第5部 「終幕」
姉の家へ向かう途中、アレクセイは彼女のこれからを考えてみた。
命令とはいえ、戦神を殺した人物を国はどう対処するか。それは、アレクセイが命令を受けた時から決まっていた。
でも、もし、彼女が生きたいと言ったなら、死にたくないと言い出したなら、どうすべきかアレクセイは考えた。無い知恵を振り絞り考え抜いた。
そうして漸く出た答えをアレクセイは実行した。
「隊長、お帰りなさい」
「おぅ、ただいま」
戻って来たアレクセイに、見張りの兵は何事もなかったように話しかけた。
簡単なやり取りであったが、ついこの間まで、戦神の討伐を命じられていたというのに、この砦は変わらず平和だと、アレクセイは不思議と安堵した。
この砦は相変わらず平和だ。
これならば、何も問題ないだろう。
「隊長、お疲れ様です」
不意に声をかけられて、アレクセイは足と考えるのを一度止めた。
部屋に戻ろうとしたアレクセイに声をかけたのは、あまり話したことのない部下だった。
「あぁ、お疲れ」
だが、見覚えはあった。同じ砦の仲間だからじゃない、最近、会ったことがある。
そう、ごく最近、戦神と呼ばれたあの青年を殺したあの日、倉庫のような小屋に集まった一人。それも、小屋で状況を教えようとして口ごもった部下だ。
「隊長、あの女の所に行ったって本当ですか?」
「あの女?」
「例の戦神の姉です」
「あぁ。行ったが、それがどうかしたのか?」
そんなこと聞いてどうするのかとアレクセイは疑問に思いつつも、答えた。
答えたが、答えた瞬間に後悔した。
「あの女、殺したんですか?」
背筋が凍りつくほどに真剣な部下の目に、咄嗟に返事出来なかった。
正直に言えば、殺していない。
アレクセイは、彼女に同盟国へと逃げる手引きと、この砦の通行許可書を渡して帰ってきた。
それが一番だとアレクセイは思った。
彼女は生きたいと言い、国は彼女の排除を求めた。ならば、この国と関わることのない遠くへと彼女を追いやってしまえばいい。
そうすることで、彼女も復讐する気が薄れ、平穏に暮らせるようになる。
全てはアレクセイが勝手にやったことだった。誰にも言わず、一人で決めて、実行に移した。
そして、このことは一人で墓まで持って行くつもりだった。
「隊長、どうしたんですか」
急かすように言う部下に、アレクセイは黙ってポケットからある物を取り出した。
それは、娘を殺した証拠として提示するつもりであった娘の髪であった。
「あぁ」
束にした短い髪を見て、部下が短い溜め息を吐いた。安心したのか、嘆いたのかは、わからない。
ただ、掠れかけた声で「殺したんですね」と呟かれ、アレクセイは力強く頷いた。
嘘がばれないように精一杯自然に、けれど強く肯定した。
「そうですか」
アレクセイの返答を聞いた部下は、短い感想を漏らすと、やはり喜びも悲しみも感じさせずに去って行った。
去り行く部下の背を眺めながら、アレクセイは何かあったのかと考えた。部下の背中は何も語ってはくれなかったが、返答がどうにも引っ掛かった。
それ故に、アレクセイは踵を返して、自国へと繋がる門の扉の方へと戻ってしまった。
「あれ? 隊長、どうかしたんですか?」
門番の兵士は、部屋に戻った筈のアレクセイを見て驚いた。
アレクセイも、自分がどうして戻ったのかよくわからず苦笑いを返した。
戻ったところで、何をしようとか考えていなかった。ただ、先程会った部下の態度が気になった。
「そういえば、隊長。例の戦神の姉、あの女ってどうなったんですかね?」
「どうなったって……殺されたのだろう、きっと」
咄嗟に知らないふりをしたが、アレクセイは焦っていた。
何故、今、この時に同じことを尋ねてくるのか、何かあるのかと、アレクセイの脳裏に不安が過ぎる。
「殺されたんですか……。死んだのなら、良かったのかもしれませんね……」
「何が良かったんだ?」
尋ね返したアレクセイの声は震えていた。
