「これで、よかったはず」【倦視点】前編
ご無沙汰してましたー!
今回は刺宮倦目線の物語です。
『めかくし』の夜祭の裏話という感じです。
残酷な表現が含まれるので
苦手なかたは戻ることをオススメします。
白くぼやっとした視界が広がる。
あぁ、これが『世界』か。
思わず、ため息をついた。
『これで、よかったはず』
めんどくさいことになった。
俺はそんなことを思いながら、ボロ雑巾のような穴のたくさん空いたTシャツに、カーキ色のイージーパンツという姿で『例の場所』に赴く。
光の当たらない夜道で、俺はただただ存在をしていた。
『例の場所』、そこには一人の男が影のようにひっそりと立っていた。
車のライトが闇夜を照らし、少しだけ影の男の姿を浮かびさせる。
男の影の正体は、ぴっしりと着られたスーツ姿だった。至って普通な、サラリーマンにいそうな男性だ。一回その姿を認識できたため、その男の姿はもう闇に紛れることはなくなった。そして三十歳ほどに見えるスーツの男性は首を傾げる。
瞳は漆黒のシルクハットに隠れていて見えなかった。
表情はまったく読めない。
「はぃそこの少年、随分綺麗な夜だと思わないかな」
そのスーツの男は服装とは違う、どこか落語家や道化師を連想する口調で俺にそんなことを言う。俺は一瞬、頭上に星があるのか確認しようと思ったが、思っただけで終わった。
この男の言葉に耳を貸してはならない。それは俺の受けもった『任務』の内容を聞く上で注意事項としてそう言われたのだ。
「ほう、では質問を変えようか。君が何かを手に入れたくて『魔が差したら』どうするかねぇ」
「……『鬼に朝を喰われる』。」
俺はそう言った瞬間。目の前の男が歪んだ、気がした。
相手が歪んだわけではなくて、俺の視界がぶれたのだろう。
まるでスーツの男を取り巻く空気そのものが変質していくようだった。
「私を五町大胡と知っての接触ということだね少年よ、それならばそれなりの対処をしなければならないねぇ」
すると、五町大胡と名乗った男は片手に持っていた木製の杖をクルクルと回した。俺はその動作を見るまで彼の手にあったはずの杖を知覚することができなかった。
そんな小さな異常は、俺にとっては重要なことだった。一番危惧しなければならないのは、目の前の男が五町姓を名乗ったことだ。
『五町家』、脳に対する干渉に秀でた家系。
五感家の良い意味で保護者、悪い意味で始末屋。
五感家というのは、日本を繁栄する上で人体実験を行っていた研究員が『人間の五感の超越』を目指し研究をして、作り上げたものの成れの果てである。
視覚の透藤、
聴覚の七基、
味覚の世辞、
嗅覚の匂神。
そして触覚の刺宮。
「君のような刺宮の子がその答えを出せるのは、なかなか興味深いねぇ。危険な臭いがプンプンするよ、そう思われても仕方ないだろう、刺宮倦君?」
「……」
大胡と俺の問いかけは一連の『合言葉』となっているのだ。
『魔が差したら鬼に朝を喰われる。』というものになっていて、それを示すのは大胡が座長として主催する違法サーカスなのだ。
『夜祭』という名の悪趣味なサーカスを導き出す呪いである。
「……家出」
「私の耳は遠いのでござぃやす。難聴盲腸なんでもござれの身体なのでね」
「……刺宮家、嫌になって、逃亡した。働く。から隠して」
俺はしゃべり慣れていないこの舌をどうにか動かして、大胡にもう一度そう伝える。大胡はしばらく沈黙してから随分と楽しそうに高笑いをした。
「これ以上に胡散臭い話をどこで聞いたことがあろうか!八つ裂きにしたいくらい滑稽な話でござぃやす
!!」
大胡はそう言ってから、にやりと笑うのが暗闇の中でわかった。
「タダ働きで、文句は言えない。しかし楽しい『夜祭』。君のような使者を待っていたのかもしれないね」
後々『エンディング』と呼ばれることになる俺は、一人でテンションが上がっている大胡を見てめんどくさそうだなと思いながらその様子を見ていた。
「ではではここが予備室ですな。倦君が使いたいように使ってくれて構わない」
「……御意」
俺は細かい説明を聞くのが嫌だったので、あまり大胡の話を聞かずに頷いてみせた。するとその俺の様子を見て大胡はとやかく言うことをやめたのかシルクハットのつばを指でいじっていた。
そして口を三日月型に曲げて俺のことを杖で指す。
