第二話
第二話
「今回は早かったな。」
「速見三尉。」
帰還して早々、防護服から軍服に着替えて更衣室から出ると、待ち構えていた相方こと速見浩一二尉が壁から背を離しながら言った。
「まぁ単機だけだったし、あんな感じだろ。」
「どうかな?」
その言い様には何か含むものがあったのか、彼はこちらの訝しむ視線にも頓着せずに告げた。
「通常、単機突出と言っても、他の方面でもチラホラと確認出来る筈。でも今回はあいつだけだった。」
その言葉に、脳裏に過ぎった言葉を口に出した。
「陽動かい?」
「可能性は高い。」
「報告は?」
「局長に直ぐに。」
「つっても局長は権限があるけど他からは嫌われてる。何処まで警告が届くかは解らない。」
幾つかある日本政府直轄の対金属生命体研究機関である此処水島基地は、ユーラシア大陸からのエネミーの進出を抑えるための最終防衛戦を構築する重要拠点の一つであり、東北地方に位置している。
この地が研究機関として選出されたのは、適度に実戦データを収集可能でありながら、九州程に侵入頻度が高くないためだった。
貴重なテストケースである融合者らを慎重を期して研究していくのに此処程の立地は無かったのだ。
そして、その部門の長たる人物には相応の権限が与えられているのだが…
「研究者が現場に口を出すのは不味いのは解るけど、何も聞かないのは狭量。」
「だな。まぁそれを言われて方針が変わるなら、此処も随分と風通しが良いと思わねぇ?」
何処の業界も出る杭は打たれると相場は決まっている。
特に、その人物が元々門外漢であれば。
そして水島基地は融合者研究という非常にデリケートなものを抱えている。
外部からは常に偏見や嫉妬、憎悪の視線を向けられており、同じ自衛隊内からでもかなり風当たりが強い。
また、研究の初期段階では合意の下で行い、他国よりも大分マシとは言え、非人道的とも言える研究に加担させていたので、叩けば少なからず埃も出る。
それを成果を出すためとはいえ、国に誤魔化して貰っている事も、風当たりが強くなる事へ拍車をかけている。
「そろそろ行こう。やる事がある。」
「あいよ。とは言っても、先ずは飯だろ?」
相方の軽口を無視して歩を進めるが、何故かその歩調が早くなった。
「今日の日替わり何だっけ?」
「鯖の味噌煮定食。」
「何だ、しっかりチェックしてるじゃん。楽しみだったのか?ん?」
「………。」
「痛い痛い蹴るな蹴るな。」
心底ムカついたので、自分より大分身長のある相方の脛を蹴る蹴る蹴る蹴る。
何か言っている様だが無視して続行する。
だって図星だったから、赤くなってしまった顔を見られたくなかったのだ。
・・・・・・・・・
水島基地の食堂は元々の航空自衛隊基地の施設をそのまま利用しているが、嘗てと違って研究員や融合者と言った運動量の少ない人間や若年層も増えたため、そのメニューは顧客の要望に合わせて大分追加されている。
「流石は自衛隊。今日も飯が美味い。」
「美咲も本当にご飯が好きだねぇ…。」
「栄養補給が無ければ生物は生きていられない。そこに喜びを見出すのは当然。」
たった今、多大なカロリーを消費していた2人は融合者専用の定食を食べていた。
融合者とはその呼び名の通り、非敵性金属生命体との融合し、その能力を行使可能となった人間に対する通称だ。
勿論、地球外から飛来したトンデモ生命体と融合するとなると尋常ではない。
そのため、ある程度の適性がある人間しかできない。
この適性を融合適性とも、融和性とも言う。
初期の研究で死刑囚を利用した人体実験では適合できずに喰い尽くされた事例も多かったと言われ、その割合は1000人に1人と言う程度だ。
融合者は生身と引き換えに、金属生命体の持つ驚異的な性能・機能を獲得できる。
