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神様みたいな恋をする

作者: 仲島 鏡弥

 引っ越しをする前は文句を垂れていたが、いざ引っ越しをしてみると新しい土地に高揚感を覚えた。


 緑豊かな山があり、広大な湖があり、田んぼと畑があり、木造の家がある。逆にないものを挙げたらキリのない、いわゆる田舎と呼ばれる土地ではあるが、昔映画で観たような、妖怪や妖精みたいな未知の存在がいるような気がする。


 太一は好奇心の赴くままに、引っ越してすぐに探索に出かけた。


 あぜ道を歩き、川沿いを歩き、山を歩いた。


 そしたらいつの間にか迷ってた。


 周囲を木に囲まれていて方向感覚を狂わされた。もしかするとこれが神隠しなのかもしれないと思った。スマホの充電が切れているのももしかしたら妖怪のいたずらかもしれない。まあ、引っ越し先まで移動する車の中で、スマホをいじって、充電もしないまま探索に出かけたのが原因だろうが。


 いつの間にか陽も落ちかけている。


 とにかく山を下った。地面が平行になってきたことに安堵を覚えた。


 しかしずっと木に囲まれている。木の間に、わずかな灯りを見つける。


 その光に導かれるように太一は歩みを進める。木の枝を分けて進み、木の葉が口の中に入ってきて、足下の大きな石を踏んづけながらさらに進む。


 灯りの正体が見える。紐に並んで下げられた赤い提灯だった。


 人工的な灯りに、人がいることを期待した。


 木の柵を乗り越えて提灯の元に進んでいく。


 足下にはいくつも石がある。歩く度に音が鳴った。足下はいつの間にか石畳になっていた。


 高床式の倉庫のようなものが見えてくる。倉庫には、ぐるぐるの縄が飾られている。雷みたいな形の紙も飾ってある。


 神社?


 という言葉が頭に浮かぶ。


 見回してみれば灯籠もあるし、石で作られた動物が二匹いるし、神様の祀ってある建物もある。


 夜の神社は不気味だけど、それ以上になにか非日常が起きる予感がする。


「おい」


 声がした。


 びくんと体が跳ねた。


 太一は声のした方を振り返る。


 着物を着ている女の子が、さっきの高床式の倉庫から声をかけてきた。たぶん倉庫じゃなくて、もっと神聖な名前があるんだろうけど、太一にはその名前がわからない。とにかく彼女は真っ白な着物を揺らして、倉庫の階段から降りてくる。


 それなりに距離が離れていたはずなのに、彼女が大きな声を出したというわけでもないのに、さっきの声は耳元で話しているように近くに感じられた。


 不思議な雰囲気の子だった。


 空に浮かんでいる満月よりも白い肌に、青みを帯びている吸い込まれるような瞳に、一歩一歩の所作に気品のようなものを感じる立ち居振る舞い。年は同じくらいのはずだけど、ずいぶんと大人びて見える。


 勝手に人様の敷地に入って怒られるかもという思いと、それ以上に彼女と仲良くなりたいという思いが太一の心に芽生える。


「お前は誰だ? ここでなにをしている?」


「僕は、」


 何でこんなことを言ったのかは自分でもわからない。


「君に会いにやってきた!」


 変な空気が流れた。もしかしたら不審者に思われた可能性がある。まあ状況を見れば否定はできないのだが。


 彼女は目を丸くした後に、その目を細めて小さく笑った。


「そうか。では退屈しのぎの相手にでもなってもらおうか」


 何だか認められたような気がして、単純に嬉しかった。


 太一は彼女の元に歩み寄った。そして彼女に案内されるままに、高床式の倉庫の中へと入る。白い線でいくつもの丸が床にも壁にも天井にも描かれ、葉っぱがいくつも飾られていたり、昔話で見るような遊び道具が何個か置かれていた。


