真夏の月と花冠
その日は、空が眩しく晴れていた。
青の濃度があまりに深く、かえって透明な虚無のように思える空の中央に、まっしろな月がぽっかりと浮かんでいた。
雲はひとつもなく、世界中の輪郭が強い日射しに焦げて曖昧になっていく、奇妙な日だった。
私は雑居ビルの古びた眼科へ行った。
視力を測り、目薬を差される。
薬のせいで瞳孔が大きく開いていくと、待合室の白い壁も擦りガラスの窓も、眩しい光の層に沈んでいった。
そのとき、奥の扉が静かに開き、白い服を着た女の人が歩み寄ってきた。
彼女は両腕いっぱいに花を抱えていた。
シロツメクサ。
かすみ草。
名前の知らない小さな青い花。
どれも摘んだばかりのように瑞々しかったが、土も根もなかった。
「光が眩しいのは、目が世界を飲み込みすぎている証拠ですよ」
彼女はそう言って、一輪の冷たい花を私に渡した。
そして、私の手元を見ることなく、細い草の茎を編み始めた。
「花冠は、見ないで作るほうがいいんです。見えている花だけで作らなくていいいから」
彼女は茎を交差させ、花を一本ずつ結んでいく。
「大事なのは、花と花のあいだに何があるかです」
「何があるんですか」
「見えないものです」
私は窓の外を見た。
白い月が、さっきより近くなっていた。
その中央には、小さな黒い点が、瞳孔のように浮かんでいる。
「昼の月は、夜の月とは違うんですよ」
「どう違うんですか」
「夜の月は、見てほしいんです」
彼女は少し黙った。
「でも、昼の月は、見つけてほしいんです」
そして、静かに続けた。
「……その月を、見つめてはいけないのです」
その言葉を聞いた途端、なぜだかわからないけれど、胸が少しだけ痛んだ。
「これを作れば、もう真昼の月に目を射抜かれることはありません」
よくわからなかったが、私は花を見ないように目を閉じた。
すると、不思議なことに、目を閉じたほうが部屋の中がよく見えた。
女の人。
テーブル。
椅子。
窓の外の、真昼の白い月。
そして、その向こう側に、もう一つの誰もいない待合室。
どういうことだろう、と目を開ける。
けれど、視界は真っ白で、何も見えなかった。
私は手探りで花と茎を探し、交差させていく。
一輪。
また一輪。
結ぶたびに、どこかで小さな鈴が鳴った。
最後の茎を結び終えたとき、遠くで正午の鐘が鳴った。
ハッと顔を上げると、光の眩しさは消えていた。
女の人も、散らばっていた花も消えていた。
私は一人、待合室の椅子に座っていた。
ただ、膝の上には、小さくて冷たい花冠だけが残されていた。
私はそれをそっと頭に載せた。
やがて診察室から名前を呼ばれ、診察を受け、点眼液をもらってビルを後にした。
見上げると、真昼の空の月は、黒い目を浮かべたまま、ひどく寂しそうにこちらを見ていた。
街を行き交う人々は、誰もその空を見上げようとしない。
私はそっと、月に向かって小さく手を振った。
時が経ち、花冠はすっかり乾いて枯れてしまったけれど、触れると今でもあの日のように冷たい。
陽射しの明るい雑踏の中で、ふと立ち止まることがある。
周りにはたくさんの人が行き交い、陽射しは明るく、世界はこんなにも騒がしい。
それなのに、私の頭の上だけが、誰もいない白い廊下のように静まり返っている。
遠くで、小さく鈴が鳴った。
ー了ー