重力制御による高機動飛行能力と通信機能、全身を金属体で覆われる事による装甲といった新機能の追加。
そして各種身体能力の劇的な向上。
その存在は多大な戦力として、貴重な研究対象として各国政府が主導となって積極的に保護している。
しかし、そんな彼らにも数は少ないが欠点が存在する。
その一つに彼らが非常に多くのカロリーを必要とする事が挙げられる。
考えても欲しい。
重力制御や高機動飛行と言った芸当が、何のエネルギーも消耗せずに出来る訳が無い。
そして、金属生命体も人間も、どちらも生物であるのだ。
必然、何処かで補給しなければならない。
「今日は鯖の味噌煮にご飯とお吸い物、漬物各種にお浸し、冷ややっこ、お茶と」
「単品で私達向けの抹茶パフェとあんみつ。」
「今日も世のダイエット中の人達に喧嘩売ってるメニューだね。」
「毎食の事。」
融合者はかなりのカロリーを必要とする。
それは最早普通の食事では賄いきれない程のものであり、一食でも欠かすと直ぐに体重が減ってしまい、健康状態にも悪影響が出てしまう。
通常、自衛官の1日の摂取カロリーは約3000キロカロリーである事に対し、融合者はその三倍以上。
つまり、一日に約1万キロカロリーを摂取しなければならないのだ。
そのため、融合者向けの食事は意図的にカロリーが非常に高い材料や調理法が選ばれており、普通の人間がこの食事を一週間食べた場合、何らかの健康被害を受ける事が確実だと言われている。
そこまでしても、1万キロカロリーを摂取するには常人の倍は食べなければならないし、足りない分はサプリメントで補うしかないのが現状だった。
「しかし美味い。流石は自衛隊。」
「毎日美味い食事を馬鹿みたいに食えるのは此処に来てからの唯一の利点だね。」
「給料も高い。」
「使う暇なんざあるの?」
「本とゲームに、お菓子か?」
「色気が見事に抜けている…。」
「まだまだ食い気と娯楽で良い。」
かっかっかっと丼に山と盛られたご飯を口の中にかき込む。
ホカホカの炊き立てご飯は特有の香りと程良い弾力を持ちながら、口の中でホロリと解けていき、噛むと僅かな甘みを感じる。
本日のメインのおかずである鯖の味噌煮も味噌の優しい風味とみりん特有の甘味が見事に融合し、ご飯ともよく合う。
そしてややこってり気味な他のメニューの中で、漬物とお吸い物が清涼剤の役割を果たす。
漬物の中で特に注目すべきは自衛隊特有の、縦に切られたたくあんだろう。
昔から民間にも販売されているその甘辛い味はやや濃い目、お酒のつまみにもなる。
それを一切れ口に放り込み、空かさずご飯をかき込む。
そして一緒に咀嚼咀嚼咀嚼。
行儀よく20回程噛んでから飲み込む。
口の中をすっきりしたいなら、お吸い物の出番だ。
優しい昆布出汁の香りが漂わせているお椀の中身を半口分だけ啜って味わう。
具はワカメに麩、長ネギとオーソドックスだが、奇をてらう必要も無く、このお吸い物は美味かった。
清涼な出汁と塩だけの清涼な味わいは、先程まで口内に残っていた他のおかずの残滓を洗い流し、また食事を楽しむための下準備を整えてくれる。
それでも行き詰ったら、今度はお浸しと冷ややっこだ。
前者はホウレンソウにカツオ出汁を掛け、鰹節を散らした基本的なものだ。
口に入れて咀嚼すると、程良く茹でられたホウレンソウの甘味と出汁の旨味が溶け合う。
冷ややっこは上に長ネギのみじん切りと生姜の摩り下ろしを乗せたもの。
掛けるのは醤油ではなく、今回はポン酢(昆布出汁)だ。
真上から掛けられたポン酢に生姜の摩り下ろしが溶け出し、全体へと広がる。
ポン酢で染まった豆腐を箸で4等分、この時長ネギのみじん切りが丁度4等分になる様に気を付けなればならない。
