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まほろば  作者: 雨音かえる
兆之段

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7/8

戦の匂い

 ――玄瑞が旅立ってから、早半年。季節は夏に移ろい、森には蝉の鳴く声が響き始めた。

 

 森を吹き抜ける風が、香ばしい匂いを運んでくる。

 街道沿いに、茅葺き屋根の団子茶屋が一軒。

 炭の煙と、醤油を焦がす匂いが混じり合い、旅人たちはつい足を止めてしまう。

 団子茶屋では、あちこちの色々な噂話で賑わっていた。

 主は、暖簾(のれん)の向こう。

 縁台で、湯呑みを手にした客たちが静かに茶を啜りながら、旅土産の話をしている。

 誰かの笑い声と差し込む陽が、安心と不穏の境を曖昧に溶かしていた。

 

 その一角で、ババは湯呑みを手にしたまま、耳だけをそちらへ向けている。

 湯呑みを静かに口もとへ運びながら、暖簾の向こうに立つ影へ声をかけた。

 

「……葵や。ここ最近、あまり良い情報が入らぬようじゃの。野盗やら山賊の後始末ばかりじゃ」

 

 暖簾を押し上げて現れたのは、白い頭巾をきっちりかぶった若い男――団子屋の主、葵。

 

「ええ」

「最近この辺りも、とんと戦が減ってきたようにも思うんじゃが……」

「そうですね。名高い武将たちも、いよいよ天下統一に向けて、最終的な動きを見せ始めていますからね。時機に時代の流れも変わるやもしれません」

 

 葵の言葉に、ババの湯呑の手にはわずかに力が入っていた。

 

「戦がなくなるのでは……との『噂』も、ちらほら耳にしますよ」

「そうなると、ワシらの懐も厳しくなるのぉ。じゃが子供らにとっては、それが一番ええ」

 

 葵の指が、手に持った皿の上の団子の串をゆるやかに回した。

 焦げた醤油だれがかすかに光り、その粘りが照りに残る。

 ババの皿に「どうぞ」と、もうひと串追加で乗せる。

 

「……ただ、あくまでも私らの『噂』の範疇ですので。確かなものかどうかは。実は、ここだけの話……」

 

 葵は半眼で笑みを含みながら、少し声を落とした。

 

「近隣領地内で大きな戦の『噂』があります。――境でまた、兵が動いている気配がある、と……」

 

 ババの視線がぴくりと揺れる。

 

「『気配がある』か。どこまで騒ぎになる?」

「まだ、村が巻き込まれるほどではないでしょう。ですが……戦支度がはじまるかもしれない、と」

 

 その瞬間ババの目に火が灯りつつも、それを悟られぬよう平然を保つ。

 ババはがぶりと団子にかぶりつくと、茶を飲み干し静かに湯呑を盆に置く。

 

「なるほどの。なら、物価の変動があるやもしれんの。……薬が動くじゃろうな」

 

 葵は何も言わない。ただ、目だけが語る。

  

「おーい、旦那ぁ。茶のおかわりくれ!」

「はーい、ただいま!」

 

 葵は客からの声がけに、何事も無かったかのように返事を返す。

 ババはゆっくりと立ち上がった。

 

「葵。礼はまた積む。うまくいきゃあ、倍にしてやるからの」

「楽しみにしております」

 

 葵との会話を終え、ババはそそくさと団子茶屋を後にした。

 

 

 ――夕影が伸びる街道をしばし歩き、ふっと口元が勝手に吊り上がった。

 

「戦が……の。昔の血が騒ぐわい」

 

 そう呟く声は、どこか老獪(ろうかい)ですらあった。

 かつて、戦の裏で影として動いていた頃の感覚が、老いた身体の奥で静かに目を覚ました。

 ババの足取りは軽い。街道から外れ獣道へと入ると、湿り気を含んだ森の匂いが一気に濃くなる。

 口の端に、もう隠す気もない笑みが漏れた。

 獣道の奥の奥。

 木々の隙間から、庵の茅葺き屋根が覗き始める。

 森を抜けると大きく開けた場所があり、低い柵で囲われた中に庵と大棟があった。

 ババは柵続きの門をくぐるなり、大棟のほうへ声を飛ばした。

 

「梓!梓はおるか!」

 

 井戸から大棟へ、水の入った桶を(かめ)に運んでいた朔が戸口からひょっこり顔を出す。

 

「あれ?ババ?梓なら納屋のとこで藁の整理してるけど?」

「呼んでこい。大至急じゃ!」

 

 ババの声音は高く、抑えきれない高揚感が隠せぬほどにわかる。

 朔は瞬時に察した。

 

(なんだろう……大きな戦でも始まるのかな?)