「あぁ、あと新入りにはメンバーを紹介しなきゃいけないねぇ」
「……メンバー」
「そう、メンバー。そこで君には注意事項がある。『腕』に対して何も触れないこと、わかったかぃ」
「……腕?」
大胡は伝えたからねぇとだけつぶやくように言い、クルッと後ろを振り返る。ついてこいという意図を否応無しに感じ取り俺はその背中を追うことにした。
ここは地下で綺麗に塗装されてはいるが、ところどころハゲてきていてコンクリートの暗い灰色が見え隠れをしている。それしても地下だと忘れそうなほどの広さは確保されていた。
そして一つの部屋に辿りつく。
「ほら開けてみて、倦君」
大胡は扉の横に立ち、俺を扉の前に立たせる。大胡の人影が扉を黒く映し出す。俺は妙に緊張をしながらその扉をゆっくりと開けた。
そこはベットに机だけの殺風景の部屋を背景にして、一人の女性が立っていた。
褐色肌に大きく緋い瞳。髪は赤茶色で緩やかなパーマで、右のほうに真っ赤のメッシュが入っていた。
そして首には赤系統を引き締めるような青いヘッドホンがかけられていた。
リラックスしていたのか上下黒のスウェットで、上のスウェットには黄色のプリントでうさぎのが描かれている。そして足元は赤いスニーカーだった。そして何かの錯覚かそのスニーカーが鈍く銀に光ったような気がした。
「新しい新入りだよー、可愛いお嬢さん」
目の前の女性はしばらく俺の姿もじろじろと見ていたが、ふと目線が足元へ下がる。俺はそれに誘導されるように同じほうに向く。その時自分の視界には何かの残像が見えた。
そしてざりっと、えぐりとられるような音が鳴る。
ん、と俺は残像の後を追う。そして骨の断面が見えた。
じりっと焼け付くような痛み。空を切る右腕。吹き出るのを思い出した鮮血。
ボトリと、自分の肘から先が落ちていた。
「レディーの部屋にノックなしで入らないでよ」
「…………」
俺はこの場合どのような反応をしていいのかわからなかった。恐れればいいのか、怒ればいいのか、俺はしばらく困っていると、女性は俺の反応が今までになかったのか首を傾げていた。
「あんた、面白いわねー。あたしと踊ってくれないんだ」
心底不思議そうに尋ねる目の前の女性は屈んで右腕を口で拾い上げた。しかしすぐに獰猛な表情に戻り女性はにっこりと微笑む。
まさか、と思ったときはもう遅かった。その女性は鋭い牙で手首を『食べた』。ボリっと骨を噛み切る音と咀嚼する音が一つの『食べる音』として耳を犯す。
「あたしの名前は世辞沙也夏。ほら、あたしのこと少しは魅力的に思ってくれたかしらー?」
俺は『世辞』という敵対関係にある家の苗字、そしてそれを象徴するこの行為に戦慄するような気はしたが、やはりどんな対応をすればいいのか困った。何か言うべきかと思っていたときに俺の『刺宮』として力が発動していた。
びちっと何かが蠢くような音が鳴る。
表現しがたい独特な熱が、心臓から失った腕へ走っていく。そしてひらひらと揺れる皮膚がズルズルと動き始めた。
あぁ、この感覚。
俺は目を細める。目の前の世辞の女性は唖然として、ボトリと食料である腕を落とす。さすがに面食らったようだった。俺の腕はもう一度生え始めたのだから。
『再構築』、自身の壊れた部分を修復する、または傷つけることなく修復する能力。
これが刺宮家として生まれてきた俺の能力だった。簡単に言ってしまえば不死身というものだ。
「あんたやるじゃない!びっくり選手権で優勝できるわよー」
女性は目をぱちくりさせて驚いていた。いや、俺でなければ出血多量死とやらになっていたのではないかとツッコミを入れたくなりつつ、俺はふたたび生えた腕を撫でた。
「これはあたしのご飯大量生産にもってこいねー!気に入ったわ、あんたはあたしのファンになりなさい。拒否権はないわよー」
俺はそう言われて思わず顔を背けた。こんなことを言われたのは生まれて初めてだったからだ。しかしあんな仕打ちをうけてからこんな感情を抱くのは俺も相当狂っているのだなと我ながら思った。
「お嬢様が気に入ってよかったねぇ」
その声を聞いて、座長がいたことを思い出した。また脳の干渉とやらで存在をくらましていたのだろう。考えても見れば全てをわかったうえで座長は俺に扉を開けさせたわけだ。
