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棚田が傾き始めた夕陽を反射して輝いている、その景色はとても美しい。

何代にも渡って耕し続けたその田畑は、鬼たちの苦難の歴史を見続けて来た。これからもそうだろう、鬼と共にあり続ける。

なぜかひどく感傷的な気分にさせる風景だ。


夕暮れまで後少し、そう思い再び鍬を振り上げた時だった。


「村長んとこのクソ坊主よ、精が出るな。まだ畑を開くのか?」


見れば村にたった一人の薬師のおばばが立っている。腰が曲がって来た年寄りだが、まだまだ現役で気だけは誰よりも若い。


「んだよ。くそばばあ。なんぞ用か?」


新しく開墾した畑は、まだまだ手を入れてやらねば使い物にはならない。 耕した土の中から出てきた大きな石を、背負子の中に放り入れながらおばばに向き治れば、未だかつて見た事もない様な顔をしたおばばが立っていた。上手く言えないが、泣きそうだったり、怒りであったり…ない交ぜになった感情が身のうちで渦巻き、噴き出しそうなその感情を、無理やり押さえ込んでいるかのよう。


「次期長として、聞いてもらいたい話があるのじゃ。」




しばらくの逡巡の後、おばばから絞り出された低い声色が紡ぐその内容は、俺を心底驚愕させた。


「儂の娘の腹に子がいる…人間の子じゃ。娘は、乱暴された事を誰にも言えず、ここまで来てしもうた。最早腹の子を下ろせる時期は過ぎておる。」


力なく項垂れたおばば、俺は一瞬言葉を無くし、次にはかっとなり声を荒げた。


「っ、何でそんな事になる!そもそも里から出るのは禁じられているだろう!」


「儂も娘も薬師じゃ!病にある者が居れば、駆けつけるのが当然じゃ!半年ほど前に、金山で事故があったろう。動かせれぬ者たちが多く、儂等は交代で金山に通っていた。許可はお前が出したはず。…その時じゃ…。」


そうだ、半年ほど前に、里からふた山程離れた所の、鉄を採掘していた金山で、崩落事故が起こった。何人もの鬼が死んだり、怪我を負った、かなり大きな事故だった。

俺は大きく息を吐いた。



「…すまん、そうだったな。」


ふと、おばばの娘を思い出した。


「確か娘は角無し、しかも丙種だったな。せめて並みの鬼と同じ位の力があれば、人など簡単に屠る事も出来たであろうに…残念だ。」


鬼には不文律の掟がある。

だが、それは絶対の物だ。

その鉄の掟に、鬼達は縛られ続けて来た。

角の有る無し、その角の本数、身体能力による順位付けがなされ、それにより差別を受ける。

鬼の宝、製鉄の技を学ぶ事が出来るのは二本角だけ。

そして、丙種とは並みの女鬼以下の力しかない角無しの事。

だが、女鬼と比べて劣るだけで、人間一人相手ならなんとかならなかったろうか…いや、きっとハバアの娘を襲った人間は一人じゃない、数人に輪姦されたに違いない。


「…産ませてもよいのか?産んだ子を育てて良いのか?この鬼の里に、人の血を入れてよいのか?…生まれる赤子に罪は無い、じゃが…まともにこの里の一員として認められることは無かろう。それを思えば……」


人と角無しの合いの子が生まれるとなると…前例が無い。

いや、遥かな昔には鬼と人の距離は、今より近しいものであった。鬼の血に人のそれは混ざり合い、長い長い時間の中で、姿を消してしまった。

今、娘の産む子供の身に、人の血がどのような姿を現すかは、皆目見当つかない。


だが……。


「産めばいい。」


あっさりと言った俺の言葉に、ポカンとした表情のおばば、そこに重ねて言う。


「産めばいいと言った。お前の一族は薬師であろう。貴重な知識の積み重ねが、消えてしまう方が問題だ。後を継ぐものは必要だし、娘の産む子供には、俺が後ろ盾になろう。…赤子に罪は無い。」