 

 無言のまま、大棟の裏手にある納屋へ駆けていった。

 間もなくして、納屋から朔と共に梓が姿を見せた。

 衣に着いた藁を払いながら歩み寄ってくる途中、ババの顔を見て一瞬足を止めた。


「……何か、ありましたか?」

 

 飾り気のないその問いに、ババは堪えきれぬ声で言った。

 

「梓。薬を売るぞ」

 

 その言葉だけで、梓の表情がわずかに動く。

 

「──戦、ですか」

「まだ、()()じゃ。……じゃが、誰よりも先に備えておくに越したことはない」

 

 ババの顔は綻び、これから祭りが始まるかの様に浮き足立っている。

 

「薬草を今のうちに摘み、下準備をしておく。即座に調合して出せるように、前もって仕込んでおくのじゃ。他の連中にも声をかけろ。街道や町がざわつく前に先手を打つ。戦がなければないで、普通に売りゃぁよいだけのことよ」

 

 梓は少しだけ目を伏せて考え──そして、静かに頷いた。

 

「……わかりました。準備します」

 

 その応えを聞き終わらない間に、話を遮る。

 

「よし。まずは『薬を作る』前に、『どのような種類が必要なのか』を考えねばならん。一番売れる薬は……やはり、傷薬か。忙しくなりそうじゃな」

 

 梓が動き出そうとすると、ババがその背に声をかけた。

 

「梓。夜が開けたら、森の奥へ追加の薬草を採りに出よ。露をまとった草が一番よい」

「承知しました」

 

 即座の応答。その迷いのなさに、ババの口元が吊り上がる。

 

「なんの話してんのや?面白い話やったら聞くでー!」

 

 庵の入口から、大声が勢いよく聞こえてきた。

 山での薪拾いから丁度帰ってきた火緒だった。

 

「火緒。耳がええのぉ。お前も手伝うんじゃぞ!」

「えっ?なにをっ!?」

 

 話が全く分からずに、手伝わされる羽目になってしまった。

 ババの顔を見て、(しまった……逃げそびれた)と思うも時既に遅し。

 梓がため息をつくよりも前に、ババが指先だけで命じる。

 

「火弦も呼べい!総出で作れば、いの一番に売りに出せる!朔も、もちろん手伝うのじゃぞ!」

 

 朔はババの普段見せないような勢いに、ぽかんとした顔で「うん」と頷いた。

 

「いや、まったく話が読めんのやけど!?」

 

「また、何させる気や……」と、ぶつぶつ文句を垂れながら、火緒は大棟の中にいる火弦を呼びに入った。

 

 やがて火弦が加わり、梓、朔、火緒、火弦の四人が囲炉裏の前へと集まった。

 ババは、ゆっくりと腰を下ろす。

 その指先が囲炉裏の縁を「トン」と叩いた。

 

「刹はどうした?」

 

 刹の姿が見えない。

 梓が応える。

 

「刹は、子守り場に仕事に行ってます」

「こんな時に……。悠長に子供相手に遊んどる場合ではないぞ」

「師匠。刹も、稼いでますから」

 

 不機嫌そうにぼやくババに対して、ピシャリと梓が言い放つ。

 気を取り直して、ババが告げる。

 

「おほん。――戦が、来るやもしれん」

 

 その一言で、空気が落ちた。

 皆は今一度、きちんと座り直し、背筋を伸ばす。

 

「北の赤坂領(あかさかりょう)と、東の白岩領(しらいわりょう)じゃ」

 

 先程までの高揚した様子とは打って違い、ババは落ち着き払い静かだった。

 

「今回は、大きい戦になりそうですか?」

「そうじゃ。じゃが、下手をすればこれが最後の大きな戦になるやもしれん。ここで稼いでおかねば」

 

 ババは「はぁ」とため息をつくも、すぐに気を取り直す。


「まだ確定はしておらん。じゃが、戦の噂が立つだけで、おそらく物が動く。金も、流れる」

 

 皆、神妙な顔つきで、真剣にババの話しを受け入れる。

 

「ならば、速やかに。事の準備を急げ。ぬかるでないぞ」

 

 ババは杖をドンと一突きし、目を光らせる。

 火緒、火弦、朔の三人は黙って顔を見合わせ、三人とも同じ言葉が脳裏を過ぎる。

 

 ((長い夜になりそうだな……))

 

 その夜、三人の思惑通り、庵の灯は消えることなく静かに更けていった。

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