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まほろば  作者: 雨音かえる
兆之段

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8/8

支度

 夜明け前の庵は、ひどく静かだった。

 煙が細く立ち上るも、囲炉裏の炭はほとんど落ちていた。残った熱が微かに息をしている。

 梓は机に向かったまま、薬草の記録帳に筆を走らせていた。

 濡れ具合、香り、摘む頃合い。干し、刻み、煮出す順。草が命を落とす前に決めねばならぬことが、いくつもある。

 他の皆は夜中まで作業を共にしていたが、やがて一人、また一人と自室に戻っていった。

 ふと窓に目をやると、夜明けが近いのか外が白み始め、風が木々を揺らす音が聞こえる。


「もう、朝か」

 

 徹夜だった。

 もし草が足りなければ、もし薬が足りなければ。――そう考える度、瞼は重くならず、眠気がやってくる気配などなかった。梓にとって、夜を越すことは珍しくない。

 薬研(やげん)の音が奥の部屋からゴリゴリと鳴り始める。朝早くから、ババが庵に蓄えていた薬草を砕いていた。

 炭と草の匂いが混じり、不思議と胸の奥が落ち着く。

 戸口が軋み、寝ぼけ眼の火緒が入ってきた。


「……おはようさん。まさか、寝てへんとか言わへんよな?」


 皮肉たっぷりに、ぼりぼりと腹を掻きながら朝っぱらから絡んでくる。

 梓は口をきくこともなく、返事の代わりに、書き終えた紙をひらりと振った。

 ふわぁと大きな欠伸をしながら火弦も入ってくる。

 徹夜明けの梓に茶々を入れた二人は、「……ようやるわ」と呆れたように言い放ち、井戸へと向かった。

 ――しばらくして、戸口がガタガタと軋み、今度は膳を片手に刹が現れた。

 土間から囲炉裏端に上がるも、梓の姿は見当たらない。


「梓ー、起きたか?」

 

 刹が声をかけると、庵の奥からゆらりと影が現れた。

 

「刹、おはよ……。なんか、結局気がついたら朝だったよ……」

「また、寝てねぇのか」

 

 目の下には真っ黒な隈を作り、ふらふらと力なく歩いてくる。

 刹が「はぁ」とため息をつき、限界が来た梓は板の間に突っ伏した。


「薬草は俺たちで採ってくる。お前は休んどけ。今のお前が来ても逆に足手まといだし、寝ないと頭も働かんからな」

「でも、僕が行かないと――」


 がばっと体を起こし、言うことを聞きそうにない梓の口を手で塞ぐと、無理やり板の間に体を押し付ける。

 梓は観念したのか、再び板の間にごろんと突っ伏した。


「……わかった。頼むよ」

 

 梓は寝転がったまま気のない返事をし、力尽きる。

 すーすーと寝息を立てる梓を見た後、刹は音を立てないよう静かに庵を後にした。


 

 山は夏だというのに冷え、草の生え方も乏しい。

 刹を先頭に、朔、火緒、火弦の四人は、大きな籠を背負って少し離れた山まで来た。


「これ、薬草なんか?」

「それはちゃうわ。触ったあかんで。手ぇが荒れてまうやつや。似とるから間違いやすいみたいやな」

「あぶなっ!」

 

 火弦が梓の書付を見ながら言うと、火緒が慌てて手を引っ込めた。

 皆が散り散りに草を摘み、籠がなんとか埋まり始めた頃、岩場で一息つく。

 火緒が、梓の書いた書付を見ながら唸る。


「んー。なぁ?薬草って、どこでも同じやないんやろ?別の土地とか行ったら、もうちょい()()()()薬草もあるんとちゃうん?」


 刹が火緒の言葉に小石を四つ取り、国に見立てて配置する。


「そうだな。お前にしては、よく気が付いた。この国は四つに分かれている。で、俺らが今いるのはここ」

「お前にしては、は余計とちゃう!?」


 不貞腐れる火緒を他所に、刹は四つの内の下の小石、南に位置する場所を指さした。


常葉(つねは)だ。で、今回の戦は、北の赤坂(あかさか)と東の白岩(しらいわ)()り合うらしい」


 刹は、上に配置した小石と、右に配置した小石をぶつけあった。

 

「で、たくさん薬草が取れるのはこの白岩。赤坂は赤土ばかりで育ちが悪い。西は青陽の港町。南蛮のめずらしい薬草は高くつくからな。論外だな」

 

