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白髪をひっつめて後ろで縛っている婆には角が無い。


「若奥様、どうぞよろしくお頼み申し上げます。わしの事は婆とだけお呼びください。」


丁寧に腰を折って頭を下げた婆。

その顔に深く刻まれた皺が生きた年月を物語る。





結局親父達は先に村に帰ってもらった。

冬の山道で日が暮れ様ものなら、大変な事になるだろう。

屋敷に残ったのは沙穂とオラだけ。

オラは見届け人として一晩この屋敷に居座るつもりだ。


しかし、テンの差し向けた世話役の婆は石動と言ったか、随分と楽しそうにしている。

ニコニコと沙穂を眺め、欲しいものが無いかとしきりに声を掛けたりしている。

些か煩いがここは寂しい山の中、音が有るそれだけでも有難い、沙穂の憂さを和らげてくれる事だろう。


「婆殿、それにしても遅いですな。花嫁がすでにこの屋敷についている事は知れておる筈でしょうに……」


「はあ、まだ時間がかかるやも知れません。今しばらくお待ち下さりませ。何しろ若様はお忙しいお方ですので。もし奥方様が宜しければ夕餉の支度をして居りますが、よろしいでしょうか。」


確かに陽も傾いて来た、膳の支度に早すぎる事も無いだろう。

テンに限って約束を違えるなんて事は無いと信じているが気を揉むものだ。


「私も手伝いますよ、婆殿。祝いの膳であれば人出も必要でありましょう。」


「いえ、奥方様のお相手をお願いいたします。何分心細うあられましょうから、気を紛らわせて差し上げた方が宜しいかと。」


その会話に割って入ったのは沙穂だ。


「あの、もし宜しければ炊き屋を見せていただけませぬか?」



◇◇◇◇◇



「お姫様は不思議な事をおっしゃる。炊き屋を覗きたいなど、なんも面白い物などあるまいて。なぁ?」


オラに笑いかけながらも、石動は竃に火を入れると野菜の皮を剥き始めた。


厨の板の間に円座を敷き沙穂を座らせ、オラは上がり框に腰を掛けた。

テンが用意した婆様だからな、大丈夫とは思うがいきなり二人きりにさせる程信用し切っちゃいない。


オラにしてみれば驚きしか無いのだが、沙穂にとっても同様らしい。

彼女の美しい面に浮かぶのは驚愕。

顔はあまりよく見え無いが、目の前の婆がかなりの年嵩なのは雰囲気でもわかる。

それなのにその動きの俊敏な事、更に大きな水瓶をいっぱいにする為担いだ天秤も、難なく運んでいる。しかも重さを感じさせ無い軽快な足取りでだ。


流石、『鬼』。


「はぁ。」


こっそりと沙穂は息をついてた。


『鬼』かぁ。


胸の内で呟くもそれは嫌悪などではない。

純粋に人間との違いに驚いたにすぎ無いのだが、こうなると自分の夫になる鬼はどんな人柄であろうかと心配になってくる。

不興を買ってしまったら自分はどうなってしまうのだろうか。

相手はそんなつもりが無くても、一発叩かれただけで即死する勢いになるんじゃあないか……そんな事をつらつらと考える沙穂は、石動に問うていた。


「あの、旦那様はどのような方ですか?」


怪訝な顔……をしているのだろう。

その表情を見る事は叶わないが、言葉にならない雰囲気がそんな色を醸し出している。


何かまずい事を言ったのか分からず、言い訳めいた言葉を付け足す。


「あの、私嫁にと命ぜられただけで、何も存じ上げ無いのです。」


そう、飲み比べのオマケのような扱いで決まった嫁入り。そのくせこんなに立派な屋敷や世話役が用意されているなど、不思議でもある。


石動はぽりぽりと頭を掻く。

ボサボサの白髪に覆われ目元も見えないにも関わらず、苦笑いしている様子が伝わってきた。


「若様は………まぁ見た目は良いんですがね。

なんていうか……所帯じみてるっていうのかね。」


「はぁ。」


思い掛け無い言葉に間抜けた声が出た。


「気の毒ではあるんですよ。

乳飲み子だった甥御の世話に始まり、村長が倒れられてからはその世話も有って……

そうそう、実のお母様を看取ったのも若様でしたね。随分長く臥せっていらしたもので、その間の看病も若様がされていらしたのでは無いのでしょうか。」


予想外の話に目を見開く沙穂。


「なんでそんな事に……いえ、どなたか手助けをして下さる方はいらっしゃいませんでした?」


オラは鬼の里でのテンの生活について興味津々で聞いている。テンは自分のことをあまり喋らないから珍しいんだ。

石動は口は動きながらも手を止める事なく、テキパキと動かし野菜を煮付けていく。


「そうですね、若様の育ての親とも言える爺様が随分と気にされていました。『若様、早う嫁御を娶られませ』それがもう口癖でした。

とかく周りの者の世話に明け暮れて、その合間も遊ぶでもなく畑仕事に精を出している真面目な方ですから。遊び方すら知ら無いのだと思います。それに誰かに助けを求める事も……

