょう。その時、貴女は後悔しませんか?」


 馬鹿にされると思った。鼻で笑われ、叩き出されると思っていた。でも、アデウスの両親は優しく笑って受け入れてくれている。

 エルドの言うように怖くて仕方なかった。母の言葉に突き動かされ、想いを伝えようと決心したが、本当は逃げ出したくて仕方なかった。

 それでも留まりアデウスの両親と向き合ったのは、アデウスとの未来を諦めたくなかったから。喧嘩しながらも笑って許し合うニーナ達のように。会えなくなっても想い合う両親のように。ずっと一緒に居たい。そんな想いに突き動かされたからだ。


 「その時になってみないと分からないので、絶対に後悔しないとは言えません」 


 レヴィアンは分からない未来の約束を軽々しく出来なかった。どうなるか分からないからこそ、一緒に居たいと思うからこそ、お互いを大切にしようと思うのだ。


 「でも、私はアデウスと一緒に未来を生きたい。……家から離れたくないという私の我儘に応えようとしてくれるアデウスを大切にしたい。そう思わせてくれたアデウスを幸せにします!だからアデウスを私に下さい!!」 


 本人に答える前に、その両親に結婚の許可をもらおうと頭を下げていると、伯爵邸に相応しくない乱暴な音がしてドアが開く。 

 息を乱したアデウスが、両腕を男性二人に押さえられている。いきなりの乱入に空気を乱されたレヴィアンは、思わず「へあ!?」と間抜けな声を出した。 

 

 「嫌だわ、ちゃんと止めておいてと言ったのに」

 「まあまあ。二人も頑張っようだからこの辺で解放してあげよう。これ以上は嫌われてしまうよ?」


 「それは嫌だわ」フィリシアはそう言ってアデウスを解放させた。


 「実はね、隣の部屋で待つように言っておいたのよ。あの二人は上の息子なの。面白そうだからって協力してくれたのよ」


 だからかとレヴィアンは納得した。アデウスの兄と思われる男性はアデウスを小突いていた。

 

 「レヴィアンさん!」

 「はい!?」


 完全に気を抜いていたので名前を呼ばれ、弾かれるようにアデウスの顔を真正面から見たレヴィアンは赤面した。

 自分の気持ちを認めてから初めて見るアデウスは、前にもまして魅力的に見えてしまい、駆け寄ってきたアデウスに力一杯抱き締められ、思わず突き飛ばす。


 「レヴィアンさん?」

 「あ、あなたね!私がどんな思いでここに来たと思ってるのよ!何で直ぐ来てくれなかったの!?会いたくて走ってきたのにあなたは居ないし、奥様と旦那様は良い方だったけど心細いし、聞いてもらいたかったことも言えなかったじゃない!」


 ここにニーナが居たら頭を抱えてただろう。素直になれない天の邪鬼がここで出てしまった。

 なおも顔を赤く染め目を潤ませたレヴィアンは、キッと睨んだつもりだったが、当のアデウスは静かに涙を溢しながら微笑んでいた。


 「……何で泣いてるのよ」

 「え、あれ。本当だ。気付きませんでした」


 レヴィアンは強く目元を擦るアデウスの手を止めた。それすらも嬉しいとばかりに、笑顔は深くなるばかり。


 「擦ったら赤くなっちゃうでしょ」

 「それでも良いですよ。目が覚めても夢じゃないって分かるから」


 ここまでさせておいて夢にしようと言うのか。レヴィアンに再び火がつく間際、今度は包み込むようにそっと抱き締めた。

 自分よりも大きいアデウスが、なぜか小さな子供のように感じられ、愛しさが込み上げてくる。


 「……全部聞いてたの?」

 「聞いてました。でも、直接言ってもらってないからまだ信じられません」


 少し拗ねた顔で催促してくる。気付けば二人を残して皆居なくなっていた。だからと言って聞き耳を立てていないとは言えないが、そんなのは今更だ。散々聞かれてしまった後ならば、何回言っても同じと開き直る。


 「分かったわ、言うわよ……貴方って意外と意地悪ね」

 「レヴィアンさんが可愛いからですよ」

 「そ、それは関係ないでしょ!?」


 アデウスはレヴィアンを煽る天才らしい。最も、こんなに反応するのは相手がアデウスだからなのだが。


 「私が貴方を幸せにしてあげる。だから、私と結婚してください」

 「はい、よろしくお願いします。……はぁ~。夢みたいだ。でも、夢じゃないんですよね。これからはレヴィアンさんは俺の恋人で、家族で、妻なんですよね?」

 「そうよ。嫌になっても離してあげないんだから。やっぱり若い子が良いって言ったら……」

 「そんなことは有り得ませんけど、言ったらどうするんです?」


 何も考えていなかったレヴィアンは仕返しとばかりに、「教えない」と笑った。

 破局か離婚か縁切りかと、今度はアデウスが慌てる番だ。


 夫妻と義兄になる二人に改めて挨拶をすると帰り際、順番に包容を受けた。途中何度かアデウスが止めに入ろうとするが、邪魔されてしまう。耐えきれなくなり、奪うようにレヴィアンを引き離すと「男には余裕がないと」や「心が狭いなぁ」などからかわれていた。