落とさない様に注意しながら箸で摘んで口に運べば、柔らかい絹ごし豆腐は口内で豆腐特有の風味とポン酢のまろやかな酸味、生姜の爽やかな香りに口元が綻ぶ。
食事の美味さに加え、先程の出撃による空腹(即ちエネルギー不足)も相まって、箸がドンドン進む。
瞬く間に征服されていくお盆の上の料理達。
そんな急いで食べて喉に詰まらせないか心配になってくる。
「うぐっ!?」
「はいお茶。」
差し出された湯呑をグビグビと飲み干していく。
淹れたばかりだから結構熱い筈なのだが、融合者としての強化された肉体がその高スペックを無駄に発揮して火傷を負う事も無い。
「…ふぅ、ありがとう。」
「お詫びに何かくれ。」
「パフェの抹茶アイスとあんみつのバニラアイスをトレードする事を許可。」
「それお詫びになってないからね?」
「いらない?」
「OK、交換だ。」
もぐもぐもぐもぐ。
「そろそろ」
「おかわりか。ご飯?鯖?」
「ご飯。」
「解った。オレも行ってくる。」
出撃が無い時は、彼らも概ね平和だった。
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ…。
暫し会話よりも食事を楽しんでいた2人だが、それは唐突な終わりを告げた。
「あ」
「どうしたよ?」
「この後、新人向けの説明会。」
「え、聞いてないけど。」
「言ってない。」
驚きと思考を挟んだが故の一瞬の沈黙。
先にそれを破ったのは速見だった。
「…時間は?」
「1時から。」
壁に掛かった時計を見る。
時刻は12時52分。
このままでは遅刻は確定だろう。
「アホかい!?」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐ」
「冷や汗垂らしながらも食うのを止めない!?どれだけ食い意地張ってるの!?」
「だって残したらもったいないし、怒られる。」
食堂のカウンターの方へ振り向けば、そこにはシャーコシャーコ…と包丁を研いでいる先任空士長の姿があった。
目線こそこちらに向けないものの、その姿からは得体の知れないオーラが漂ってきそうであった。
彼ら給養員の思う事は一つ、「緊急時でもないのに残飯出すとか有り得ないよな?な?」である。
もったいないの精神は今現在2033年になってなお、日本人の心へ深く刻まれていた。
「急ぐ?」
「急ごう。」
結局、2人は先程以上の速さで眼前の昼食をかき込み始めた。
そして努力が功を奏したのか、何とか2人は説明会へと遅刻せずに済んだのだった。
・・・・・・・・・
水島基地の会議室の一つで、小鳥遊美咲は最近の大陸事情の説明に参加していた。
「……様に現在中国・朝鮮半島戦線は劣勢であり、最近では当基地のスクランブルの回数も増え続けている。国内では合計年に221回になる。これは異変前、嘗ての航空自衛隊のスクランブル回数に迫るものであり、この9割以上がエネミー、敵性金属生命体のものである。」
とは言っても、この基地の多くの人員にとってはこの程度の事は実地でよく解っている。
そのため、これはあくまで基地内の年若い人員、つまり前線に出て日が浅い、或いは未だ実戦証明が終わっていない者向けなのだ。
つまり、自分の様な若輩者向けなのだ。
(私も、そういえばまだ18歳だっけ…。)
そう言えばそうだった。
ユーラシアの最前線程ではないが、美咲もまたこの東北水島基地だけでなく、九州地方を中心として大小合わせ27回もの戦闘を行ってきた。
つい先程も相方と共に単独で防衛ラインを抜けてきたエネミーを撃墜してきた所だ。
だと言うのに、彼女は既に出撃回数約30回にもなるエース級が何故こんな説明会に参加しているのか?