何しろ甥御のもらい乳をして歩いていた頃は、若様もまだ子供でしたから。」


「……そうなんですか。」


「はい、ですから若奥様ご安心くださりませ。間違っても若様は、若奥様を無碍には致しませんて。」


作業を止めて沙穂を見上げる石動の目には、テンへの信頼が見え隠れしている。


「そう、お優しい方なのですね。」


「村の娘達も若様の顔が勿体無いと、常々申して居りました。

若様のお父上はそれはそれは厳しいお方です、更に年の離れた姉上様も中々と難しい所のある方でございます。

このお二方のいらっしゃる限り若様に嫁ごうなどと、そんな気の迷い起こせ無いと……村の女達の認識はそんな物でしたよ。所謂残念な美形ですわな。ほんに折角の華の顔が無駄でございました。」


バッサリ切って捨てるがごとくの言い草に、沙穂は返答ができ無い。


「そっそれは……

何とも、答えに詰まる言い草ですね。」


誤魔化すように扇子を広げると、顔を隠した沙穂に更に追い討ちをかける石動。そんなに念押ししなくても良いのに。


「いや、本当にいい男では有りますが、補って余りある残念具合がのう。」


やっぱりテンはテンだな。


その時、不意に声が響いた。


「石動、部屋におらんと思ったらこんな所で何を言っておる。」


「はれ、若様。お早いお着きでしたな。もっと長様に捕まえられているかと思いました故。」


石動がじーっと見つめる先には、先達ての反面をつけた鬼が立っている。

沙穂はぼやけた視界でもそれとわかる恵まれた体躯に息を飲んだ。


「ときに若様、なぜ面を?」


「うううるさいなっ、人間対策じゃ!」


もはやそれに意味があるのかわからない。


「花嫁様がお待ちでございますよ。まあ人間であれ鬼であれ、花嫁との対面が炊き屋などと言うはしきたりから外れた物でございましょ。さあお屋敷にお戻り下さいな。」


テンは石動の言葉に反し、ずかずかと板の間を横切るとおもむろに沙穂の傍にしゃがみ込んだ。


「む……随分と待たせたようだ。直ぐに火鉢なりと用意しよう。気が利かぬ者ばかりですまぬ。」


自然に伸ばされる手。

沙穂の傍に膝をついたテンの手に握り締められた彼女の指先は、すっかり冷えていた。

沙穂はびくりと体を揺らす。

ハッとしたテンが沙穂を立ち上がらせると、決まり悪そうに手を引っ込めて視線を彷徨わせている。


「いえ、私が駄々をこねたのでございます。炊き屋を覗いてみたいと……それに石動がとても面白くて楽しゅうございました。」


ハラリと広げられた扇の向こう側では、きっと微笑んでいるのだろう。楽しげな声色の沙穂にホッとする。


しかし、ここまで来ても頑なに面を取らないテンにオラはとうとう吹き出した。

我慢の限界だ。


「っぶっは!」


「んなななななんだ!刀水士!」


腹を抱えて転げ出したオラに、テンの焦りの滲む怒声が降ってくる。


「いいかげんにしろ!言いたい事はよくわかるが絶対口にするんじゃねえ!」


「わーったわーった、テン、オラ腹が痛いぞ!」


腹筋がつる!

この恥ずかしがり屋さんめ!

こんなデカイ図体しときながら、正直こっちが気後れしそうな程の冴え渡る美貌の顔を持ちながら、なんて初心い反応だよ!


オラ達の会話に沙穂が首を傾げている。

当然だ、村の者がいる中でこんな事話せやしない。でも、このメンツなら大丈夫、もう沙穂にバレても構わない。


「刀水士どういう事でしょう……まるで二人は古くからの知己の様ですが……」


ああ、こっちもぽけっと呆気にとられた顔の沙穂が可愛らしく、オラはにやけてるに違いない。

あんなに毎日ボーッと空ばっかり眺めて溜息ついてた沙穂。お前をそんなにした奴はここにいる。


「沙穂、お前の我儘をオラが叶えてやらなかった事があるか?こいつの声、聞き覚えがあるだろう。」


しばらくの逡巡と、何かに思い当たった沙穂の頬に朱が刺した。

花がほころぶような笑顔に色を添えて、それはもう可愛らしくて。


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