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「はぁ。」
「ふぅ。」
「はぁ。」
ぼんやりと縁側に座ある沙穂からは、そんな溜息ばかりが聞こえてくる。
分かった、分かったよ‼︎
沙穂がテンに惚れッちまったのは!
色恋沙汰に縁遠いおらには、イマイチわかりずらいその感情も、憂いを帯びたその美しい横顔に、何と無く察する物がある。
でも、ごめんな。流石にあいつは無いわ。
沙穂はもうあの煌びやかな重りのような着物は着ていない。村娘と同じ簡素な単衣を身に付けるだけだ。
長い長い髪はそのままなのが些かチグハグな感じだが、この村に来た時の様なやつれた感じはしない。少しばかりふっくらして来た感じで、ほっとした。
出来ればこのまま、元気になって村一番の婿がねを捕まえて、この村に腰を据えるのが一番いいだろう。それが彼女にとっての幸せなんだ。
きっと叔母ちゃんもそう言ってくれる。
それに、俺の頭を悩ませている件はまだ有る。
鬼の娘を手篭めにしやがった馬鹿野郎だ。
テンの奴、本気で怒ってた。
当然だな。おらの立場でも、そのままには出来ない事だ。
無かった事にして、波風立たない日常のなかで、悔し涙を飲んで耐えている女がいるんだ。その痛みを当人だけに押し付け、知らんぷりするなんざ男のやることじゃない。
脳内で憤るおらに、気だるい雰囲気の沙穂が空なんか見上げながら声を掛けてきた。
「刀水士…せめて御礼だけでも、お伝えしたいのですが、御名も聞けず終い…この村の方ではない様子ですし、探せません、よね…」
「あー、うん、ゴメンなさい。只今鋭意模索中であります。」
…こっちも、どうやって諦めてもらうか、頭が痛いや。
テンに言われた件については、取っ掛かりも無く、約束の期限がどんどん近付き、おらは焦っていた。
だが、ある日を境に問題は解決することとなる。
それはもう拍子抜けするほど直ぐに、本人が名乗り出た。それと同時に、とんでもない勘違いも明らかに…。
もう直ぐ夏祭りとあって、注連縄作りなど、連日連夜村の若い男達が中心になり、村の社に集まって、準備に忙しくしていた。
「刀水士さん、最近どうですか〜?」
「なんじゃい、どう?って。あー、おらと沙穂は何も無いからな、先言うておくわ。けど、沙穂には半端な気持ちで近づいたらいかん。マジ死を覚悟してもらうぞ。おらの屍を乗り越えて行け!」
立て板に水の勢いでまくし立て牽制するおらに、若い衆は笑いながら作業の手を止めて、酒を差し出してきた。
なんだよ、今日の分はもうお仕舞いってか?
「一個相談なんですよ。こいつがねぇ、どうやら恋煩いで、腑抜けて使い物にならないんですわ。」
そう言われ、おらの前に押し出された、ひょろっとして小柄な男は、ぱっと見まだ子供の様に見えた。そして恥ずかしそうに俯きモジモジとしていた。
いや、男の照れる姿がこんなにキモいとは…いやいや、若人の甘酸っぱい恋する気持ちを、そんな風に言ってはいかんな。
ッがー‼︎ちょい背中痒い‼︎誰か背中引っ掻いて‼︎
ったく、どいつもこいつも頭ん中は春真っ盛りだなぁ、おい!
「うん?どしたの?何処の家の娘を気に入っちゃったのさ。」
「それが…わからないんです。」
はい?
「 半年くらい前に、山菜取りに北の山に入って、蝮に噛まれたんです。で、動けなくなっている所を、見知らぬ女が助けてくれました。それで…もう一度会いたくて、この半年山に入って探したんですが、会うこともなく…。」
これはー、もしかしてもしかすると?
「あのさ…そいつ本当に人間?北山は禁忌だ、まさか鬼じゃないだろうな?そもそもあの山で人に会うだなんて…面妖な話じゃねぇか。」
期待して裏切られた時って、衝撃が倍増しちゃうよねー。
「確かに山に入ったのは出来心ですみません。でもっ、彼女はちゃんと普通の人間でした…。ただ、今思い起こせば一風変わった着物を身に付けていましたが…」
え?やっぱり、もしかしちゃう?