だが年齢と戦果の乖離は融合者の中では特に珍しくも無い。
既に成人男性であるとは言え、同程度の戦果を挙げている相方もいるし、ユーラシアを囲む各地域では融合者はエースの代名詞として知られている。
そんな彼らの多くは10代から20代であり、稀に30代の人間がいる程度。
また、戦闘に駆り出される様になるのは日本国に限っては成人を迎えてからが原則となっている。
そんなルールを破って彼女がエース級として出撃する理由は、2年前の事件にあった。
「今現在、中露北朝といった従来の仮想敵国とはまず確実に開戦する事は無いが、エネミーとの大規模戦闘へと発展する可能性は常にある。諸君も、特にパイロット並び融合者は気を抜かない様に。…以上だ、これを以て閉講とする。」
「起立、敬礼!」
上官が退室していくのを敬礼しながら視界の端で確認してから、美咲は敬礼を下げた。
「購買行こう。」
「あれ?もう昼飯は喰ったんじゃなかったっけ?」
「…なんで私の買い物は皆食べ物だと?」
「だって腹ペコキャラという印象g痛い痛い。」
ガッガッガッと膝に蹴りを入れる。
何処の軍も靴には踏み抜き防止のために、足裏には鉄板が仕込まれている。
そんな靴で蹴られてはちょっと力を入れるだけで骨位簡単に罅が入る…普通なら(・・・・)。
「でもさ」
「なんだ。」
「足だけ蹴る所に准尉の優しさが垣間mごめんなさい。」
「よろしい。」
そんな何時も通りのやり取りをしながら、私達はその場を後にした。
通路にいる人は今は疎らだ。
出撃の時は慌ただしいものなのだが、それ以外となると昼過ぎのこの時間帯は割と静かなものだ。
研究員らは研究室の方にいるし、空自の人間は訓練なり会議なり整備なり各々の業務をこなしている。
必然、自分達の様な独自の立場である融合者は研究への参加や訓練、出撃が無ければ基地内で大人しくしている。
と言うか、基地内でしか生活できないのだ。
「…足、大丈夫?」
「解ってて言ってるだろ?」
融合者の数少ない弱点としてコア部分が挙げられる。
速見二尉の足、そこには彼と融合を果たした金属生命体のコアとも言うべき部分が存在する。
融合者と接触した非敵性金属生命体は最初に触れた部位から徐々に全身へと融合が進んでいく。
融合して日の浅い者はこの部位を破壊されると、融合が不安定化し、融合者としての能力を十全に行使できなくなってしまう。
とは言え、それは融合が一定以上進行すれば改善されるし、例えその部位を失っても時間があれば回復可能だ。
2人とも融合開始から既に2年近い融合者としてはベテランの領域に入る。
そのため、再生は時間とカロリーさえあれば容易なのだが、それにしてもコア部分に損傷を負えばノーダメージである事は避けられない。
「確かにオレは足の事は気にしてるけど、美咲にまで気にされるとこっちが落ち込むよ。」
「でも、サッカー選手の足はとても大事。」
「昔の話だよ。」
その影のある笑みに、美咲は申し訳なさそうに床へ視線を移した。
彼、速見浩一二尉は元々プロのサッカー選手を目指していた。
所が、まだ大学に在籍していた頃、試合中に飛来した金属生命体と接触、融合を果たしてしまった。
その結果、彼の夢は断たれ、こうして水島基地へ来る事となった。
幸か不幸か、彼が融合者となる頃には何とか法改正や研究施設の手配が終わり、恙無く保護できる段取りが殆ど完了していた事だろう。
そうでもなければ、彼は病院等の医療施設での隔離か、周囲の人間からの迫害を受けていた可能性が高かった。
「それでも」
「ん?」
「ごめんなさい。」
そんな彼のトラウマと言って良い部分に触れたのだ。
美咲としては気まずくて仕方ないし、それ以上に配慮の無かった自分に恥を感じる。