 「……いつまで笑ってるんですか」

 「ふっ、ごめっ。だって、アデウスってば可愛いんだもん」


 すっかり拗ねてしまったアデウスの背中を遠慮なく叩く。ニーナに見られたら「色気がない!」と怒られるだろう。それでもアデウスは嬉しそうだし、レヴィアンも初恋が実を結んで幸せそうだ。


 「今日は遅いので、明日改めてご挨拶に伺います」

 「分かったわ。その後で良いから、私の友人に会ってほしいの」

 

 快く頷いたアデウスと自宅前で別れると急いで家に入った。説明もなく飛び出してしまったから心配しているだろうと思い、クレイブの姿を探す。クレイブは夕飯の支度をしていた。


 「ただいま、父さん。遅くなってごめんなさい」

 「お帰り。どうやら嬉しい報告が聞けるみたいだね」


 笑顔が張り付いた顔を見れば一目瞭然。レヴィアンは「な、ちが!いや、違わないけど、違うのよ!」と意味もなく手をパタパタと振った。

 なおも顔を赤く染め「違う」と言い続けていると、クレイブは手を止め、


 「レヴィ、君に贈り物があるんだ」


 そう言って2階に行ったクレイブの手には、真っ白なドレスが。それを差し出す。


 「これ、は?」

 「ミズリーが着たウェディングドレスだよ。これをレヴィに着て欲しい。私達からのお祝いの品だ」


 それはレヴィアンの母、ミズリーがクレイブとの結婚式で着ていたウェディングドレス。

 温もりは当然残っていないが、両親の思い出が詰まったドレス。皺にならないよう気を付けながら体に当てた。


 「どこかおかしなところがあったかい?」


 先程まで喜んでいたレヴィアンが、急に一点を真剣に見詰めだす。

 大切に保管していたが古い物だし、色褪せやほつれでも有ったのかと問うと、静かな声で「父さん、ここ……」と指差した。


 「母さんって、豊満な人だったのね……」


 クレイブは娘の言いたいことが分かり、気まずそうにしていている。

 ミズリーはただ一点を除いて細身だった。その一点がレヴィアンにはないものだった。


 「つ、つめれば良いんじゃないかい?」

 「それはドレスを?それとも私のこの貧相な胸に……?」


 暗くなる声に耐えきれなくなったクレイブはそそくさと逃げ出し、残されたレヴィアンは再び呼ばれるまで、憎らしげにドレスの胸を見詰めていた。


 翌日アデウスは閉店後、直接自宅の方に訪ねてきた。良く知っているなと思っていると、以前お店を手伝ったときにクライブから聞いていたと言う。レヴィアンの知らないところで義父と義息子の関係は、いつの間にか良好なものとなっていた。

 もっとも、普段から穏やかなクレイブが娘の選んだ相手を認めないとは思えないし、そうでなくとも最初から良い印象を持っていたようだったから、今回挨拶に来ると知って常連客に指摘されるほど、朝から機嫌が良い。

