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沙穂は刈葦が可愛くて仕方ないみたいだ。
よく見えない目でも付きっ切りで世話をしている。
手探りながら水を飲ませたり、粥を食べさせたりと、甲斐甲斐しい。
「弟が出来たみたい。」
微笑む沙穂は天女の様で、不覚にも胸の奥が小さく震えた。
昨夜遅くにテンが刈葦を抱えて、おらの家に来た。
おらの家は、まがりなりに村長の屋敷だから、自分の部屋を割り当てられているのは幸いだった。
おらの部屋の戸に何かが当たる音がして、寝ぼけながら戸を開ければ、闇夜に紛れたテンが立っていた。
うっかり声を上げかけたおらの口を塞ぎ、腕に抱いた刈葦に視線を移しながら、絞り出した声は苦渋に満ちていた。
「無理を承知で頼む、刈葦を預かってくれ。あのままじゃ、こいつ、いつか殺される。」
初めて川縁で会った刈葦は、腕が折れていた。その時気付いた、袖口から覗く折れていない方の腕には、火傷の跡が幾つも見えた。
今、テンの腕には、何枚もの着物に包まれた刈葦が眠っているが、この陽気で寝苦しい夜に異常な光景として映る。
なんでだ?
こんな小さな子供が何をした。
たかだか角の有る無しで、なんでこんな事になる。
テンからあらましを聞いて、怒りに体が熱くなる。だが、頭の中は反対に冷える一方だ。
テンがおらに助けを求めて来た。
あのテンがだ。
いつだって強くて、そつなく頭の回るあいつに、おらは助けられてきた。
その意味を、考える。
「刈葦を人間の世界に、逃がしてやりたいのか?」
ジッとおらを見つめるテンは…不意にやるせなさそうに微笑んだ。
「頼む。」
ああ。
お前が普通の鬼なら、こんなに苦しむ事はなかったはず。
弱くて小賢しい人間を、馬鹿にして悪戯にその命を摘み取っても構わない、そう考えるのが普通の鬼だって言ってたのはお前だぞ。
けど、お前はそうじゃない。
初めて会った時、どうせ殺されるならと開き直り、世間話でもと話しかけたおらに、怪訝な表情を浮かべつつも、付き合ってくれた。
お前は馬鹿みたいに素直で、そのまんまのおらを受け入れた。
それと同じで、角無しだろうがなんだろうが、大事な甥っ子の為になるのなら、多大な犠牲を払ってでも庇ってやりたいんだろ。
いいよ、お前の頼みなら…何とかしよう。
「わかった。その代わり…」
◇◇◇◇◇
「オヤジ様よ、ちょいと相談が…」
「なんじゃい。気持ち悪いな、お前がそんな事を言い出すってこたぁ、面倒事だな。ん?」
都に送る荷の書き付けをしていたオヤジが、ニヤニヤしながら振り返る。
これまた食えないオヤジ様だ。
この人の口が、べらぼうに立つおかげで、おらの村の絹はいつも上客が付く。
絹は当然だが手間が掛かるものだし、作る側の練度も大きく物を言う、作り手が一人前になるまでは長い時間が必要だ。
それにつり合う利益を上げる為には、なるべく高い値を付けたい。
ところが、物を知らぬ田舎者故に客に買い叩かれる事も多く、間に入る中売りに利益の粗方を取られてしまう事も珍しくはない。
そんな中、自分で市に出向き、都人との馬鹿し合い、探り合いのやり取りをやってのけ、いつしか贔屓にしてくれる上客が付くようになり、適正な取引をしてくるオヤジ様は村一番の切れ者として、皆に頼りにされている。
「沙穂の事じゃい。あのまま家の預かりで置いておくつもりか?」
顔に浮かべたにやけた表情を消し、大きく息を吐くオヤジの眉間には、くっきりとシワが出来ている。
「…あぁ、わしもなぁ考えあぐねておるわ。」
オヤジ様が沙穂の事に、負い目を感じているのは知っている。
何故なら、沙穂の母ちゃんを見初めた貴族のボンボンを、この山奥の村に招いたのは他ならぬオヤジ様だ。
唯一にして、最大の失態だとおらは思っている。
贔屓にしてもらっているお貴族様が、絹の製作過程を視察に来たいと言い出したそう、そんな物見遊山に付き合わされた挙句、まさかこんな鄙びた田舎の娘を目に止めるだなんて…思いも寄らなかったが故に、叔母ちゃんも、沙穂も…。
