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第二節|沈黙の献立



朝六時、まだ陽も登りきらない薄灰の台所で、彼女は包丁を握っていた。まな板の上には、昨日の特売で買った大根の切れ端と、痛みかけた人参が並ぶ。魚は買えなかった。今日は、味噌汁に乾燥ワカメを浮かべることにした。


換気扇の音が、いつからかうるさく感じられなくなった。テレビもラジオも、朝はつけない。音を聞くと、感情が動く。それが怖かった。

だから今、包丁の音だけが響いている。規則的に、ときどき水道の音と交互に。


息子が高校に上がる頃から、夫は急に「家計簿」を細かくチェックするようになった。悪気はないのだと思う。けれど彼のその“数字の目”が、時に彼女には“沈黙の暴力”のように感じられた。


昨日、夫が何も言わずに通帳をテーブルに置いた。パタンと閉じた蓋のように、言葉もなかった。ただ、数字が現実を物語っていた。


「3万5000円。今月の余剰はそれだけだ。」


息子が朝食を食べに降りてきたのは、昼の11時だった。白飯に納豆。味噌汁を避けた。味が薄いのだろうか。それとも——。


「行ってきます」とも、「ありがとう」とも言わず、部屋に戻る。ドアの音が静かすぎて、余計に重く感じられる。


夫は何も言わない。

息子も何も言わない。


その沈黙のあいだに、何かが腐っていく音だけが、彼女には聞こえる気がした。


かつては、夫と二人で駅前のレストランで月一の外食をしていた。ワインを一杯だけ飲み、好きなメニューを一つずつ選んだ。今は、その駅のレストランの前を通るのも避けてしまう。


今日の味噌汁は、また少しだけ薄めにした。

彼が気づいていないふりをするから、私も気づかないふりをする。

この台所には、そういう約束がある

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