 彼女はその遊び道具を指さし、


「どれをやりたい?」


 と聞いてきたので、とりあえず一つのボールを手に取ってみた。


「蹴鞠か」


「けまり?」


「この玉を足で蹴る遊びだ」


「サッカーみたいなもの?」


「……サッカー?」


 本気でわからないという風に首を傾げられた。


 とにかく倉庫を出て、二人で玉を蹴って遊んだ。けまりってリフティングのことかと太一は思った。


 蹴鞠にも飽きて、二人で色んな遊び道具をひとしきり触った。


 それから二人でただ月を眺めて、話をした。


 彼女はどこか高圧的な物言いに、少し世間ずれしたような言動をみせる。最初は神秘的で大人に見えたけど、話してみるとまだ太一と同じ十三歳の子供のようにも思えた。


 倉庫の階段に腰かけたまま、視線を横に向ける。


 彼女の横顔を見る。


 耳の奥でどくんどくんと音がする。


 彼女の顔をずっと見ていたいと思った。


 だけどもう夜も深まってくる。親が心配して自分を探しているかもしれない。


 そんな太一の心を読んだように、


「時間だな。これ以上ここにいては、お前の親に心配をかける。私はついていけないが、神社を出てしばらくまっすぐ進むと街灯が見えてくる。そこを左に曲がり、四番目の電柱が見えたら右に進め。そうしたらお前の家に着くよ」


 引っ越したことは話したけど、家の場所までは話していないはずだった。けれど彼女は当たり前のように太一の家までの道順を教えてくれた。


「また会えるよね」


「ああ、たぶんな。じゃあな、太一」


 彼女と手を振って別れた。


 そして帰路、彼女の言っていた電柱が見えてくる頃に、彼女の名前を聞くことを失念していたことを後悔した。


 家に着いたら、めちゃくちゃ親に怒られた。だけど怒られている最中も、彼女のことを考えていた。太一の上の空な様子に、親の説教モードがヒートアップしたことはもはや言うまでもないだろう。


 




 ▽▽▽





 新たな学校生活が始まる。


 バスでの通学に戸惑い、木造建築の中学校に驚き、教室に机が七つしかないことに本当にここが教室か疑った。


 クラスメイトには小学生もいた。ここは、小中がまとまった学校らしい。つまりは、小学生も含めて教室どころか学校に七人しか生徒がいないことになる。


 初老を迎えてそうなおじいちゃん先生が、太一を黒板の前に立たせて自己紹介をさせる。好意的な、というよりも珍しいものを見るような好奇心に満ちた視線を向けられる。


 興奮した様子の生徒たちは、廊下に用意していた机を教室に運び出し、太一に座るように促した。


 新たな環境での生活に不安があったが、それ以上に喜びがあった。


 クラスメイトの中には昨日のあの子がいたからだ。教室での彼女は、昨日の不思議な雰囲気はなく、年相応の女の子のようににこにこして、他の生徒たちと同じような視線をこちらに向けていた。


 太一は隣の彼女に向かって昨日はありがとうとお礼を言った。


 周囲の生徒が、彼女に「知り合いなの?」といった風に話しかけていた。


 太一のお礼と、周囲の生徒たちに対しての彼女の反応は頬に人差し指をくっつけて、


「んー、どっかで会ったっけ? ごめん、憶えてないや。まあ改めてよろしくね。私の名前はしののめって言うんだ。東に雲でしののめって読むんだよ。苗字は八雲。雲がいっぱいでしょ?」


 太一は一瞬混乱した。


 人違い?


