第三節|数字の風景
通帳は、いつも同じように開く。
だが、中に書かれた数字だけは、毎月、微かに減り、時に急に落ちる。
印字されたインクの色が、どこか“体温のない血液”のように見えることがある。
「残高照会」を押す指は、わずかに震えていた。
コンビニのATMコーナー。午前10時。人通りは少ない。
だが彼は、自分の背後に“見られている”という妄想をどこかで感じている。
恥ずかしさ、というより——罪悪感に似たものだ。
画面に数字が表示される。
《1,487,923円》
——終わりは、思ったよりも近くにある。
年金の支給まで、まだ半年。
息子がこのまま無職でいれば、少なく見積もっても毎月20万円近くは生活費が出ていく。
そうなると、この金は、あと7ヶ月半分しかない。
「7」と聞いて、「週数」に置き換える自分が、嫌だった。
まるで刑期を数えるように、自分の老後を“残り○週”と換算するような。
——だが、現実はそういうものだ。
背後のガラスに、自分の姿が映っている。
退職前までは、スーツを着て、駅ビルの中の銀行に立っていた。
今は、シャツの襟も少し緩く、腕時計の金属が夏の汗で滑る。
もう、誰も彼を「肩書き」で呼ばない。
そして、彼自身も、自分をどんな名前で呼んでいいのかわからない。
「父」としても、「夫」としても。
まして「自分自身」としても。
財布を開き、千円札を2枚引き出す。
引き出す理由は、とくにない。
ただ“何かを出した”という行為そのものが、彼には必要だった。
それだけだった