花火だけが慰める恋
どこで上がっているのだろう、赤と黄色の綺麗な花火が三発、暗闇を一瞬だけ薄くする。
裸足のままで飛び出した私は、精一杯口を大きく広げて叫んだ。
「待ってぇ」
それであの人が立ち止まらないことを知りながら。
夏の夜の、湿った草の匂いが好きだ。まるで、宝石箱を落として散らばっていったような星空が好きだ。
そうあなたが言っていたから、だから私は。
「待ってよお」
頼りない足に、石ころが刺さる。
だけども止まることができないまま私は駆ける。
夏だって、本当は好きじゃなかった。
「置いてっ」
何もない道でつまずいて転んで、もう一度立ち上がる。
「置いて行かないで……っ」
花火が道を一瞬だけ照らして、その眩しさ故に見失う。道を。あの人を。
綺麗なものが汚い気持ちの邪魔をするの。汚いものが綺麗な想いの邪魔をするの。
どちらも含めて私なのに、どちらも含めて恋なのに。
どうにも踵が痛くなって、私はその場にへたり込む。膝小僧から真紅の血が流れていた。
子供のように、膝小僧を眺めて私は泣く。
「痛い」
全てこの膝小僧が悪い、とそう念じること以外に、私は失恋をなぐさめる術を知らなかった。
「痛い。痛い」
どこもかしこも痛いのに。
全部全部膝小僧が悪い。勝手に傷を作って血を流している膝小僧が。
勝手に傷を作って血を流している私の心が。
悪い。痛い。
「帰る」
そう口に出して、動けないまま口には出してみて、やっぱり動かない私の足。
膝小僧が悪い? ねえ誰か、絆創膏を。
「夏が好きよ」
ぽつりとこぼす、私からはみ出た不要な言葉。
(だってあなたが好きだったもの)
夏なんか、本当は好きじゃなかった。
だけどあなたは好きだったの。あなたは好きだったのよ。
私、あなたが好きだった。
一緒に見た夏の星空が。私の生きているうちには決して消えそうにないんだもの。忘れられない。ずるい。ずっと、私がおばあちゃんになっても変わらずそこにある思い出なんて、ずるい。
だけどそれってとっても、幸せなことね。
ひゅう――――と、まるで永遠に続きそうな花火の押し上げられる音が、なんとなく私の息を止めさせる。
そっと瞳を閉じた、
額に
温もり。口づけ。
「瞳は閉じたままで」
低い声。安心する。これはきっと。
今度はまぶたに。優しいキス。
「しょっぱいね」
私は口を開いて。何も言えないままで。
「ごめんね」
ダァン、と低い華の開く音。
ようやく目を開けると、花火が見えた。花火しか見えない。
あの人は? いない。あれは本当に。否、幻想かもしれない。
花火は、開いたときは黄色だったのに、消える間際には紫の余韻を残していった。消えた。知っている。花火は消えるもの。
「もう」
両手で顔を覆って、それでも指の間から涙がこぼれて、顎からも滴って。地面に黒く跡を残す。
「もう私は大丈夫。わたしはだいじょうぶ」
あなたは夏が好きだったから、夏を好きになれた。
きっと今日だって、この日だって、好きになれるはず。
「あなたのそばに」
行きたかった。行けなかった。私はここで、生きていくの。
ちゃんと、生きていくの。ほら、膝小僧の血も止まったじゃない。
「帰る」
今度はすんなりと体が動いた。
最後に少しだけ空を見上げると、赤い花火が赤いまま、そっと夜空に消えていった。あの人の大好きな、夏の夜空に。
本日花火が見えまして、そういえば今年は夏らしい短編を書いてないなと慌てて書いた話です。慌てて書いたので雑、しかも場面を切り取っただけのお話となっております。