 快活な話し方と人当たりの良い笑顔は、昨日出会った彼女の印象とは程遠い。


 だけど顔は同じだ。だったら答えは一つだ。


「双子?」


「私が? いいねえ。姉妹がちょうど欲しかったんだ」


 答えは一つじゃなかった。


 じゃあ、やっぱり人違いかもしれない。


 よくよく彼女を見てみると、昨日の彼女よりも肌の血色がいい気がするし、瞳の色も少し違う気もするし、そもそもあの時は夜だったからそこまではっきりと顔を認識できていなかったのかもしれない。


 そう思うと、人違いのような気がしてきた。


「いや、昨日道に迷ってたら、神社で君に似た子に会ったんだ。それで家までの道を教えてもらったから、お礼をと思って」


「へえ。私の家、神社なんだよ」


「へ?」


「じゃあ本当に会ってるのかもね、私たち」


 頭の中でクエスチョンマークが渦巻いた。


 からかわれている?


 だけど昨日と別人のように振る舞っているとしたら、彼女の将来は女優の道に進むべきだと思う。


 心の中に靄を残したまま、太一は七人のクラスメイトたちと親睦を深めていった。





 ▽▽▽





 引っ越してから、一月が経った。村での生活に慣れ始め、クラスメイトとは完全に打ち解けた。


 新生活は順調そのものだ。


 だけど心に引っかかるものがあった。


 太一は、家のベランダで空を見上げている。


 きれいな満月だった。


 満月を見ていると、引っ越した日に出会った彼女を思い出す。


 よし、と太一は気合を入れて、でっかいリュックサックを背負って、こっそりと家を抜け出した。


 神社に向かう。


 街灯の少ない夜道を、月明かりが照らす。その光を頼りに歩く。


 しばらく歩くと、提灯の赤みがかった光が見えてくる。あの日も、この光に導かれたのだ。


 太一は周囲の様子をひとしきり窺い、人影が見えないことを確認して、神社の鳥居をくぐる。参道を進むと、以前に彼女が出てきた倉庫が見えてくる。この場所は神楽殿という建物らしく、ここで歌ったり踊ったりしてそれを神様に見てもらうのだそうだ。


 だけどこの神社では、少しだけ用途が違う。


「また迷子か」


 神楽殿から彼女が出てきた。


 東雲とまったく同じ顔をしているけど、東雲とはまったく違う立ち居振る舞いをする彼女だ。


「いいや。これが、最後だって聞いたから」


 彼女は全く困ったやつだと言わんばかりの表情をした。


「そうか。知ってしまったんだな」


 そうだ。知ってしまったんだ。


 彼女は東雲だけど、東雲じゃない。


 この神社での神楽殿は、歌や踊りを神様に捧げるための場所ではなく、神様に一時の自由を与えるための儀式の場だった。


 遠い昔の話、村に災厄が降り注いだ。それは食糧不足だったり水不足だったり、あるいは天災だったり疫病だったり、様々な不幸が村を襲った。この村には神がいないのだと村人は嘆き、そして神がいないのであれば神を生めばよいのだと考えた。そこで一人の少女が神になるよう求められ、彼女は神様になった。


 どうやって神様になったのかわからない。


 きっと科学的な根拠もない、理不尽な方法だったのだろう。


 それでも彼女は神様になって、村はあらゆる災害から救われた。


 しかし、当時の神主は彼女を憐れに思い、満月の日に依り代を用意して、彼女に一時だけ肉体を与えた。


 それは儀式となり、それは現代まで続くことになった。


 神様になった彼女は、満月の夜、この神楽殿で八雲東雲という少女の体を借りている。


 だから彼女は東雲だけど、東雲じゃない。


 そしてこの儀式は、今晩が最後だ。


 神様は少女の体を借りる。しかし若者はどんどん村を離れていく。それは東雲だって例外じゃない。東雲の親は、伝統に縛られることを望まず、一人の名も知れぬ神様よりも娘の自由を選んだ。先祖が続けてきた伝統を守り、敬意を払い、しかし今日ですべてを終わりにすることを決めた。


