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まほろば  作者: 雨音かえる
守破離前

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6/8

出立

 夜が明けきる前、庵の外にはすでに人の気配があった。

 杖を土に突き立て、その上で静かに立つ老女の影。

 目を閉じ、吐く息が長く伸び、静けさが周りを満たしていく。

 風が竹を鳴らし、森がわずかにざわめく。

 庵の一日は、いつもこの無言の呼吸から始まる。


 

 刹は目を覚ました。

 寝返りをうつ梓が、薄掛けの端を握ったまま小さく息をつく。相変わらず寝相が悪いようで、壁際まで転がっている。

 まだ夜気が残る薄暗い部屋で、刹は黙って静かに布団をたたみ、衣を整えた。

 土間の台所に寄り、湯呑みに塩をひとつまみ入れたものと、竹を割いたもの、灰を持ち出す。

 外の井戸で顔を洗うと、冷たい水が肌に刺し、眠気が一気に吹き飛ぶ。

 湯呑みに水を入れ塩を溶かし、口を(ゆす)いで息を整えた。

 竹を割いたものに灰をつけ、歯を磨く。

 口をきれいに濯いだ後、空いた湯のみで水を飲んだ。

 朝の支度をしていると、庵から玄瑞が出てきた。いつもと服装が違い、荷物も旅に出るようなもので、手には笠、草鞋はしっかりとしたものだった。


「行くのか?」

「ああ」


 玄瑞とババは静かに短く交わす。

 玄瑞の目がふと井戸端にいる刹に留まり、足取り軽く近寄ってきた。


「刹、早いな」

「玄瑞。また、旅に出るのか?」


 玄瑞の言葉に返事をすることも無く、刹が問うと、玄瑞は少し考えるふりをしながら応える。


「ああ。朔も落ち着いたし。そろそろフラッと一人旅がしたくなってな……」


 玄瑞が遠くの朝焼けを見ながら、刹に告げると、刹は少し寂しそうに視線を落とした。


「昨日の今日だぞ?朔だってまだ、ちゃんと漁りに出られるかもわからねぇのに」

 

 刹の沈む声が言い終わるか終わらないかのうちに、玄瑞は刹の首に腕を回し、頭をわしゃわしゃと撫で回す。


「そんな寂しそうな顔すんなって!すぐ帰って来てやるよ!」


 いつもの悪ふざけなのに、反応がない。

 玄瑞は手を止め、刹を自分の前に立たせると両肩に手をやり、刹の目を見た。


「刹。今、ここではお前が頼りだ。しっかり、下の者の事頼むぞ。お前なら大丈夫だ」

「俺は別にしっかりなんてしてねぇよ。それに次、いつ帰ってくるんだよ。前は1年は帰ってこなかったじゃねぇか!」


 刹は視線を逸らし、不貞腐れながら、首にかけた手ぬぐいをぎゅっと握りしめる。


「次は必ず夏までには帰る。だから、それまでしっかり……な?」

「年が明けたばかりなのに、もう夏の話かよ。長ぇよ。朔になんて言えばいいんだ」


 刹は、目に薄らと涙を浮かべるが、歯を食いしばり堪えた。


「ちゃんと……生きて帰ってこいよ」

「ああ。約束だ」


 玄瑞は刹の肩をぐっと抱きしめ、「頼む」と言うようにポンと軽く叩いた。

 山の稜線から朝日が差し込み始める頃、玄瑞は刹に見送られ、庵から旅立って行った。


 (普段喧嘩し合っておっても、いざ離れるとなると寂しいものよ。玄瑞、達者でな。無事に帰ってこい)


 去りゆく玄瑞の背中が見えなくなるまで、ババも静かに見送った。


 

 玄瑞の静かな旅立ちとは裏腹に、双子の部屋から喚く声が聞こえる。


「まだねむいー!起きたないっ!」

「はよ起きろや!朝の仕事があんで!」


 火緒と火弦の声が、庵中に響きわたる。

 皆、目覚まし代わりに、嫌でもこの声で起こされてしまう。

 毎朝の事ではあるが、先程の静かな別れの余韻を壊され、刹はイライラして怒鳴った。


「お前らーッ!毎朝うるせぇぞっ!」


 その声に刹の怒りを察したのか、ピタリと双子の声が止んだ。

 梓も双子のやり取りに目を覚まし、寝ぼけ眼を擦りながら井戸に来た。

 

「……おはよ。刹」

「おはよう。お前、昨日の夜も遅かっただろ?もう少し寝ててもいいんだぞ?」

 

 梓の目の下の黒さが、寝不足を物語る。

 

「ん……。寝不足は自分のせい……だから……だい……じょ……」

「おっと」

 

 寝ていきそうな梓を、刹が支える。

 刹の顔が間近に迫り、目元が少しだけ赤らんでるのがわかった。

 

「刹、……なんかあった?」


 梓は刹の小さな違和感に気付き尋ねるも、火緒と火弦が大声で騒ぎながら井戸端にやって来る声に遮られた。

 