自分にもそうした触れて欲しくない所がある癖に、他人のそれを踏み躙ってしまった自分に対して。
「しおらしい…魚の骨でも引っ掛かった?」
「……………………………。」
しかし、物には限度というものがあるし、人の気遣いを無にする奴は罰せられて当然だと思う。
直後、デリカシーの無いマダオの一般よりも憎々しい程に整った面へコークスクリューブローを見舞った美咲の心には、先程までの罪悪感など微塵も存在しなかった。
・・・・・・・・・
「それでそんな面白い顔なの?」
「自業自得。」
「あははははは…。」
流石に融合者の本気の拳を顔面に受けたため、速見の右頬は当然ながらはれ上がった。
その気になれば1時間程度で収まるものなのだが、喧嘩騒ぎで隊内の風紀を乱したとして上官に見つかりでもしたら面倒な事になる。
そのため、手当が可能で匿ってくれそうな場所を求めた結果、救護室行きとなった。
「ほんとにもう、貴方達なら自力でそれ位の打撲をは治せるでしょう?」
「見つかるのが問題。でもお手間をお掛けして申し訳ありません。」
「それにこうして白衣の天使に会えるのなら来る価値がありますって。」
「あらお上手ね。」
普通の一般自衛官の救護室なら他の面々に見つかりそうなものなのだが、ここ融合者用の救護室なら話は別だ。
ここは融合者向けの治療設備も置いてあるし、カウンセリングも承る場所で、融合者や研究員以外はここを訪れる事は無い。
「でも美咲ちゃん、治るからと言って安易に暴力を振ってしまってはダメでしょ。」
「はい、すみません。」
「まぁ、いつも通り速見君がまた失言したんでしょうけど。」
「ちょっとオレへの信用が低すぎませんか、如月先生?」
酷-いと笑う速見と続けざまに傷口を抉る様な言葉を掛ける如月女医に、美咲はいつもの事だと援軍を送る所か視界から外してしまった。
如月美月、彼女はここ水島基地の融合者向け救護室の主だが階級は無い。
彼女は企業からの出向研究者であり、その身分はあくまで一研究員、一民間人なのだ。
美咲達も何度もお世話になっており、研究の方でも結構偉い人物なのだが、基本的に誰であっても面倒見の良いお姉さんというスタンスを崩す事が無いため、本職の自衛官の皆さんからも男性女性問わずに人気のある人だ。
かく言う人見知りの気のある美咲にしても、食堂と自室を除けばこの女医の縄張りだけは安心できる場所の一つだった。
「まぁ置いといてあげるから、備品の整理位は手伝ってね。」
にこやかに微笑みつつも、届いたばかりで梱包も解かれていない段ボールの山を指しながらの言葉に、美咲と速見はがっくりとしながら作業を開始した。
・・・・・・・・・
「はい終了。2人ともお疲れ様ね。」
「あははは…結構かかりましたね…。」
「お腹減った。」
「君は本当にそればっかりだね!?」
和気藹々としつつも、慣れない事をしたせいか2人は疲労の色が濃かった。
とは言っても、それはあくまで精神的なものであり、体力的にはまだまだいける。
これは融合者によくある事で、人間の意識と金属生命体の体力が釣り合っていないために起こる現象だった。
「まぁ今日の所はこれで勘弁してあげるわ。もう頬の張れも収まったのだし、そろそろ戻りなさいな。」
「は~い……。」
「はい。」
若干の疲れを感じながらも、2人はさっさと救護室を退室する。
これ以上此処にいては次に何をやらされるのか解ったものではない。
「あ、そうそう。」
だが、2人が退室する寸前、如月女医は不意に思い出した様に告げた。
「2人とも、ちゃんと定期検査を欠かしちゃダメよ。特に速見君は。」
「あーそう言えば一昨日でしたっけ?」
「そうよ、もうっ。君達の身体はまだまだ未知数なんだから、定期検査はまめに受けなきゃいけないし、何か不調があったら直ぐに検査。じゃないと取り返しのつかない事になる可能性も大きいのよ。」