 刹は左側にあった小石をどかせ、その石を朔が拾う。


 (南蛮かぁ。行ってみたいなぁ。僕も玄瑞のように、あちこち旅してみたいなぁ。そしたら……あの人にも会えるかな)

 

 朔は未だ帰らない玄瑞を思い、小石をぎゅっと握りしめ、小さく息を吐いた。

 その様子を見た刹は気を察したのか、籠を背負い立ち上がると、山の麓に見える川の方を指さした。


「お前ら、帰りに魚取って帰らねぇか?」

「魚っ!取りに行くーっ!」

「晩飯にはええなぁ」

「僕も魚食べたいっ!」


 乗り気の皆に、刹が一言付け加える。

 

「ただ、寄り道すっから怒られるの覚悟な」

(こうして呑気にしてられるのも、今しかねぇからな)


 薬草を一つの籠にまとめると、四人は山を下り川に潜る。空いた籠の中に魚がたんまり取れ、薬草よりもたくさんの土産を手に帰路についた。

 庵に戻ると、案の定、梓とババがイライラした様子で待ち構えていた。


「どこをほっつき歩いておったんじゃ!薬草がダメにならぬうちにやってしまわねばならぬというに!」

「はぁ。やっぱり僕が付いてないと、すぐこれなんだから……」


 二人の小言は後回しにして、時間が惜しいとすぐに作業に入った。

 梓とババは手際よく摘んできた薬草を干し、刻む物と、煮る物とに分けた。

 刹達は、夕飯の支度のため魚を捌き内臓を取り除くと、枝に差して囲炉裏の周りに立てて焼く。

 残りの魚は、笹に通し干物にする。

 その合間にも、休む間もなく庵の中からは薬研の音が響いた。

 ゴリ、ゴリ、ゴリ……。

 梓とババが向かい合い、朝からババが薬草を砕いていた続きを始める。

 炭と薬草の匂いが混じって、庵の空気が少し苦い。

 

「……寝不足でも手は止まらんか」

 

 ババも手を止めることなく、少し笑う。

 

「寝たら、草も手も腐りますから」

 

 梓の返しに、ババが目を軽く閉じた。

 

「お主もよう似とるわ、あの頃のワシに」

「師匠も寝ずに薬を?」

「そうさのう。遠い昔の話じゃ」


 ババは懐かしむ様に、言葉を噛み締めた。

 夜が更けても、庵の中はまだ灯が消えることはなかった。

 ババが薬研を転がしながら言う。

 

「梓。今、何の薬を作っておるのか分かるか?」

「はい。おそらく……金創膏(きんそうこう)かと」


 ババは、「よろしい」と言うように頷く。

 

「此度の調合、何の為にしておるかわかるか?」

「はい。薬を売りながら戦の予兆の確認と、規模と場所を知るためです」

「そうじゃ。薬を作り細々と生きることもできる。じゃが、ワシらは戦から離れられんのじゃ。戦忍びとして城に仕えていた頃から、戦に関わる生き方しかできん。すまぬの」

 

 その一言で、庵の中に重みが満ちる。

 誰一人口を開かず、黙って作業に徹した。

 ゴリ、ゴリ……ゴリ――。

 薬研を擦る音に間隔が開き、次第に小さくなっていく。

 朔が最初に舟を漕いだ。

 火緒が笑いながら薄掛けをかけてやる。

 次に火弦が欠伸を噛み殺しながら、壁に背を預けた。

「目ぇ閉じたら終わりやで……」と呟きつつ、すぐに火緒の寝息が重なった。

 庵の灯だけがゆらゆらと残っている。

 梓の手の動きも、ゆっくりになっていった。

 隣で刹が練られた薬をすくい上げ、様子を確かめる。

 

「もう寝ろ。あとは俺と、ばあさんでやる」

「うん。でも……あと少しだけ」

 

 言葉が、睡魔に溶けていった。

 刹が肩を支えると、梓はそのまま小さく身を預けた。

 その後しばらくして、刹にも眠気が襲い、梓に寄りかかるように眠りにつく。

 外の虫の声と混じって穏やかな寝息の中、囲炉裏の火がじわりと沈む。

 灯りの中でひとり残ったババが、薬を詰める手を止めない。

 練り上げられた薬は合わせ貝の中に入れられ、鮮やかな(あお)を出していた。

 

「薬作りは鮮度が命。情報も鮮度が命」

 

 独り言のように繰り返し呟きながら、指先を動かし続けた。

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