「で、その、手当ての御礼をしたいと言ったら…あの、こ、子種をくれと… 。」
んで、まぐわいました、と。
「…もしかして、本当に子供が出来ていたら、俺ちゃんと面倒見たい…。」
「だからこいつ結構マジなんですよ。そんなんで、隣村辺りに聞いてもらったらどうかと思って。刀水士さんなら、村長の名代で、周りの村に出入りする機会が有るから、調べてもらえないかと、相談させてもらったんだけど…どしたの?」
頭を掻き毟り蹲るおらを、怪訝な顔で見つめる男達。
随分な意識の隔たりが有るようだ。
ともあれ、期日までにはどうにかなった。
テンの馬鹿野郎ーーーー‼︎
◇◇◇◇◇
「と、言う訳で。こちらの男の意識では合意の上、しかも女から持ちかけられた話しだそうだ。そっちはちゃんと、当人に確認したのか?」
「…嘘だろ。…いや、してない。」
「ったく!ちゃんと情報を精査しろよ。文句いうなら尚更だ。」
「すまん。」
眦を吊り上げた刀水士は、余程怒っているのだろう。
確かに俺の落ち度だ。
ここは素直に謝るべきだな。
だが、しかし…なんでそんな事になってるんだ。
考えられるのは、おばばが嘘をついたか、娘が嘘をついたか?
「テンよ、これは一つ貸しだぞ。つーか、その娘と、おらとこの男と合わせてやってくれんか?」
「それは…、合わせてどうするつもりだ。」
おばばの娘の成りは、人間そのものだが流れる血は鬼の物。人間と妻合わせてやったところで、生まれる子供が母と同じ姿とは限らない。
「それは〜、どうしよっか?まあ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまうらしいからな。ほっとけば?」
「馬鹿!お前は鬼を舐めすぎだ‼︎俺ははっきり言って例外だぞ。他の鬼達は二本角至上主義で、角も力も無い人間なんか猿と変わらない、道端でうっかり出会ったら、直ぐに逃げろ!機嫌次第じゃ意味も無く殺されるぞ!」
一気にまくし立てた俺を見て、笑う刀水士。
「うん、ありがとうな。おらの事を思って言ってくれるのは分かる。だけど、おらの村でちょっと顔を合わせるくらいなら大丈夫だろ。そもそも鬼達にも里から出るなって決まりがあるんだろ。大丈夫。」
確かにそうだろうけど、もしも、一緒になりたいなんて言い出したらどうしたらいいのか…。俺が心配性なだけなのか?
「それと…、これはおらからテンに頼みたい事だけど…。」
言いにくそうにしている刀水士、こんなあいつは初めて見る。いつだって物怖じしないであっけらかんとしている刀水士に、俺は…きっと救われてきた。
考えすぎて煮詰まった様な俺の思考を、簡単に笑い飛ばしてくれる。それがどんなに小さい事なのか、小さく狭い鬼の世界の価値観を、あっさり打ち砕いて、更に広い世界を教えてくれたのは刀水士だから。
「なんだよ、はっきり言えよ。気持ち悪いな。」
「お前はよ、一言余分だな。あのな…テンに会ってもらいたい奴がいるんだ。」
なんだ?
「…ちょっと前にお前が助けた女だ。ほら、滝壺に落っこちた所を拾ってくれた奴だよ。」
「それこそどうしようって言うんだ。」
目が見えないのは俺の正体がバレなくていいかもしれないが、何がしたいのか…さっぱりわからない。
「あいつ、沙穂って言うんだけど、お前に助けてもらってすごい感謝してるんだ。だから直接御礼を言いたいんだと。」
そう言って、少し寂しげな表情をした刀水士は、淡々と言葉を紡いだ。
「沙穂は、長くは生きれないだろう身体だから。少しでもあいつの望みを叶えてやりたいんだ。」