『再構築』のことさえ知っていたか、実際のところ定かではない。死んだら死んだでそれでもよかっただろう。俺は舌打ちをしたい気分になった。
そうは思いつつこれ以上ここにいても、ただ面倒くさいことが起こることだけだろう。俺はそう思いこの場を立ち去ることにした。
「倦、刺宮の特攻隊として頼みがある」
「……家長」
「そんな嫌そうな顔しないでくれ。五町の家長からの依頼だ。『夜祭』の主催者である五町大胡を討ち取ってほしいということだ」
「……御意」
「やることとしては一つ。『洗脳されないこと』だ。夜祭が開催されるときに我輩がそちらへ向かう。そしてその時に討ち取るのだ。だから潜伏しているときは五町の家長、平殿と連絡を取り合って欲しい、頼んだぞ」
俺は薄汚れた天井をぼんやりと眺めながら、頭の中でここにくる前に交わした刺宮の家長、刺宮軋轢との会話を思い出していた。どうしてもこんな遠回しな手段をとるのか理解ができなかった。家長がいうことはいつも正しい。それは俺の経験上言えることだが、対して戦闘力のなさそうなあの男にここまでする必要はあるのだろうか。
そんなことを考えながら、重たい身体を起こして息をついた。確かに俺は自分の身体を『再構成』する不死身ではあるのだが、その能力を発動するのにだってしっかり代償はある。この疲労感、けだるさは能力を使ったときには決まって起こるものだった。
しかし、こんな身体でも一応お腹が空くくらいの生理的現象は起こる。部屋の壁にかけている茶色の掛け時計がそろそろ8時を指すのを確認し、食堂へ足を運ぶことにした。
食堂までの道は随分とクネクネとしている。その先の突き当たりに食堂の扉があるのだ。その通り道に世辞の女性が使っている部屋もある。一瞬起きているか声をかけようとしたが、少しためらった。なぜかはわからなかったが、緊張をしたのだった。
「美味しいですかい?お嬢様」
「今日はクリーム仕立てなのねー」
そんなことをしていたときに向こう側から大胡と世辞の女性の声が聞こえた。俺は声をかけなくてよかったと安堵しつつ、そちらへ向かうことにした。実際のところ、世辞の女性がいる時点で食堂に行くこと自体あまり気が進むものではなかった。お腹は空いているのだが、人肉を食している人の前であまり快くご飯は食べられない。
しかしそんなことも言ってられない環境下に置かれているので、臆することなく扉の前まで歩を進めた。ノックしなければまた腕を吹っ飛ばされるかもしれないのでトントンとノックして入った。
目に写ったのは椅子に座る男とそこに跪く女。
俺はここで今度こそ戦慄をした。
ここまで冒涜的な光景は見たことがなかった。
男、五町大胡は両手を皿のようにして女に差し出していた。それに対して女、世辞沙也夏はその掌の皿に顔を埋めてご飯を食べていたのだ。当然のようにしているその行為は、あまりにも異常だった。
そして俺は悟った。これこそが五町大胡という男の恐ろしさだ。
世辞の女性は自分が犬猫の畜生達と同じ扱いをされているということに全く気づいていない。
倫理観を捻じ曲げられている状態なのだ。
それだけでも恐ろしい話だが、さらに世辞の女性は自分の腕について、『忘れさせられて』いるのだ。
百歩譲って、長年両腕を縛られ続けて抵抗をするのを諦めたというのならまだわかる。
しかしそうではない。だとすれば感情が動く時に少しでも腕は反応し揺れるなり拳に力が入るなりするはずなのだ。
その反応が全くなく、腕はもうないもののように世辞の女性は振舞っているのだ。
「やぁ倦君おはよう。今日の朝はシチューだよ。あぁ心配しないでちゃんと牛肉だからね。お皿はいるかな?」
ここにくる前に大胡に『腕』に対して何も言うなといわれた意味がわかった。
そして少しでも虚をつかれたら俺もこのようになってしまうのだと直感した。我が家長があれだけ慎重ににっていたのがよくわかる。
満面の笑みを見せる世辞の女性を見て胸が少し痛んだ。大胡をどうにか討ち取ればもしかしたらこの暗示も解けるのかもしれない。俺はなぜ世辞の女性に気をかけているのか自分でわからなかったが、とりあえず大胡の問いに答えることにした。
朝か夜かもわからなくなってしまわないようにしなければ。
「……皿を、もらおうか」
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