 そんなクレイブだ、アデウスが口を開く前に「娘を宜しく」と言ってしまっても不思議ではなかった。


 ――なんだ、殴られるのちょっと期待してたのに


 レヴィアンの酷い希望は一瞬で消え去った。


 次に訪れたのはニーナの自宅。散々相談に乗ってもらったし、紹介しないのは悪いと思ってのことだった。

 中に通され、ことの顛末を話す。祝福されるものと思っていたレヴィアンは、眉根を寄せるニーナを前に悲しくなった。


 「いや、嬉しいわよ。やっとレヴィにも大切な人が出来たんだもの。でも、早すぎるでしょ!なんか色々な段階をすっ飛ばされ過ぎて、素直におめでとうって言えないわよ!」


 恋愛初心者のレヴィアンには、自分たちが早いとは思わなかった。ニーナによると告白から始まり、交際・プロポーズ・挨拶・婚約と段階を経てようやく結婚となるらしい。

 レヴィアンとアデウスは告白から婚約とすっ飛ばしていた。もっとも、告白の時点でプロポーズをしているし、親への挨拶も済ませている。

 今は婚約期間と交際期間が同時進行している状態だ。


 「まあ、二人が幸せならそれで良いわ。おめでとう、レヴィ」

 「ありがとう、ニーナ」


 やっぱり「おめでとう」と言ってもらえると嬉しいし、心が温かくなる。アデウスとほんわか見詰め合っていると、ニーナが唐突に子供の予定を訊いてきた。


 「まだそんなところまで考えられないわよ」

 「そりゃそうよね……。でも、できれば男の子産んで欲しいなぁ。この子の旦那にするから」


 娘の柔らかな頬を突っつきながらそう言った。なんとも気が早い。二人は苦笑いしていたが、ニーナの妄想は膨らむばかりだ。


 「女の子でも良いかも。私たちみたいな関係になったら素敵よね。で、ゆくゆくは私の息子と結婚してハッピーエンド」


 魅力的な話だが、そんなに都合良く産み分けなど出来るはずがない。話を変えようとレヴィアンが口を開くより先に、アデウスの猛抗議が始まった。


 「何を言っているんですか!娘は嫁になんて行きません!いくらレヴィアンさんの親友の息子だとしても、渡しませんよ!」


 こちらもなんとも気が早い。レヴィアンは呆れていた。


 「気合いで息子を産むから、レヴィも男の子を産んでね」帰り際の一言にレヴィアンは疲れ果てた。

 結局、まだ見ぬ子供達の結婚についての言い争いが終わらず、まともに話が出来たのは最初だけという結果。


 「……はぁ」

 「どうしました?」

 「ううん。なんでも……」


 精神的な疲労から、重い溜め息が漏れ出た。


 ――まさかあんなことで白熱するなんて。実は気が合うんじゃない?


 レヴィアンは前向きに考えることにした。なにしろ反対はされなかったものの、やることは山積みである。他のことに悩んでいる暇などない。


 「楽しみですね、レヴィアンさんの花嫁姿」


 う゛っと息が詰まる。一番の悩みはまさにそれだった。母よりも乏しい胸。問題の解決方法は二つ。生地を詰めるか、胸に詰めるか。

 どちらにしろ、自分ではどうにもなりそうにない。ここは恥を忍んで経験者を頼ることにした。

 レヴィアンは時間を作っては義母になるフィリシアを訪ね、話し合いを重ねた結果、生地を詰めて、胸にも詰めることになった。ドレスを新調するという考えは無かったので、仕方がないとはいえ非常に不本意だった。


 式はストナー伯爵邸で行われ、招待客以外にも通り掛かった人など、様々な人が参加する賑やかな式となり、しばらくの間、店先に立つと噂好きのおば様たちに冷やかされる日々が続いた。


 いちいち相手をするアデウスに面倒ではないのかと訊ねると、「レヴィアンさんと結婚したとことを街の人全員に伝えたいたいくらいです!」と良い笑顔で言うので、レヴィアンは頭が痛くなった。



 結婚から二年後、レヴィアンたち夫婦に女の子が産まれた。しかし、娘を溺愛するアデウスに試練が訪れる。なんとニーナが男の子を産んだのだ。


 成長するにつれて親密になる子供達に気が気でないアデウスは、ついに禁断の質問を娘にした。すると娘は恥ずかしがりながらも、ニーナの息子が好きだと答えたのだ。


 その日の晩、落ち込むアデウスにレヴィアンは呆れていた。なぜなら娘はまだ六歳だ。将来を心配するにしても早すぎる。


 「落ち込むより、あの子が人を好きになれる心を持っていたことを喜んであげたら?」


 どんよりした空気を纏ったアデウスに言葉を掛けると、情けない声で「そうですけど……」と大きな背中を丸めてしょんぼりしている。

 こんな姿でも可愛いと思ってしまうのは、惚れた弱味と言うやつだろう。レヴィアンはそう思いながらも、夫であるアデウスに寄り添うように座った。


 「あの子を大切に思う気持ちは、もちろん私にもあるわ。だって母親ですもの。でもね、私はあなたの妻でもあるのよ」


 「私のことも構ってくれなきゃ寂しいじゃない」そう言ってアデウスの肩にしなだれると、レヴィアンを強く腕に抱いた。


 「レヴィアンさんは俺の唯一の人です。この命尽きるその日まで、愛し続けます。だから、俺の愛を疑わないでください」

 「ふふっ。疑うわけないじゃない。私も愛してるわ」


 二人の娘がアデウスがレヴィアンにプロポーズをしたのと同じ歳、ニーナの息子が結婚の許可を貰うために挨拶に訪れると、アデウスはその頬を殴った。

 慌てる娘をよそに両家の母親は盛り上がる。レヴィアンはようやく見られたと喜び、ニーナは息子に「男が上がったわね!」と言っていた。

 

 そしてその晩、落ち込むアデウスをレヴィアンが優しく慰めていた。「これからもずっと、私たちは一緒よ」と、アデウスが惹かれた笑顔で。

ありがとうございました。

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