皺に埋れた顔を更にしわくちゃにさせ、ようよう言葉を紡ぐおばばの目にはうっすら涙が滲んでいた。


「…恩に着る。」






屋敷に戻ったのは、日が沈み辺り が藍色に染まったころ。

井戸端で体の土埃を拭っていた俺は、小さな泣き声に気付いた。通りより高い所にある屋敷の庭から見下ろせば、ふらふらと道を歩く子供の姿があった。


「刈葦!どうした⁉︎」


通りに駆け下りて、刈葦に近寄った俺は、幼い甥の体に起きた異変に目を見張る。暗がりでさえ分かるほど、左腕が酷く膨れ上がり、指先などは黒く変色していた。


「にいちゃん、いたいよ…っ…ふううっ…うっ…」


「お前、…良く逃げて来たな。怖かっただろう。」


細く細く甲高い声で、弱々しい泣き声を上げ続けている刈葦を抱き上げると、俺は夜道を走り出した。




つい今しがた話をしていたお俺が、戸をぶち破る勢いで現れたのに目を剥くおばば。その次には、険しい顔で刈葦の腕を凝視した。


「それは…母御が?」


「ちがう!ちがうよ!」


泣きながら頭を振る刈葦の、必死な様子が尚更可哀れだ。けれど、刈葦が庇っても、母親の仕業に違いない。こんな事が初めてでもないのだ。


刈葦は角無しだ。

俺の年の離れた姉の生んだ子供だが、生まれてから数ヶ月で現れる筈の『印』、即ち角が未だに生えては来ない。救いは角が無いだけで、力は並みの鬼の子と変わらない。

だが、姉には耐えられない事だった。自尊心の高い彼女が、憐れみ或いは侮蔑の視線に晒され、我慢出来るはずがない。まして己の腹を痛めて産んだ子のせいでそんな目に遭うとなれば、彼女にとって全ての元凶となる我が子に、その怒りが向いてしまうのは、どうしようもない事だったのだろうか。


幼い甥が今生きているのは、俺が引き取って育てたから…。

まだ乳飲み子の刈葦を、母親から無理やり引き離し、里中の母親から貰い乳をし、家にいる間も紐でおぶって常に一緒にいて面倒を見ていた。まるで自分の子供の様に刈葦を育てたつもりだ。可愛い盛りの頃を親元ではなく、叔父である俺に育てられ、親の愛情などとは無縁に過ごした。

それなのに…四つになった頃、刈葦を迎えに来た父親に着いて、俺の元から離れて行った。

何度も止めたが刈葦が行くと言って聞かなかった、家を出て行った幼子の後ろ姿が今も忘れられない。


「そんな目に遭うのに…そんなに親がいいのか…」


「血の繋がった親子じゃからな。刈葦位の年なら尚更か。」


「………血の繋がった親だからこそ、許せない事もある。」


その時、奥の部屋の襖が空き、おばばの娘が顔を出した。腹に目をやれば、確かに膨らみが見て取れる。

刈葦にくれた視線が僅かに眇められた。


「まあ若様、いらせられませ。刈葦も…これは…痛いでしょう?よく我慢しましたね。」


俺に軽く会釈すると、刈葦の隣にすとんと座る女。刈葦の腕に目をやり、そう声をかけるおばばの娘は、十人並みの顔立ちだが、とても柔らかい雰囲気を持つ女だった。

一生懸命堪えていた涙も、向けられた優しさに一気に気が緩み、大声で泣き出す刈葦、その隙におばばが、あらぬ方を向いた腕を引っ掴み、元の位置に戻した。当然、響き渡る刈葦の悲鳴。


うん、この瞬間が一番痛いと俺は思う。

けど、上手いこと刈葦の意識を逸らし、処置を施した二人の息の合った様に、想いを新たにした。


たとえ姿が異なろうと、二本角でなくとも、同じ一族の者であるのは変わらない。一族を率いる自分にとっては、同じく守るべき者なのだ。



◇◇◇◇◇



「にいちゃん、ここは行ったらダメなとこじゃないの?」


「あ?俺がいいって言ってんだ。大丈夫だ。」


「でも…人間が出てきたら、どうしよう…」


形のいい眉を下げて情けなさそうな顔をしているのは刈葦だ。

気分転換に刈葦を連れて、あの滝を更に超えた川下に来て釣り糸を垂らしている。魚籠の中には、既に数匹の魚が泳いでいた。


「なんだ、お前人間ごときが怖いのか?」


「こ、こわくなんか…ない…もん。」


切れ切れに答える刈葦が面白くて吹き出した。強がっている様が可愛くて仕方ない。もっとも、刈葦が人間を恐れる必要などないんだが…本人どう見ても人間なのだから。


刈葦は添え木で固定された腕を、首から下げた布で吊って安定させている。

おばばの家に担ぎ込まれたあの後、何日間か発熱して寝込んでいたのだが、今日漸く床上げが出来て嬉しくて仕方ない。子供にじっとしていろという方が土台無理な話だからな、今日くらいはいいだろ。


丁度その時だった。


「おう、釣れるかね?」


川下から声を掛けられ、飛び上がる刈葦。慌てて俺の背中に隠れた。


キラキラ輝く水面が眩しくて、渡る風が心地よい。

こんな日に血の臭いなんざ、かぎたくないな。


俺は声の主を見ることも無く答える。


「まあな、お前みたいなせっかちじゃ、こうはいくまいよ。日暮れまで掛かっても丸坊主だ。そうだろう刀水士。」


後ろに立っているそいつは、きっと苦笑いしながらいるに違いない。

昔から釣りの下手くそなお前に、いつだって釣り上げた魚を分けてやる羽目になる俺はいい迷惑だ。


「はっはっはー。人徳人徳。然しお前はよ、随分久しぶりに会ったってのによ、ご挨拶だな、テン。」


だーかーら…


「テンって言うな!いい加減覚えろ‼︎ばか刀水士!俺は酒呑だ!」



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