「それは、私みたいに?」
空気が変わった。
先程までの穏やかな日常の気配から一転して、静謐で危険を孕んだ非日常の気配へと。
「…そうね。貴方程ではないけれど、それでも融合者のままで居続けるにはもっと真面目に検査を受けて欲しいと思うわ。」
融合者、それは1000人に1人の割合で存在する融合適性の高い人間が、非敵性金属生命体との融合を果たし、人間の精神を保ったままに金属生命体の能力を発揮出来る者を指す。
だが、融合はその状態になっても徐々に進んでいく。
損傷すればする程、戦闘すればする程に徐々に融合は進んでいく。
最終的には融合は脳にまで到達する。
そして、脳を乗っ取られ、人としての人格を失う。
後に残るのは、人型の金属生命体だ。
そうなれば、最早表に出る事は無い。
研究施設の地下深くにある保管庫内に安置されて研究資料、生きた標本となるしかない。
或いは、エネミーとして処分されるか。
或いはそうなる前にエネミーに討たれるか。
融合者の末路とは概してその3つしかない。
「安心して。私達、まだ人間。」
「ちゃんと自分の融合の進捗ぐらい把握してますって。」
「解ってるわ。だからこそ、貴方達にはもっと長く人間でいて欲しい。そう願うのはいけない?」
「いいえ。」
この基地内にしても、自分達をエネミーの同類として見る人は少なくない。
寧ろ、こうして如月女医の様に接してくれる方がおかしい。
だからこそ、この人の要望を裏切りたくは無い。
「オレ達もまだまだ若いんだから、早々死にゃしませんよ。可愛い嫁さん貰って畳の上で大往生がオレの将来設計ですから。」
「子供と一緒にお料理。」
「お前は本当に食欲優先だなぁ…。」
「もう、2人して!そんな風に言われたらこれ以上言えないでしょう。」
そんないつもの日常の雰囲気に戻った、戻した美咲達を如月女医は笑顔で見送ってくれた。
その笑顔が、今は何処か痛々しかった。
・・・・・・・・・
「ねぇ。」
「んー?」
2人で廊下を歩く。
今向かっているのは研究施設のある方、融合者の検査施設があるのもこちら側だ。
「さっきの話。」
「あぁ、可愛い嫁さんの話?」
「そう。」
「何?信じたの?」
「違う。」
違う。
美咲が思ったのは別の事。
彼がまだ普通の人間だった頃の話。
「サッカー、良いの?」
速見は返答に窮した。
生涯追い続ける筈だった夢。
諦めた、諦めようとしている事に踏み込まれた事。
その事に心の何処かがざわつくが、それは本当に今更な事だった。
「………サッカーは、諦めた。」
それでも、言葉にするにはそれは辛く、重かった。
それを聞いた美咲の顔も解り易い程に曇る。
あぁ、そんな顔をさせたい訳じゃなかったのに。
「ごめんなさい。」
珍しく、本当に珍しく、美咲が腰をきっちりと90度まで折って頭を下げて謝罪した。
その様に速見の瞳が驚きで見開かれた。
「良いんだ。別に美咲のせいじゃない。」
「でも、言いにくい事を言わせた。」
だから、ごめんなさい。
そう言って謝る美咲に、速見は苦笑を返した。
もっと器用に生きる事も出来るだろうに、この年下の戦友はどうしてこう全力投球なのだろうか?
「じゃぁ、今度埋め合わせな。」
「何にする?」
「取り敢えず、一緒に飲まない?」
「私、未成年。」
何時か終わる事は解っている。
それは美咲にも速見にも解っている事だった。
如月女医に言われなくても、普通の人達よりも早く、2人の終わりはやってくる。
それでも
(それでもオレは、もう少しだけこのままでいたい。)
(それでも私は、もう少しだけこのままでいたい。)
それでも、2人はもう少しだけでもこの日常が続く事を願った。