「梓が許されるんやったら、俺ももうちょっと寝かさしてぇや!ねーむーいーっ!」

 

 刹と梓のやり取りを見た火緒が、癇癪を起しながら井戸に向かって歩いてくる。

 その後ろで目をこすりながら、朔がとぼとぼと歩いてきた。

 

「お前()。よく毎朝毎朝、同じこと繰り返せるよな。もう少し落ち着いたらどうなんだ?本当に元服したのか?」

  

 刹が火緒と火弦に、朝から説教をし始める。

 火緒は大欠伸をしながら、刹の話など耳に入っていない様子だった。

 火弦は、「なんで俺まで……うるさいの火緒だけやん」と、巻き添えを食った事にねちこく小声で文句を言っていた。

 朔は、辺りをキョロキョロと見回し、誰かを探していた。


「朔、どうした?」


 刹がその様子に気づき話しかけると、朔はさっきまでの眠気が消えたかのように、しょんぼりとした表情を浮かべる。


「刹、玄瑞知らない?昨日の夜から、部屋に帰ってこないんだ」


 朔のその言葉に、刹は正直に言うか言うまいか迷った。

 朔に別れも告げずに旅に出た玄瑞の事を、どう思うだろうか。だが、嘘は付けない。隠したってすぐにばれてしまう。ここは正直に言おうと思った。


「朔。玄瑞は旅に出た。また、いつものやつだ。今回は直ぐに帰ってくると約束した。それまでは、一人部屋だが、辛抱してくれ」

「え……。そうなんだ。なんで何も言わずに出て行ったんだろう。まだ、教わりたいことたくさんあったし、それに……僕、このまま漁りに出てもいいのかな……。それとも、見切りつけられたのかな……」

「そんなことあるわけねぇだろ。玄瑞は、朔を認めたからこそ、安心して出て行ったんだ」


 肩を落とす朔に、刹はそれ以上何も言えず、肩に手を添えてやるのが精一杯だった。

 朔は仕方なく顔を洗い、とぼとぼと自室へと帰っていった。


「刹、玄瑞また旅に……」

 

 梓も少し寂しそうに刹に尋ねたが、刹は何も答えなかった。

 玄瑞はなぜ、同室で一番傍にいた朔に何も告げずに旅に出たのかと、胸の辺りが変にグッと押さえつけられた気分になった。

 刹は、何も言わずスタスタと大棟へ帰って言った。

 

「玄瑞、出ていったんか?」

「いや、ちゃうて。旅に出たんやと。いつもフラッと出ていっては、フラッと帰ってくるあれや」


 火緒と火弦がコソコソと話す中、梓は刹の背中をじっと見つめていた。



 朝の身支度を終え、一同が大棟に戻ると、囲炉裏の上には湯気が立っていた。

 囲炉裏の傍には既にババが座り、白湯を啜っていた。

 土間の台所では、刹が朝飯の支度をしている。

 

「刹ー!腹減った!飯まだぁ?」

「刹が作る朝飯は、格別やからな。朝は刹が作るからええけど、夜はあかんな。特に梓のは……」


 火緒と火弦が漬物の小皿を配膳しながら、飯の催促をすると、火弦の言葉に刹を手伝っていた梓が軽く睨みを利かせる。


「僕のは薬膳料理だから、体にはいいんだ」


 味噌と炊き米の匂いが混じり合い、腹の虫が騒ぐ。

 皆が囲炉裏を囲むように座に着くと、ババが手を合わせた。

 

 「命をいただく前に、()がの命を取り入れる。息を合わせ、祈るのじゃ」

 

 全員が静かに呼吸を整え、手を合わせ声を揃える。

  

 『いただきます!』

 

 皆が一斉に飯にありつく。

 火緒と火弦は食事にがっつきながら食べる。

 刹と梓はゆっくり丁寧に、ひと口ずつ噛み締めるようにして食す。

 朔はやはり元気がなく、静かにゆっくりと飯を口に運んだ。時々ため息を混じらせながらも、少しずつ何とか食す。

 

「朔、元気を出すのじゃ。ここでやることをやっていれば、すぐに玄瑞も帰ってくる」

「うん」


 ババの言葉に、少し安心したのか、残りの飯を一気にかきこんだ。

 その様子を見ていた刹は、胸を撫でおろす。


「そうやで?朔。うちの師匠らも、戦に行ったまま、まだ帰ってけぇへんし!」

「俺らの元服見てから出たから……。あれから、ひと月やなぁ。あっという間や。はよ帰ってきて、稽古つけてほしいわ」


 火緒と火弦は、口の周りに米粒をつけながら、朔に言う。

 刹は双子の騒がしさに「やれやれ」と思いながら、飯を口に運ぶ。


 (玄瑞。俺もまだまだ教わりてぇことがたくさんあるんだ。早く、事を済ませ帰ってこい)


 刹は、今朝旅立ったばかりの玄瑞に思いを馳せた。

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