怪しまれることはわかっていたが、死んで良かったと言われ、震えを抑えることが出来なかった。
嘘がばれるのは怖かったが、人が死んで良かったと思われたことに腹がたった。あの姉弟は、いや、姉の方は、何にもしていないのに、この国に望まれたようにやったのに、見返りもなく殺される羽目になって、死んで喜ばれなければならないのか。
「弟さんの死体、噂の戦神の。今日、戻ってきたんですよ」
「あぁ、そういえばそうだったな……」
「酷い状態でしたよ。あれは見ない方がいい」
「見ない方がいい」と、彼はもう一度呟いた。
国の名誉の為にか、狂ったと濁されたが、裏切り者への処遇は厳しい。普通ならば簡単には殺されない、拷問にかけられて見せしめに──。
ぼんやりとしていた頭が、一つの答えに行きたって急激に冷えた。
「埋葬はしたのか? 祟られないようにしておかないとな……」
部下の顔が青ざめた。
同じ答えに至ったのかは知らない。
ただ、アレクセイが弟の処遇を知らなかったということだけは伝わったようだ。
「あ……。いえ、それが……」
門番の話を聞いて、アレクセイは走った。
走らなければならなかった。
砦の反対側の出入り口、同盟国へと続く門までアレクセイは走り続けなければならなかった。
そして、そこにあるものを確認しなければならなかった。
漸くたどり着いた門の前には何もなく、一瞬、安堵しかけた。
しかし、鼻につく臭いが、安心してはならないと、すぐさま訴えかけてきた。
辺りを見回し、臭いの原因を探る。臭いは上から漂ってくる。
門を抜けて振り向いて、砦を見上げれば、小さな窓から昨日までなかったものがあったものが吊されていた。いや、昨日まであるはずがないものだ。
土気色になった男の首、窓から吊された青年の首を見て、アレクセイに後悔以外の言葉はなかった。
出る時に何故、気づかなかったのだと、後悔が湧いては、気付くわけがないと言い訳じみた台詞が浮かんでくる。
気づいていたなら、アレクセイはあの娘を最後まで見送っただろう。自らの手で殺してしまった弟の分まで生きると言った彼女が、安息を得るまで見届けるべきだった。
「これ、酷いですよね……」
同盟国の側の門番がアレクセイの姿を見て、声をかけてきた。彼も窓から吊された首を見て、言い顔をしなかった。
「いったい誰がこんなことをしたんだ……」
外そうにも下からでは届かない。上から取れば小さすぎる窓に引っ掛かってしまう。どうやって吊したのか、それすらもわからない。
「上の連中ですよ。隊長が出かけた後にやって来て、見せしめだとかなんだとか言って、やったんですよ。いくら狂ったって言っても、これはやり過ぎですよね。でも、外したら外した奴も同じ目に合わせるって、無茶苦茶なこと言い出して……」
見せしめと言ったが、これは誰に向けての見せしめなのか。わざわざ自国でも敵国でもなく、同盟国の方に向けて、上の連中は何を思ってあの首を吊したのか。
答えは一つしかなかった。
「そういえば隊長、戦神が狂った理由を調べてましたよね? 結局、何だったんですか?」
「女が来たら俺を呼べ」
「女? 誰ですか? まかさ隊長の女とか?」
「違う! ……とにかく女が、この砦の通行許可書を持った女が現れたら、俺を呼べ!」
「りょ、了解しました……」
急いで仲間達に伝え走る門番を見ながらアレクセイは、ある娘の顔を思い出した。
彼女を助ける方法は一つしかなかった。
彼女が生き延びる為には、この国を出なければならないから、彼女を匿える土地に行くには、一度、隣国を通らなければならないから。
彼女は来る。必ず来る。
生きると覚悟を決めて来た彼女が、あの首を見てどう思うか、アレクセイには今度こそ想像がついた。
覚悟を決めて腰の剣に手をやる。
彼女が弟の味方である為にやったように、彼女の味方になる為には、やるべきことは一つだった。
狂っていたのは弟だろうか。
弟を殺した姉だろうか。
それとも、