 本来、この世に存在しないはずの魂は、今日を限りに拠り所を無くしてしまう。それは永遠なる孤独か、それとも現世への鎖を解く救済となるのだろうか。


「それで太一、お前はここへなにをしにきた? 別れでも言いにきてくれたのか?」


 太一は、純粋に疑問をぶつけてきた彼女に答えた。


「君に会いに来たんだ」


 彼女はふっと笑い。


「そうか。じゃあ今日はなにで遊ぼうか」


 太一は背中のリュックサックを、その場にどさりと下ろした。そしてチャックを開け、リュックサックをひっくり返した。携帯ゲーム機、漫画、トレーディングカード、バット、野球ボール、サッカーボールが石畳に散乱する。


 彼女は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。


「今日はこれで遊ぼう」


 彼女の呼び出される神楽殿には、昔の彼女の持ち物とされる古い遊び道具が祀られていた。太一が一月前に遊んだ、けまりなんかも祀られているものの一つだった。しかし、せっかく現代にいるのだから、現代の遊びを知ってもらえるのが一番だ。


 満月の下、限られた時間の中で、太一は彼女に携帯ゲームのやり方を教え、漫画を朗読し、カードゲームで対戦し、野球ボールを投げて彼女にバットで打たせ、サッカーボールを蹴り合った。


 夜も更けてくると、さすがに眠たくなってくる。


 神楽殿の階段に腰を掛けている。隣には彼女がいる。


「今日はありがとう。楽しい時間だった。だがもう眠いだろう。そろそろお帰り」


「…………」


「また親御さんがお前のことを探しているぞ」


「……どうだった?」


「ん? なにがだ」


 太一は眠気が襲ってきて、頭がぼおっとしている。


 それでも、今日の目的は果たさないといけないのだ。


「まだ、この世界にいたくなった?」


 彼女が目を丸くする。太一の本当の目的を悟った。


 太一は、儀式がなくなっても、依り代がいなくなっても、それでも彼女がこの世に居続けてくれるように未練を彼女に作りたかったのだ。だから新しい遊びを教え、また太一と一緒に遊びたいと思わせようとした。そうすることで、また出会えるのだと無邪気に信じた。


 彼女は太一を見つめ、目を細め、涙をにじませた。


 太一どころか、誰もが彼女の願いを知らない。彼女は長い時を生きたが、神様として扱われることで、少女であったはずの時間は失われてきた。意識のあった満月の夜を過ごす度に孤独を感じ、友達なんてできるわけもなく、そしてついぞ恋を知ることはなかった。


 もしもの話だ。この東雲の体のまま生きて、太一と友達になって、そしてさらにその先には恋を知ることができたのかもしれない。


 だけどそれは叶うことがないと、彼女は知っている。


 彼女は人差し指で涙を拭う。


 太一から見る彼女の表情は、今まで出会った誰とも違う表情だった。


 そんな表情ができるのは、彼女が神様だからなのだろうか。


「また、会えるよね?」


 彼女は答えなかった。


 彼女に頭を撫でられて、まぶたがどんどん重くなって、そのまま意識が離れていく。太一の最後の思考は、ああまた、名前を聞きそびれた、だった。





 目が覚めると、ベッドの上にいた。


 昨日は深夜まで神社にいたはずなのに、リビングの両親は、まるでなにもなかったみたいに太一に接してくる。


 彼女と過ごした時間が、すべて嘘のように感じた。


 彼女といた痕跡を探そうと、昨日彼女と遊んだはずの携帯ゲーム機やバットやサッカーボールを部屋のクローゼットから引っ張り出した。


 リュックサックにこれらが入っていないことが、昨日のことを嘘なんだと証明しているようで嫌だった。


 だけどサッカーボールを見てみると、傷が出来ている。傷をよく見てみると、それは漢字が書いてあるようだった。達筆すぎて読めないのか、それとも単純に文字が下手なのか、なんという漢字なのかは読み解けなかった。こんな傷、今までなかったはずだ。


 きっとこれが、彼女と過ごした痕跡なのだと思った。太一はサッカーボールの傷を指の腹でなぞった。彼女といた一日にも満たない時間を思い出す。


 これだけは間違いない。


 太一は神様に、恋をしていた。

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