「あのな、沙穂…好きな奴がいるんだ。おらは、沙穂の好きにさせてやりたい。」
苦虫でも口ん中に飼ってるんじゃないか、って言う位に顔を顰めるオヤジ様が、ボソッと呟いた。
「……やっぱりダメか。あそこから連れ出しただけじゃあなぁ……目は治らんか。」
あんな屋敷に閉じ込められた叔母ちゃんを、助け出せなくて涙を飲んだオヤジ様は、せめて沙穂だけはと、取引を不意にしても彼女を都から連れ出したのだ。
きっと、おらの言う事に分があると信じたい…だが、余りに博打すぎる賭けだろか。
「あのな、オヤジ様。都に送る絹以上に価値のあるもの…それは何だと思う?」
おらの言葉の真意を図りかねるオヤジ様に、重ねて言う。
「金山じゃ。」
目を丸くするオヤジ様。
当然だろう。
テンが言った刈葦の為に支払う代償は、お釣りが来る大きな物だ。
いや、正確には金山を探す為の知識や金山から鉄を掘り出す為の技術…刈葦が受け継ぐ、鬼の秘技それらを、人間にくれてやる。
そういう意味だ。
おらとテンの事を、他人に話すのは初めてで、緊張した。
でも、オヤジ様なら何が最良かを冷静に見極めてくれると信じている。だから、十数年来のおらの秘密を打ち明けたんだ。
…そして、話を聞き終わっても、じっと身じろぎもしないオヤジ様の横顔は、何の色も浮かばない平坦そのもの。
何の反応もない事に焦れるが、これもオヤジ様の駆け引きの一端だろうか…相手の反応が分からないってのは怖いもんだ。
何しろ次の一手をどう出していいのか、それすらも決めれないのだから。
そして、沈黙に耐えきれず更に情報を漏らす羽目になるんじゃ。
あーあ、本当食えない年寄りじゃい。
「オヤジ様、あいつは信用に足る人物さ。角さえなきゃ、あいつと一緒に商売したいと思うくらいだ。…それに」
言葉を切ったおらを、目玉だけギョロリと動かし睨みつけるオヤジ様、あれ?不味い方向に行ってる?
「田に引く水だって、数年前から綺麗になっただろ。あいつが調整してくれて、田に金気の入った水が来んようにしてくれたんじゃ。」
そう、鬼のあいつが、人間の暮らしの為に骨折ってくれるだなんて…
『鬼の沽券に関わるから、絶対誰にも言うな』って難しい顔して言ってた。
鉄を掘り出し製鉄する過程で、人の体にとって毒となる物が水に混じる。その水を使い田畑を耕せばどうなるか…想像に難くない。
長年の鬼と人との諍いの原因だ。
かつて水を巡る戦いは熾烈を極めたが、鬼の力の前に人は屈し、毒水の流れて来ない方角の、僅かな田畑を耕し何とか生き延びて来た。
戦いに負けたのは、おら達人間。
仕方が無いと諦めたのも、人間。
けど、それに手を差し伸べてくれたんは、テンだけだ。
だからおら達は、鬼であろうとテンにだけは、既に多大なる恩があるっちゅう事だ。
◇◇◇◇◇
刈葦はすっかり回復して、元気に庭を走り回っている。
折れた腕の骨ももうくっついた様子。子供の回復力故か、鬼だからこそか…。
縁側から刈葦の様子を眺める沙穂に、小さな花を手渡し、ニコニコと笑顔を浮かべて何やら話していた。
おらの姿を見つけた刈葦が駆け寄って来て、着物の端を握りしめながら言った。
「刀水士、刈葦のお家に帰りたい…。」
「そーか、もう里心ついたか。」
ふるふると首を振る刈葦は、とても真剣な眼差しをしている。
「お山でお勉強するの。…そうすると父様が褒めてくれる。」
目を細めて笑う刈葦に、胸が痛む。
そうやって親の気持ちを得ようとする子供の必死さに、思わず涙が零れそうになる。
「そーか、どんなお勉強するんだ?」
「あのね…」
自分の知り得た知識を、得意そうに披露する子供の目はキラキラと輝いていた。
「刈葦は凄いのですね。色々な事を良く知っている。」
隣で聞いていた沙穂も、大人顔負けの刈葦の知識やその言い回しに目を丸くしている。
「まぁ、もう少しここにいろよ。じき迎えが来るだろうよ。」
ツヤツヤした栗色の髪を、グリグリと撫でまわしてやれば、プンスカとむくれ顔の刈葦。額に掛かる髪を掻き揚げても、そこには滑らかな曲線があるだけだ。




